上 下
91 / 119
五人目の少女

しおりを挟む
 *

 夜の深い青と山の隙間から橙色《とうしょく》の陽が刺して、僕はようやく目を開く。
 真夏の朝日に猛った陽射しが街を揺り起こして、セミの潮騒が世界の温度を上げていく。
 質の悪い走馬灯のような夢だった。けれど凱世がいたおかげで、僕は自分が置かれた現状をある程度理解できている。
 だから、迷っていた。

(いなくなった相手を、どうやって幸せにするっていうんだ)

 大量のガラス片を飲み込んだみたいに喉が痛んだから、あの夢でぶつけられなかった文句を胸に溶かす。
 氷雨は一つだけキスを残して、僕の前から消えてしまった。
 一度目のキスでは無視できた感情が、氷雨の中に滲み出したのだろう。
 それでも僕は生きて目を覚ましたのだから、凱世の言葉を信じてみてもいい。
 氷雨への怒りや絶望は、これまでの彼女の言葉を思い返すたびに薄れていった。

「素直に好きって言わせてくださいよ」

 と、氷雨は観覧車を揺らして言った。
 思うにあの日の彼女は、感情を抑えようと必死だったのだろう。
 そう考えると、あらゆることに合点がいった。
 優しい世界を求めた理由も、誰にでも優しくして、その癖お礼を受け取れない理由だって同じだ。彼女は自身への好意に発展する可能性を恐れていたのだろう。
 僕らは結局、まったく最悪なほどに、共通する本質に踊らされていたのだ。
 
「よォ。ずいぶん寝坊助なんだな、容疑者B」

 鉛を着たように重い体を起こすと、開け放した記憶のないベランダから声が聞こえた。
 それは僕にとって、死神の足音にも等しい声だった。

「刑事が不法侵入ですか、檜垣さん」

 僕は笑う膝を握って立ち上がり、なんでもないように振り返る。
 ベランダから刺す眩い陽の中で、くたびれた背広の男が紫煙を燻らせていた。
 ようやく目が光に慣れてきた頃、檜垣さんがいつもの調子で笑う。

「重要参考人を抑えに来たんだよ」
「だったら救命活動くらいはしてほしかったですね」

 このなりですよ、と僕は肌からシャツを剥がす。パラパラと血の塊が床に落ちていく。
 白いシャツには赤黒い血が浸透して、黒く変色していた。
 バケツにお湯を溜めて、脱いだシャツを漬け込む。揺れる水面に浮かんだ僕の顔は、ひどく窶れていた。
 口元にこびり着いた血を拭い、着替えてから檜垣さんの隣に立つ。
 濃密な夏の匂いが頬を撫でて、セミの声が白んだ陽射しを際立たせている。

「死んでても不思議じゃなかった」
「馬鹿言っちゃいけねぇな。いくら応援するっても、悪人を殺してぇって気持ち自体は死んじゃいねぇんだぜ」

 檜垣さんを真似て、僕もタバコに火を付ける。

「さっきから何のことです? 僕の容疑は晴れたはずですが」
「保留な。しかもそりゃ愛結晶に限った話だ」

 話が急に見えなくなった。
 聞き返すでもなく檜垣さんをじっと見据えると、ひときわ重たい煙を吐いて、彼は言った。

「先日、県立小夜ヶ丘高等学校の一年生が自宅付近で意識不明の状態で発見された」

 途端、体のちょうど真ん中がねじれたように痛み始める。発作だ、と思った。
 僕が何かを言うより早く、檜垣さんは鼻を鳴らす。

「一応言っといてやるが、お前が思い浮かべた奴は被害者マルガイじゃねぇ。逆だ」
「逆」

 安心するより先にヘドロのように湧き出た疑念が、僕の鼓動を早まらせる。
 咥えたまま吐き出したジタンの煙の底から、感情の死んだ低い声が手を伸ばしてきた。

「俺たちが探してる容疑者はな、坊主。小夜ヶ丘高校一年一組三十番、だよ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

「桜の樹の下で、笑えたら」✨奨励賞受賞✨

悠里
ライト文芸
高校生になる前の春休み。自分の16歳の誕生日に、幼馴染の悠斗に告白しようと決めていた心春。 会う約束の前に、悠斗が事故で亡くなって、叶わなかった告白。 (霊など、ファンタジー要素を含みます) 安達 心春 悠斗の事が出会った時から好き 相沢 悠斗 心春の幼馴染 上宮 伊織 神社の息子  テーマは、「切ない別れ」からの「未来」です。 最後までお読み頂けたら、嬉しいです(*'ω'*) 

姉らぶるっ!!

藍染惣右介兵衛
青春
 俺には二人の容姿端麗な姉がいる。 自慢そうに聞こえただろうか?  それは少しばかり誤解だ。 この二人の姉、どちらも重大な欠陥があるのだ…… 次女の青山花穂は高校二年で生徒会長。 外見上はすべて完璧に見える花穂姉ちゃん…… 「花穂姉ちゃん! 下着でウロウロするのやめろよなっ!」 「んじゃ、裸ならいいってことねっ!」 ▼物語概要 【恋愛感情欠落、解離性健忘というトラウマを抱えながら、姉やヒロインに囲まれて成長していく話です】 47万字以上の大長編になります。(2020年11月現在) 【※不健全ラブコメの注意事項】  この作品は通常のラブコメより下品下劣この上なく、ドン引き、ドシモ、変態、マニアック、陰謀と陰毛渦巻くご都合主義のオンパレードです。  それをウリにして、ギャグなどをミックスした作品です。一話(1部分)1800~3000字と短く、四コマ漫画感覚で手軽に読めます。  全編47万字前後となります。読みごたえも初期より増し、ガッツリ読みたい方にもお勧めです。  また、執筆・原作・草案者が男性と女性両方なので、主人公が男にもかかわらず、男性目線からややずれている部分があります。 【元々、小説家になろうで連載していたものを大幅改訂して連載します】 【なろう版から一部、ストーリー展開と主要キャラの名前が変更になりました】 【2017年4月、本幕が完結しました】 序幕・本幕であらかたの謎が解け、メインヒロインが確定します。 【2018年1月、真幕を開始しました】 ここから読み始めると盛大なネタバレになります(汗)

処理中です...