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ただいまと、さよならと

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 どれだけ待っただろうか。
 一分か十分か。それよりももっと短い、走馬灯のようにわずかな時間か。

「よう、坊主。生きてるかい」

 左肩の焼けつくような痛みを擦って起き上がると、すぐ目の前に声が降ってきた。
 目線を上げる。
 ナイフの転がる先で、暴れる男子生徒が取り押さえられている。
 その背の上で、檜垣さんが僕を見つめていた。

「すみません」

 すぐに立ち上がって謝る。
 何に対してかはわからない。ひょっとしたら、何かに許されたかったのかもしれないと気付いて、僕は唇を噛み締める。
 眉間にシワを寄せた檜垣さんが、職務を果たす警官のように冷然と言った。

「謝って済むもんか、お前らのやったことは変わらん。ただ余計な怪我をせんでよかった、それだけよ」
「はい……有り難う御座います」

 僕は頭を下げた。
 遅れてきた応援の警官が暴れる一年生たちを引き継いで、パトカーに乗せていく。いつの間にか、駐車場には野次馬の人だかりが出来ていた。
 きっと僕らに逃げる場所なんて、最初から存在しなかったのだろう。

「失敗だな」

 若がポツリと呟く。僕はうなずいた。
 それから僕らは別々の車に乗せられて警察署へ向かった。
 僕の隣には檜垣さんが座っていて、歳のわりにずいぶんと若い見た目のスマホを操作していた。

「俺の娘も殺されたんだ」

 悲しい歌でも口ずさむように檜垣さんがつぶやく。
 その目は僕を見ていない。ただ、それが僕に向けられた言葉なのは明らかだった。

「そうなんですか」

 と僕は流すように言った。
 檜垣さんは気分を害した様子もなく続ける。

「男に襲われてな。PTSDになって、ある日突然眠剤ビールよ」
「ソイツは逮捕されたんでしょ?」

 なるべく波風を立てないように、かつ話題が早く終結するように言葉を選ぶ。
 今の僕は、牟田の誘拐に失敗したことだけを考えていた。
 きっと三か月前の自分が聞けば、「気色の悪い冗談だ」と切り捨てるだろう。それほどに、僕の思考は氷雨を中心に回っている。
 牟田に打つ次の一手を考えていると、鋭い眼光が僕を向いた。

「殺したよ」

 思考が一瞬で無に帰すくらいの動揺があった。
 自分がずっと使い続けてきた言葉でも、平均的な人間よりもずっと死に近い警官が言うそれは、ひどく大きく冷淡に聞こえた。
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