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卒業

74話 卒業発表

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「…………またメンバーの小田嶋麻衣に関してですが、今回のシングルの活動をもちましてWISHから卒業することとなりました。卒業まで短い期間ですが変わらぬ応援のほどをよろしくお願いいたします」

 それから数日が経ち、WISHの公式サイトで今回のシングル『PHANTOM CALLINNG』の発売が発表された。
 レコーディングなどの製作活動はまだこれからなのだが、シングルの発売が正式に決まるというのはファンにとって大きな出来事だ。WISHの場合は年に3~4枚発売されるシングル毎に体制が変わってゆく。自分の推しのポジションがどうなるか、というのはファンにとっても最も重大な関心事と言っていい。

 当然今回のシングルで一番大きな話題を集めたのは、藍のセンター抜擢だ。
 ファンの反応としては賛否両論だった。
 5期生ライブでの藍の存在感を覚えているファンもいたが、多くは「小平藍?誰?」という冷ややかな反応だった。
 もちろんこうした冷ややかな反応の多くは「俺の推しがロクなポジションを与えられていないのに、何で入ったばっかりの5期生が選抜のセンターになってるんだよ!」という反感が後押しになっていることが大部分だ。
 そもそもドルオタというのは(WISHのような国民的アイドルのオタクは特にそうかもしれないが)保守的な傾向が強いものだ。だからこそ『推し』などという概念が成立するのだと思う。
 もちろんアイドルの推し方は千差万別だ。オタクの数だけ推し方があると言って良い。特定の推しメンを持たない「箱推し」と呼ばれるオタクも多いし、次から次へと目新しいメンバーに「推し変」してゆくオタクももちろんいる。 
 ただどちらかと言えば多くのオタクは自分の一度決めた推しメンに対して忠実だ。推しを選ぶポイントは様々だが、単にルックスが良いから、パフォーマンスが優れているから……といった合理的理由はむしろ少ない。大事なのは出会うタイミングであり、出会い方なのだ。偶然性に満ちた出会い方のほうが運命を感じるものなのだろう。当然、一度推しを決めて応援してしまえば、それに伴って思い出は増えてゆく。それが情となり、推しの卒業まで離れられなくなる……というサイクルの中にいるオタクは多いだろう。

 情に厚いオタクは一見美談に聞こえるかもしれないが、話はそう単純でもない。誰かを推すということは、誰かを推さない、ということなのだ。
 過激なオタクは得てして、推し以外のメンバーに批判的だったり、攻撃的な態度をとってしまうことがある。もちろんそれは全然褒められた行動ではないし、度が過ぎればオタクとして人として失格である。
 だが誤解を恐れず言えば、そうしたオタク同士の煽り合いが、アイドル文化をここまで大きくしてきたし、WISHの運営もそれを意識的に利用してきた面がある。

 だからこそ、フライング気味とも言える藍のセンター抜擢は意味のあることなのだ。
 批判が巻き起こることで起爆剤となり、オタクは自分の推しに対する愛をもう一度声高に叫びそれを形にしようとする……簡単に言えばそんな構図だろうか。
 今回の藍の抜擢に対する批判は久しぶりに強いものだった。
 社長が私をメンバーに転向させる際に言っていた気がする。「同じことを繰り返しているだけではWISHは緩やかに落ちていってしまう。常に新しい話題を提供し続けなければならない」……そういうことなのだろう。





「こんばんは~、皆さんお疲れ様で~す。小田嶋麻衣です。よろしくお願いします」

 公式な発表があった日の夜、私は『LIVER ROOM』を開いた。
 最近多くなったリアルタイムの動画配信サービスである。
 動画中に何か企画をすることもあるが、画面にメンバーが登場し視聴者はリアルタイムでコメントをして、配信者はそれを読んで応えるという、どちらかというと双方向のコミュニケーションツールという感じだ。メンバーと素に近いおしゃべりが出来るような感覚が人気でWISHのメンバーも度々これを行っている。

「あ、すごい。もう1万人の人が見てくれているんですね!」

 事前に告知をしていたとはいえ、開始2分で視聴者数が1万人を超えるというのは中々のペースだ。

「今日、公式に発表があったので見てくれた人も多いと思うんですけど、次のシングル『PHANTOM CALLINNG』で私は選抜メンバーに選んでいただきました~。はい、拍手、パチパチ~」

 コメント欄には拍手の絵文字や8888(パチパチという意味らしい)の文字が一斉に並ぶ。

「……はい、で、ですね……それと共に今回のシングルの活動を持ちまして、私はWISHから卒業することになりました」

 コメント欄には一斉に卒業を悲しむコメントが溢れかえる。もちろん中には意味の分からないコメントや誹謗中傷的なコメントもあるが、無視するのがこの場ではお互いにとってのマナーだ。

「『もう歳だから社長に肩を叩かれたのかな?』って……ヒドーイ!もうこういうコメントは時代的にダメですね。あのさ、私はWISHでは最年長だしね、そりゃあ周りには若い子が揃ってますよ。でもね、一般的に見ればさ25歳なんて若い部類に入ると思いません?」

 これもオタクとは信頼関係のあるやり取りであり、そこに悪意がないことが分かっているからこうしてコメントをピックアップするのだが……知らない人間から見ればこうした微妙なニュアンスは伝わり辛いだろう。

『今日もめっちゃ可愛いよ!』『とても綺麗で憧れます!』

 私が(ポーズとして)憤慨したのを見てファンからフォローのコメントが沢山飛んで来る。

「え~、皆さんありがとうございます。ちょっとお風呂上りでして……スッピンで髪もボサボサで失礼しております」

 これに対しても可愛い、綺麗、とのコメントが飛んで来る。
 まあこうした個人のライブ配信というのはコアなファンしか見ていないものだから、基本的には全肯定されるというか、何をしてもネガティブなことは言われない。メンバー側にとってもファンからの愛を確認出来る場なのだ。
 今も私は本当に風呂上がりで自宅の部屋から配信を行っていた。
 ライブ配信が人気なのは、メンバーのかなり素に近い姿や表情、生活感までもが感じられるからだろう。

「え~と、はい……まあ少し真面目な話をしますとですね、元々私はマネージャーで、そこからメンバーとして活動することになったんですけど……最初は半年間限定の活動という話だったんですよね。……え、そうでしたよね?」

 コメント欄にはすぐさま『知らん』『そんな話は聞いたことない』とのコメントが並ぶ。

「いや、そうだったんですよ!最初は半年間限定っていう話だったの!……で、まあ色々あってこうして1年くらいですかね?ズルズルとメンバーとして活動させてもらってですね、まあちょうど良い区切りとして今回のシングルで卒業……という形を取らせてもらいました」

 少し話を区切り、またコメント欄に目を通す。
 
「え~と『メンバーとしての活動が嫌になったの?』……ってそんなことは全然ないです!でも逆に言うと、マネージャーとして近くで皆の活動を見てきたから、メンバーとしての苦労は知ってるつもりだった……でも実際に自分がメンバーになると、また少し違いましたね。ただ、メンバーとしてだけでなくてマネージャー・社員としてWISHに携わってきた人間なんて他にいませんからね。誰よりも近くでWISHに関わってきて、誰よりもWISHのことを好きな自信はあります」

『やっぱり麻衣さんはWISHのことが大好きなんですね』『普通に感動した』と言ったコメントが返ってくる。
 この場の短いやり取りで、どこまで伝えられるか不安だったのだが、ある程度は私の気持ちが伝わったようで少しホッとする。

「『卒業後はどうするの?マネージャーに戻るの?』ですか。……えっと、まだ完全に確定ではないんですけど、少し海外の方に留学させてもらおうと思ってます。現場のマネージャーは私以外にも今は人が育ってきているので、そこに戻ることは多分ないかと思うんですけど、経営とかのことを含めて少し海外で勉強して来たいと思っています」

 社長に申し出た時のことを私は繰り返した。
 建前かもしれないが何度も繰り返し自分で話すうちに、それが本当に思えてくるから不思議だ。

『コスフラを辞めるわけじゃないの?』

「はい、そうですね。元々私は社員として入った身ですし、これからもWISHのために働いていきたいと思ってますよ」

『またマネージャーに戻って、握手券の回収とかやってよ!そうしたらまた麻衣ちゃんに会えるじゃん!』

「あら、私が握手会にマネージャーとして参加していた時のことを知ってらっしゃるのですね?かなり古参の方ですね~。もう何年前になりますかね?そんな時もありましたね~」

 これに対しては驚きのコメントが多かった。
『マジで?麻衣さん握手券の回収なんてしてたの?』『実質もう一人と握手できるようなもんじゃん?』

「いやいや、今はこうしてプロの人の手で作り上げてもらってアイドルとしてやらせてもらってますけどね……私オーラないですから。普通に社会人として仕事出来ますよ」



 その後も視聴者とのやり取りは続き、合計で約1時間ライブ配信は続いた。
 視聴者数は最終的には3万人を超え、本当に多くの人に小田嶋麻衣は愛されてきたのだな……と改めて思った。
 もちろん、何もかもをさらけ出して話せるわけではなかったが、自分の口できちんとファンの人に卒業を伝えられたことは良かったと思う。


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