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黒木希
22話 帰り道②
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それでも何とか誰からも声を掛けられることなく、無事にホームまで辿り着くことが出来た。
「ね?もしかして新幹線に乗るってことはさ、東京を出るってこと?」
さっき通り過ぎた改札は、彼女の言う通り新幹線の改札だった。まさか新幹線に乗って上野や品川で降りるわけはないだろう。
「そうです。……でもどこまで行くかはまだ内緒です」
「えー、ケチ!……でも楽しみ。東京を離れるのなんて久しぶりかも。しかも麻衣ちゃんと2人でなんて」
「別に遊びに行くわけではないので、あんまりはしゃいではダメですよ」
一応再度釘を刺しておいたが、正直に言えばもっとリラックスしてもらって構わなかった。
仕事かと言えば仕事なのかもしれないが、今回の目的はみんなが求める『黒木希』を完璧にやる、なんていういつもの仕事とは全然違うのだ。
ほとんど間を置くこともなく新幹線は発車した。
最初は遠足気分なのかテンションの高かった希だったが、新幹線が東京から出る頃にはスヤスヤと寝息を立てていた。
昨日あれだけ寝ていたにも関わらずだ。やはり疲れが溜まっていたのだろう。
「希さん、希さん!……起きてください」
グリーン車のシートがよほど心地よかったのだろうか?2時間の移動中、希は一度も目を覚まさなかった。
「うん?……どこ、ここ?……もう着いたの?」
「はい、名古屋です。でも乗り換えがありますので、急いでください」
「え?……乗り換えるの!?」
大都市である名古屋でのロケや収録ではなく、さらに地方に行くというあまりない事態に彼女はウキウキした反応を示した。
だがそこから乗り換えたローカル線の中で彼女の口数は減っていった。
やはり察したのだろう。
そう、これから行こうとしているのは……彼女の地元だ。
「……私の地元に帰ろう企画、ってことなのかな?」
ローカル線をさらに乗り継いで、一時間に一本しか電車が来ないような田舎の駅に着いた時、希は観念したように尋ねてきた。
「そうです。……撮影スタッフはおろかカメラ一台もない企画ではありますが……」
俺は恐る恐る答えた。
当然彼女が「こんなの聞いてない!」と怒り出す可能性もある。
これが仕事ならば説得することも出来るだろうが、今回は一銭も入らない完全なプライベートだ。俺の余計なお節介でしかない。
だけどこれは、希にとって意味のあることだと思う。仕事以上に仕事と言えなくもない。そう思うから俺はトップアイドルである彼女の貴重な時間を費やしてここまで来たのだ。
それに対して希は返事をせず、遠くを見ていた。
海と山しかない日本の田舎ではありふれた風景だった。
こんな場所から黒木希という時代のアイコンとも言える存在が出てきたのが、とても不思議な感じがした。
「……良いよ。せっかくここまで来たんだから……もう少し行ってみよっか」
少し経ってから希は呟くように言った。
やがて到着した一両しかない電車に2人で乗り込んだ。
まだ学生たちの下校時間にも早いのだろう。電車はガラガラだった。
中吊りにぶら下げられた広告は希が表紙になっているファッション誌のものだった。
もちろん彼女にとってそんなことは慣れっこなのだろう。特にリアクションを示すこともなかった。
時刻は午後の2時を少し過ぎていた。東京を出発してから5時間近くが経とうとしている。
「希さん。ここまで帰ってくるのは久ぶりですか?」
「……そうね。WISHに入って最初の頃は、仕事がそんなになかったこともあって、年に何回も帰ってたんだけどね」
それ以降帰省が減っていったのは、もちろん忙しいのもあるだろうが、恐らく忙しいだけではないはずだ。彼女の口ぶりから俺はそう感じた。
やがて20分ほどで最寄りの駅に着いた。
山ばかりのこれまでの風景から、何もないド田舎の無人駅だと勝手に想像していたがそこまでではなかった。改札は自動改札だったし常駐の駅員さんもいる。
改札を出ると、駅前には5階建てくらいのビルが3つあったし車の交通量もそこそこ多かった。
電車の中ではムスッと何を考えているのか分からない希だったが、改札を出ると明らかに表情が生き生きとしてきた。
やはり懐かしさが強いのだろう。
「どうですか?久しぶりの地元は?」
「うん……景色がすごい変わってる。こんな田舎でも変わっていくんだな、って少しビックリしてるかな……」
彼女の感情は単に懐かしさだけではなかったようだ。
「昔はここに小さなデパートがあってね……今はアオンになっちゃってるけど……そこのゲームセンターにみんなで集まってプリクラを取るのが定番になってたなぁ……。集まっても他に遊ぶ方法を誰も思いつかなかったんだよね。それだけ何もない町だったんだよ」
確かに駅前の小さなビルも、よく見ると全国展開されているチェーン店のものだった。
小さな町だからどこに行っても知り合いしかいない……という状況は容易に想像出来た。それが良いことなのか悪いことなのかは分からなかったが。
「……どうします?少しブラブラして行きますか?」
「いやいいよ、そんなに面白いものがあるような町でもないし。……ウチに行かせたいんでしょ?」
「いえ、希さんが嫌ならば無理に実家に顔を出す必要もないと思います。こうして地元の景色を見れただけでも充分なのかもしれません」
「……え、何それ?黙ってここまで連れてきておいてそんなのズルくない?」
珍しく……というか、今までで初めてくらいに希がイラついた感情を見せた。
罪悪感も感じたし、本当に俺は余計なことをしたのかもしれない……と今さらながら怖くもなった。
だけど、これはきっと必要なことなのだ。
希の熱にうなされていた時に出た彼女の母親への気持ちは本物だろう。本人がそれをどれほど意識しているかは分からないが。
「希さん……。私はマネージャーですけれど、希さんの家の事情について詳しくは知りません。でも今お母さまに会っておくことはきっと大切なことだと思います。子供の幸せを願わない親はいません。……お会いして今の気持ちをお伝えしておくことが、きっと希さんのためにもなると思います」
「……詳しく知らないって……ウチがおかんと仲悪いの知った上で喋ってるやん。麻衣ちゃんズルいなぁ……」
少し拗ねたかのように顔を背けた後、希は自分と母親との状況を説明してくれた。
内容としては社長から聞かされていたこととほとんど変わりはなかった。
彼女の母親が固い人で芸能界に入ることにずっと反対していたこと。
WISHに入ってからも、帰省して話す度に「そんな不安定なことはやめて、こっちに戻ってきて落ち着いた暮らしをしなさい」と言われたこと。
何度もそれが続き、やがて希の方も休みがあっても実家に戻ることがなくなっていったこと。この3年ほどは実家に戻っていないそうだ。
父親や妹とメールなどで連絡は取っているが、母親とはほとんど連絡もなく、たまにメールを交換しても他人行儀でよそよそしいものになっていること。
少し自虐的に笑いながら彼女は話してくれた。
「大丈夫ですよ、希さん。会って話せばきっとお母さんも認めてくれます。大丈夫です!」
とりあえず俺はそう言い切った。
家庭内の問題だし、彼女の母親がどういう人なのかも分からないので、そんな風に言い切れる根拠があるはずもないのだが、それでも俺は本気でそう言えた。
今一緒に働く人間誰もが、彼女のことを認め愛しているのだ。
たとえ母親と言えど、今の希のことを認めない人間がこの世にいるなんて俺には想像も出来なかった。
「ね?もしかして新幹線に乗るってことはさ、東京を出るってこと?」
さっき通り過ぎた改札は、彼女の言う通り新幹線の改札だった。まさか新幹線に乗って上野や品川で降りるわけはないだろう。
「そうです。……でもどこまで行くかはまだ内緒です」
「えー、ケチ!……でも楽しみ。東京を離れるのなんて久しぶりかも。しかも麻衣ちゃんと2人でなんて」
「別に遊びに行くわけではないので、あんまりはしゃいではダメですよ」
一応再度釘を刺しておいたが、正直に言えばもっとリラックスしてもらって構わなかった。
仕事かと言えば仕事なのかもしれないが、今回の目的はみんなが求める『黒木希』を完璧にやる、なんていういつもの仕事とは全然違うのだ。
ほとんど間を置くこともなく新幹線は発車した。
最初は遠足気分なのかテンションの高かった希だったが、新幹線が東京から出る頃にはスヤスヤと寝息を立てていた。
昨日あれだけ寝ていたにも関わらずだ。やはり疲れが溜まっていたのだろう。
「希さん、希さん!……起きてください」
グリーン車のシートがよほど心地よかったのだろうか?2時間の移動中、希は一度も目を覚まさなかった。
「うん?……どこ、ここ?……もう着いたの?」
「はい、名古屋です。でも乗り換えがありますので、急いでください」
「え?……乗り換えるの!?」
大都市である名古屋でのロケや収録ではなく、さらに地方に行くというあまりない事態に彼女はウキウキした反応を示した。
だがそこから乗り換えたローカル線の中で彼女の口数は減っていった。
やはり察したのだろう。
そう、これから行こうとしているのは……彼女の地元だ。
「……私の地元に帰ろう企画、ってことなのかな?」
ローカル線をさらに乗り継いで、一時間に一本しか電車が来ないような田舎の駅に着いた時、希は観念したように尋ねてきた。
「そうです。……撮影スタッフはおろかカメラ一台もない企画ではありますが……」
俺は恐る恐る答えた。
当然彼女が「こんなの聞いてない!」と怒り出す可能性もある。
これが仕事ならば説得することも出来るだろうが、今回は一銭も入らない完全なプライベートだ。俺の余計なお節介でしかない。
だけどこれは、希にとって意味のあることだと思う。仕事以上に仕事と言えなくもない。そう思うから俺はトップアイドルである彼女の貴重な時間を費やしてここまで来たのだ。
それに対して希は返事をせず、遠くを見ていた。
海と山しかない日本の田舎ではありふれた風景だった。
こんな場所から黒木希という時代のアイコンとも言える存在が出てきたのが、とても不思議な感じがした。
「……良いよ。せっかくここまで来たんだから……もう少し行ってみよっか」
少し経ってから希は呟くように言った。
やがて到着した一両しかない電車に2人で乗り込んだ。
まだ学生たちの下校時間にも早いのだろう。電車はガラガラだった。
中吊りにぶら下げられた広告は希が表紙になっているファッション誌のものだった。
もちろん彼女にとってそんなことは慣れっこなのだろう。特にリアクションを示すこともなかった。
時刻は午後の2時を少し過ぎていた。東京を出発してから5時間近くが経とうとしている。
「希さん。ここまで帰ってくるのは久ぶりですか?」
「……そうね。WISHに入って最初の頃は、仕事がそんなになかったこともあって、年に何回も帰ってたんだけどね」
それ以降帰省が減っていったのは、もちろん忙しいのもあるだろうが、恐らく忙しいだけではないはずだ。彼女の口ぶりから俺はそう感じた。
やがて20分ほどで最寄りの駅に着いた。
山ばかりのこれまでの風景から、何もないド田舎の無人駅だと勝手に想像していたがそこまでではなかった。改札は自動改札だったし常駐の駅員さんもいる。
改札を出ると、駅前には5階建てくらいのビルが3つあったし車の交通量もそこそこ多かった。
電車の中ではムスッと何を考えているのか分からない希だったが、改札を出ると明らかに表情が生き生きとしてきた。
やはり懐かしさが強いのだろう。
「どうですか?久しぶりの地元は?」
「うん……景色がすごい変わってる。こんな田舎でも変わっていくんだな、って少しビックリしてるかな……」
彼女の感情は単に懐かしさだけではなかったようだ。
「昔はここに小さなデパートがあってね……今はアオンになっちゃってるけど……そこのゲームセンターにみんなで集まってプリクラを取るのが定番になってたなぁ……。集まっても他に遊ぶ方法を誰も思いつかなかったんだよね。それだけ何もない町だったんだよ」
確かに駅前の小さなビルも、よく見ると全国展開されているチェーン店のものだった。
小さな町だからどこに行っても知り合いしかいない……という状況は容易に想像出来た。それが良いことなのか悪いことなのかは分からなかったが。
「……どうします?少しブラブラして行きますか?」
「いやいいよ、そんなに面白いものがあるような町でもないし。……ウチに行かせたいんでしょ?」
「いえ、希さんが嫌ならば無理に実家に顔を出す必要もないと思います。こうして地元の景色を見れただけでも充分なのかもしれません」
「……え、何それ?黙ってここまで連れてきておいてそんなのズルくない?」
珍しく……というか、今までで初めてくらいに希がイラついた感情を見せた。
罪悪感も感じたし、本当に俺は余計なことをしたのかもしれない……と今さらながら怖くもなった。
だけど、これはきっと必要なことなのだ。
希の熱にうなされていた時に出た彼女の母親への気持ちは本物だろう。本人がそれをどれほど意識しているかは分からないが。
「希さん……。私はマネージャーですけれど、希さんの家の事情について詳しくは知りません。でも今お母さまに会っておくことはきっと大切なことだと思います。子供の幸せを願わない親はいません。……お会いして今の気持ちをお伝えしておくことが、きっと希さんのためにもなると思います」
「……詳しく知らないって……ウチがおかんと仲悪いの知った上で喋ってるやん。麻衣ちゃんズルいなぁ……」
少し拗ねたかのように顔を背けた後、希は自分と母親との状況を説明してくれた。
内容としては社長から聞かされていたこととほとんど変わりはなかった。
彼女の母親が固い人で芸能界に入ることにずっと反対していたこと。
WISHに入ってからも、帰省して話す度に「そんな不安定なことはやめて、こっちに戻ってきて落ち着いた暮らしをしなさい」と言われたこと。
何度もそれが続き、やがて希の方も休みがあっても実家に戻ることがなくなっていったこと。この3年ほどは実家に戻っていないそうだ。
父親や妹とメールなどで連絡は取っているが、母親とはほとんど連絡もなく、たまにメールを交換しても他人行儀でよそよそしいものになっていること。
少し自虐的に笑いながら彼女は話してくれた。
「大丈夫ですよ、希さん。会って話せばきっとお母さんも認めてくれます。大丈夫です!」
とりあえず俺はそう言い切った。
家庭内の問題だし、彼女の母親がどういう人なのかも分からないので、そんな風に言い切れる根拠があるはずもないのだが、それでも俺は本気でそう言えた。
今一緒に働く人間誰もが、彼女のことを認め愛しているのだ。
たとえ母親と言えど、今の希のことを認めない人間がこの世にいるなんて俺には想像も出来なかった。
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