上 下
22 / 85
黒木希

22話 帰り道②

しおりを挟む
 それでも何とか誰からも声を掛けられることなく、無事にホームまで辿り着くことが出来た。

「ね?もしかして新幹線に乗るってことはさ、東京を出るってこと?」

 さっき通り過ぎた改札は、彼女の言う通り新幹線の改札だった。まさか新幹線に乗って上野や品川で降りるわけはないだろう。

「そうです。……でもどこまで行くかはまだ内緒です」

「えー、ケチ!……でも楽しみ。東京を離れるのなんて久しぶりかも。しかも麻衣ちゃんと2人でなんて」

「別に遊びに行くわけではないので、あんまりはダメですよ」

 一応再度釘を刺しておいたが、正直に言えばもっとリラックスしてもらって構わなかった。
 仕事かと言えば仕事なのかもしれないが、今回の目的はみんなが求める『黒木希』を完璧にやる、なんていういつもの仕事とは全然違うのだ。

 

 ほとんど間を置くこともなく新幹線は発車した。
 最初は遠足気分なのかテンションの高かった希だったが、新幹線が東京から出る頃にはスヤスヤと寝息を立てていた。
 昨日あれだけ寝ていたにも関わらずだ。やはり疲れが溜まっていたのだろう。





「希さん、希さん!……起きてください」

 グリーン車のシートがよほど心地よかったのだろうか?2時間の移動中、希は一度も目を覚まさなかった。

「うん?……どこ、ここ?……もう着いたの?」

「はい、名古屋です。でも乗り換えがありますので、急いでください」

「え?……乗り換えるの!?」

 大都市である名古屋でのロケや収録ではなく、さらに地方に行くというあまりない事態に彼女はウキウキした反応を示した。




 
 だがそこから乗り換えたローカル線の中で彼女の口数は減っていった。
 やはり察したのだろう。
 そう、これから行こうとしているのは……彼女の地元だ。

「……私の地元に帰ろう企画、ってことなのかな?」

 ローカル線をさらに乗り継いで、一時間に一本しか電車が来ないような田舎の駅に着いた時、希は観念したように尋ねてきた。

「そうです。……撮影スタッフはおろかカメラ一台もない企画ではありますが……」

 俺は恐る恐る答えた。
 当然彼女が「こんなの聞いてない!」と怒り出す可能性もある。
 これが仕事ならば説得することも出来るだろうが、今回は一銭も入らない完全なプライベートだ。俺の余計なお節介でしかない。
 だけどこれは、希にとって意味のあることだと思う。仕事以上に仕事と言えなくもない。そう思うから俺はトップアイドルである彼女の貴重な時間を費やしてここまで来たのだ。
 
 それに対して希は返事をせず、遠くを見ていた。
 海と山しかない日本の田舎ではありふれた風景だった。
 こんな場所から黒木希という時代のアイコンとも言える存在が出てきたのが、とても不思議な感じがした。

「……良いよ。せっかくここまで来たんだから……もう少し行ってみよっか」

 少し経ってから希は呟くように言った。
  

 
 やがて到着した一両しかない電車に2人で乗り込んだ。
 まだ学生たちの下校時間にも早いのだろう。電車はガラガラだった。
 中吊りにぶら下げられた広告は希が表紙になっているファッション誌のものだった。
 もちろん彼女にとってそんなことは慣れっこなのだろう。特にリアクションを示すこともなかった。
 時刻は午後の2時を少し過ぎていた。東京を出発してから5時間近くが経とうとしている。

「希さん。ここまで帰ってくるのは久ぶりですか?」

「……そうね。WISHに入って最初の頃は、仕事がそんなになかったこともあって、年に何回も帰ってたんだけどね」

 それ以降帰省が減っていったのは、もちろん忙しいのもあるだろうが、恐らく忙しいだけではないはずだ。彼女の口ぶりから俺はそう感じた。

 やがて20分ほどで最寄りの駅に着いた。
 山ばかりのこれまでの風景から、何もないド田舎の無人駅だと勝手に想像していたがそこまでではなかった。改札は自動改札だったし常駐の駅員さんもいる。
 改札を出ると、駅前には5階建てくらいのビルが3つあったし車の交通量もそこそこ多かった。

 電車の中ではムスッと何を考えているのか分からない希だったが、改札を出ると明らかに表情が生き生きとしてきた。
 やはり懐かしさが強いのだろう。

「どうですか?久しぶりの地元は?」

「うん……景色がすごい変わってる。こんな田舎でも変わっていくんだな、って少しビックリしてるかな……」

 彼女の感情は単に懐かしさだけではなかったようだ。

「昔はここに小さなデパートがあってね……今はアオンになっちゃってるけど……そこのゲームセンターにみんなで集まってプリクラを取るのが定番になってたなぁ……。集まっても他に遊ぶ方法を誰も思いつかなかったんだよね。それだけ何もない町だったんだよ」

 確かに駅前の小さなビルも、よく見ると全国展開されているチェーン店のものだった。
 小さな町だからどこに行っても知り合いしかいない……という状況は容易に想像出来た。それが良いことなのか悪いことなのかは分からなかったが。

「……どうします?少しブラブラして行きますか?」

「いやいいよ、そんなに面白いものがあるような町でもないし。……ウチに行かせたいんでしょ?」

「いえ、希さんが嫌ならば無理に実家に顔を出す必要もないと思います。こうして地元の景色を見れただけでも充分なのかもしれません」

「……え、何それ?黙ってここまで連れてきておいてそんなのズルくない?」

 珍しく……というか、今までで初めてくらいに希がイラついた感情を見せた。
 罪悪感も感じたし、本当に俺は余計なことをしたのかもしれない……と今さらながら怖くもなった。
 だけど、これはきっと必要なことなのだ。
 希の熱にうなされていた時に出た彼女の母親への気持ちは本物だろう。本人がそれをどれほど意識しているかは分からないが。

「希さん……。私はマネージャーですけれど、希さんの家の事情について詳しくは知りません。でも今お母さまに会っておくことはきっと大切なことだと思います。子供の幸せを願わない親はいません。……お会いして今の気持ちをお伝えしておくことが、きっと希さんのためにもなると思います」

「……詳しく知らないって……ウチがおかんと仲悪いの知った上で喋ってるやん。麻衣ちゃんズルいなぁ……」

 少し拗ねたかのように顔を背けた後、希は自分と母親との状況を説明してくれた。



 内容としては社長から聞かされていたこととほとんど変わりはなかった。
 彼女の母親が固い人で芸能界に入ることにずっと反対していたこと。
 WISHに入ってからも、帰省して話す度に「そんな不安定なことはやめて、こっちに戻ってきて落ち着いた暮らしをしなさい」と言われたこと。
 何度もそれが続き、やがて希の方も休みがあっても実家に戻ることがなくなっていったこと。この3年ほどは実家に戻っていないそうだ。
 父親や妹とメールなどで連絡は取っているが、母親とはほとんど連絡もなく、たまにメールを交換しても他人行儀でよそよそしいものになっていること。
 少し自虐的に笑いながら彼女は話してくれた。

「大丈夫ですよ、希さん。会って話せばきっとお母さんも認めてくれます。大丈夫です!」

 とりあえず俺はそう言い切った。
 家庭内の問題だし、彼女の母親がどういう人なのかも分からないので、そんな風に言い切れる根拠があるはずもないのだが、それでも俺は本気でそう言えた。
 今一緒に働く人間誰もが、彼女のことを認め愛しているのだ。 
 たとえ母親と言えど、今の希のことを認めない人間がこの世にいるなんて俺には想像も出来なかった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

異世界TS転生で新たな人生「俺が聖女になるなんて聞いてないよ!」

マロエ
ファンタジー
普通のサラリーマンだった三十歳の男性が、いつも通り残業をこなし帰宅途中に、異世界に転生してしまう。 目を覚ますと、何故か森の中に立っていて、身体も何か違うことに気づく。 近くの水面で姿を確認すると、男性の姿が20代前半~10代後半の美しい女性へと変わっていた。 さらに、異世界の住人たちから「聖女」と呼ばれる存在になってしまい、大混乱。 新たな人生に期待と不安が入り混じりながら、男性は女性として、しかも聖女として異世界を歩み始める。 ※表紙、挿絵はAIで作成したイラストを使用しています。 ※R15の章には☆マークを入れてます。

男女比1:10。男子の立場が弱い学園で美少女たちをわからせるためにヒロインと手を組んで攻略を始めてみたんだけど…チョロいんなのはどうして?

ファンタジー
貞操逆転世界に転生してきた日浦大晴(ひうらたいせい)の通う学園には"独特の校風"がある。 それは——男子は女子より立場が弱い 学園で一番立場が上なのは女子5人のメンバーからなる生徒会。 拾ってくれた九空鹿波(くそらかなみ)と手を組み、まずは生徒会を攻略しようとするが……。 「既に攻略済みの女の子をさらに落とすなんて……面白いじゃない」 協力者の鹿波だけは知っている。 大晴が既に女の子を"攻略済み"だと。 勝利200%ラブコメ!? 既に攻略済みの美少女を本気で''分からせ"たら……さて、どうなるんでしょうねぇ?

[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件

森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。 学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。 そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……

[完結]異世界転生したら幼女になったが 速攻で村を追い出された件について ~そしていずれ最強になる幼女~

k33
ファンタジー
初めての小説です..! ある日 主人公 マサヤがトラックに引かれ幼女で異世界転生するのだが その先には 転生者は嫌われていると知る そして別の転生者と出会い この世界はゲームの世界と知る そして、そこから 魔法専門学校に入り Aまで目指すが 果たして上がれるのか!? そして 魔王城には立ち寄った者は一人もいないと別の転生者は言うが 果たして マサヤは 魔王城に入り 魔王を倒し無事に日本に帰れるのか!?

分析スキルで美少女たちの恥ずかしい秘密が見えちゃう異世界生活

SenY
ファンタジー
"分析"スキルを持って異世界に転生した主人公は、相手の力量を正確に見極めて勝てる相手にだけ確実に勝つスタイルで短期間に一財を為すことに成功する。 クエスト報酬で豪邸を手に入れたはいいものの一人で暮らすには広すぎると悩んでいた主人公。そんな彼が友人の勧めで奴隷市場を訪れ、記憶喪失の美少女奴隷ルナを購入したことから、物語は動き始める。 これまで危ない敵から逃げたり弱そうな敵をボコるのにばかり"分析"を活用していた主人公が、そのスキルを美少女の恥ずかしい秘密を覗くことにも使い始めるちょっとエッチなハーレム系ラブコメ。

ヒューマンテイム ~人間を奴隷化するスキルを使って、俺は王妃の体を手に入れる~

三浦裕
ファンタジー
【ヒューマンテイム】 人間を洗脳し、意のままに操るスキル。 非常に希少なスキルで、使い手は史上3人程度しか存在しない。 「ヒューマンテイムの力を使えば、俺はどんな人間だって意のままに操れる。あの美しい王妃に、ベッドで腰を振らせる事だって」 禁断のスキル【ヒューマンテイム】の力に目覚めた少年リュートは、その力を立身出世のために悪用する。 商人を操って富を得たり、 領主を操って権力を手にしたり、 貴族の女を操って、次々子を産ませたり。 リュートの最終目標は『王妃の胎に子種を仕込み、自らの子孫を王にする事』 王家に近づくためには、出世を重ねて国の英雄にまで上り詰める必要がある。 邪悪なスキルで王家乗っ取りを目指すリュートの、ダーク成り上がり譚!

処理中です...