折神之瑞穂 Origami no Mizuho

きもん

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絶対天敵

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 その日、『それ』は来た。
 その日の正確な日付はわからない。
 何故なら時の流れを暦として認識し、その記録を残せる知的生物が地球にはまだ存在していなかったからだ。
 マントルの流れに乗って移動するプレートの力が永い時間をかけて分断させた大陸の一つで、生活の場を樹上から地上に移し、二足歩行を始めたばかりの哺乳類が、自由になった腕を使って、ようやく道具を使う事に目覚め始めた処だった。
 彼らにとって、昨日迄の日々は、生きる為の糧を確保出来た幸運な現実であり、今日以降の日々は生存を維持する為の辛い試練でしかない。それを時間の概念と結びつけて思考するには、未だ気の遠くなる歳月と僅かばかりの幸運を必要としていた。進化という幸運だ。
 だが、もしその日、地球に言語を使う程度の知的生物でも存在していたのなら、彼らは、『それ』の醜悪さに眼を背けたに違いない。
 美の基準は相対的なものだ。宇宙に遍く栄え滅んでいった無数の文明で証明されている。が、それにも拘わらず、かつて宇宙に存在したあらゆる知性が『それ』の姿を醜悪だと感じていた。
 もちろん、光波、電磁波、重力波、音波、テレパシー等、如何なる方法で『それ』を感知しても同じ事だ。
 『それ』は宇宙開闢の過去からこの宇宙に存在し、『それ』以外の全ての生命は疎か、物質、エネルギーに至るまでこの世の全てにとっての捕食者だった。
 『それ』は「無」以外の全てを貪り喰らうのだ。
 故に『それ』は、『それ』を認識出来る全ての知性から、この宇宙全てに敵対する者、『絶対天敵』として認識されていた。
 何故、そんなモノが存在しているのか誰も知らない。
 しかし、絶対天敵は存在し、今、地球へとやって来たのだ。
 地球が目的地だったわけではない。ある偶然の事故と、根元的本能である「食欲」を満たすための捕食活動とが、偶然に地球を発見せしめたのだ。
 絶対天敵は巨大だった。
 蛇のような体躯は、悠に一つの山脈を覆い尽くす程だ。
 絶対天敵は食った。
 躰の両端にパックリと開いている洞窟のような口で、大地を、海洋を、地球の構成要素全てを食い尽くしていく。
 大陸が一つ消滅した時、一隻の宇宙船が地球の軌道上に跳躍してきた。
 その船の乗組員は一人。
 『処理者』と呼ばれる存在だ。
 処理者は絶対天敵を感知した。
「こんな辺境まで跳ばされていたとは」
 処理者は言った。 
「我々の責任だ」
 応えたのは、船だった。
「取り逃がした上に、我らの造った超空間ゲートに逃げ込まれ、こんな辺境の平穏な星域にまで被害を拡げてしまうなど」
「絶対に此処で仕留めるのだ」
 処理者とその船は、自らの不徳を嘆いた。絶対天敵の殲滅のみが、彼らの存在意義なのだ。
 今回の様な不手際はここ数万年聞いた事がない・・・処理者は焦っていた。
 船は大気圏に突入する。
 絶対天敵の上空に滞空すると、処理者は甲板に自らの姿を晒した。
 処理者は特別な装備を携帯していない。剥き身だった。だが躊躇することなく、絶対天敵に向かってダイブした。
 背中から天使のような六枚羽根を展開して滞空した。
 しかし、周囲が騒がしくなった事にも全く関心を示さず、絶対天敵はひたすら大地を貪り喰っていた。
 攻撃が始まった。
 処理者が叫んだ。その声は音波ではなく、光りの波紋となって絶対天敵の体表を灼いた。
 巨大な物体が船から射出された。それは高層ビルに匹敵する程巨大な二足歩行の機動兵器だった。
 機動兵器は、すぐさま相手に組み付ついて、全身に装備された各種の兵器を至近距離から撃ち込んだ。
 容赦なく続く処理者の攻撃に怯むこと無く、かといって反撃する事もせず、絶対天敵はひたすら食い続けていた。
 一昼夜続いた攻撃にさえ堪えない敵に、処理者の方が疲労の色を見せ始めた。
「ダメだ。奴の成長段階が、携帯兵器の攻撃オプションで殲滅できるレベルを越えている」
 処理者が嘆いた。
「まさか、あれを使うのか。大気圏内で」
 船が、機動兵器を中継して応える。
「本隊を離れてしまった我々では、今の奴に有効な武器はあれしかない」
「・・・この星は、終わりだな」
「仕方あるまい。辺境とはいえ、この辺りは比較的天体が密な空間なんだ。放っておけば島宇宙の二つや三つ、此奴のために消滅してしまうぞ」
 二人は、罪を分かち合う覚悟を決めた。
 処理者と機動兵器が回収されると、船は衛星軌道まで上昇した。
「基幹素粒子の対消滅時間を出来うる限り短縮しろ、この惑星への被害を最小限に留めるのだ」
 絶対天敵は、今や衛星軌道からでも肉眼で形が確認できる程に巨大化していた。
 絶対天敵に向かって、船から黒く光る光弾が放たれた。
 直撃。
 辺りの光りを吸収する黒い閃光が広がり、瞬時に収縮する。
 時間=エネルギー=物質の三角等価変換反応から僅かに漏れ出た余熱で廻りの岩石がマグマ化し、赤く輝くクレーターが形成されている。
 絶対天敵は・・・消滅した。
「成功だ」と船。
「惑星の被害は?」と処理者。
「自転速度がコンマ八六%減速。平均大気温度が十九℃上昇。間もなく極冠の氷が九十%融解、海洋水が熱膨張して大洪水が起こる。しばらくは、殆ど陸地のない海洋惑星だな」
「それだけか? 奇跡だ・・・惑星自体は崩壊しないのだな?」
「しかし、今の攻撃でエネルギー残量はコンマ以下だ。しかも回生リアクターに損害がある。この星系の恒星光で再チャージとなると、外次元燃焼システムの初期起動に必要なパワーを得る頃には、我々の寿命は尽きているかもな」
 船が自己診断した被害の規模は、回復までの時間に地球が太陽を数万回廻る長さが必要な事を意味していた。
「大気圏内行動ならどうだ?」
「今すぐにでも可能だが? まさか」
「そうだ、僅かに残った生物相を一時的に収容し、この惑星が本来の生態系を取り戻すまで、我々がサポートするのだ」
「しかし、それは我々の責務ではない」
「恐らく、私の寿命はこの惑星で尽きる」
「・・・」
「そうゆう事だ・・・」
 処理者の責務は、極論すれば「破壊」のみである。
 絶対天敵との戦闘による被害を修復する任務を担う者は他にいる。
 通常は、「回生者」と呼ばれるその者達と艦隊を組んでいるのだが、今、彼らは完全に宇宙の孤児と化している。船の跳躍装置が不具合を起こし、絶対天敵を巻き込んだまま、闇雲に跳んだ先がこの辺境星系だったのだ。
 イレギュラー中のイレギュラーだった。この宇宙で二番目に古い知的生命であり、気が遠くなるほど長い進化を経た種族である知性船が故障するなど、処理者は聞いた事が無かった。しかも、艦隊の集合意識からも切り離されてしまったので、判断は自らの心に委ねなければならなかった。
 だから、処理者は決断したのだ。
 宇宙の歴史上、初めてとなる、処理者による「回生」が行われた。
 処理者とその船は、地球に残った細菌に至るまでの生命体を出来るだけ多くを船内に収容し待避させ、大規模洪水後の生態系保全に腐心した。
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