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#8 今はただ抱きしめて

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天音と悠希は1階の出入り口から出て、桜木町駅へ向かい歩いていた。

「家まで送るわ」

悠希が言う、さすがに一人にはできなかった、しかし天音は首を左右に振る。

「……こんな格好で、おうちに帰れない……」

未遂だったとはいえ暴行のあとを残しては道も歩けないと思えた、従業員の更衣室を借りて下着も付け直したが男が触れた物をいつまでも身に着けているのもおぞましい。

「そうね、どっかで買おうか。このあたりなら何でもあるし」

天音は首を左右に振った。

「こんな格好で買い物なんか行きたくない……ユキさんち行っちゃだめ? ユキさんの服貸してほしい、その前にシャワーも浴びたいから、シャワーも貸してほしい」

悠希はうんうんと頷いた、確かにその通りだ。

「でも私の服じゃ大きすぎだわ、天音ちゃんがシャワー浴びてる間に私が買ってこようか。趣味とか違うかもしれないけど」
「全然いいよ……ユキさん、趣味いいもん、任せる」

天音は弱々しい笑みに、悠希は胸がえぐられる思いだ。

「でもうちじゃ遠いから、今のホテルに言って少し休ませてもらう? さすがに部屋を貸してくれるんじゃないかな」

天音はこればかりは飛んで行ってしまいそうに首を左右に振った、早く現場から遠ざかりたかった。

「そうね、そうよね、ごめん」

言葉にされなくても気持ちを理解できた、天音をしっかりと抱きしめる。

「……本当に、警察へ行かなくていいの?」

シャワーを浴びてしまっては、暴行の証拠がなくなってしまう、犯罪として訴えるならばこのまま警察か病院などへ行き、証拠の保全をすべきだ。

「……舐められただけで……その、入れられてはいない、から……それなら、多分、忘れられる……」

天音が身を小さくして呟くように言う、悠希はその肩をしっかりと抱きしめた、力のあまり指が食い込みそうになってしまうのは懸命に堪える。

「嫌なことされたのは事実だけど……それを、たくさんの人に知られたくない……」

されたことは犯罪といえるだろう、だが天音がそういうならばあえて傷つく方を選ぶ必要はない。捜査の仕方によっては浅い傷が深くなることもあるだろう。

「うん、そうね、じゃあとにかく早く身を清めようね。近くのラブホテルとか……ううん、やっぱりうちのほうがいいね、人に会わずに済むから」

悠希の言葉に天音はうなずいた。
悠希は駅前のタクシー乗り場からタクシーに乗り込んだ。電車で二駅の距離だが天音の気持ちを考えれば、できるだけ人に会わない方法を選んだ。
会話もなく山手にある悠希の自宅に到着する。

「お洋服買ってくるわね、トップスだけ?」

寄り道はせずにとにもかくにも家へと急いだ、玄関でパンプスを脱ぐ天音の背に問いかける。

「……下着も、欲しい。あとストッキングと」

パンティーはレース部分が破けている、男が力いっぱい引っ張っただけで音を立てて破けてしまったのだ。仕方なく穿いてはきたが一刻も早く脱ぎ捨てたい。

「うんうん、判った。ごめんね、サイズ、聞いてもいい?」
「……S……上は、65のE……」
「えっとごめん、デザインとか色とかにこだわりは?」
「……なんでもいい、ユキさんに任せる……ありがと」

気遣いが嬉しかった、微笑み答える。

「じゃあトップスもシンプルにTシャツにするわね」
「うん」
「じゃあ行くけど、誰か来ても出なくていいからね」
「うん……シャワー、使っていい?」
「もちろんよ」

そのために来たのだ、そうだと思い出し悠希も靴を脱ぎ室内に入ると、クローゼットからバスタオルを出した。それを渡しながらエアコンのスイッチも入れる。
天音は受け取ったバスタオルを抱きしめた、その沈痛な面持ちに悠希は耐え切れず天音を抱きしめる。
怖かっただろうに──そんな天音を一人にするのは不安だったが、自分の服ではやはりサイズが違い過ぎる。家に帰るまでの間くらい気にせず着ていればいいのだろうが。

「──すぐに戻るから」

うん、と小さな声で返事をする天音の髪と背を撫でてから離れた。

玄関の鍵がかかる音を聞いてから天音はバスルームへ向かう、風呂場とトイレは別で、十分な広さがある風呂場だった。
風呂場のドアの取っ手にバスタオルをかけ、衣服を脱ぎ始める。借り物のジャケットとブラウスはいったんリビングに置きに行き、再度脱衣室に戻ると正面にある洗面台の鏡に自身の姿が映った。
頬に赤みが残っている、男に叩かれた痕だ。だがそれ以外に傷は見受けらない、男に女性を傷つける趣味はなったのは幸いだった。だがおぞましいほどの優しさで指と唇と舌が這わされたことを思い出しぞっとした。好意を持たぬ見知らぬ男とできる行為ではなかった。
一刻も洗い流したいと乱暴に衣服を脱ぎ風呂場に入ると、シャワーの温度を上げて頭から浴びた。
溢れ出る涙はシャワーと共に流れた、押し殺した嗚咽もシャワーが消してくれる。

小走りにやってきた元町商店街にあるファストファッションの店で、悠希は必要なものを買い求める。
今ばかりは女の姿でよかったと心の底から思った、女性物の下着を物色していても変な目で見られることはない。明らかに悠希のサイズとは違うが、それを咎める者はいなかった。
それを持ち歩いているエコバックに押し込み、再度小走りにアパートに戻った。玄関の錠を外し、ドアを開けるとすぐに声をかける。

「ただいま、天音ちゃん」

靴を脱ぎ棄て玄関を上がる、まだ天音は風呂かと思いながらリビングへ続く廊下とも言えない通路と行くと、リビングのローテーブルの前に座っていた天音がゆっくり立ち上がった。
悠希はどきりとする、天音はバスタオルを巻いただけの姿でそこにいた。

「──お待たせ、これでいいかしら」

笑顔が引きつらないよう気を付け声をかけた。天音のわずかに赤みを帯びて見える肌に色気を感じた、頬も赤いのは風呂で温まったからか、裸を恥じているのか──天音はエコバッグを受け取ったが、胸に抱き締めてしまう。

「私は外で待ってようか」

さすがに男に見られたくはないだろう。脱衣所でドアを閉めて着替えてもよいし、玄関と居室の間には曇りガラスの引き戸で間仕切りもあるが気遣って言うと、天音は衣類が入ったエコバックを床に落とし悠希の胸に飛びこんだ。

「あ、天音ちゃん……!」

タオルドライだけした髪はまだ湿り気が残る、覚えのあるシャンプーの香りもしてドクンと心臓が跳ね上がるのを悠希は感じた。

「ど、どうし……っ」

バスタオルをまとっただけの体のどこに触れていいか分からず、悠希はただ腕を振って抵抗を示した。

「……悠希くんがいい……っ」

天音は小さな声で叫んだ。

「え? なにが……っ」

戸惑う悠希を逃すまいと、天音は悠希の細い腰に腕を回す。

「あ、天音ちゃんっ」
「初めては、悠希くんじゃなきゃ嫌だ……!」

その言葉を意味は、聞き返さなくも分かった。

「ずっと好きだった、悠希くんが好きなの! 悠希くんが横浜の大学を選んだって聞いてすごく嬉しかった! 一目でいいから会いたいって、同じ大学に来たの! すごく頑張ったの!」
「ありがと、天音ちゃん」

好きだと言われば気持ちは間違いなく嬉しいが。

「でも、私は女になるから……」
「私は男とか女とか、そんなの全然気にしない! 本当だよ! 人として西沢悠希が好き! 初めては悠希くんじゃなきゃ嫌!」
「天音ちゃん……」

真剣な気持ちは嫌でも理解できたが、言葉に詰まる。

「悠希くんとは友達でいいと思ってた! でもあんな男に処女を奪われると思ったら死んだ方がマシだと思ったの! 悠希くんに会えたのに、悠希くんが最初なら絶対嬉しいのに……! お願い、悠希くんは私を千尋の友だちとしてしか見れないかもしれないけど、女の相手なんか嫌かもしれないけど、一度だけでいいの、私を抱いてほしい……!」
「天音ちゃん」
「悠希くんが好きだから……一番最初は悠希くんじゃなきゃ……!」

悠希は天音を抱きしめていた、まっすぐな思いはとっくに理解している、それでも拒絶し続けてしまったのは、やはり自分はいずれ女になるのだと思っていたからだが──。

「……私も、天音ちゃんが好き……かも」

小さな声に、天音は吹き出した。

「かも、って」
「ん……だって、やっぱ女どうしじゃって思い込んでたし……」
「女の子どうしだってこういうことするよ? 私、いつか悠希くんが完全に女の子になっても、悠希くんとエッチなことしたい」
「……天音ちゃん」
「あ、もちろん、悠希さんが好きな男性がいるっていうなら、素直に身は引くけど!」
「うーん、たぶん、できないと思う……」

これまで恋愛感情を抱いたことがなかったと今更思い当たった、女性も男性にもだ。自分の性が中途半端だと思っているからだろうか。

「……あんなおっさんに天音ちゃんが襲われてるって思ったら……無性に腹が立った」

はるか達友人が襲われても腹は立つだろうが、そんなレベルではない、犯人をいたぶり殺し、引き裂いても気が済まないと思えた。

わずかに体を離し天音の頬を両手で包み見つめあった、天音の潤んだ瞳が揺れている。

「悠希くん」

天音は微笑み呼びかける、日常生活ではとっくに捨てた名で呼ばれ体が熱くなった。愛らしい唇がかすかに震えている、先日指先で味わったその唇に、悠希は自身の唇を押し付ける。
ほんの数秒で離れた、天音が切ない吐息を漏らす。

「悠希くん……」

甘い声に体の奥底から湧いてくるものを感じる、天音の頬を手の平で撫でた、滑らかな肌に欲望が掻き立てられるが。

「──でもごめん、たぶん、立たないと思う」

もうずいぶん長いことその感覚を味わっていない。
最後にその感覚を体験したのは高校時代か。以後は女性ホルモンを打っているせいなのか、単に性欲がないだけなのかはわからない。
恥ずかし気に視線を反らして言う悠希に、天音は微笑んだ。

「そんなの気にしない、女の子どうしなら指とか道具とかになるのかな。悠希くんともそうしたい」
「……天音ちゃん」

天音が今の自分を完全に受け入れてくれていてくれることが嬉しかった。天音は微笑み、自らバスタオルを解き床に落とす。
一糸まとわぬ姿を悠希に晒した、悠希に見てもらえるというだけで興奮してくる──ついさっき見ず知らずの男に見られたときは大違いだ、やはりこういった行為は、好きな人をするものだと合点する。キスだけで溶けてしまいそうだった、この先に進めばどうなってしまうのだろう、期待に胸が膨らむ。

「悠希くんになら、なにされてもいいし、悠希くんがしてほしいなら、どんなことでもするよ。私を抱いてください」
「天音ちゃん」

呼びかけは声にならなかった、興奮が全身を駆け抜けていた。天音の頬を再度包み上を向かせると、唇にむしゃぶりついた、音の立てて何度もついては離れてから天音の顔を見れば、すっかり紅潮し溶け切っている。

「大好き、悠希くん」

蕩けた声と顔に息が止まりそうだった。

「天音ちゃん」

名を呼び抱きしめる。

「……ごめん、シャワー、浴びてくる」

真夏に走り回った直後だ、容赦なく汗をかいている。

「いい……待てないもん」

天音は背伸びをして悠希の首に腕をかける。

「ね? 私がする? 悠希くんがする?」

する、の意味が一瞬分からずきょとんとしたが、同性同士の行為の主導権のことだろうと判り、にやりと笑っていた。

「──そんなの、私に決まってるじゃん」

主導権は天音に譲りたくはない、微笑み天音を抱き寄せた。天音も笑顔で悠希の言葉を肯定する。

「うん……じゃあ……めちゃくちゃにして」

微笑みながらの甘くかすれた声に悠希の禁忌は吹き飛んだ、無我夢中で唇を奪い力強く抱きしめる。口内深くまで探られ天音は体の奥底から漏れてくる声が抑えきれない、足から力も抜けて行く。悠希は裸の腰を抱き寄せ天音の体を支えた、天音も悠希の腕に腕を回し体勢を整えれば体が密着する。素肌に触れる悠希の体温に天音はくらくらした。

「ゆうき、く……」

悠希は天音を抱きしめ、部屋の一番奥にあるベッドへ向かう。天音は足がもつれるのを感じながら導かれるままに従った。
ベッドには天音から倒れ込んだ、悠希はベッドに膝をつき天音を見下ろす。

「──本当に、いいの?」

悠希はこの期に及んで確認していた、天音は天女のごとく微笑む。

「悠希くんじゃなきゃダメなの」

天音は悠希に腕を伸ばす、それが届く前に悠希は身を屈め天音にキスをした。静かな室内にキスと荒い息遣いの音だけが響く、その音だけで興奮が増してくる。
僅かに離れ再度ついばんだ時、長い髪が邪魔で悠希は髪をかき上げた。

「……ちょっと待ってて……髪、結ぶ……」
「ん……」

確かに悠希の髪が肌に触れくすぐったかった、束ねてくれればありがたい。
悠希はいったん天音の上からどきベッドから降りると、いつも使っている手提げに手を伸ばし、中からシュシュを取り出し後ろひとつに縛り上げた、そんな姿すら天音には愛おしい。
悠希は再度天音に覆いかぶさりキスをする、天音は悠希の束ねられた髪を撫でていた。
悠希のキスは天音の頬を食み、少しずつ首筋へ移動させる。手をわき腹から撫で上げ大きな乳房を包み込んだ、吸い付く感触と心地よいぬくもりがたまらなかった。
悠希の熱く大きな手の平に撫でられ、天音は興奮を隠せない。

(やっぱり違う……! 悠希くんが触れただけで、頭、おかしくなる……!)

見ず知らずの男に触れられ吐き気を覚えたのとは訳が違う、同じ行為のはずなのに気を失いそうなほどに心地よい。
悠希は天音の首筋を十分味わったあと、乳房に唇を這わせ手も添えて女性特有の柔らかさと滑らかさを味わった。

「ん……ん……」

天音の甘い声が響く、小さく身をよじるのも可愛らしかった。
長く忘れていた感覚がせりあがってくる──ここ最近は男としても女としても、性欲を感じたことがなかったのに。
経験はある、初体験は中学生の時、高校の時は二人の女性と交際した。いずれも相手から積極的なアプローチがあってだ、もとより異性に強い興味があったほうではないのは事実だ。
そんな自分が初めてといっていい程の興奮を感じている、天音を手に入れたくてしかたない──。

「……天音ちゃん……っ」

耐え切れず呼んでいた、返事をしようとする天音の唇を唇で塞ぎ、そのまま衣服を脱ぎ棄てる。
悠希の素肌に天音は初めて触れた、心地よい熱さを感じる。

(嬉しい……っ)

その気持ちは舌を絡ませることで伝えた。
互いに舌を絡ませ口内を味わいながら、悠希の指が天音の敏感な場所を責め始める。脇の下や臍などまでいじられ、天音は体を震わせ声を上げる。先ほど男が散々触れた場所が上書きされる感覚に天音は歓喜した。優しい仕草は悠希の性格がそのまま出ているようで嬉しくなる。
その指が腰から足の内側をさすりながら、ついに一番敏感な場所に触れる。

「あ……っ」

先ほど男の舌が触れた場所だ、その時とは比べようがない快感が駆け巡る。声を抑えることはできず、背を反らしながら足が開いてしまう。

(全然、違う……!)

男にされれば逃げることしか考えられなかったが、今はその先を求めてしまう。体は快感に震え、腰が揺れ、足先はシーツに食い込む、勝手に上がる声は自分でも驚くほどいやらしかった。

悠希の指はなおも優しくその場所を探り続ける、壺の入口と尖った場所を往復すれば、少しずつ壺の湿り気が強くなってくる。天音の声も艶を増し、体はよじるのにその場所は離れない様が愛らしかった。
天音の様子に自身の体を興奮が支配するのが判った、全身の血が一か所に集まる感覚も。

「……あ、立つ……」

思わずつぶやいていた、心の性とは関係ないのだろうか、天音の中へ入りたい衝動に駆られる。

「いいよ……来て……」

天音の甘い誘いに応えたいが。

「……ゴム……ないわ……」

随分久しくそんな感情にならず、男としても女としても未完成な自分には縁遠いことだと思っていたからだ。

「いいよ、そんなの……悠希くんなら、全然、いい……っ」

子どもができても、何らかの病気になったとしても、悠希相手なら後悔はないと思うのは一時の感情に流されてではない。

「お願い……っ」
「天音ちゃん……」

切ない願いに応えたい自分がいた、しかし狭そうな壺にいきなり挿入するのは心が引ける、中指を第一関節だけ入れてみる、それだけで天音の呼吸が上がった。

(もっと、もっと……!)

天音は心の中でせがんでいた、その奥が快楽を引き出すと本能で判るからだ。だが悠希は入口を広げるように指を回すだけでまだその段階には進まない。何度か浅いところで出し入れをした後、次に人差し指も添えて同じ行為を繰り返す。

「悠希くん……早く……っ」

もどかしい快感に、はしたないと思いつつ懇願していた、体の奥が疼いて仕方ない、それを収めてくれるのは悠希しかいないと判っていた。

「ん……でも、まだ硬いのよ……」

親指と中指も添えて天音の壺を広げた、初めての感覚に天音は声を上げ背中を反らせる。

「……力、抜ける?」

言われ天音は大きく息を吐きながら全身から力を抜いた、素直に従う天音に悠希は笑顔になり、左右の指を使い天音の内側と尖りを同時に刺激する。

「ひゃ……や……!」

天音は体をずり上げ逃げてしまった、途端に悠希の手が離れ、快感も遠のく。

「ダメよ、逃げちゃ」

優しい声で注意され、天音はうなずき答えた。体の位置を戻し枕を掴み固定すると、悠希は再度優しい力でその場所を刺激する、それを悠希の手に押し付けるつもりで耐えた。

「ん……、ん……っ! 気持ち、い……っ」

唇を震わせ快感に耐える天音がかわいかった、悠希は笑顔で質問する。

「いったことはある?」
「ん……」

天音は小さな声で答える。

「自分でやったこと、ある……っ」

いわゆるガールズトークで打ち明けあったことがある、自慰そのものは特別なことではなかったのは天音の周りだけではないはずだ。もっともやりかたはいろいろだったようだ、道具がないという者もいれば、床やベッドなどに押し付ければというものいる、天音は指でだった。

「そっか……じゃあ、このままいけるかな……」

それにも慣れは必要だと悠希は知っている、やはり体験がない娘はそう簡単に果てない。

「どこがいきやすいか、判る?」
「ん……もうちょっと……下……」
「ここかな」

明確に指定したわけでもないに、悠希の指は的確にその場所を捉えた。天音は息を呑み背を反らせた。

(嘘……! 自分でやる時と、全然ちが……!)

体験したことがない快感が駆け巡る、恐ろしさに嫌だ駄目だと言っていたが、悠希は力加減も早さも変えずにその場所を刺激し続けた、天音の声と呼吸が上がっていく。

「んっ……んっ……あっ……あ、あ……も……もう、い……っ」

全身をこわばらせ、天音の内側を責めていた悠希の指を締め上げると、天音は果てた。

(……めちゃくちゃ……気持ち、い……)

身を投げ出すようにし大きな呼吸を続ける天音を悠希は見下ろす。

「……上手ね」

ここでやめてと逃げる娘もいるが、天音がきちんと達したこと褒めた。
最後にひと撫でしてから天音の体内から指を引き抜いた、液体が糸を引いてしまう、それは自身の足にこすりつけ拭きとった。糸が繋がる場所はなおもビクビクと脈打っている、その上にある赤く充血した尖りに舌先を這わせた。

「ひゃん!」

跳ね上がる腰を、悠希は腕を回すようにして固定する。

「や! ダメ、今はダメ!」

足の間にある悠希の頭を、天音は懸命に押し返すが力の差か、それは叶わなかった。
先ほどの男にもされた行為だが明らかに感じ方が違う、今はけた違いの快楽で狂ってしまいそうで怖かった。

「悠希くん、ダメだったら!」

背を反らし、身をよじるが悠希の腕で固定されては動きが制限されてしまう。

「お願い、やめて、悠希くん、今は無理……!」

上がった足が空を蹴った、身を反らしても悠希の舌からは逃れられない。

「や、悠、希く……や、ダメ、だめ……っ、ああっ!」

悠希の頭を押さえる指先に力が入った、体を縮こませ震えてそれを知らせる。

「……天音ちゃん、かーわい……」

足の間から聞こえる声を、天音は恨みがましい目で見返す。こんな短時間で二度も果てたことがない、だがそれで終わりではなかった。悠希は見つめあったまま、間髪入れず今度は舌全体で天音の尖りを包み込む。

「え! 嘘でしょ! 本当にもう無理! そこばっかり駄目……っああん!」

悠希の口内に吸い込まれ、舌と吸引の刺激に天音はあっという間に三度目の絶頂を迎えてしまう。

「……ばか……!」

力なく言う天音の蜜壺の入口を悠希は優しく撫でた、充血し柔らかさと十分な水分に満たされている、準備万端だと体勢を直すと天音の腰に手をかけた。
いよいよだと天音は期待した、その期待に悠希は応える。小さな蜜壺の入口に肉の棒を押し当てた。

「入れるよ」

悠希の宣言に、

「うん」

天音ははっきりと答えれば、それは天音の中に入ってきた、天音には未知の感覚だ。

「あ……っ」

声が漏れた、案外と簡単に入ってくるものだと思った、だが狭さを満たす大きさと硬さに驚いた、ミシミシと音がしそうだ。

「……えっ、無理……っ」
「ん……きついね」

天音に覆いかぶさり見下ろすと、そっと髪を撫でる。

「……力、抜いて──」
「力なんか、入れてな……」
「抜けばもう少しすんなり入るから……深呼吸しようか」
「ん……」

呼吸と共に力を抜けば悠希はゆっくりと侵入してくる、天音は唇を噛み、悠希の肩に指を食い込ませその刺激に耐えた。悠希は行きつ戻りつ天音の中を進む、戻る時にある引っ掛かりが痛く感じた。

「痛い?」

眉根を寄せる様子に悠希は聞いていた。優しい悠希の声に天音は小さく首を横に振る、経験したことがない痛みはあり怖さは拭えないが、ようやく悠希と結ばれる喜びの方が勝った。

(──ゆっくり)

早く天音を征服したい欲求に駆られるのを、悠希は念じて抑えながら侵入を続ける、時には戻ればわずかに赤いものが見えた。

「……続けて平気?」

聞けば天音はうんうんと首を縦に振り答える、その顔は欲情に溶けきっていて悠希は猛るものを感じた。体を起こすと天音の腰の肉に指を食い込ませ固定し、なおもゆっくりと天音の中を進む。

「ん……あ……んん……っ」

天音の切ない声がエアコンの稼働音に消えてしまいそうだった。
天音の熱い内側の終点にぶち当たったのが判った、だがあと指二本分ほど残っている。その余白を残したまま数回前後の動きで天音の奥の入口を刺激すれば、天音の内側は大きくうねり出す。

「や……あん……っ」

未経験の刺激に天音はどうしてよいか分からなかった、体の奥がきゅうっとしまり、勝手に上がる声が抑えきれない。

「……全部……入れるね……」

全部の意味が分からなかったが、それもすぐに答えを得た。悠希は音を立ててぶつかり、天音の臀部と悠希の鼠径部がしっかりと密着した。

「や……!」

子宮を突き上げられ、天音の体が震える。

「……天音ちゃん……」

天音のものに締め上げられ、刺激に悠希はため息交じりに名を呼ぶ。天音は目を合わせ見下ろす悠希に手を伸ばしながら答えた。

「……悠希、くん……っ」

微笑む天音にキスをしていた、合わさる唇から水音を立てながら、下半身は肉同士がぶつかる音を立て続ける。二人の荒い息遣いが重なった、天音の口から愛らしい喘ぎ声が漏れる。下半身からも上がる水音はベッドの軋みと同じリズムだった。

やがて悠希は絶頂を迎えるのを感じる、天音の中へは駄目だ、ギリギリまで待ってから天音の体内から引き抜き、天音の恥丘に押し当て一気に放出した──いつ以来だろうか──そんなことを遠く思いながら脈動する肉の棒を感じていた。

顎まで飛ぶ温かい液体に侵され、天音は微笑む。

「……中で、よかったのに」

天音の誘惑に悠希は眉間にしわを寄せる。

「ダメに決まってるでしょ」

待っててと天音に動かないように伝え、ローテーブルにあるテュッティペーパーを手にした。数枚引き出し、自身のものと天音の体にある一筋の白い液体を拭い取る。

「でも、嬉し……んっ」

天音の言葉は悠希に足の付け根を拭われたことで止まった、新しいティッシュペーパーのはずなのにびしょりと濡れた感覚が伝わってきて、なぞそんなことになっているのかと驚いた。丁寧に拭われ天音は小さく声が出てしまう。

「私も、嬉しい」

悠希は小さな声で言っていた、天音を愛しいと思っている、その女性と関係が持てたことは喜びだが。

「──本当に、私でいいの?」

女になろうとしている男など──聞けば天音は大人びた笑みを見せる。

「もちろん。攻守交替でもう一回しよ?」

天音の可愛い申し出に悠希は恥ずかし気に頬を染めた、だがもちろんそんなことをさせる気にはない、伸ばした手は天音の股間に吸い込まれていく。





悠希はティッシュペーパーの塊をゴミ箱に放り込むと、ベッドの上であおむけになり大きく呼吸をしている天音の髪を撫でる。

「シャワー、浴びてきたら?」

悠希の優しい声に天音は疲れた笑みを見せる。

「……今は、動けない……」

心地よい疲れが全身を蝕んでいた、今しばらくはこの余韻に浸っていたい。悠希も確かにと思い、天音の隣に横たわる。
シングルベッドは二人には狭い、身を寄せ合い、悠希は壁際に固まったタオルケットを引き寄せ二人の体にかけた。天音は身を小さくし悠希の腕の中に収まる。

「気持ち、よかった……」

小さな声で言えば、悠希が髪にキスをしてくれる。

「あの……でも、悠希くんは嫌じゃなかった?」

女性として過ごしたいのに、とここへきて急激に不安になってしまう。

「嫌じゃないわよ、自分でも意外なほど──」

性自認は女性だと思っているが、男として天音を抱きたいと思ったのは間違いではない。

「あのさ……嫌じゃなかったら聞いてもいい? 悠希くんは、いつから女性だと思うようになったの?」

天音の記憶では綺麗な顔立ちで優しさは際立っていたが、女性らしいところなど一つもなかったように思うが。

「高校2年の時ね」

はっきりとした答えに、天音は驚いた。

「バイト先の女性と交際したのがきっかけ、5歳も上の人でね、年上なのもあってか私を引っ張ってくれる人で、決断力も会って、そうね、どっちかっていうと男っぽい人だったかな」

姉御肌で周囲にも慕われる人だった。

「そんな人といるうちに、あ、私、そっちかもって思い始めたのよ」

一番は肌を合わせる時だ。大きな違和感をその年上の女性には感じてしまった。普段は姉御肌なのに、そんな時には愛らしい女性になるのがずるいと思った。そんな女性を喜ばせることに苦痛を感じてしまった、女性の体が羨ましくなった、どうして自分が女性の体ではないのだろうと本気で思い悩んだ。
苦痛を感じながらも意識しないまましばらくは無理をして交際をしていたが、女性も悠希の変化を感じたのだろう、交際はやがてフェードアウトする形で終わった。

「──親や千尋には相談すらできなかった。性に違和感をなんとかしたくて、できるだけ遠くに離れようと思ってこっちの大学を受験したの。引っ越してすぐに病院にもかかって性同一性障害の診断をもらって」

ホルモン療法や手術の相談ができたことに安堵した、いつか女性になれるのだと喜びに満ちた日々を送っている。もちろん家族にいつまでも黙っているつもりはないが、報告はできるだけ先延ばしにしたいと思っているのが現状だ。
誰しも天音のように歓迎してくれると限らない。家族に嫌がられれば縁を切るつもりではあるが。

「手術するって言ってたよね」

天音は悠希を抱きしめながら言う、女性ホルモンを打っているというが、それでもやはり硬さのある筋肉に覆われた体だった。

「うん、今はまだ貯金中──夏休みは集中して稼げる時だからちょっと頑張る」
「そっかあ……私もバイトしてれば、一緒に貯めるのになあ」

母が言っていた金額を思い出してしまう、5万円のうちの4割が天音の取り分だと言っていた、そしてチップがもらえるように頑張れと──そんな仕事をしていればあっというまに貯まる金額だろうかと脳裏に過ぎり、慌ててあり得ないと否定した。

「ありがと、お気持ちだけで充分。大丈夫よ、あと1年くらいすれば目標額には達するから」

できれば学業を早く修め手術を終え、就職活動が始まるまでには戸籍の性も変えたいが。

「女の子になったら、一緒に下着買いに行こうね、楽しみ!」

嬉しそうな天音の声に、悠希は天音の髪に唇を押し当てた。

「……本当に、いいの? 女になったら別れてもいい──」
「まだそんなこと言ってるの!?」

天音は顔を上げ、悠希の顔をしっかりと見た。

「女でも男でも関係ないって言ってるじゃん! 悠希くんが男性として処女を奪ってくれただけで滅茶苦茶嬉しいよ! 普通のレズカップルじゃできないことじゃん! 女どうしならもっと気持ちいいことできるかも!」
「天音ちゃん……」
「悠希くんがどうしても同性とは付き合えないっていうなら、私が男になる!」

天音の案に、悠希は吹き出した。

「そこまでしなくても……ありがと……そんなに好きになってくれて」

天音は満面の笑みを見せて答える。

「あ! でももし悠希さんに好きな男性ができたら、もちろんそっちを優先する! ううん、悠希さんを任せられる人か、私が判断する!」
「ふふ……ありがと」

悠希は微笑み天音の額にキスをした、思えば何年も人を好きになるという感覚を忘れていたと思い出す。おそらく自分の性に自信がないせいだ、一番仲がいいはずのはるかとも、どこか一線を引いていたのは間違いない。

天音とならなんでも話し合える、そう思えた。





「天音ちゃん、起きて」

髪をそっと撫でられ意識が浮上する、慣れぬベッドにここはどこなのかと一瞬悩んだ。

「シャワー、浴びておいで」

優しい悠希の声に完全に目が覚める。どこで何をしていたのかもすっかり思い出し恥ずかしさにタオルケットに潜り込んだ。
部屋はフロアライトと天井の常夜灯が付いているだけで薄暗かった、窓の外が暗いのだ。

「早く帰らないと。門限何時だっけ?」

悠希がジーンズに足を通しながら聞く、天音は微笑み答えた。

「19時だけど、あってないようなものだから大丈夫」

念のために設けられている、バイトを禁止している口実だろう。遅れたからと言って怒られることもなく、実際にはその時間に父がレッスンをしていることも少なくない。

「でも中野まで1時間くらいでしょ」

既に18時を過ぎている。

「早く帰らないと心配するわ」
「うん、一応連絡しとく。っていうかごめん、ユキさんバイトだよね、私が寝てたから遅刻?」

ローテーブルの近くに置いた自分の鞄を取るためベッドを抜け出そうとしてピタリと止まった、悠希に散々隅々まで体を見られた後で、室内も暗いとは言え、裸のまま出るのは恥ずかしかった。タオルケットを肩から掛け身を小さくして移動する。

「ううん、私も寝坊で──」

久々のことで疲れたのか、目が覚めたのは15分ほど前だった。店の開店は18時だが出勤を促す電話すらないのは、かなり緩い勤務体勢のおかげか、遅刻や欠席の電話もなくていいほどだ。元来マスター一人で営業できているが、念のためにバイトをいれているらしい。バイトはもう一人いる、もちろん無断欠勤や遅刻があまりに酷ければ辞めさせられるが、二人とも真面目な勤務をしている。

「今日は休むって電話はしたから、家まで送るわ」

悠希の言葉に父にメッセージを打ち込んでいた天音は「え」と声を上げ悠希を見る。

「大丈夫だよ、一人で帰れるよ?」

確かに感じたことのない疲労感と痛みはあるが動けないことはない、なにより慣れた道程だ、なんの問題もないが。

「天音ちゃんち、お引っ越ししてないでしょ。ということは、天音ちゃんのお母さん、天音ちゃんちを知ってるってことじゃない」

天音ははっとした、待ち伏せでもしているというのか──なおも客を取らせるか、逃げたことを責めるのか──ありえそうだと思えた。

「家に着く前になにかあったら」

石川町駅から1時間余りかけて帰る最寄り駅は高円寺となる、そこから徒歩で10分ほどの住宅地に天音の家はある。電車のいつくもの路線に枝分かれし、自宅は静かな住宅地と途中にはかつては早稲田通りと呼ばれた大きなバス通りもあり、連れ去るにはうってつけだ。

「心配だから、送るわ」

そう言って振り返った悠希を見て、天音は息を呑んでしまう。

「はああ……やっぱ美形……」

思わずため息と声が出た。
悠希はすっぴんだった、髪に湿り気があるのは風呂上りなのだろう。久々に見る素顔と男性らしいTシャツにジーンズという服に、天音はときめいた。

「さっきもかっこいいって思ったけど……」

続く言葉は飲み込んでしまった。男を怒鳴りつける悠希の男性的な言動は、状況もはばからず胸が高鳴った、そして今も化粧をしていない悠希が素敵だと──だがそんなことをいえば悠希が女性になっても付き合いたいという宣言を覆すことになる、言ってはいけないことだ。

「さっき?」
「え、あ、うん、さっきの悪漢をやっつけた時のユキさん、かっこよかったよ」

手でいかにも男の胸倉をつかみ上げるような仕草をして状況を示した、悠希は「ああ」と呟き恥ずかしそうに頬を染める。その瞬間は女性らしさなど忘れていたのは事実だ、男であることを示し力づくで押さえつけていた。

「メイクしたユキさんも美人でかっこいいけど、やっぱかっこいいってなるのは素の悠希くんだなあ、無駄にかっこいいー」

しみじみと讃辞を言われ、悠希は恥ずかしい。

「無駄って」
「っていうか、服も男性っぽいものも持ってるんだ」

シンプルなTシャツとジーンズだが、普段の『ユキ』の服装からは意外だった。

「そりゃ実家に帰る時困るから、一式は……」

夏ならばこの程度の軽装で済むが、普段帰省する時期の年末年始となるとそうはいかない。男性用のコートや下着はきちんと揃えている。

「天音ちゃんちの方に行って、かつての知り合いに会っても困るからね」

中学までいたのだ、天音の自宅は学区内となる。大阪に引っ越してからは少しずつ疎遠にはなっているが、年始の挨拶が続く者もいる、多くはまだ地元に残っているようだ。

「そっか、そうだよね」

気を遣わせては大変だと思ったが、今この時はこの姿の悠希と外を歩けるのだと思えば笑顔になってしまう。

「うん! 一緒に帰る! シャワー、浴びてくる!」

リビングの端まで行くと被っていたタオルケットを落とし風呂場へ向かった。
体を洗い、髪を乾かして出てきた時には、買ってきた服のタグを悠希が外してすぐに着られる準備をしてくれていた。

「ありがとう、あ、お金」
「いいわよ、プレゼント。ふふ、だったらもっとかわいいやつにすればよかったわ」

下着もシャツもシンプル過ぎるものだった。

「全然いいよ、ありがと、嬉しい!」

天音は素直に礼を述べ、衣服に手を伸ばす。パンティーはバスタオルを巻いたまま穿いたが、ブラジャーはそうはいかない。

「向こう、向いてて」

恥ずかし気に言えば、悠希ははいと素直に答えて正座していた膝を天音とは反対に向ける。

「んもう、違うーっ、見てていい!」

ええ面倒なと言いながらも天音に向き直った、それを見てから天音は恥ずかしそうに頬を染めバスタオルを解きブラジャーに手を通す。
先ほど散々見つめ触れた乳房が下着に包まれるのを悠希は見ていた。

「ね……背中、留めて」

天音は髪を左の肩に集めながら背を向ける、背中のホックはいつもなら面倒でお腹で留めてから背後へ送っているが、今日は悠希に見せびらかせた。

「──いいよ」

小さな白い背中を悠希は眩しそうに見つめ下着のホックを留めた、散々触れた天音の背中だ──たまらず背後から天音を抱きしめる。

「……悠希くん……」

天音はため息交じりに呼ぶ、許されるならいつまでも快楽を貪っていたいが──天音は床にあるTシャツを手に取った。

「──着せて」

天音は甘えて悠希にシャツを渡す。悠希にだって判っている、今日は天音を家に送り届けなくてはならない。

「うん」

頷き、体は寄せ体温を感じたまま天音の前にシャツを広げる。天音は素直に袖に手を通した、まるで小さな子供だ、悠希が裾を掴み天音の腰まで引っ張ればそれは天音の体を覆い隠した。
最後に首筋にキスをして、悠希は立ち上がった。

天音の着替えが終わると二人揃って家を出た、すっかり暗くなった空を見上げ歩き出す。天音から腕を組み、悠希から手を繋ぎ、その手を天音が指を絡ませいわゆる恋人つなぎに変えた。
天音が見上げ、悠希が見下ろし微笑みあう。気持ちが通じ合うとこんなにも心地よいものなのだと知った。

天音が定期券を買っているルートは品川経由だ、山手線に乗り換え新宿から中央線に乗り換え到着する。

悠希は7年ぶりの高円寺の駅となる、懐かしいがあまり変わっていないと思えた。天音の自宅までの道のりも途中忘れている場所があると思いながらも見覚えのある建物が見えてきてほっとした。
特徴的な天音の自宅の張り出したレッスン室に明かりが灯っている、生徒がいるのだろう。

「遠くまでありがと」

天音が門扉の前で言う。

「ママのことは、パパに話すね」

決意を告げれば、悠希は心配そうに天音の顔を覗き込む。

「──嫌なことはわざわざ知らせなくてもいいんじゃない?」
「ん。でもさ、悠希くんの言うとおり、もしママが来たとしてさ。パパがなにも知らなかったら私と会わせると思うんだよね、そうならないためにもやっぱりちゃんと話しておいた方が──あ、あのね、私も別にママに会えて嬉しかったとか、すごく会いたかったとか、そんなセンチメンタルなことは全然思ってないの。なのにあんなことされて、むしろムカついてるくらい」

母は突然いなくなった、その後もなんの音沙汰もない。当時は少しは寂しかったような気もするが、父は優しく、苦労しながら天音を育ててくれた、それだけで十分だった。

「うん……そうね、そうよね。確かに知っていてくれたほうが、安心かも」

決断を肯定してもらい、天音は微笑んでいた。

「少し上がっていく?」
「ううん、その──ご挨拶もないまま、娘さんに手を出したばっかでお父さんに会うのは、ちょっと気が重いわ」

確かにと天音は微笑む。しかも事情は複雑だ、今この姿の悠希を紹介すれば確実に男性だが、悠希は一年ほどで女性になろうとしているのだ。

「じゃ、また今度ね。あ、千尋にも報告はダメ?」
「報告? え? お母さんに会ったって?」
「違うよっ、悠希くんとのことっ」
「え、わざわざエッチしたなんて報告……」
「そこまで言わないよ!」

天音は顔中恥ずかしそうに赤らめて答える。

「その、交際始めたよ、的な……っ、あー恥ずかしいっ、中学生みたい! あの、千尋は知ってるの、私が悠希くんを好きなこと!」
「え、あ、そうなの?」

千尋はそんな話題に触れたことがなかったが、それも女の友情なのか。

「だから、大学も悠希くんと同じとこに、したんだもん……」

恥ずかし気に頬を染め、唇を尖らせるようにいう天音がかわいかった。

「そっか。じゃあ、言ってもいい……ってそうしたら私にもなんか連絡来るかな、え、なんかいろいろ聞かれたら嫌だから、やっぱりやめておこうかな」

悠希の戸惑いを、天音は微笑み答える。

「そうだね、やめておこうね」

やはりそれは、カミングアウトのあとのほうが良いように思えた。

「んー、じゃあ口止め料にキスして」

言うと天音は目を閉じ、わずかに背伸びした。
小さな唇がさらに小さくなり悠希を待っている、それを見て悠希はひやひやしてしまう。

「え、ここで……? お父さんに見られるんじゃ……」

出窓のカーテンの向こう側に人の気配はあった。

「こっちの方が暗いから大丈夫だよ」

天音は目を閉じたまま言う。

「でも、他におうちも……」

住宅街だ、雨戸が締まっている家も多いが。

「じゃあ、千尋に言う、悠希さんにあんなことやこんなことされたって言う、私初めてなのに2回もされたって……」
「天音ちゃんっ」

悠希は真っ赤に顔を染めて天音の口を手の平で塞いだ、そのまま天音の額にキスをする。

「……ちぇーっ」

額で誤魔化されたことに不平を漏らしながらも門扉を開けた。

「送ってくれてありがと、おやすみなさい」
「うん、おやすみなさい」

悠希は天音が玄関を入るまで見送ると、駅へ戻るために踵を返す。
天音が玄関の錠をかけていると、すぐに左手、防音室のドアが開き父が姿を見せた。

「おかえり、天音」
「あれ、レッスン中じゃなかったの?」
「違うよ、そこからなら天音が帰るのが見えるからピアノを弾いて待っていただけで──今の人は?」

見られてたぁ……と一瞬天井を見上げ、天音は素直に答える。

「小学校の頃仲が良かった石沢千尋って覚えてる? そのお兄さんの悠希さんなんだけど」
「ああ、石沢さんは覚えてるよ、度々遊びに行き来していたね。お兄さんか、会っていたのは覚えているけど、顔は、うーん、一致しないな」

送り迎えに来ていた記憶はあるが、顔まではっきりと記憶していなかったようだ。

「今、大学が一緒で」

同じ大学に行きたくて受験したとまでは、この期に及んでも言えなかった。

「私からせまって、交際をお願いしました」
「そうだったのか、よく見えなかったけど好青年そうだったな、会ってみたかったな、今度はぜひ上がってもらってね」

天音はうん、と笑顔で答えた。ひとり娘だがその交際を喜んでくれるような父でよかった。

「ところで、服が変わったようだけど」

さすがに上から下まで見てしまう、どう見てもいつもの天音の服装ではない。

「うん──」

途端に嫌な記憶が呼び起こされる。

「ねえ……パパは、何でママと結婚したの?」

唐突な質問に父はきょとんと首を傾げた。

「なんだい、藪から棒に」
「──今日ね、ママに会ったの。ろくに話もしない内にホテルに連れ込まれて、見ず知らずの男の人に会わせられた」

その言葉には、え、と声を上げ父は振り返る。

「そういえばパパには内緒って言われてたんだ、そういうことだったんだね。先週ね、ばったり横浜のデパートでママに会ったの、悠希さんとデートしてる時に。で会って話したいって言われて、今日会う約束して。悠希さんがなんか心配だから一緒に行くって言ってくれて一緒に行ったの、大正解だった、見事に引き離されちゃったけど、ホテルの部屋にはパパと同じ年くらいの人がいて、私、その人に──」

娘の非常事態に、父は「もういい」と言って天音を抱きしめた。

「悠希さんが助けてくれたから未遂だよ、安心して」

父を抱きしめ返して告げた。

「それでも悠希さんは警察行ったほうがいいって言うんだけど、それでもやっぱママだから、悪者にはできなくて……服はめちゃくちゃにされたし触られたのも気持ち悪かったから着替えたの」

父はそうか、そうだったのかと呻くように繰り返しながら、天音の髪を撫でた。

「──お母さんは、さっきうちに来たよ」
「来た……?」

ぞわりと全身が粟立った、悠希の予想は当たったのだ。

「なんて……!」
「君に金を貸した、返してほしいとね」

天音は息を呑んでいた。

「借りてなんかないよ!」
「大丈夫、君がお金を借りたなんて、これっぽっちも信じてはいないよ。お母さんは、君に会ってほしいと僕がどんなに頼んでも会いに来なかった。なのに、何故今、この時に、いつ、どうして、どうやって借りたんだといえば、のらりくらりととってつけたことを言った挙句、天音本人に返してもらえと言えば、怒って帰って行ったよ」

よかったと天音は胸を撫で下ろした、これで父がまだ母に未練などあって一緒に天音の帰宅など待たれていたらと思えばゾッとする。

「聞けば20万という大金だった。そんな金を手に入れた君が何をしていたんだって話だよ。特に身なりや素行が派手になった様子もなかったからね。本当にお金を借りたにしてももっと少額だったろうと思った。返すにしてもきちんと君と話してからと思ったんだ──会いに来てと言っても来ないだろうが、金を払うと言えば飛んでくるだろう」

天音はうんうんと頷いた、父はすべてを理解していくれていた。

「お母さんと何故結婚したか、か──お母さんが積極的だったからかな」

父はため息交じりに話し始めた。

「お母さんは虚栄心があるんだと思う。私を伴侶に選んだのも『音楽家の妻』という肩書きに憧れてだろうと思ったのは、私が病気になってチェロを弾けなくなった時だ、あんたから楽器を取ったら何が残るんだとけなされてね──出会ったのは私がウィーンに留学していた頃、たまたま一時帰国した時に行ったレストランだった」

とっくに30代に入っていたが、さらなる技術向上を目指しウィーンの音楽学校に進んでいた。学校の休暇の折、帰国し友人と居酒屋で酒を酌み交わしていた、その時の会話を隣に座っていた周子が聞いていたのだ。外国に住んでいるのかと目を輝かして聞かれた、楽器の演奏って稼げるの?とも聞かれた。自分は学業を優先しているからそうは稼いでいないと答えたが、ふうんと言った時の笑みは妖艶だった。

「その場で連絡先を聞かれたが社交辞令のようなものだと思っていた。だが、翌月にはウィーンまで私に会いに来た。そんなに行動力のある人は初めてだったから私は面喰うと共に、なんだかとても惹かれていたよ。そしてお母さんの「好きだから」などと言う言葉を鵜吞みにして一緒に生活を始めて、そうしてまもなく君を授かった」

そっと天音の髪を撫でる、優しい瞳に天音の胸は締め付けられた。

「私自身、物心がついた時は弦楽器に触れていた、君もそうして欲しいと思った。お母さんも音楽が好きなのだろうと思っていたけれど、それは反対されたな」

天音という名を授けてくれたのは父なのだと初めて知った、そして本当は自分と同じ道を進んでほしかったのだということも。

「女の子はきれいにしていればいいという考えだったね。お母さんは毎日君を着飾り、街へ繰り出すことを優先していた。それはそれでいいだろう、異国の地で楽しみを見つけるのはいいことだ。言葉もよく判らないなりに楽しんでいる姿は賞賛できると思ったよ。そして私がチェロを弾けなくなると、保険はかけているのかと聞かれたよ、自分は働かないという意味でね」
「そんな……」

この頃から母の金への執着はあったのだろう、いや、父を追ってウィーンに行った目的が既に金だったのだろう。

「医者には楽器の演奏は諦めたほうがいいと言われた。自分もその通りだと思った、弾きたいと焦れば焦るほど指が動かなくなるんだ。ならばウィーンに残る意味がない、日本に帰ろうと伝えればお母さんは嫌がった、外国暮らしに憧れがあったんだね。一人で帰れと言われたけれど、ふたつの家庭を維持することはできない、仕事もなければ飢え死にするだけだと説得して帰国はしたけれど、君が日本の公立学校に通い始めると、ある日突然いなくなってしまった──しばらくして電話が来たよ、私の理想を壊した、慰謝料を払えとね」

やはりか──金のためならなんでもするのだろう。

「私は一度だけでいい天音に会ってほしいとお願いした。彼女だって母親だ、娘に会えば気も変わるとも思った。もう私たち家族に見切りとつけたと言うならきちんと別れ話をしたうえで、金が欲しいならくれてやると言うんだが、お母さんは一度たりとも会おうとはしなかった。年に何度かは金の無心の連絡はあったけれど、やはり頑として君にも私にも会うことは拒絶していて」

やはり夫にも娘にも愛情などなかったのだ、だからこそ売春などさせようと思えるのだ。

「なのに……やっと再会した娘を売り物にするとは」
「私もよく判らないままついて行ったのがよくなかったの。次は絶対について行かないから」
「ああ、そうだね。私も気を付けよう」

父は力強く天音を抱きしめた、天音はその背に手を回す。

「……そういえば、大学入って先輩に、天国の天に音って、楽器やってるの? って言われたんだよね。お母さんがいなくなった時になんでもいいから教えてくれればよかったのに」

言えば父は悲し気に微笑む。

「自分が弾きたいのに弾けないという病にかかったからね。君にそんな思いはしてほしくなかった、やりたいことをやるのが一番幸せだ」

うん、と天音はつぶやく。それでも身近に楽器はあった、演奏はしてみたいと思う。

「今度、ピアノ教えて。なんか一曲だけでも上手に弾いてみたい」

天音の申し出に、父はそっと天音の髪を撫でた。

「そうだね、何がいいか選んでおくといい。でも天音は上手に弾けていたよ、きっとすぐに上達するだろう」

遊び程度で弾いていただけだ、楽譜も読めない。耳で聞いた音をこれかと弾いたレベルである。父のように優雅に弾くには程遠い──初めて父のように弾いてみたいと思った。

「さ、まずはご飯だ。お父さん、お腹空いちゃったよ」
「うん、遅くなってごめんね」
「天音のせいじゃないよ、大変だったね」

ここまで遅くなったのは事件のせいではないのだが、真実は伝えられず二人で並んで食事の支度を始めた。
既に父が作ってくれている、それを温めテーブルに並べて食事は始まった。





食後、再度風呂に入り自室に入る。天音が入浴中に再度周子《のりこ》が来て、天音を出せと騒いだことは、父は知らせなかった。
ベッドに横たわるとスマートフォンのスイッチを押し、通信アプリを立ち上げる。

「……うーん……千尋に報告したーい……」

ようやく思いを伝えられたこと、その思いが通じたことを知らせたいが、やはりそれは時期を見極めなくてはいけない、とりあえず悠希が嫌がっている間は避けなくては。

(千尋、びっくりするだろうなぁ)

長く思い続けた人と結ばれたのだ、きっと喜んでくれるに違いない。

ワクワクしながらもタップしたのは悠希のアイコンだった、トーク画面におやすみなさいのスタンプを送った、しばらく見つめていたがそれは既読にはならない。

(眠っちゃったかな)

天音は諦め画面を消した、ベッドに潜り込み目を閉じると、と急激に先ほどの悠希との行為を思い出し足をすり合わせてしまう。
体に残る痛みが心地よく感じられた、悠希を受け入れた場所が熱くなる。好きな人と行為がこんなにも気持ちいいと初めて知った。

「……悠希くん……」

名を呼び目を閉じた、初恋の人と結ばれた喜びを胸に眠りにつく。
こんなにも満ち足りた気持ちになるのは、初めてだった。嫌なこともあったが、その全てが吹き飛ぶほどに。
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