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(27)お花とかくまい人
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◆
重蔵の意識は覚醒している。
しかし、体が起き上がらない。
ここ三日は遠出や気苦労が絶えなかったためか、体が布団に吸いついている。
口も瞼も縫いつけたように重いので、重蔵は覚醒したまま深い闇のなかにいた。
ただ、肉体とは別のところで、体が動く感覚がある。
何者かが重蔵の手を引いて、上体を起こさせるのが分かった。
『こっちよ、こっちへいらっしゃい』
今は亡きお花の声が、一寸先の闇から聞こえてくる。
『ここは石が多いから、足元気をつけて』
お花はふたりで出かけると、大の男である重蔵を姫君のごとく扱う。
小馬鹿にされているような不快感はなく、それどころか、とくべつ大切に扱われていると錯覚さえして、素直に嬉しかった。
過ぎた恋として諦めたはずだが、重蔵は昔懐かしい声に胸が打ち震えた。
『花ちゃん、すまない』
重蔵は姿の見えぬお花を、鼻の詰まった声で呼び止めた。
『私はそなたの弟を……勝之進どのを救えなんだ』
足を崩してその場に跪く。
外に出られれば、勝之進を救いに行ける。だが、外へ出れば眩暈と耳鳴りが邪魔をする。
何かが後ろ指を指して、人殺し、お前のせいで、と重蔵の過去を厳しく責め立ててくる。
『私のせいで』
涙が目の奥から迫り上がる。それを何度も袖で拭うあいだ、お花の足音は止んでいた。
『なぜ泣くのかしら。彼を助けられなかったのが、そんなに嫌だった?』
お花の声に尋ねられ、重蔵はこの悲しみの正体を突きつけられた。
己の力不足を嘆いているのは、本心である。
だがそれ以上に、身勝手な本心があった。
『勝之進どのを助けられなかったら……花ちゃんに嫌われてしまう、から……っ』
とうとう重蔵は打ち明けた。
お花は重蔵にとってのすべてだ。
重蔵が欲しい言葉をかけ、重蔵の代わりに決断し、迷いなく物事を決められるよう許可をくれた。
そんなお花に捨てられたら、今度こそ天涯孤独になってしまう。お花の死より、お花の心から追放されるほうが、重蔵にはよほど恐ろしかったのである。
『けれど怖い。花ちゃんがいなければ、今度こそ、外で大きなことをしでかすかもしれない。それが怖くて、なにも出来ない。どうか、どうか……許してほしい……嫌いにならないでほしい……』
自分でも何を言っているのか分からない。
罪悪感と、本心が混同している。
無様に許しを乞う重蔵の顎が、不意に持ち上げられた。
『そんなに泣くほど、あたしがいなくて困っているの?』
闇の中から現れたお花が、生前と変わらぬ飄々とした微笑みを浮かべ、重蔵を見下ろしている。
『あたしの可愛い人。あたしはそのままの重さんが何より好きよ』
◆
重蔵の意識は覚醒している。
しかし、体が起き上がらない。
ここ三日は遠出や気苦労が絶えなかったためか、体が布団に吸いついている。
口も瞼も縫いつけたように重いので、重蔵は覚醒したまま深い闇のなかにいた。
ただ、肉体とは別のところで、体が動く感覚がある。
何者かが重蔵の手を引いて、上体を起こさせるのが分かった。
『こっちよ、こっちへいらっしゃい』
今は亡きお花の声が、一寸先の闇から聞こえてくる。
『ここは石が多いから、足元気をつけて』
お花はふたりで出かけると、大の男である重蔵を姫君のごとく扱う。
小馬鹿にされているような不快感はなく、それどころか、とくべつ大切に扱われていると錯覚さえして、素直に嬉しかった。
過ぎた恋として諦めたはずだが、重蔵は昔懐かしい声に胸が打ち震えた。
『花ちゃん、すまない』
重蔵は姿の見えぬお花を、鼻の詰まった声で呼び止めた。
『私はそなたの弟を……勝之進どのを救えなんだ』
足を崩してその場に跪く。
外に出られれば、勝之進を救いに行ける。だが、外へ出れば眩暈と耳鳴りが邪魔をする。
何かが後ろ指を指して、人殺し、お前のせいで、と重蔵の過去を厳しく責め立ててくる。
『私のせいで』
涙が目の奥から迫り上がる。それを何度も袖で拭うあいだ、お花の足音は止んでいた。
『なぜ泣くのかしら。彼を助けられなかったのが、そんなに嫌だった?』
お花の声に尋ねられ、重蔵はこの悲しみの正体を突きつけられた。
己の力不足を嘆いているのは、本心である。
だがそれ以上に、身勝手な本心があった。
『勝之進どのを助けられなかったら……花ちゃんに嫌われてしまう、から……っ』
とうとう重蔵は打ち明けた。
お花は重蔵にとってのすべてだ。
重蔵が欲しい言葉をかけ、重蔵の代わりに決断し、迷いなく物事を決められるよう許可をくれた。
そんなお花に捨てられたら、今度こそ天涯孤独になってしまう。お花の死より、お花の心から追放されるほうが、重蔵にはよほど恐ろしかったのである。
『けれど怖い。花ちゃんがいなければ、今度こそ、外で大きなことをしでかすかもしれない。それが怖くて、なにも出来ない。どうか、どうか……許してほしい……嫌いにならないでほしい……』
自分でも何を言っているのか分からない。
罪悪感と、本心が混同している。
無様に許しを乞う重蔵の顎が、不意に持ち上げられた。
『そんなに泣くほど、あたしがいなくて困っているの?』
闇の中から現れたお花が、生前と変わらぬ飄々とした微笑みを浮かべ、重蔵を見下ろしている。
『あたしの可愛い人。あたしはそのままの重さんが何より好きよ』
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