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(15)討ち手・お鈴 ①
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◇
かくまい人の重蔵に仇討を阻まれてから、二日が過ぎた。
朝一番に西新宿の十二社神社を参詣したお鈴は、冬めいてゆく北風を受けながらゆっくりと神田へ赴いていた。
西新宿は土地の大半が農村部で構成されているため、神田のような賑わいがない。
さらさらと稲畑を駆けてゆく草の音が、かえってお鈴の心を落ち着かせてくれた。
(父上、どうぞ私に武運を……必ずや、父上の仇を討ち果たしてまいります)
十二社神社には、かつて無念の死を遂げた主のために、見事、下男が仇を討ち取った伝説がある。
ゆえに、十二社神社には仙討成就の逸話が語り継がれていた。
お鈴が十二社神社へ祈願に来たのは、叔父が計画した《仇討試合》への不安があったためだ。
重蔵との約束により、三日間は勝之進に手が出せないが、その間に本人が逐電するおそれもある。
仇を確実に呼び出すために、叔父の泰山が仇討試合を考えついた。
その策案がお鈴に明かされたのは、昨日の晩のことだ。
『仇討試合など、勝之進は本当に来るでしょうか』
『来るさ、来るとも。間島勝之進は仇討試合に出ざるを得なくなる』
『叔父上、なにか考えでもあるので?』
『そのことは、すべて儂に任せよ。そなたは試合に向けて鍛錬に励めばよい。いかに相手が臆病者とはいえ、あやつは男、そなたは娘の身じゃ。油断はならぬ』
そして、勝之進が重蔵の庇護下でなくなる明後日の早朝に、仇討試合が行われる運びとなった。
お鈴は家のため、父のためにも、仇を討ち損じるわけにはいかない。しかし、冷気に冴えた風に撫でられるほど、仇討の決心は揺らいでいった。
(ほんとうに、勝之進は父上の仇なのかしら)
もしかすると、仇を間違えたのではないか。
お鈴の心の片隅に、このような懸念がある。
『お鈴よ、そなたは父の無念を忘れたか。このまま引き下がっては武家の恥、父である兵衛の恥ぞ』
仇が勝之進だと知った時は、泰山の進言もあって、憎しみのあまり我を忘れた。
だが、頭を冷やして考えると、勝之進には不可解な点が多い。
父の骸に残っていた一太刀の深い傷は、間違いなく、躊躇なしに刃を振り降ろされたものだ。父の傷から想像できる犯人像は、人を殺し慣れた手練れの剣士である。
(女相手の斬り合いさえ躊躇する勝之進が、あれほど簡単に人を殺せるかしら)
お鈴の思う下手人像と、勝之進とでは、どうも噛み合わない。
(いいえ、勝之進も武士であるなら、人殺しの嫌疑をかけられるだけでも不覚)
お鈴は自分自身に、勝之進を討つための言い訳をする。
それでも、一向に取れないしこりを心に残したまま、神田の阿母寺へと行きついた。
五年前、父に連れられて足繁く通っていたせいか、阿母寺には故郷のごとき懐かしさがある。
「おや、お鈴さまではござりませんか」
たるんだ目元に笑みを湛え、住職の沢庵が本堂で迎えてくれた。
「沢庵さま、お久しゅうございます」
「こちらこそ。お父上のことは、まこと残念でなりませぬ。儂はまた一人、恩人を失ってしまいました」
「沢庵さまのお言葉、父上にも聞かせてやりとうございます」
時が経とうとも変わらない沢庵に、お鈴は安心する。
あたかも沢庵と自分の間に父がいて、生きたままの姿で笑っているのではないかと錯覚した。
「ところで、沢庵さま」
「なにかな」
「まだ……<あれ>は残っているでしょうか?」
「もちろん、お鈴さまの頼みでございますから」
沢庵は踵を返すと、お鈴を講堂へ招いてくれた。
今でこそ、講堂のなかは人がおらず虚しいばかりだが、五年前は麻疹にかかった病人で埋め尽くされていた。
父とともに米や古着を届けていたお鈴には、今でも、寺へ身を寄せた人々の息遣いが聞こえてくる。
「ありましたぞ」
仏像の裏から、沢庵が木箱を抱えてやってきた。
黒くくすんだ木箱のなかには、手紙が収められている
手紙を手にすると、慈しみをもって眺めた。
この手紙の持ち主は、奇妙な女だった。
命定めとも呼ばれる病を患いながら、僅かにも臆しておらず、強がった所もない。
それどころか、何事も面白がったようであり、意気消沈した病人たちの中でもとりわけ異質であった。
かくまい人の重蔵に仇討を阻まれてから、二日が過ぎた。
朝一番に西新宿の十二社神社を参詣したお鈴は、冬めいてゆく北風を受けながらゆっくりと神田へ赴いていた。
西新宿は土地の大半が農村部で構成されているため、神田のような賑わいがない。
さらさらと稲畑を駆けてゆく草の音が、かえってお鈴の心を落ち着かせてくれた。
(父上、どうぞ私に武運を……必ずや、父上の仇を討ち果たしてまいります)
十二社神社には、かつて無念の死を遂げた主のために、見事、下男が仇を討ち取った伝説がある。
ゆえに、十二社神社には仙討成就の逸話が語り継がれていた。
お鈴が十二社神社へ祈願に来たのは、叔父が計画した《仇討試合》への不安があったためだ。
重蔵との約束により、三日間は勝之進に手が出せないが、その間に本人が逐電するおそれもある。
仇を確実に呼び出すために、叔父の泰山が仇討試合を考えついた。
その策案がお鈴に明かされたのは、昨日の晩のことだ。
『仇討試合など、勝之進は本当に来るでしょうか』
『来るさ、来るとも。間島勝之進は仇討試合に出ざるを得なくなる』
『叔父上、なにか考えでもあるので?』
『そのことは、すべて儂に任せよ。そなたは試合に向けて鍛錬に励めばよい。いかに相手が臆病者とはいえ、あやつは男、そなたは娘の身じゃ。油断はならぬ』
そして、勝之進が重蔵の庇護下でなくなる明後日の早朝に、仇討試合が行われる運びとなった。
お鈴は家のため、父のためにも、仇を討ち損じるわけにはいかない。しかし、冷気に冴えた風に撫でられるほど、仇討の決心は揺らいでいった。
(ほんとうに、勝之進は父上の仇なのかしら)
もしかすると、仇を間違えたのではないか。
お鈴の心の片隅に、このような懸念がある。
『お鈴よ、そなたは父の無念を忘れたか。このまま引き下がっては武家の恥、父である兵衛の恥ぞ』
仇が勝之進だと知った時は、泰山の進言もあって、憎しみのあまり我を忘れた。
だが、頭を冷やして考えると、勝之進には不可解な点が多い。
父の骸に残っていた一太刀の深い傷は、間違いなく、躊躇なしに刃を振り降ろされたものだ。父の傷から想像できる犯人像は、人を殺し慣れた手練れの剣士である。
(女相手の斬り合いさえ躊躇する勝之進が、あれほど簡単に人を殺せるかしら)
お鈴の思う下手人像と、勝之進とでは、どうも噛み合わない。
(いいえ、勝之進も武士であるなら、人殺しの嫌疑をかけられるだけでも不覚)
お鈴は自分自身に、勝之進を討つための言い訳をする。
それでも、一向に取れないしこりを心に残したまま、神田の阿母寺へと行きついた。
五年前、父に連れられて足繁く通っていたせいか、阿母寺には故郷のごとき懐かしさがある。
「おや、お鈴さまではござりませんか」
たるんだ目元に笑みを湛え、住職の沢庵が本堂で迎えてくれた。
「沢庵さま、お久しゅうございます」
「こちらこそ。お父上のことは、まこと残念でなりませぬ。儂はまた一人、恩人を失ってしまいました」
「沢庵さまのお言葉、父上にも聞かせてやりとうございます」
時が経とうとも変わらない沢庵に、お鈴は安心する。
あたかも沢庵と自分の間に父がいて、生きたままの姿で笑っているのではないかと錯覚した。
「ところで、沢庵さま」
「なにかな」
「まだ……<あれ>は残っているでしょうか?」
「もちろん、お鈴さまの頼みでございますから」
沢庵は踵を返すと、お鈴を講堂へ招いてくれた。
今でこそ、講堂のなかは人がおらず虚しいばかりだが、五年前は麻疹にかかった病人で埋め尽くされていた。
父とともに米や古着を届けていたお鈴には、今でも、寺へ身を寄せた人々の息遣いが聞こえてくる。
「ありましたぞ」
仏像の裏から、沢庵が木箱を抱えてやってきた。
黒くくすんだ木箱のなかには、手紙が収められている
手紙を手にすると、慈しみをもって眺めた。
この手紙の持ち主は、奇妙な女だった。
命定めとも呼ばれる病を患いながら、僅かにも臆しておらず、強がった所もない。
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