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(13)花という女 ③
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◇
翌朝に目を覚ますと、重蔵の枕元にはお花の書き置きとともに、父の刀の鍔が置かれていた。
『次の春の灌仏会、一緒にどうかしら』
大雑把に言うと、このような内容の書置きであった。
もう重蔵を誘い出すのに、刀の鍔が不要と判断したらしい。
(持っていてくれれば良かったのに)
父には申し訳ないが、この父の鍔が、お花と自分を結んでくれていた。
想い人を繋ぎ止めるものが無いのは、心許なかった。
「灌仏会か」
灌仏会は、仏の誕生を祝う春の祭りである。
祭りらしい祭りに行くのは、お花に連れ出された最初の晩以来だった。
令和の世で例えるなら、クリスマスデートである。
重蔵はさっそく筆を取り、胸を躍らせながら、
『私も行きたい。そなたがよければ、一緒に行こう』
こういう旨の文をしたためた。
それからもお花との交流は続いたが、灌仏会の行われる卯月を目前にして、お花はぷつりと消息を絶った。
文で逢瀬を伝えあっていたが、弥生の半ば頃から文が途絶えたのである。
五日に一度は届いていたはずだが、待てど暮らせどお花からの文は届かず、ついに灌仏会の前日になった。
とうとう重蔵が重い腰を上げ、お花の住まいを訪ねると、そこではお花の父が待っていた。
「お帰りくだされ」
お花の父は厳しい面差しで告げた。
「そ、それは、どういう」
「お花はもう、ここへは帰りませぬ」
「行き先などは」
「知り得ませぬ」
「せめて、訳をお聞かせくだされ。彼女は」
お花の身を案じて、しつこく問いつめる重蔵に、
「お花が会いたくないと言うたのです。嫌がられておると知ってなお、その女を追いかけるおつもりか」
研ぎ師が強い口調で咎めた。
理由もわからぬまま、重蔵は門前払いにされた。
かろうじて、朦朧とする意識のなかで家路についたが、ついに玄関先で力尽きた。
何が起こったのか、頭では分かる。
だが、心だけが鍛治町から戻ってこない。
『お花に捨てられた』
翌朝まで玄関に突っ伏した重蔵は、ようやく、心で理解した。
ほかに気に入った男でもできたのか。
重蔵に飽きたのか。
それとも、重蔵に対して、許せぬことでもあったのか。
捨てられる理由を探したら、きりがない。
あのお花なら、些細で勝手な理由でも、重蔵をちり紙のように捨てかねなかった。
(やはり、私の勘違いだった)
お花のような女が、自分など相手にするはずがない。弄ばれていたのだろう。
重蔵は舞い上がっていたことを後悔し、泣きながら、お花に包まれた肩を我が腕で抱いた。抱いたが、満たされなかった。
結局、それからもお花が重蔵の前へ戻ることはなく、目眩と耳鳴りだけが、再び重蔵を悩ませたのであった。
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翌朝に目を覚ますと、重蔵の枕元にはお花の書き置きとともに、父の刀の鍔が置かれていた。
『次の春の灌仏会、一緒にどうかしら』
大雑把に言うと、このような内容の書置きであった。
もう重蔵を誘い出すのに、刀の鍔が不要と判断したらしい。
(持っていてくれれば良かったのに)
父には申し訳ないが、この父の鍔が、お花と自分を結んでくれていた。
想い人を繋ぎ止めるものが無いのは、心許なかった。
「灌仏会か」
灌仏会は、仏の誕生を祝う春の祭りである。
祭りらしい祭りに行くのは、お花に連れ出された最初の晩以来だった。
令和の世で例えるなら、クリスマスデートである。
重蔵はさっそく筆を取り、胸を躍らせながら、
『私も行きたい。そなたがよければ、一緒に行こう』
こういう旨の文をしたためた。
それからもお花との交流は続いたが、灌仏会の行われる卯月を目前にして、お花はぷつりと消息を絶った。
文で逢瀬を伝えあっていたが、弥生の半ば頃から文が途絶えたのである。
五日に一度は届いていたはずだが、待てど暮らせどお花からの文は届かず、ついに灌仏会の前日になった。
とうとう重蔵が重い腰を上げ、お花の住まいを訪ねると、そこではお花の父が待っていた。
「お帰りくだされ」
お花の父は厳しい面差しで告げた。
「そ、それは、どういう」
「お花はもう、ここへは帰りませぬ」
「行き先などは」
「知り得ませぬ」
「せめて、訳をお聞かせくだされ。彼女は」
お花の身を案じて、しつこく問いつめる重蔵に、
「お花が会いたくないと言うたのです。嫌がられておると知ってなお、その女を追いかけるおつもりか」
研ぎ師が強い口調で咎めた。
理由もわからぬまま、重蔵は門前払いにされた。
かろうじて、朦朧とする意識のなかで家路についたが、ついに玄関先で力尽きた。
何が起こったのか、頭では分かる。
だが、心だけが鍛治町から戻ってこない。
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ほかに気に入った男でもできたのか。
重蔵に飽きたのか。
それとも、重蔵に対して、許せぬことでもあったのか。
捨てられる理由を探したら、きりがない。
あのお花なら、些細で勝手な理由でも、重蔵をちり紙のように捨てかねなかった。
(やはり、私の勘違いだった)
お花のような女が、自分など相手にするはずがない。弄ばれていたのだろう。
重蔵は舞い上がっていたことを後悔し、泣きながら、お花に包まれた肩を我が腕で抱いた。抱いたが、満たされなかった。
結局、それからもお花が重蔵の前へ戻ることはなく、目眩と耳鳴りだけが、再び重蔵を悩ませたのであった。
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・漢字表現をできるだけ平易なものに
・原文の尊重よりも会話の面白さを主体に
・暴力、性愛表現をあっさりと
・百八人ぜんいんの登場にこだわらない
・展開はスピーディに、エピソードもばんばんとばす
・ただし詩や当時の慣用句はたいせつに
・話しの腰を折らない程度の説明は入れる
……いちおう容與堂百回本および百二十回本をもとに組み立て/組み換えますが、上記のとおりですのでかなり端折ります(そのため“抄編”とタイトルしています)。原文はまじめに訳せば200万字は下るまいと思いますので、できればその一割、20万字以内に収められたらと考えています。どうかお付き合いください。
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