かくまい重蔵 《第1巻》

麦畑 錬

文字の大きさ
上 下
16 / 36

(13)花という女 ③

しおりを挟む
 ◇

 翌朝に目を覚ますと、重蔵の枕元にはお花の書き置きとともに、父の刀の鍔が置かれていた。

『次の春の灌仏会かんぶつえ、一緒にどうかしら』

 大雑把に言うと、このような内容の書置きであった。

 もう重蔵を誘い出すのに、刀の鍔が不要と判断したらしい。

(持っていてくれれば良かったのに)

 父には申し訳ないが、この父の鍔が、お花と自分を結んでくれていた。

 想い人を繋ぎ止めるものが無いのは、心許なかった。

「灌仏会か」
 
 灌仏会は、仏の誕生を祝う春の祭りである。

 祭りらしい祭りに行くのは、お花に連れ出された最初の晩以来だった。

 令和の世で例えるなら、クリスマスデートである。

 重蔵はさっそく筆を取り、胸を躍らせながら、

『私も行きたい。そなたがよければ、一緒に行こう』

 こういう旨の文をしたためた。

 それからもお花との交流は続いたが、灌仏会の行われる卯月うづきを目前にして、お花はぷつりと消息を絶った。

 文で逢瀬を伝えあっていたが、弥生やよいの半ば頃から文が途絶えたのである。

 五日に一度は届いていたはずだが、待てど暮らせどお花からの文は届かず、ついに灌仏会の前日になった。

 とうとう重蔵が重い腰を上げ、お花の住まいを訪ねると、そこではお花の父が待っていた。

「お帰りくだされ」

 お花の父は厳しい面差しで告げた。

「そ、それは、どういう」

「お花はもう、ここへは帰りませぬ」

「行き先などは」

「知り得ませぬ」

「せめて、訳をお聞かせくだされ。彼女は」

 お花の身を案じて、しつこく問いつめる重蔵に、

「お花が会いたくないと言うたのです。嫌がられておると知ってなお、その女を追いかけるおつもりか」

研ぎ師が強い口調で咎めた。

理由もわからぬまま、重蔵は門前払いにされた。

かろうじて、朦朧とする意識のなかで家路についたが、ついに玄関先で力尽きた。

 何が起こったのか、頭では分かる。

 だが、心だけが鍛治町から戻ってこない。

『お花に捨てられた』

 翌朝まで玄関に突っ伏した重蔵は、ようやく、心で理解した。

 ほかに気に入った男でもできたのか。

 重蔵に飽きたのか。

 それとも、重蔵に対して、許せぬことでもあったのか。

 捨てられる理由を探したら、きりがない。

 あのお花なら、些細で勝手な理由でも、重蔵をちり紙のように捨てかねなかった。

(やはり、私の勘違いだった)

 お花のような女が、自分など相手にするはずがない。弄ばれていたのだろう。

 重蔵は舞い上がっていたことを後悔し、泣きながら、お花に包まれた肩を我が腕で抱いた。抱いたが、満たされなかった。

 結局、それからもお花が重蔵の前へ戻ることはなく、目眩と耳鳴りだけが、再び重蔵を悩ませたのであった。

 ◇
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

仕事人狩り

伊賀谷
歴史・時代
仕事人とは銭をもらって人々の恨みを晴らす殺し屋稼業。 江戸の仕事人である忍壁銀次郎は仕事で一人の男を殺した。 それは敵が敵を呼ぶデスゲームの幕開けであった。 生き残るのは誰なのか。

時代小説の愉しみ

相良武有
歴史・時代
 女渡世人、やさぐれ同心、錺簪師、お庭番に酌女・・・ 武士も町人も、不器用にしか生きられない男と女。男が呻吟し女が慟哭する・・・ 剣が舞い落花が散り・・・時代小説の愉しみ

独り剣客 山辺久弥 おやこ見習い帖

笹目いく子
歴史・時代
旧題:調べ、かき鳴らせ 第8回歴史·時代小説大賞、大賞受賞作品。本所松坂町の三味線師匠である岡安久弥は、三味線名手として名を馳せる一方で、一刀流の使い手でもある謎めいた浪人だった。 文政の己丑火事の最中、とある大名家の内紛の助太刀を頼まれた久弥は、神田で焼け出された少年を拾う。 出自に秘密を抱え、孤独に生きてきた久弥は、青馬と名付けた少年を育てはじめ、やがて彼に天賦の三味線の才能があることに気付く。 青馬に三味線を教え、密かに思いを寄せる柳橋芸者の真澄や、友人の医師橋倉らと青馬の成長を見守りながら、久弥は幸福な日々を過ごすのだが…… ある日その平穏な生活は暗転する。生家に政変が生じ、久弥は青馬や真澄から引き離され、後嗣争いの渦へと巻き込まれていく。彼は愛する人々の元へ戻れるのだろうか?(性描写はありませんが、暴力場面あり)

必滅・仕上屋稼業

板倉恭司
歴史・時代
 晴らせぬ恨みを晴らし、のさばる悪党を地獄に送る。細工は流々、仕上をご覧じろ……舞台は江戸、闇の裏稼業・仕上屋《しあげや》の面々の生きざまを描いた作品です。差別用語が多く出てきます。また、全編に渡って暗く不快で残酷な場面が多々ありますので、そういった展開が苦手な方は、充分に注意して下さい。 ※登場人物 ・壱助  盲目の按摩。仕込み杖の使い手。 ・蘭二  蘭学者くずれ。お禄に付き添い、手助けする若者。綺麗な顔の優男だが、殺しの腕も悪くない。 ・お美代  顔に醜い傷を負う女。壱助の女房。竹製の短筒の名手。 ・権太  他者を寄せつけぬ不気味な大男。奇妙な拳法を使い、素手で相手を殺す。 ・お禄  仕上屋の元締。表の顔は、蕎麦屋の女主人。 ・ナナイ  権太と暮らしている謎の女。

隠れ刀 花ふぶき

鍛冶谷みの
歴史・時代
突然お家が断絶し、離れ離れになった4兄妹。 長男新一郎は、剣術道場。次男荘次郎は商家。三男洋三郎は町医者。末妹波蕗は母親の実家に預けられた。 十年後、浪人になっていた立花新一郎は八丁堀同心から、立花家の家宝刀花ふぶきのことを聞かれ、波蕗が持つはずの刀が何者かに狙われていることを知る。 姿を現した花ふぶき。 十年前の陰謀が、再び兄弟に襲いかかる。

抄編 水滸伝

N2
歴史・時代
中国四大奇書のひとつ、『水滸伝』の抄編、抄訳になります。 水滸伝はそれこそ無数に翻訳、抄訳されておりますが、現在でも気軽に書店で手にはいるのは、講談社学術文庫(百回本:井波訳)と岩波少年文庫(百二十回本:松枝抄訳)ぐらいになってしまいました。 岩波の吉川訳、ちくまの駒田訳、角川の村上訳、青い鳥文庫の立間訳などは中古市場のものになりつつあります。たくさんあって自由に選べるのが理想ではあるのですが。 いまこの大変面白い物語をひろく読んでいただけるよう、入門的なテクストとして書くことにいたしました。再構成にあたっては、小学校高学年の子供さんから大人までを対象読者に、以下の方針ですすめてまいります。 ・漢字表現をできるだけ平易なものに ・原文の尊重よりも会話の面白さを主体に ・暴力、性愛表現をあっさりと ・百八人ぜんいんの登場にこだわらない ・展開はスピーディに、エピソードもばんばんとばす ・ただし詩や当時の慣用句はたいせつに ・話しの腰を折らない程度の説明は入れる ……いちおう容與堂百回本および百二十回本をもとに組み立て/組み換えますが、上記のとおりですのでかなり端折ります(そのため“抄編”とタイトルしています)。原文はまじめに訳せば200万字は下るまいと思いますので、できればその一割、20万字以内に収められたらと考えています。どうかお付き合いください。

女の子にされちゃう!?「……男の子やめる?」彼女は優しく撫でた。

広田こお
恋愛
少子解消のため日本は一夫多妻制に。が、若い女性が足りない……。独身男は女性化だ! 待て?僕、結婚相手いないけど、女の子にさせられてしまうの? 「安心して、いい夫なら離婚しないで、あ・げ・る。女の子になるのはイヤでしょ?」 国の決めた結婚相手となんとか結婚して女性化はなんとか免れた。どうなる僕の結婚生活。

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

処理中です...