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上空より立ち昇る湯気を見つけ、近寄ってみる事にした。
岩の隙間から音を立て、幾本の湯柱が噴き上がるのが見てとれた。
俗に言う間欠泉というやつだ。

『この辺りでは熱そうだな』

私は問題ないが、此処らは粘体では堪えるだろう。
水や氷を司る青龍や白銀龍は兎も角、その他の竜は熱に耐性がある。
多少の炎では緑鱗を焦がす事すら出来ない。
確か赤竜などは溶岩で浴を取ると聞いた。

空から散策を続け、岩山から少し離れた所にも昇り立つ湯気を見つけた。
硫黄の匂いで鼻の効きが悪いが、水の匂いがした。
近場に川もあるのだろう。
ならば温度もそれなりの筈だ。

そう判断して翼を翻した。

川辺に幾つかの湯だまりがあり、仄かに湯気が上がっている。
良さそうだと降りてみると、地面から程良い熱を感じた。
粘体は確認する事もなく鼻から飛び降りた。

『・・・熱くはないか?』

地面の温度を聞いたつもりだったが、振り向く事なく湯へ近寄った。
触手のように粘体を伸ばして湯へ触れる。
地面は問題ないが湯は少し熱かったようだ。
プルプルと震えてみせた。

『ふむ、では川の水を入れてみるか』

そして前脚を二度振り、一本線を奔らせた。
上流から湯だまりへ、湯だまりから下流へと水の道を作った。
抉れた地面に川の水が流れ込む。
湯の温度が変わるのに暫くかかるだろう。

次は私用だ。
隣の湯だまりに渦巻く螺旋の風弾を放った。
轟音と共に湯と岩が飛び散る。
飛び散る湯と石飛礫から粘体を守るのは忘れてはいない。
少し土で濁ったが、私が入れる湯だまりもこれで出来た。

粘体は待ちきれない様子で、川の水が入り込む付近をぱちゃぱちゃと叩き、温度を確認してからにょろんと身を投じた。
沈まぬか不安だったが、縦に粘体を伸ばし一部をひょこんと湯から上に出している。

・・・あれが頭なのか?

暫くすればその必要もなくなったようだ。
水分を吸収して膨らんだ球体の一部が、湯から上に出るようになった。
何処まで吸収するのかと思えば、粘体の大きさが倍になった辺りで限界を迎えた。

そこはかとなく残念である。

ただ眺めているのも何なので、私も湯に浸かる事にする。
両脚を屈め湯に伏せれば、背までしっかりと浸かれた。
翼も小さく畳めば問題はない。

湯加減に思わず目を細めれば、縦に伸びて不満を示す粘体が目に映った。
溢れた湯が流れ込んで来たらしい。
恐らく熱かったのだろう。

『すまぬ、火傷はしておらんだろうな?』

そう首を伸ばし粘体を舐めてやった。
温泉の効能だろうか。
舌触りが滑らかになった気がした。

『・・・何だ、何を怒っておる』

湯をぱちゃぱちゃと叩くような仕草を魅せる。

『火傷をしたのなら舐めてやるのは当たり前だろう』

そう、これは当然の事だ。
純然たる治療行為だ。
問題は火傷する程の温度ではない事だろう。

なので私は目を瞑る。
満足したと鼻息で答える。
それが湯なのか舌触りなのかは教える気はない。
まだ水音がするので薄眼を開ければ、小器用に体内に取り込んだお湯を私に向けて放出していた。

ほう、私に一矢報いようという腹づもりか?

宜しい、ならば文字通り受けてやろう。
此方まで届かない噴いた湯を口で受け止めてやる。
体内に吸収した湯の所為か、仄かに此奴の匂いがした。
飲み込めば甘味すら感じる。

『うむ、美味い、其方の味がする』

素直に感想を述べれば、噴き出す湯がじょろじょろと勢いをなくした。
舌舐めずりをしてから首を傾げてみせる。

『何だ、もうくれぬのか?』

プルプルと震えた後、粘体を縮め湯に沈んだ。
拗ねているのか、ぷくぷくと気泡が上がる。
そんな様すら愛らしいと感じる。
思わず口から笑いが溢れた。

空は晴れ青色が広がる。
たなびく雲が白でそれを彩る。
今日も至って平和だ。

吉兆を占うものはない。
暗雲も立ち込めない。
鎌首を擡げる様子もない。
頭ごと地面に伏せれば、浸かる湯と異なる地熱が首と顎に伝わる。
日光浴とは異なる余韻が眠気を誘う。

・・・私は浮かれているのだろうか?

そう聞かれれば、間違いなく浮かれていると答える。
続けばいい。
もう千年も続いたのだ。
ならばもう千年続いてもおかしくはない。

『・・・そろそろ溺れるぞ?』

聞こえたのか、限界だったのか、粘体がプルンッと湯から顔を出した。
なので恐らくそこが顔なのだろう。

『其方に何かあれば私は生きてはおられん』

やはり浮かれているのだろう。
本音も口から溢れた。
その言葉に反応をしない粘体がいる。
意味は額面通りに受け取ってくれて構わん。

『少し寝る・・・其方は眠たくなったら鼻の上に移れ、決して湯の中で寝てはならんぞ』

粘体が返事をするのを確認してから、頷く代わりに目を閉じた。
こうしていても此奴の気配は失わん。
小鳥の囀りが聞こえるが、ぱちゃぱちゃと遊ぶような水音も聞き逃さん。
意識の域は間違いなく微睡みの中にあるのに、だ。

暫くして粘体が鼻の上に移動してきたのが分かる。
触れ合う事で私の安心感が増した。
当然だが守られる故ではない。
此奴を守る為にだ。
睡眠が深くなったと感じるが、別の感覚が高まるのも感じた。

私達以外の生物の気配と敵意に対してだ。

ここ最近で高まっていたが、今日は特に顕著だ。
不思議な感覚だ。
だから安心して微睡みに揺蕩える。
上空からの敵意に対して、無意識化で乱気流を発生させていた。
これでは近場には着地する事は叶うまい。

・・・これは竜の執着のなせる技なのだろうか?

能力の起因が粘体であるのは間違いない。
庇護欲では生温い。
守護欲とでも言えばいいのだろうか?
そして独占欲と呼ぶには生温い。
私は此奴の全てが欲しい。
その粘体も、その感情も、その意識すらも。

その上で・・・嫌われたくない。

これは父性・・・なのだろうか?

・・・それも違う気がする。

だが・・・決して悪くはない。

悪くはないのだが・・・何故だか歯痒いのだ。

この振り回さんばかりの感情は・・・一体何だ?

私は・・・どうすれば良い?

・・・どうなれば満たされる?

・・・なあ、粘体よ・・・


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