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20 マリー
しおりを挟むガタガタッと大きな騒がしい音がした。
条件反射で枕元に置いてあるはずの剣を探しながら飛び起きた。
だがどれだけ探ろうとも剣が手に当たらない。
不安を覚え心が騒つき額から脂汗が噴き出す。
覚醒する意識の中で戦場の現状を思い出そうとする。
そして・・・宿屋であった事を思い出した。
安堵と共に大きく息を吐き出した。
次は音の元を見た。
隣のベッドでパンツ一丁の熊がアワアワしていた。
「・・・朝から騒々しいぞ、どうしたんだ?」
大きく伸びをした。
慌てふためいた心臓の鼓動を落ち着かせる。
そして大きく欠伸をした。
淑女としては失格だが生理現象だから仕方ない。
「き、記憶が・・・わ、儂何か・・・」
「ああ、その事か、私を押し倒してから胸を顔でグリグリしただけだ」
「っ!?」
「その後眠ったから皺にならないよう服を脱がせた」
「すまない・・・」
それは何に対してだ?
酒に酔い過ぎた事か?
押し倒した事か?
・・・少しイラっとした。
「悪いと思うなら次に押し倒す時は最後まで責任を持ってくれ」
「っ!?そ、それはどういう・・・」
ドアがコンコンと訪問を知らせた。
ウリナが湯を張った桶を持ってきてくれた。
さすが侯爵家の侍女だ。
色々な意味で助かった。
嘘が言えないから、と思った事を口にする癖がついた気がする。
なので言い過ぎたと反省して、答えられるかと黙秘した。
私の湯桶はウリナの部屋で用意してくれているらしいので着替えを準備して鉄球を持った。
部屋を出る時に先程の返事の代わりに、熊の鼻の頭に軽く唇を落としておいた。
少しは考えたらいい。
・・・私からのささやかな復讐だ。
その後支度を整えてから全員で朝餉を頂いた。
熊が横目でチラチラと私を見てくる。
その度に耳がピクピクと動く。
しかも顔が少し赤い。
・・・やり過ぎただろうか?
「オ、オホン・・・ハッグ、今日の昼には領地に着くのだったな?」
「あ、ああ・・・楽しみにしてくれ」
な、何だろうか。
これは真面目な時の熊の顔だ。
熊の尾を踏んでしまったか?
・・・くっ、やりにくい。
「旦那様、出立の準備は整っておりますので」
とワグルが言った。
私の身の回りの品もウリナが整理して片付けてくれたらしい。
そ、そうだ、浮かれる前にこの目で見ておかなくてはな。
帝国の軍部が貴族を煽るのに利用した肥沃な土地を。
馬車を出す前に厚手の手袋と魔獣の毛皮のコートとマフラーを手渡された。
ウリナも熊もそれなりに準備している。
ワグルは表にいる分さらに重装備だ。
馬達にも防寒装備が成されている。
町を抜けると山に大きな穴が空いていた。
山を登る訳ではないようだ。
だが穴から吹き抜けてくる風は吹いていない。
吸い込む風もない。
聞いてみると風や冷気を遮断する魔道具があるらしい。
穴に入ると不気味なほど風を感じなかった。
よく見ると入り口に何かが設置してある。
工房でも見た事がないものだ。
整備された穴は通路になっていて明かりを灯す魔道具も等間隔で設置されている。
その穴の中を馬車で1時間程走っただろうか?
変わらない景色に時間感覚を奪われた気がする。
御者席からワグルがコンコンと叩いた。
「そろそろ出口です、準備をお願い致します」
その声に合わせて中が慌ただしくなる。
ウリナがまた見た事のない魔道具を取り出した。
穴の入り口に付けているものの移動型だという。
固定型の遮断する物と移動型の緩和する物という事らしい。
ウリナが魔力を灯し起動すると空気の膜が馬から馬車まで大きく包んだように思えた。
「マリー、そろそろ着た方が良い」
そう熊に促された。
コートとマフラーを着て手袋をはめた。
・・・暑い。
「出ますっ」
外から轟音が耳に届き空気が一瞬にして冷えた。
先程まで暑いと感じていた熱が直ぐに失われるのを感じた。
窓の外に白い粒が勢いよく通り過ぎていく。
その奥は真っ白い壁を思わせた。
冷たく研ぎ澄まされた空気に思わず身を縮め震わせた。
「マリー、こっちへ」
耐えられず熊の誘いに応じた。
膝の上に振り返り座り、後ろから抱きしめる様に覆われた。
ウリナをちらっと見ると笑顔で手を振られた。
・・・天然の毛皮はずるい。
熊曰く20分も馬車で走れば抜けるらしい。
聳え立つ高い壁のような山脈に海からの寒冷の突風が叩きつけられ、山の麓まで急激な下降気流を起こすのだとか。
強い突風により雪も巻き上げられ積もる事すら許されないという。
極雪の滝と呼ばれるそうだ。
少し震える身体を熊がギュッと抑える様に抱きしめてくれた。
熊と触れる部分から仄かな温かさを感じる。
私は目を閉じて縋るようにその温もりにしがみついた。
フッと空気が弛緩したのを感じた。
そして馬車が動きを止めた。
ワグルと馬達の休息の為のようだ。
恐る恐る目を開けると窓から射し込む光が見えた。
帝国でも雪は降った。
積もる時もなくはない。
だが走る馬車、歩く人により汚れた残骸があるだけだ。
だがここにはしんしんと降り積もる雪しかない。
岩も木々も山々も全てが白かった。
ただ一面の銀世界だけがあった。
込み上げてきた感情から現れた表情は笑いだった。
それは小さく小さく溢れ続けた。
「なぁハッグ・・・この土地の為に?」
「そうだ」
「私達は殺して殺されて来たのか?」
「・・・そうだ」
「・・・馬鹿みたいだな」
冷たさのなくなった身体が微かに震える。
最後の呟きに応えるように熊がギュッと抱きしめた。
馬達の休息が終わり馬車は動き出した。
「見晴らしが良い」と誘われて御者席にいる。
私、熊、ワグルの並びだ。
頬に当たる風は魔道具で軽減されて冷たいながらも心地よさを感じる。
遥か先に海も見えた。
大きな氷が浮かぶ白い海が。
熊が言うにはこの土地の雪は上からではなく、下から降るのだという。
極雪の滝から落ちて舞い上がった雪が降るのだそうだ。
山脈に当たり、風に削られ、大地に吹き付けられ、角の取れた結晶だから丸く優しいのだと。
遠くに白くない点が見える。
手前にも白くない場所があった。
それが町々だと言う。
固定型の冷気を遮断する魔道具の恩恵だと。
耐久年数は8年から10年だが大体5年周期で交換するらしい。
「マリーに見せたかったのはここからだ」
馬車が町に近づいて行く。
ここに侯爵家の屋敷があり直接管轄している町で、熊が産まれ育った土地だという。
侯爵家執事を務める従兄弟のベーグルが熊が不在の際・・・殆どらしいが領地経営を代行しているという。
「番・・・マリーと出会って直ぐにベーグルに手紙を書いたのだ」
町を挙げての大騒ぎになったと返信があったらしい。
そこには私は帝国の人間だとしっかり書いたという。
「ラグオス王から番と認められた時も手紙を書いた」
近づく町から声が聞こえてきた。
ハッグ将軍の帰郷を喜ぶ声と、祝福を伝える声が聞こえた。
そしてその時も町を挙げての大騒ぎになったらしい。
「マリーに教わって学んで色々考えた・・・儂は如何な罪でも終わらない償いは無いと思う」
赤茶や黒毛などの熊人達が手を振り歓声をあげる。
「ありがとう!」「将軍をよろしくね!」
私に向かって手を振り声を上げる。
宜しくしてもらうのも、感謝するのも私の方だ。
頭を下げて回れない代わりに笑顔で返した。
もらった物を返しそびれないように手を振った。
「マリーがそれを全て背負う必要はない、儂にも背負わせてくれ」
熊が立ち上がり空に向かって咆哮を上げた。
町の人々も同じように咆哮を上げる。
子供の熊人も懸命に喉を鳴らすのが見える。
魔獣すら震え上がる咆哮を前に私は笑顔しか浮かばなかった。
「儂を遠慮なく介せばいい、この町のようにマリーを認めて受け入れる者もいる・・・まだ儂の影響力はこの町で精一杯だ」
そう言い私の手を取り立ち上がらせた。
この熊は変わらないらしい。
灰色や黒色を教えても何一つ変わらない。
全てその大きな口で飲み込んでしまった。
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「もう幸せだ・・・っ」
あの言葉は相変わらず出なかった。
仕方がないので行動で感謝を示した。
人前だというのにその事も忘れていた。
熊の両腕が私を締め付ける。
辺り一面の黄色い歓声の中で。
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