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最終章
最終章-25 神の武器、手札
しおりを挟む開始の合図と共にハルは前へと緩やかに飛び出す。
剣は脇構え。
重くて持ち上がらない剣を引き摺っているかの様に見える。
それに気の抜けたような掛け声が拍車をかける。
「てぇいやぁーっ!」
これだけはハルの素であった。
まず半歩。
そして半歩。
コロシアム全体の空気が解ける雰囲気を感じる。
アル、王子殿下がここまで先鋒として勝ち続けていたのは、観客も含め耳に届いているだろう。
ならば副将は?大将は?
交代をしなかったのは、王子殿下の飾りであった為だ。
誰もがそう認識していた。
そして大きく三歩目を強く地面に蹴り出し加速。
四歩目で全身をバネにして猫の様に跳躍した。
片手剣ではあるものの、細剣のように右手のみで胸元に持ち替えて跳躍に合わせてしなやかに刺突を放つ。
完全に虚を突いた。
だがその刺突を辛うじて剣で這わせるように受け、角度を変えさせ体を捻り躱してみせた。
オスカーの言う通り、確かに強いのだと確認する。
だがアキほどではない事も確認した。
不意を突いたとはいえ、ハルの剣を跳ね上げられなかったのだから。
弛緩した空気が締まっていくのを肌が感じる。
伸びた鼻の下は残念ながらもう戻ってしまったようだ。
脇構えではなく剣を前に置いた半身の構えを行う。
刺突をメインにした、ハル本来の細剣の構えだ。
あれで決まってくれれば儲けもの。
その程度の考えだったので落胆はしていない。
ここからが本番だ。
相手の間合いを測りながら、ヒットアンドアウェイで刺突を繰り出す。
「ちぇいやぁーっ!」
気の抜けた掛け声を出しながら。
オリハと向かい合ってアルが告げる。
「俺は・・・ハルといる事で幸せになれる、だからハルも幸せにしてみせる、としか考えていない」
そうスッパリと言い切った。
「残される者の、相手の気持ちなど考えない、というのか?」
「・・・生きていようが、死んでしまおうが、相手の気持ちなど知りようがないではないか・・・だから人は言葉を交わし想いを告げるのだろう?」
「・・・そういうものか」
なまじ感情が伝わって来る体質であるが故に、相手の感情をどう処理すべきか、オリハはそう考えていた。
「相手の、ハルの半分の人生に対して責任を持つ、残った半分に金や身分は用意する、それ以外は話し合いで擦り合わせるしかないだろう」
無駄に考え過ぎている。
暗にそう告げられた気がした。
「それに年老いて死ねるとは限らない、不意の事故があれば、病に侵される事だってあり得る・・・だからヒトはその時を懸命に生きるんじゃないか・・・って俺は何を言ってるんだ」
「いや、参考になった・・・思っていたよりも考えているんだな」
「・・・仮にも王族だしな」
そう言って年相応の顔で笑う。
オリハはその時まで後悔しないよう、そう思っていた。
違うのだ。
いつ、何があるかなんて誰も分からない。
だからこそ日々、後悔しないよう選択し生きていく。
それが難しくもあり、そして普通の幸せというものなのだ。
極端にいえば、己が天へ還る前にエインが先に召される可能性だってある。
何故エインを例に考えたのか?
オリハの罪悪感が一番少なくて済むからだ。
草葉の陰で、さぞエインも喜んでいる事だろう。
「では我の番だな・・・お前達は互いの気持ちにそれとなく気付いているのに、肝心な事は何も話しておらんだろう」
「むっ」
「その口でしかと伝えたのか?好きだと」
「・・・言ってない」
「まずはそこからだ、伝えられると案外響くものがあるものだ」
オリハの経験談からである。
「それにハルはアルに対して強さも地位も何も求めてはいない・・・それこそ話し合い、ではないのか?・・・まあ我は王族との婚姻など、本来は反対したいところではあるのだが」
そこで途切らせた。
貴様の祖父に丸め込まれた、など口にしたくなかったからだ。
「・・・まずは今回の件を謝る事だな、話はそれからだ」
独り善がりだった。
最後に理事長としてではなく、女として母親としてアルに教えを説いた。
「・・・怒っているのだろうか」
「うむ、ハルの怒りは我が家で一番恐ろしくて長いぞ」
頑張れ、と背中を叩く。
この辺りが「他所の子にも甘い」とハルに釘を刺された点だろう。
「どうだ?痛みは」
「あ、ああ、もう大丈夫だ」
話しながらも回復魔法は続けていた。
腕を動かしながらアルが答えた。
「では戻るか、ハルの試合に間に合えば良いが」
「・・・まだ戦っているのだろうか、相手はかなり強かったぞ?俺が万全だったとしても勝てるかどうか・・・」
「ふむ、ハルは確かに強くはない、だが我の教えに一番忠実なのは間違いなくハルだ」
「というと?」
「あの相手にならハルは絶対に負けない、そう言う事だ」
格上が相手という想定の戦いは常に教えてあった。
それはナツやフユにも教えていたものだ。
ハルには膂力もなければ素早さもない。
卓越した剣術もない。
何も持たざる者だからこそ、状況という手札を忠実に駆使する。
「行くぞ、どうした、また抱えてやろうか?」
「も、もう歩ける!」
そうして二人は医務室を後にした。
何かが解決した訳ではない。
残される者に対しての罪悪感が消えた訳ではない。
返したい恩がなくなった訳ではない。
燻る感情はこの胸に抱いたままだ。
それでも、幸せなのか?
そう問われれば迷わずに答えられる。
我は幸せ者だ。
だから、今はこのままで良い。
今よりも少しだけ、そう、ほんの少しだけ優しくしてやろう。
それで良い筈だ。
きっと。
「おっ、アル、もう大丈夫なのか?」
「心配をかけた、すまない」
オスカーが安心した様子で声をかける。
「ハルは?」
「後1分」
オリハからの一言だけの問いに、ニヤッと笑いながら答えた。
3人は視線を中央へと戻す。
相手が大きく踏み込み斬撃を放つ。
その分後退しながら余裕を持ってハルは回避行動をとる。
地面にガンッと音を立て突き立てられる剣。
それは大きな隙な筈だ。
だがハルはその剣を軽く打ち払う。
カンとぶつけた相手の剣先が揺れた。
体重がかかっていない事を確認して、それが誘いであるのを確信する。
返す刃での籠手を中断して間合いを保つ。
(やっぱり、これだから強い人は・・・)
油断ならない。
兜の中で深呼吸をしながら合わせて溜息を吐く。
敗北は死に繋がる。
だからオリハは子供達に負けない事を教える。
ナツとフユは最後まで諦めずに、機を伺う事だと捉えた。
それはそれだけの能力があったからだと言える。
フェンリルに狩りと称して鍛えられた基礎能力があったからだ。
では能力のないハルは?
単純にそれを負けない為の手段と捉えた。
膂力は低い。
だから剣で相手の攻撃を受ける事はない。
身体能力も高くはない。
だから間合いを遠く離れ、相手の剣先の始動を眺める事が出来るので、回避を容易に行う事が出来る。
相手の隙を信用しない。
自分は決して強くなどないのだから。
万が一、誰かに襲われたら?
ハルはただ耐える。
そうすれば必ず助けに来てくるのだから。
オリハが、ナツやフユ、アキが。
その時間を作る為の手段だとしか考えていない。
あの時、目の前でアキが倒れた衝撃はハルにもあった。
自分は姉なのに。
一撃を逸らす力があれば。
たった1秒、相手の気を逸らす事が出来たならば。
その思いはハルの守りの姿勢をより強固にさせた。
「俺相手には攻め一辺倒なのだが?」
「・・・アルだからだろ?」
「ふっ、そうか、特別なのは俺だからか」
満更でもなさそうである。
オスカーは「うへえ」と苦虫を噛み潰したような顔を向けるが、陶酔中のアルには届かなかった。
審判が時計を見やる。
それが焦りを生じる。
ましてや相手は性別も違う、それに年下だ。
剣を交えても強いとは思わない。
特質した何かがあるとは思えない。
それでも振り回す剣は、全く当たる気がしない。
それが更なる焦りを生じさせた。
「があぁぁあっ!」
大きな振り下ろし。
それが大地にガスンッと突き刺さる。
それは反射であった。
確認をしなくても確信した。
強いて挙げれば女としての第六感と言えよう。
ガラ空きになった左胸に迷う事なく刺突を繰り出す。
「にやぁー!」
気の抜けた声と共に。
ここまで一切フェイントに引っかからなかった。
誘いに乗る事もなかった。
「・・・あっ」
それでも辛うじて躱せたのは、強者としての矜持だろうか。
体勢を崩しながらも半身分だけ刺突から逃れる。
剥き出しの左腕上腕目掛けて刺突がめり込んだ。
「・・・それまでっ!」
有効打にはならない。
残念ながらアルの腕同様に無効打である。
そして小柄な少女の健闘を讃える拍手が贈られる。
結果は引き分け。
最後の惜しかった一撃も踏まえれば、充分大金星といえよう。
左腕を抑え、控え目に退場する対戦相手と比べて、想定通りの試合運びを終えたハルは笑顔であった。
「ま、まさか左腕・・・狙ったのか?」
「偶然だから「あっ」てハルも言ってたからな」
「そこまでして俺の仇を・・・」
「はい、聞いちゃいねえ」
笑顔のハルを出迎える。
「お疲れ、頑張ったな」
「あ、お母さん!ありがとーっ!」
そしてパァンとハイタッチ。
兜を脱ぎ大きく息を吐く。
「ハル・・・その、だな・・・」
「・・・アル・・・」
「す、すまな「馬鹿」・・・ハ、ハル?」
張り付いた笑顔のままでハルが言う。
「絶対に許さないんだから」
こうなったら後が長い。
オリハとオスカーは肩を竦め顔を見合わせる。
恋愛コメディを始める二人を他所にオスカーは溜息を吐く。
「・・・はぁ、とっとと終わらせてくる」
公称、モテない男は有言実行を果たす。
王都の空が夕暮れに染まる前に勝利を告げる鐘の音が二つ。
決勝戦で二人抜きを果たし優勝に貢献するも、オスカーに群がる淑女はその後も現れる事はなかったという。
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