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エルランド王子の酔狂
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午後になるまで寝室で休む。少し疲れたらしい。日に日に体力が落ちていくのがわかる。それでもちょっと寝たら気分が良くなった。
夕方近くになってお客様がいらした。今まで何度もここに来ているその御方を、金細工と象嵌があしらわれた豪奢な謁見用の椅子に腰掛けて出迎える。
「皇女アライシャさま。ご機嫌麗しく、こうしてお邪魔する無礼をお許しください」
「それで今日は何の御用でしょう」
目の前にひざまずいた凛々しい殿方を複雑な思いで見下ろす。わたしの声は自分でもそれとわかるほどよそよそしい。
「アライシャさまに謁見を賜りたく、こうしてまた参りました」
いつものように涼しい顔でその人は答えた。
こちらの殿方は王家の御子息にあらせられる。王位継承権のある人が、なぜ、命が尽きようとしているわたしなどを構うのか。その疑問をぶつけてみる。
「なぜここへいらっしゃるのですか」
「あなたにお会いするためです」
「ですからエルランド様に、なぜ、とお聞きしているのです」
「会いに来てはいけませんか?」
「ですから…もういいです」
らちがあかない。堂々巡りだ。疲れてしまったのでそれ以上追及するのは諦めた。
「今日はアライシャさまに珍しいものを持参したのですよ」
「珍しいもの?」
「はい」
控えていた従者から受け取ったそれを、エルランド様は恭しくわたしの前に差し出してみせる。それは今まで見たことがないものだった。
「これは…いったい…何でしょう」
「孔雀です」
「クジャク?あの、鳥の孔雀ですか?」
「はい。葉の形が孔雀の羽根に似ているからクジャク。これはその一品種の宵待孔雀(よいまちくじゃく)です」
そう言われて眺めてみれば、孔雀の羽根に見えなくもない。
「宵待孔雀の花は夜に咲くのです」
「夜に?」
「ええ。文字どおり宵のうちに開き始め、朝にはしぼんでしまう。一晩だけの花」
それは…ずいぶん儚い。一晩だけの命なんて。
そう思ったのも一瞬だけ、すぐにカッと血が登った。
「それはわたしへの当てつけですか?もうすぐ命が尽きるわたしへの」
何というひどい人なのだろう。
怒りのあまり我を忘れ、立ち上がろうとしたらクラっとめまいに襲われた。倒れようとする体を寸前で誰かに抱き止められた。その誰かの声がすぐそばでこう言った。静かな声だった。
「あなたはここにいる。私はあなたに会いたくてここに来ました。私と、この宵待孔雀の花を一緒に見ませんか。夜が明けるまで。朝が訪れるまで」
なんだか不思議なことを言われている気がする。そう思った。とにかく、非礼を詫びねば。
「はしたない真似をしてしまいました。どうぞお許しください」
「いいえ。あなたは悪くない。私が悪いのです」
「あの。もう大丈夫ですから」
急に、男性に抱かれている自分が恥ずかしくなった。体が熱いのは体調のせいだけじゃない。
「ああ、これは失礼。でも本当に大丈夫?」
「ええ。もう平気」
彼の腕から体を離し、肘掛けにつかまりながら椅子に戻る。
さてどうしよう。エルランド王子の提案は魅力的だ。一晩だけの花の命を、その花びらがほころびはじめる瞬間から終わりを迎えるまでをこの目で見届ける。そんな体験などなかなかできない。
しかし花が終わる朝までは長い時間だ。体力がもつかどうか自信がない。寝所で横になり、花を観察する自分の姿が浮かんだが、まさか殿方を寝室に迎え入れるわけにはいかない。
謁見室の隅でまるで影のようにひっそりと待機していたギリアスを呼び、どうしたらよいのか相談する。が、即座に反対されてしまった。
「いけません。一晩中起きているなど言語道断。ご自分のお体をもっとお大事になさっていただかないと」
「でもねギリアス。こんな機会はきっと二度とない。わたしは見てみたいの。お願いだから」
ギリアスはエルランド様を鋭く睨みつけた。きっと、余計なことを言う若造めと思っているに違いない。口に出さずともその目が雄弁に語っている。
尚も渋るギリアスをなんとか説得し、結局、別室にて、わたしのために横になれる長椅子が用意された。そこで彼とわたしは宵待孔雀のつぼみが開いていくのを一緒に見守ることにした。
白い花びらは向こうが透けてしまいそうに薄い。見ているとその花びらが徐々にゆっくり開いていくのがわかる。すると、香りに気づいた。花が開いていくにつれ、香りが濃くなっっていく。それは甘いだけじゃなくて、どこか官能的のものを感じさせる香りだ。
「一晩だけの花の命を短いと思いますか?」
彼の静かで穏やかな声が眠気を誘う。
「だってそうでしょう」
「そうでしょうか」
夜も更けてきた。花の香り。とろりと湿り気を含んだ夜気が頬を撫でる。
「短いと勝手に決めつけるのは私は違うと思う」
「なぜですか」
「この花は朝までの命であるとあらかじめ定められている。その寿命の中で精いっぱい美しく妖しく咲き誇らんとしている」
「妖しく?」
「はい。清楚な見かけにも関わらず、香りが官能的に過ぎる」
眠気が忍び寄ってくる。痺れたようにぼんやりし始めた頭で、この人はいったい何の話をしているのだろうと思った。
外がほのかに明るい。朝がそこまでやって来ている。
宵待孔雀の花はすでに満開だった。まだ終わらない。まだ花の命は尽きていない。でもわたしの眠気は限界に近づいている。それに体が熱っぽい。
「わたし、もう休みますのでそろそろ失礼を…」
「どうぞお休みください。今日は私の酔狂にお付き合いいただいてありがとう」
「いえ。こちらこそ。楽しかったです」
「またここに来ても構いませんか」
ええ是非、と無意識に言ってしまってから唇をぎゅっと噛んだ。
わたしったら何を言っているの。
来たければ勝手に来ればいい。
…わたしも…会いたいから。
注:宵待孔雀とはクジャクサボテンの一種。月下美人によく似た、ひと回り小さな花を咲かせる。
夕方近くになってお客様がいらした。今まで何度もここに来ているその御方を、金細工と象嵌があしらわれた豪奢な謁見用の椅子に腰掛けて出迎える。
「皇女アライシャさま。ご機嫌麗しく、こうしてお邪魔する無礼をお許しください」
「それで今日は何の御用でしょう」
目の前にひざまずいた凛々しい殿方を複雑な思いで見下ろす。わたしの声は自分でもそれとわかるほどよそよそしい。
「アライシャさまに謁見を賜りたく、こうしてまた参りました」
いつものように涼しい顔でその人は答えた。
こちらの殿方は王家の御子息にあらせられる。王位継承権のある人が、なぜ、命が尽きようとしているわたしなどを構うのか。その疑問をぶつけてみる。
「なぜここへいらっしゃるのですか」
「あなたにお会いするためです」
「ですからエルランド様に、なぜ、とお聞きしているのです」
「会いに来てはいけませんか?」
「ですから…もういいです」
らちがあかない。堂々巡りだ。疲れてしまったのでそれ以上追及するのは諦めた。
「今日はアライシャさまに珍しいものを持参したのですよ」
「珍しいもの?」
「はい」
控えていた従者から受け取ったそれを、エルランド様は恭しくわたしの前に差し出してみせる。それは今まで見たことがないものだった。
「これは…いったい…何でしょう」
「孔雀です」
「クジャク?あの、鳥の孔雀ですか?」
「はい。葉の形が孔雀の羽根に似ているからクジャク。これはその一品種の宵待孔雀(よいまちくじゃく)です」
そう言われて眺めてみれば、孔雀の羽根に見えなくもない。
「宵待孔雀の花は夜に咲くのです」
「夜に?」
「ええ。文字どおり宵のうちに開き始め、朝にはしぼんでしまう。一晩だけの花」
それは…ずいぶん儚い。一晩だけの命なんて。
そう思ったのも一瞬だけ、すぐにカッと血が登った。
「それはわたしへの当てつけですか?もうすぐ命が尽きるわたしへの」
何というひどい人なのだろう。
怒りのあまり我を忘れ、立ち上がろうとしたらクラっとめまいに襲われた。倒れようとする体を寸前で誰かに抱き止められた。その誰かの声がすぐそばでこう言った。静かな声だった。
「あなたはここにいる。私はあなたに会いたくてここに来ました。私と、この宵待孔雀の花を一緒に見ませんか。夜が明けるまで。朝が訪れるまで」
なんだか不思議なことを言われている気がする。そう思った。とにかく、非礼を詫びねば。
「はしたない真似をしてしまいました。どうぞお許しください」
「いいえ。あなたは悪くない。私が悪いのです」
「あの。もう大丈夫ですから」
急に、男性に抱かれている自分が恥ずかしくなった。体が熱いのは体調のせいだけじゃない。
「ああ、これは失礼。でも本当に大丈夫?」
「ええ。もう平気」
彼の腕から体を離し、肘掛けにつかまりながら椅子に戻る。
さてどうしよう。エルランド王子の提案は魅力的だ。一晩だけの花の命を、その花びらがほころびはじめる瞬間から終わりを迎えるまでをこの目で見届ける。そんな体験などなかなかできない。
しかし花が終わる朝までは長い時間だ。体力がもつかどうか自信がない。寝所で横になり、花を観察する自分の姿が浮かんだが、まさか殿方を寝室に迎え入れるわけにはいかない。
謁見室の隅でまるで影のようにひっそりと待機していたギリアスを呼び、どうしたらよいのか相談する。が、即座に反対されてしまった。
「いけません。一晩中起きているなど言語道断。ご自分のお体をもっとお大事になさっていただかないと」
「でもねギリアス。こんな機会はきっと二度とない。わたしは見てみたいの。お願いだから」
ギリアスはエルランド様を鋭く睨みつけた。きっと、余計なことを言う若造めと思っているに違いない。口に出さずともその目が雄弁に語っている。
尚も渋るギリアスをなんとか説得し、結局、別室にて、わたしのために横になれる長椅子が用意された。そこで彼とわたしは宵待孔雀のつぼみが開いていくのを一緒に見守ることにした。
白い花びらは向こうが透けてしまいそうに薄い。見ているとその花びらが徐々にゆっくり開いていくのがわかる。すると、香りに気づいた。花が開いていくにつれ、香りが濃くなっっていく。それは甘いだけじゃなくて、どこか官能的のものを感じさせる香りだ。
「一晩だけの花の命を短いと思いますか?」
彼の静かで穏やかな声が眠気を誘う。
「だってそうでしょう」
「そうでしょうか」
夜も更けてきた。花の香り。とろりと湿り気を含んだ夜気が頬を撫でる。
「短いと勝手に決めつけるのは私は違うと思う」
「なぜですか」
「この花は朝までの命であるとあらかじめ定められている。その寿命の中で精いっぱい美しく妖しく咲き誇らんとしている」
「妖しく?」
「はい。清楚な見かけにも関わらず、香りが官能的に過ぎる」
眠気が忍び寄ってくる。痺れたようにぼんやりし始めた頭で、この人はいったい何の話をしているのだろうと思った。
外がほのかに明るい。朝がそこまでやって来ている。
宵待孔雀の花はすでに満開だった。まだ終わらない。まだ花の命は尽きていない。でもわたしの眠気は限界に近づいている。それに体が熱っぽい。
「わたし、もう休みますのでそろそろ失礼を…」
「どうぞお休みください。今日は私の酔狂にお付き合いいただいてありがとう」
「いえ。こちらこそ。楽しかったです」
「またここに来ても構いませんか」
ええ是非、と無意識に言ってしまってから唇をぎゅっと噛んだ。
わたしったら何を言っているの。
来たければ勝手に来ればいい。
…わたしも…会いたいから。
注:宵待孔雀とはクジャクサボテンの一種。月下美人によく似た、ひと回り小さな花を咲かせる。
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