上 下
66 / 66
第二章:城塞都市クレイル

冒険者(9)

しおりを挟む
 ――ああ、これはもう助からへんな。

 レネ・フィルギヤは首元から流れ落ちる血が床に広がっていくのをぼんやりと見詰めていた。
 ブランカが治癒魔法の使い手を呼ぶ叫び声が遠くに聞こえる。
 アルフレッドは応急処置を続けてくれている。そのお陰でまだ意識を繋ぎ止められているが、治療は間に合いそうにない。そもそも瀕死の状態から回復させられるような高位の魔術師がクレイルには居るとは思えなかった。

 やはり死の運命からは逃れられないようだ。
 レネは間近に迫った死を前にして、スピカの言葉を思い出す。

『避けることはできるんだけど、でも避ける気がないような不思議な死相。もしかしたら納得尽くの死だったりするのかも』

 お気に入りの冒険者であるアンを見付けて声を掛けた時、一緒に居たのがスピカだった。一人で活動するアンには珍しく同行者が居たので最初から気になっていたが、初対面の相手に「死相が見える」と口にするような変人ですぐに気に入った。
 
 それでもアンが同行を許す相手で、死相が見える件についてアンは咎めはしても否定はしなかったことから、レネは真剣に受け止めるべきだと判断した。

 フィルギヤにとってレネの死は一つの状態変化に過ぎないが、また王都からクレイルまで移動するのは面倒である。それにブランカとは命を大切に扱う約束をしているので抗いもせず死を受け入れるわけにはいかない。
 レネは城塞都市まで連れてきた予備の私兵をすぐさま動員して、都市内の監視を強化した。護衛も倍の人数に増やして徹底的に守りを固めた。
 しかし事前交渉で再びスピカを顔を合わせると、死相が変わりなく見えていると改めて告げられたのだ。

 普通の行動、常識的な判断で崩せない運命であるのならば、普段は絶対にしないようなことをすればどうだろうか、と考えた結果、酒に酔っ払って突拍子もないアイディアを練ろうとしてみたりしたが、ロゼに白い目を向けられるだけで死相も気分も晴れることはなかった。
 ここまでやって回避できない死の運命とは果たしてどんなものなのか。
 むしろ楽しみにすらなってきた。
 そしてその時がやってきて――レネはようやく事前交渉の時にスピカから聞かされた言葉の意味を理解した。

 レネは顔を上げて、ロゼに目を向けた。
 顔面蒼白で罪悪感に塗れている。
 しかし無事だ。体のどこにも怪我は見当たらない。

 ロゼの生き残る結末こそが、レネの避けられない死だった。
 これは無駄死にではない。それを伝えるためにも最期の時間の使い道は決まった。

(すまんね、レナーテ……情報の抱え落ちして。次に会う時、ウチをあんまり怒らんでやってな、なんも覚えとらへんやろうし……)


    *


 襲撃を受けて最初から最後まで何もできなかった。
 そして今もロゼは何ができるわけでもなく、レネの傍に座り込んでいる。
 治療の心得がないのでアルフレッドの応急処置を手伝うこともできない。無力感に打ちひしがれて、段々と呼吸の浅くなるレネを見詰めるだけだ。

 床に広がるレネの血が、ロゼのスカートに染み込んでいく。
 あの時、室内に駆け抜けた突風――目には見えない風の刃が狙っていたのはロゼだった。
 レネが致命傷を負った原因は自分にある。その事実を直視するだけで罪悪感に押し潰されてしまいそうだ。

「ごほっ、ごほっ!」

 レネの口から濁った咳と共に血が吐き出される。
 凄惨な光景にロゼは体を丸めて頭を抱え込みそうになるが――最後の意地でそれを堪えた。責任から逃げてしまえば本当に何もかも失ってしまう。

「……ロゼ様」

 レネの手がロゼに向けて伸ばされる。
 その血塗れの手を取るのに躊躇いはなかった。血で汚れるのを気にせず両手で包み込むように握り締めた。

「レネさん、私のせいで……!」
「ちゃうで、敵はヘタこいたんや。長くはもたないし、しんどいんで手短に伝える。ローウェルも十分や」

 アルフレッドは短く嘆息すると、治療の手を止めてしまった。

「治療を続けてください! まだ治癒魔法が間に合えば――」
「ロゼ様、見てみい?」

 レネの身体が白緑びゃくろく色に淡く輝いていた。
 それは魔力光だった。その光景を目にしてようやくレネとレナーテの魔法について思い出した。

「言うたやろ、【双体魔法】で肉体を作っとるって。せやからなんも悲しむ必要はないで。ちょっとばかしお休みするだけの話や」
「肉体の死は、レネさんが亡くなるわけではないのですね」
「そういうこと、ほな時間がないからぱぱっと遺言を伝えるで」

 レネはいつもの胡散臭い微笑みを形作った。
 ロゼの強張っていた体から力が抜ける。
 致命的な失敗だったのには変わりない。大いに反省しなくてならないが、庇ってくれたのがレネだったのは不幸中の幸いだった。もしもリーサやアルフレッドであれば本当に命を落ちしていた可能性が高い。

「この襲撃は最初からウチ狙いやった。ロゼ様を庇おうと動くウチが本命ちゅうことや」
「……ですが、レネさんは殺しても死にません。厳戒態勢の城塞都市に忍び込む手練れにしては妙ではありませんか」
「問題はそこや、ウチが一時退場になるだけで十分やったとしたら?」

 ロゼは目を見開いた。

「すぐに次の動きがある、ということですね」
「大正解や。ウチはレナーテと繋がっとるから、すぐに情報を王都に伝えられる。それを避けたかったのかもしれへんな」
「待ってください。そうなると敵は目的を果たしたことになります。何も失敗していません」
「あちら視点ではその通りやな、せやけど最初から目標設定を誤っとったら成功しようがないんやで」
「どういう意味ですか?」

 レネは穏やかに微笑んだ。
 両手で握ったレネの手から力が抜けていく。
 仮初の肉体であると分かっても、死の気配に不安が込み上げてきた。

「この襲撃で確信したで……世界はまだロゼ様に気付いてへん……だから、どうぞご存分に」

 いつになく力強く見詰められて動揺する。
 その目には見覚えがあった。

「どうして、ですか?」

 戸惑いの言葉が口を衝いて出る。
 その目が意味することは分かっても、その目が自分に向けられる理由が分からない。

「ウチは知ってるんや……ロゼ様が才気を発揮した僅かな時間を……あの日々で目にしたロゼ様は輝いておられた。ウチはその光に王国の未来を視たんや」

 玉座に君臨する国王を見上げる臣下の目だ。
 父や兄弟姉妹が向けられるのを何度も見たことがある――その忠誠心を第三王女という肩書しか持たないロゼがレネ・フィルギヤに捧げられている。そして自らの命を厭わず庇う行動で嘘偽りがないことは証明されていた。

「……私は何も成し遂げていません」

 幼少期、神童と呼ばれていた――らしい。
 何故そう呼ばれていたのか本当に思い出せなかった。

「歳を重ねて失われる程度の才能ではございません。あれだけの才覚を失い、ほんで自覚できひんようなら、それも含めてロゼ様の計画やと思うとります」

 自分の記憶に答えを探そうとするが、やはりフィルギヤ商会が手を貸してくれる理由なんて一つも見当たらない。しかし、レネが命懸けで救ってくれた事実や、レナーテが最初から協力的だった理由に説明がついてしまう。
 ロゼはまるで長い夢の中に囚われているような気がした。
 王城のバルコニーから流星を目にしてから、これまでの代わり映えのない日々が嘘のように思える。

「最初の一歩はロゼ様自身のものだった。だからウチは協力者になったんや」

 レネの言葉にはっとする。
 そうだ。それだけは嘘ではない。
 誰に言われたから動いたのではなかった。
 理由もまともに説明でできないあやふやなものだけれど、ロゼ自身の意志で流星事変に関わった。未だに何ができるかは分からないが、これは自ら始めたことだ。

「レネさん、レナーテさん……私は最後まで自分の意志で進みます。あなた達の献身と忠誠に改めて感謝を致します」
 ロゼの覚悟が伝わったのか、レネは満足そうに微笑んだ。

「レネ嬢、私は貴女を誇りに思う」

 ブランカが跪いて、ロゼが握るレネの手とは反対の手を握っていた。

「あっははー、今回も大号泣してもええんやで」
「ふっ……この後、独りで小娘のように泣くとしよう」
「ブランカちゃんの泣き顔を見れないことだけが心残りやなぁ」

 握っていたレネの手が白緑の魔力光を放ち出した。
 魔力光は全身に広がっていき、床や服に染み込んだ血も光を帯びていく。やがてレネの肉体は完全に光となって溶けるように消え去った。
しおりを挟む
X(旧Twitter)アカウント
・更新予定や作品のことを呟いたりしてますので、良ければフォローをお願い致します
感想 4

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(4件)

しろいこ
2024.12.15 しろいこ

Tchって名前決まる前から魔王様からTchって発言出てるよ

喜多朱里
2024.12.15 喜多朱里

後から追記した部分で時系列を見落としていたようです。
ご指摘ありがとうございます。

解除
そえ。
2024.08.10 そえ。

つい一気読みしてしまうほど面白かったです。更新待ってます

喜多朱里
2024.08.11 喜多朱里

感想ありがとうございます。
更新頻度が落ちており申し訳ございません。
間が空いてしまいますが、必ず更新しますのでもう少々お待ち頂けると幸いです。

解除
ken
2024.06.12 ken

返事が届くとは思って無かったので感動です。
これからも色々とワクワクさせてください。

喜多朱里
2024.06.14 喜多朱里

応援ありがとうございます。
更新頻度はしばらく低速になるかと思いますが、
頑張っていきますのでよろしくお願い致します。

解除

あなたにおすすめの小説

貞操逆転世界の男教師

やまいし
ファンタジー
貞操逆転世界に転生した男が世界初の男性教師として働く話。

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

異世界帰りの底辺配信者のオッサンが、超人気配信者の美女達を助けたら、セレブ美女たちから大国の諜報機関まであらゆる人々から追われることになる話

kaizi
ファンタジー
※しばらくは毎日(17時)更新します。 ※この小説はカクヨム様、小説家になろう様にも掲載しております。 ※カクヨム週間総合ランキング2位、ジャンル別週間ランキング1位獲得 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 異世界帰りのオッサン冒険者。 二見敬三。 彼は異世界で英雄とまで言われた男であるが、数ヶ月前に現実世界に帰還した。 彼が異世界に行っている間に現実世界にも世界中にダンジョンが出現していた。 彼は、現実世界で生きていくために、ダンジョン配信をはじめるも、その配信は見た目が冴えないオッサンということもあり、全くバズらない。 そんなある日、超人気配信者のS級冒険者パーティを助けたことから、彼の生活は一変する。 S級冒険者の美女たちから迫られて、さらには大国の諜報機関まで彼の存在を危険視する始末……。 オッサンが無自覚に世界中を大騒ぎさせる!?

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

猛焔滅斬の碧刃龍

ガスト
ファンタジー
ある日、背後から何者かに突然刺され死亡した主人公。 目覚めると神様的な存在に『転生』を迫られ 気付けば異世界に! 火を吐くドラゴン、動く大木、ダンジョンに魔王!! 有り触れた世界に転生したけど、身体は竜の姿で⋯!? 仲間と出会い、絆を深め、強敵を倒す⋯単なるファンタジーライフじゃない! 進むに連れて、どんどんおかしな方向に行く主人公の運命! グルグルと回る世界で、一体どんな事が待ち受けているのか! 読んで観なきゃあ分からない! 異世界転生バトルファンタジー!ここに降臨す! ※「小説家になろう」でも投稿しております。 https://ncode.syosetu.com/n5903ga/

俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない

亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。 不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。 そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。 帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。 そして邂逅する謎の組織。 萌の物語が始まる。

勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス

R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。 そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。 最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。 そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。 ※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。