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第二章:城塞都市クレイル

冒険者(7)

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 慌てた様子のアンがスピカに耳打ちで――鎧兜の側頭部辺りに口元を寄せて――何かを囁いている。

 ――鎧が体の一部とはどういう意味だろうか?

 ロゼは少ない手掛かりから推測をしてみた。
 死に掛けていたスピカを拾ったと、アンは口にしていた。
 もしかしたら大怪我のせいで人前で肌を晒すのを極度に恐れるようになったとは考えられないだろうか。身長が高く金属鎧を纏っているから安易に男性だと判断したが、声の高さを考えれば大柄な女性である可能性もあるのだ。もっと言えば、アンがドワーフであるように、王国では亜人が少ないとはいえスピカが人間とは限らない。

 これまでの言動からスピカが隠し事に向いていないのは、初対面のロゼにも理解できるところだ。本来は開示する気のなかった情報をスピカが口を滑らせたので、アンの顔色は悪くなった――そう考えると矛盾なく繋がる。
 しかし、それにしてもアンの反応は過敏に思えた。あの時はさらりと流されてしまったので、無理に踏み込まないようにしたが、やはり詳しく訊き出しておくべきだったのだろうか。
 姿
 自分の想像に笑い声が漏れ出してしまい慌てて口元を押さえた。

「ロゼ様、どしたん?」
「いえ、少し可笑しな想像をしてしまって……」

 そもそも人族に見た目が似ている魔物は数多く居るが、精神性は魔物に変わりないので人族の中に溶け込むのは不可能だ。
 ロゼは口元を引き締め直した。

「スピカさんがお辛くないのであれば、そのままで構いませんよ」
「あー……そのー……実はっすね、脱げないのには理由があるっす」

 先程まで慌てふためいていたアンが深刻な顔で腕を組んだ。

「理由、ですか?」
「実は鎧を纏った状態で大火傷を負ったせいで、治療は間に合ったんすが、一部の皮膚と鎧が癒着して……」

 ぞくりと背筋に寒気が走った。
 精神的に脱げないのは想像できたが、物理的に脱げないのは予想外だった。
 スピカがうっかりと情報を漏らした時にアンが顔色を悪くしたのは、治療時に目にした悲惨な姿を思い出してしまったからなのかもしれない。ロゼ達に隠していたのもただの親切心であって、それ以上の理由はなかったのだろう。

「死に掛けを拾ったというのは、そういうことだったんですね」
「は、はいっ……そういうことっす。治療過程に謎の多い【治癒魔法】の弊害っすね。衛生面はなんとか保てているんで健康体ではあるっす」
「頑丈な体で便利だよ! ガシャンガシャンうるさいかもだけど、それは許してね」

 真実を知った後だとスピカの明るい振る舞いはその意味をがらりと変えた。
 自分に言い聞かせている言葉なのかもしれないが、すごい割り切りだ。鎧と皮膚が癒着するような大火傷を負って生き残っても、この明るさがなければ精神は持たなかっただろう。
 これだけの精神力を持つ協力者を得られるのであれば、アンの保証もあるので多少の非常識な行動には目をつぶることにした。

「少し長くなってしまいますが、今回の依頼に至るまでの経緯を話しておきますね」

 思わぬ脱線はあったが、ようやく本題に入ることができた。
 ロゼは流星事変の経緯を最初から説明した。
 特に今日あった出来事――マーテルの森であったことは詳しく説明して、二人の囚われた冒険者の存在を伝えた。
 政治的な問題など含めて説明すると、アンは厳しい顔をして、スピカは顔が見えないのが分からないが呑気な様子に変わりない。

「つまり私達に頼みたいのは、囚われた冒険者の救出ってことっすね」
「はい、その通りです」
「真正面から突っ込むのは危険だと思うっすけど、何か作戦はあるっすか?」

 ロゼは自信を持って頷き返す。
 ブランカとレネが中心になって考え出してくれた作戦なので、ロゼはその成功を疑わない。

「それでは依頼内容について説明を始めましょう」

 端的に言えば、囮を用いた救出作戦だ。
 北方未開拓地域の調査依頼で複数の冒険者パーティをマーテルの森周辺に送り込む。それぞれに別の目的地を設定することでマーテル派の監視を分散させる。【流星魔法】の影響調査という名目があり、正式依頼として発行するため疑ったところで裏はない。ついでに彼らの調査結果は魔法研究所に有効活用してもらう予定だ。

「理解したっす。北方の未開拓地域の調査に赴く振りをして森に入り込むってことっすね。囮役は正式な調査依頼で裏事情は聞かせずに動いてもらい、本命である私達が手薄になったマーテルの里に侵入、冒険者を救出する……細かい調整は必要になるかもしれないっすが、良い作戦だと思うっす」
「調査依頼を行う冒険者パーティも選定済みやで。万が一の時は柔軟に動いてくれる連中や」

 レネの補足にアンは頷いた。

「フィルギヤ副会長のお墨付きなら安心っすね」
「頑なに名前で呼んでくれへんね」
「……飲み過ぎっすよ、レネ副会長」
「まだ固さが残ってんで、アンちゃん」
「お二人共、続きをよろしいですか?」

 ロゼはレネとアンのやり取りに割り込んで説明を続ける。

「冒険者とは別枠でブランカさん――都市長と私はマーテルの里に交渉へ向かいます。これで大部分の注意は引くことができる筈です」
「協力していると気付かれたら、王国とマーテル派の関係は大丈夫っすか?」
「どちらにしろ冒険者の救出を行えば関係の悪化は避けられません。マーテル派は王国が関与していないと主張しても信じてはくれないでしょう」
「せやな、必要経費として割り切るしかないで」

 アンは瞼を閉じて考え込み始めた。
 フィルギヤ商会を始めとして引く手数多の実力者が、フリーでソロパーティを貫いているのにはそれなりの理由がある筈だ。政治的に深入りするのを避けたくて依頼を断られる可能性もあった。

「幾つか確認させてほしいっす」
「もちろんです。説明できることはすべて説明します」
「囚われている冒険者の詳細が知りたいっす」
「ウチがギルドに借りといたで」

 レネは冒険者ギルドの資料をテーブルに広げた。
 上級冒険者パーティ『燈火』に所属する4人の登録情報だった。種族や性別、パーティでの役割、簡易的な経歴が記されていた。

「一人は認識票で確定しとる」

 レネの指先が資料に記されたライの名前を叩いた。
 王国出身の男性魔術師だ。出身地のシンという地名に聞き覚えはなかった。恐らく辺境の生まれだろう。王国内とはいえ流石に村の名前までは把握できていなかった。

「もう一人は誰っすか?」
「女性というこまでしか分かっていません」

 一人はプリエナス共和国出身の斥候スカウトであるフェリス。
 もう一人はセフィロト教会の聖女であるフリーダ。
 囚われているのはフリーダであると確信していたが、根拠となっているのはただの勘であるため口には出せなかった。

「これだけ分かってれば救出後の作戦が色々と立てられるっす」
「ねえねえ、この二人ってもしかして残りの――」
「――スピカ、ちょっと黙ってるっす」
「はーい」

 スピカが余計な発言をしようとしたのか、アンによってすぐ止められた。
 今後は何を言おうとしたのだろうかと少し気になったが、真剣な様子でアンが次の質問に移ったので、訊き出す機会は失われてしまった。

「もう一つ確認したいのは、そもそも冒険者に依頼した理由っす。クレイルの戦力だけでもどうとでもなるっすよね」
「隠すつもりはありませんでしたが、その点が今回の核心になるので説明を後回しにしていました。ここから先を聞く場合、アンさんとスピカさんは依頼を断ったとしても一定期間、監視下に置かせて頂きます」
「それだけ重要ってことっすね。問題ないっす。クレイルにはもともと【流星魔法】の調査に来たっすから、少しでもその情報に近付けるならリスクは背負うっすよ」

 ロゼはアンの回答と、スピカの親指を立てたハンドサイン――了承ということでいいのだろうかとアンに目配せすると頷いてもらえた――を目にして話を続けた。

「マーテル派の裏に別の思惑を持った何者かが潜んでいる可能性が高いです」
「黒幕っすか……? マーテル派を操って、王国に何か陰謀を企てているってことっすか?」
「目的までは分かりません。ただマーテル派を束ねるアヴァド司祭は、冒険者の救出を望んでいる可能性が高いです」
「つまり捕まえた本人達が外部の手で解放させてほしいと望む状況こそが黒幕の存在を証明している……ということっすね」
「最初からクレイルと事を構えるつもりなら、黒幕はクレイルの戦力は把握してるでしょう。ですが、すべての冒険者を把握するのは現実的ではないです」
「冒険者は切り札とまではいかなくても、伏せ札にはなりえるっすね」
「この依頼、引き受けて頂けますか?」

 ロゼの最終確認に、アンはスピカに目配せした。

「スピカ、どうっすか?」
「ワクワクするね! もちろん参加するに決まってるよ!」
「遊びじゃないっすからね?」
「オイラはいつだって真剣だよ」
「……ということで、ロゼさん、引き受けるっすよ」

 二人の快諾に胸を撫で下ろす。
 知識のない分野は専門家の判断に委ねると決めたので、スピカに対して残る不安はなんとか呑み込んだ。

「それにしても、短い時間でこんな作戦を考えるなんて、キミたちってアンみたいに腐った頭をしてるんだね!」
「急に罵られたんやけど!? ん? いや、褒められてるん……?」

 レネと同じようにロゼもスピカの発言に戸惑っていた。文脈からすると『腐った頭』を称賛の表現として使っていると思うのだが、どう受け止めていいのか分からなかった。

「……あー申し訳ないっす、スピカの故郷では褒め言葉っす」
「確かに魂の故郷だね。褒めてるのは本当だよ、ゾンビみたいに腐った頭!」
「やっぱり罵ってるやろ!?」
「ええー褒めてるのにー」
「あの、アンさん……通訳をお願いできますか」

 アンは額から流れ落ちる汗を拭うと腕を組んで瞼を閉じた。

「ええと、そのっすね、スピカの故郷では、とある偉人の伝説があるっす。その者は死を迎えて尚も冴え渡る知恵を授けたと言われているらしいっす。まさしく肉体が朽ち果てるまで……そこから転じて、肉体が限界に迎えた状態でも思考する者――賢い者という意味で『腐った頭』という言葉が生まれたっす」
「なるほど、そのような由来があったのですね」

 口から出任せで言うには筋の通った逸話だった。考える時間はほとんどなかったので、本当の話である可能性が高そうである。
 ロゼは納得できたが、レネはまだスピカを睨み付けていた。

「ほんまかー?」
「ほんまやでー」
「真似するんやない」
「してへんでー」
「しとるやないか!」

 テンポの良いレネとスピカのやり取りにくすりと笑ってしまう。
 酔っ払っているせいでレネの精神幼児化が更に進んでいた。

「スピカ、レネ副会長に謝るっす。ついでに私にも」
「オイラが悪い流れなの!?」
「それについては満場一致やで」
「ロゼちゃんはオイラの味方だよね?」
「……あはは」

 ロゼは目を逸らした。

「うわーん、いじめだー!」
「力加減ー! 背骨ー! あばばばー!!」

 スピカの巨体に抱き締められたアンが抜け出そうともがいていた。微笑ましいじゃれ合いだ。二人はまだ出会って間もないようなのだが随分と打ち解けている。
 踊り続けたり、大きな魔導書をずっと抱えていたり、レネも知らない逸話を知っていたり――スピカは王国の文化圏から遠く離れた土地の出身であるのは確実だろう。まだ秘密は多いけれど人格面については問題ない気がした。

「明日に備えてそろそろ解散しましょうか」
「そうっすね、今夜は早目に寝たいっす」

 スピカに解放されて、アンはぐったりしていた。

「作戦決行は明日の正午なので、それまでは英気を養ってください。後ほど宿泊先に正式な依頼票を届けさせます」
「冒険者ギルドの向かいにある『踊る仔馬亭』に宿を取ってるっす」
「りょーかい、仲介はウチがやっとくで」

 ギルドから借り受けた書類を片付けるレネを残して、ロゼはアンとスピカが応接室から出ていくのを見送ろうと立ち上がった。

「んんー接触面がムズムズする」

 スピカの手が首元に伸びる。
 やはり鎧を脱げないせいで色々と不便な思いをしているようだ。

「スピカ!? ちょっと我慢をするっす!」
「大丈夫だって、流石にこんなところで首を取――」

 次の瞬間、背後から伸びるレネの手で引き寄せられて床に倒れ込む。
 顔を上げると、ロゼをかばうようにレネが杖を構えて立ち塞がっていた。

「さっきまで気配も感じんかった。何もんや?」

 レネの言動に酔いが感じられない。いつの間にか【解毒魔法】で酩酊状態を解除したようだ。
 背中越しに、扉の前に立つアンとスピカの方に目を向けると、衝撃的な光景が広がっていた。スピカの腕に抱えられていた魔導書が開いた状態で天井近くに浮いているのだ。

「杖を下ろしてほしいっす」
「アンちゃん、友達は選んだ方がええで?」
「彼女は仲間っす」
「ほーん、ね」

 アンが背負っていた巨大なハンマーを床に置く。腰に下げていた小振りのハンマーや懐に隠し持っていた短剣まで外していく。
 スピカもアンに急かされて同じように装備を外して床に並べた。
 武装解除で誠意を示されて、レネは杖を下げようとはしなかったが刺々しい空気は僅かに和らいだ。

「アンちゃんの口から説明はしてもらえるねんな?」
「誠意を示すために、わたしの口から説明させてもらえないだろうか」

 ロゼは目を見開く。
 声は魔導書から聞こえてきた。口や喉は見当たらないが魔術的な方法で声を出しているらしい。

「……最近の魔導書は喋るんやな」
「驚かせてしまい申し訳ない。本来はこの場で正体を明かす予定はなかったのだが、スピカくんのやんちゃが過ぎたのでね、監督責任者として謝罪をさせてもらいたい」

 魔導書は鳥の翼のようにページを開いて閉じてを繰り返して、ロゼ達の目線の高さまで下りてくると、ひらりと横向きになってぱたんと閉じた。どうやらお辞儀をしているつもりのようだった。

「わたしの名前はグリム・グリモワール。アンとスピカの協力者であり、三人目のパーティメンバーだ」
「三冊目の間違いじゃないかな……痛いっ!!」

 グリムと名乗った魔導書はスピカの頭上に移動して本の角を打ち付ける。小鳥が動物の身体に止まるように、そのまま鎧兜の上に落ち着いた。
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