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第二章:城塞都市クレイル

冒険者(5)

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 城塞の執務室にロゼの協力者が勢揃いしていた。
 マーテルの里の一件で陰謀の気配を感じ取ったレネの提案で、できる限り早く全員に情報共有を行うことになった。そのため冒険者救出作戦には直接の関わりがないアルフレッドとリーサにも参加を呼び掛けていた。

 最後にやってきたリーサが扉を閉めようとして途中で手を止める。
 ロゼが目を凝らすと扉の隙間から衛兵の狼耳が覗き見えた。
 リーサと衛兵の声を潜めた会話はすぐに終わった。扉を完全に閉め切ってから、リーサは足早にロゼとブランカのもとへやってくる。足をもつれさせて転びそうになるがなんとか踏み留まった。いつもならそのまま転んでいるところなので、体勢の立て直しの早さにリーサの焦燥を感じ取れた。

「来客がいらっしゃっています」
「こんな時間に? 約束はなかった筈だが……」

 夕暮れ時は都市長を公式に訪ねるには遅い時間だ。
 私的な訪問であれば事前に約束を取り付けるものだが、ブランカには思い当たる訪問客が居ないようだった。
 リーサはブランカの早合点に首を振った。

「それが、にお会いしたいと」

 執務室に緊張が走る。
 この場にはロゼの正体を知る者だけが揃っているので、クレイル内で通している『ロゼ』ではなく『ロザリンド』とわざわざ言い換えた意味を全員が理解できた。

「つまり第三王女である私に会いに来た人物がいらっしゃるのですね。その方のお名前は?」

 リーサの口が厳かに告げる名前に、ロゼは大きく目を見開いた。


    *


 ロゼは来客と二人だけで城塞で借り受けている客室に移動した。
 秘密裏の会談を開く機会を想定していたので、ロゼの客室には都市長の執務室と同等以上の応接間が用意されていた。
 来客を振り返り、その姿を目にすると溜息が漏れ出しそうになる。
 王都で何度か言葉を交わしたこともある相手なのに、顔を合わせるのは一向に慣れないままだった。

 “慈愛の聖女”エンジュ。
 彼女の白色の長い髪が窓から差し込む夕日にきらきらと輝いていた。セフィロト教会の信徒を示す深緑の法衣を身に纏って、優しげな糸目と常に浮かべる微笑みで二つ名を体現していた。
 溢れ出す母性に包み込まれてしまい、そのまま身を委ねてしまいたくなる。
 警戒していてもこの有り様なのだ。少しでも気を抜けば骨抜きにされてしまうだろう。十歳の頃に聖術【施されし慈愛】を授かり、二十年近く聖女として信徒を導いてきた実績も相まって彼女を聖母と呼ぶ者が居るのも頷けた。

「ロザリンド王女殿下、突然の訪問となった非礼をお詫び申し上げます」
「どうぞ頭をお上げください。朝と昼、二度も訪ねてくださったと聞きました。手間を掛けさせたのはこちらの不手際です」
「御身を表に出せない状況であることは重々承知しておりますので、どうか謝罪をお受け取りください。神樹に身を捧げておりますが、同時に私は王国の臣民でもあります」
「許します。なので公式の場ではないのですから、そう畏まらないでください。この場に居る私はただのロゼです」

 床に跪いたまま言葉を続けようとするエンジュに対面の椅子を示すと、感謝を告げて腰掛けた。何度も断るのは無礼に当たる――王族や貴族とのやり取りに慣れているのが伝わってくる。
 聖女は権力を持たない独立した地位に居るため、祭事を除けば政治的な場所に現れることはない。
 しかし聖女の中でエンジュだけは例外だった。権力の代わりに与えられる布教に関する自由裁量権を行使して多くの権力者と繋がっていた。

 セフィロト教会の上層部がエンジュの行動に気付いた頃には手遅れだった。彼女は余りにも権力者と繋がり過ぎた。エンジュの行動を制限しようとする司教や司祭は権力者によって逆に排除されてしまった。
 果たして、聖女の名声と絶大な権力を得たエンジュは何を為したのか?
 それはこれまで以上の善行だった。
 貧しきを救い、傲りを挫く――まさしく慈愛の体現者として精力的に活動した。
 力を持ち過ぎたエンジュを危険視する声は途絶えることはないが、誰も彼女の名誉を貶める言葉は持たなかった。

「この時、この場の謁見が今は最善だったと理解できます。これも神樹のお導きでしょう。先に私と言葉を交わしていれば、マーテル派との交渉は別の結末を迎えていたかもしれません」
「マーテル派との交渉まで聞き及んでいるのであれば、クレイルの状況を改めて説明する必要はないようですね」
「ロゼ様のお手を煩わせはしません。実のところ、私は数日前からクレイルの教会に滞在していたのです。ご挨拶に伺えず申し訳ございません」
「……そうだったのですね。エンジュさんは、どうしてクレイルに?」
「マーテル派です。先の流星群がクレイルとマーテル派の間に与える影響を危惧してやってきたのです」

 エンジュの放つ包み込むような空気に変化が起きた。
 まるで雄大な自然を相手にしているような、抗いようのない存在感に圧倒されてしまう。それは嘘偽り、その場限りの誤魔化し、あらゆる悪逆を拒絶する善意の発露だった。
 何も悪いことをしていないのに罪悪感を抱いてしまいそうになり、その罪悪感も浮かんではすぐに慈愛の微笑みに溶かされた。

「ロゼ様、不躾ながら単刀直入にお訊きします。マーテル派との一件、どのような落としどころを考えていらっしゃいますか」
「落としどころ、ですか?」
「言い換えましょう。これまで政治の場から身を引いていたロゼ様が、をどうかお聞かせ願えないでしょうか」
「……動いた理由」

 ロゼはハッとする。
 自分の行動が他人から見た場合は怪しく見えることを失念していた。
 あの日、夜闇を照らした【流星魔法】に王国の希望を見出した――ここまでロゼを突き動かした理由は自分のことながら妄言にしか聞こえなかった。
 どうにか上手に説明できないか悩んだが、誰もが納得するような名案は浮かばなかった。

「私はただ、動かなくてはならないと……そう思ったのです」

 黙ったままではいられず、なんとか絞り出した言葉は曖昧なものだった。
 しかし、その曖昧さはロゼの素直な気持ちでもあった。ロゼは自分を突き動かす想いの正体を未だに理解できていないのだ。

「王国のためにですか?」
「王族に名を連ねる者として、それは否定しません」
「善の形は様々です。クレイルとマーテル派の対立もその一つと言えるでしょう。神樹の“慈愛”がすべてに行き届くまでに取りこぼされる命があるのは事実です」

 エンジュは涙をはらりはらりとこぼれ落とす。

「ロゼ様の進む道は血塗られたものではないと祈ります」
「無用な犠牲を出すつもりはありません。信じるものは違っていても、本人が認めなくても、マーテル派の者達は私にとっては手を差し伸べるべき王国民ですから」
「……不敬ながら、ロゼ様の立場では、フィルギヤ商会や魔法研究所の者達の手綱を握るのは厳しいことでしょう」

 耳の痛い話だった。
 実績のないロゼがどれだけ言葉を重ねても説得力はなかった。

「すべてを思うとおりにはできません。フィルギヤ商会にはフィルギヤ商会にとっての利益を求めて協力をしてくださっているのでしょう。魔法研究所も未知の魔法を探求することこそが目的で、私の協力はついでというだけかもしれません」

 ロゼはぎゅっと拳を握り締める。

「それでも王国民を救いたいのは正直な気持ちです」
「安心を致しました。マーテル派に慈悲深い対応をどうかよろしくお願い致します」
「……最大限の配慮を約束します」
「ふふっ、ロゼ様は本当に正直でいらっしゃいますね」

 全身を包みこんでいた圧迫感が霧散して――その存在に初めて気付いた。
 途中から空気が変化したと思ったのだが、最初から存在していたのだ。息苦しさや居心地の悪さはなかったので、逆に交渉の場でありながら居心地が良すぎて、解放された後だからこそ違和感を見付けられた。
 これがエンジュの【施されし慈愛】と名付けられた聖術の一端なのだろう。交渉に用いれば交渉相手の気分を良くして望んだ言葉を引き出せる――表面上は誰も損をしていないので余計に厄介だ。

 聖術は信心深い信徒に神樹が授ける特別な力である。有り得ない想定だが、もしも悪意を持つ人間が持っていれば王国にとって大きな脅威になるだろう。
 エンジュは結局、ロゼの目的や立場を知りたかったようだ。それ以降は特に踏み込むような質問はされなかった。

「私はいつまでクレイルに残れるか分からないので、一つだけ個人的なお願いをしてもよろしいでしょうか」

 退室しようと立ち上がるエンジュが、思い出したように口を開いた。

「私にできることならよいのですが」
「もしも囚われている冒険者が“導きの聖女”……いいえ、フリーダさんであれば、彼女に伝えてもらえないでしょうか」
「伝言は構わないのですが、エンジュさんにとってフリーダさんは教会を離れた人間ですよね。思うところはないのですか」
「聖術を剥奪されない限りフリーダさんは聖女ですよ。セフィロト教会の最高位である樹皇じゅこうだとしても決して覆せません。神樹のご意志は絶対ですからね。それにあの年頃に自分探しの旅に出るなんて可愛らしいものでしょう」
「な、なるほど」

 聖女の出奔も聖母にしては、反抗期の娘が家出をしたようなものなのかもしれない。

「それでは、フリーダさんに何をお伝えすればよいでしょうか?」
「あなたの旅路に神樹の祝福を……ああ、ダメですね、こんな当たり前のことを言いたかったのではなくて……。遠慮せず教会を訪ねてください、誰もあなたの祈りを妨げたりはしません……これでは説教臭くなってしまいますね。……そうですね、やっぱりこれだけお伝えください」

 遍く世界に注がれる慈愛が、この瞬間だけたった一人に向けられた。

「――また一緒にお茶会をしましょう」


    *


 城塞を立ち去るエンジュを見送ったロゼが執務室に戻ると、ブランカ達はちょうど作戦会議を終えたところだった。
 レネが勢い良く扉を開いて出てくる。
 ロゼと目が合うと、立ち止まらずに言葉を残していった。

「ウチは先に行ってるから、リーサちゃんから説明を聞いといてな」
「どこへ向かわれるのですか?」
「冒険者ギルドや!」

 状況を把握できないでいると、リーサが歩み寄ってきて、冒険者ギルドへ向かう道すがら救出作戦について説明をしてくれた。
 ロゼは提案された救出作戦をそのまま受け入れた。
 北方を守り続けてきたブランカや搦め手を得意とするレネの考えた作戦であり、特に不満のある内容ではなかったので、戦略や戦術に疎い自分が口を挟む必要はないと判断した。

 夜を迎えた冒険者ギルドは依頼から戻った冒険者たちで大いに賑わっていた。
 冒険者の多くは刹那的な生活を送っているので、大抵の冒険者ギルドには酒場が併設されており、依頼を無事に達成したパーティはその日の内に報酬の大部分を散財する。
 まともな冒険者であれば暗闇に対する備えを怠らない。しかし準備万端だからといって、できるだけ避けたいのが夜の行動だ。日帰りの依頼であれば日が落ちる前に帰り着こうとするし、数日に渡る依頼であれば、日が落ちる前に野営の準備を始めるものだ。そのため夜の冒険者ギルドはいつだって喧騒に満ちている。

「ひゃっ!? 冷たい!?」

 喧騒に圧倒されて立ち尽くしていると、頬に硬く冷たい感触を押し付けられた。
 飛び上がるように振り返れば、レネがいたずらっぽい笑みを浮かべていた。その手にはガラス製のビアジョッキを握られており、なみなみとお酒が注がれていた。

「これから重要な交渉があるのに、どうして飲んでいるんですか」
「飲まずにはやってられへん時もあるんやで」

 レネは悪怯れることなく陽気に笑って酒を呷った。
 未だにレネという人物を掴み切れていない。理性的に振る舞ったかと思ったら、こうして好き勝手に暴れ回ることもある。まるで幼い子どものように不安定だ。
 交渉相手とは旧知の仲のようであるし、レネの人となりは把握されていることだろう。これまでもやるべきことはやっているので、レネを強くは咎められなかった。

「それにしても不用心やな、リーサちゃんはどうしたん? いや、ブランカちゃんが護衛を付けないのは許したりせえへんか」
「……はい、目立たないように付いて頂いております」

 ただでさえ冒険者らしくない装いのロゼは目立つので、たくさんの護衛を引き連れて会いに行けば交渉相手に威圧感を与えてしまうと考えて離れてもらっていた。情報収集も兼ねて顔馴染みの冒険者と話をしているが、いつでも動けるように警戒を緩めていない。
 道中で作戦を説明をしてくれたリーサについては、マーテルの森で採取した植物標本の調査にアルフレッドと共に取り掛かってもらっていた。

「対等を演出するのも大事やね」
「それでレネさんの推薦する冒険者はどなたでしょうか?」

 隅に座って黙々と料理を楽しむ一匹狼、大声で武勇伝を語るお調子者、武勇伝に瞳を輝かせて聞き入る新人、飲み比べ勝負で泥酔して床に転がる敗北者、仕事上がりのギルドの受付嬢を口説こうとして呂律が回らない酔っ払い、そんな挑戦者を囃し立てて賭けを行う常連客――冒険者ギルドの夜は王城に引きこもっていたロゼにとって目新しい光景だった。
 混沌の中で特に目立っているのは全身甲冑の冒険者だ。大きく分厚い本を片手にテーブルの上で華麗に舞い踊っている。ロゼが装備したらまともに身動きを取れそうにない重鎧で軽業師のような動きを見せていた。

「なんでしょうか、アレは……」

 踊る鎧を取り囲む冒険者達がげらげらと手を叩いて笑っている。
 慣れない空気に引いているロゼには笑えなかったが、なんとなく笑える光景なのは理解できた。
 突き立てた剣をポールに見立ててセクシーダンスを披露する鎧兜――字面だけで凄まじい衝撃だ。それも王族として多くの芸術を目にしてきたロゼをも唸らせる技量なのだから大したものだ。

「擦れ違った面白い冒険者っていうのが――」
「――アレですか」
「それから鎧ちゃんを引きずりおろそうとしているのが、王国内で名の知れた冒険者だ。その名も“不死身”のアン。本人は“二つ無し”の方が気に入っているみたいやけどね」
「二つ無し……?」
「見たまんま」

 アンは小柄で可愛らしい女性だった。
 鮮やかな赤髪は振り回されてもさらりと整うので、よく手入れされているのが分かる。身の丈を超えるハンマーを背負っていなければ一目には冒険者と気付けはしないだろう。
 しかし、それよりも物々しい特徴があるのに気付いた。彼女は幼顔に似付かわしくない眼帯で右目を覆っていたのだ。

「片目がない……?」
「それだけやないで。腕、足も片方だけや」

 言われて確認すれば、手足の装備が左右で異なっている。動きに違和感がないので言われなければ気付けないだろう。
 眼帯、義手、義足――二つあるべきものが揃っていない。蔑称を好むとは思えないので、きっと二つ無しというのは、並ぶものがないほどに優れているという意味の言葉も掛けているのかもしれない。

「冒険者として優秀なんやけど、本職は錬金術師。あとは鍛冶師も兼ねてるで」
「なるほど、作成する道具や武器に対しての“二つ無し”なのですね」
「実にウチ好みやろ」

 自分自身に“二つ無し”と付けるのは実力主義の冒険者であっても傲慢に思えたが、それならしっくりきた。職人が自分の作品を誇るのはむしろ責任感の表れだ。

「アンさんが推薦の人物ということですよね」
「せやで」
「ソロだったのでは」
「なんや増えとるなー」
「……今からあそこへ?」

 レネが頷くのを目にして首を横に振った。そうしたら首を振り返されてしまった。

「お偉方にはついて行けへん?」

 アレが一般的な冒険者の乗りだとするならついて行けないと断言できる。
 しかし相手がどんな変人であろうとも、レネの推薦する人材なら間違いはないだろう。ないだろうか。ないと信じたい。

「事前に話は通してある、あとはロゼ様の腕の見せ所や」

 レネは肩をぽんぽんと叩いて、すべてをロゼに託すと立ち去っていく。
 覚悟を決めるために大きく深呼吸をする。冒険者ギルドに満ちる酒の臭いにむせ返って涙が染み出した。
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