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第二章:城塞都市クレイル
冒険者(4)
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青空が茜色に染まり出す。
マーテルの里へ交渉に赴いたロゼとブランカの率いる一行は城塞都市に帰還を果たした。
交渉は望んだ形にはならなかったが、大人数で未開拓地域に足を踏み入れて全員無事に戻れたのは喜ばしい結果だった。
「寄り道をしたとはいえ、遅くなってしまいましたね」
「王女――いえ、ロゼ様の手を煩わせてしまい申し訳ございません」
ロゼは頭を下げるブランカと護衛達に慌てて首と手を振った。
「誰にでも得意不得意はありますから!」
帰り道の道中で、一行は王立研究所の調査員であるアルフレッドとリーサから頼まれていた植物の採取を行った。
大規模な魔法が発動された時、魔法的な影響を動植物の変化から読み取れる場合がある。未だに謎の多い【流星魔法】の真実に迫るため、魔素の変化に敏感な植物を調べることになったのだ。
リーサの用意した植物図鑑は、精巧な植物画と生息地の詳細が記載されていたので素人だけの一行でも問題なく目的の植物を見付け出せた。
問題が起きたのは採取の段階だった。
都市長も含めて武人気質の獣人達の手は植物相手には無骨に過ぎた。根や葉を傷付けずに採取できるようになるまで時間が掛かった。ただ彼らも繊細な武術を身に付けた一流の戦士であるため、慣れてしまえばそこからは早かった。
慣れるまで王女任せになったことを臣下の立場から悔いているようだったが、ロゼにとっては珍しく役立てる機会だったので内心では喜んでいた。
「森の中に長く居たせいか、街の中がとても賑やかに感じられますね」
重く分厚い門が開かれていき、城壁に押し込められていた喧騒が溢れ出す。
ロゼは改めて文明の中に生きる自分を意識した。
自然と調和を志すマーテル派にとっては、目の前に広がる光景こそが王国と相容れない象徴なのかもしれない。
「ロゼ様、ブランカちゃん、おかえりなさい」
北門の内側で待っていたレネが、にっこりと笑顔で出迎えてくれた。
都市長を気安く呼んでも門番や護衛達に咎める様子はない。ブランカ自身が許しているのは知っていたが、レネの存在はクレイルでは受け入れられている――より正確に言えば諦められているようだった。
狼耳がぴくぴくと震える年配の門番に、ロゼはレネに代わって頭を下げておいた。
「ほうほう、これだけあれば十分やな」
レネは馬車の荷台に積まれた植物に目を通すと満足そうに頷いた。
傍に控えていたフィルギヤ商会の職員はレネの指示を受けて、植物を丁重に運び出していく。すぐにアルフレッドとリーサの元へ届けるようだ。
「それが目的で門の前までいらっしゃっていたのですね。レネさんが、レナーテさんでもあるというのを実感できました」
商売人として利益重視を掲げていても、魔法研究所の室長を自ら務めるぐらいなので、フィルギヤ副代表は魔法研究自体が好きなのだろう。
「レナーテの研究成果を共有されるのはいつも楽しみにしてるで。せやけど、つれない言い方やなー。ウチはロゼ様とブランカちゃんに少しでも早く会いたかっただけなんやで」
「にやにや笑って言われても説得力はありませんよ。植物よりも優先したいものがあるからこの場に残っているのですよね」
レネはきょとんとしたが、すぐに声を上げて笑い出した。
「ロゼ様はほんまいけずやわ」
「例えばマーテルの森で手に入れた情報を逸早く聞きたかったというのは、どうでしょうか?」
「ふふっ……くふぅっ、んもう、そんなに笑わせんといて!」
少しずつだけどレネ(レナーテ)との接し方が分かってきた気がする。
回りくどい言い方でも直截的な言い方でも構わないが、本音を伝えた方が良さそうだ。それに少しでも無能ではないことを証明し続けなければ、あっという間に興味を失われてしまうような気がした。
「はぁぁ、どんどんウチ好みになって、困ってまう」
「必死ですので」
レネの笑顔がすっと消え失せた。
「せやね、おだてたぐらいで勘違いされたらほんまに困ってまうわ」
間近で見詰められて、ロゼの背筋が凍りつく。
フィルギヤ商会の目的は未だに掴めていないので、やはり彼女の前では一切の油断をできない。協力者ではあっても無条件の仲間ではないのだ。
「レネ嬢」
「……過保護やねー」
ブランカの鋭い声に、レネは見慣れた人好きのする笑顔を形作った。
「こないなところで立ち止まっとったら邪魔になるし、歩きながら話そか」
返事を待たずに歩き出すレネに、ブランカが盛大な溜息をついた。
「長い付き合いのブランカさんも振り回されるのには慣れませんか」
「身勝手な振る舞いには慣れていますよ。ただ悪気もなくやってしまうことに呆れています」
「……わがままとは違うのでしょうか」
「ええ、計算でやっています」
「恐ろしい方ですね」
「充分にお気を付けください。レネ嬢は悪人ではありませんが、底無しの人でなしです」
「もっと酷いような……」
「ロゼ様の言うとおり長い付き合いですから」
ブランカの苦笑には、レネに対する親しみを感じ取れた。
辺境伯の爵位をブランカが継いだのは五年ほど前だ。成人――王国では15歳を迎えた者――となり、為政者としての実績を積む期間を考えれば若くても三十代にはなっている。若々しい外見のレネも話を聞く限りでは30歳を過ぎているので、二人は恐らく同世代だ。
執務室に入って来た時のレネの振る舞いや、これまでのやり取りを思い出すと、ブランカのレネに対する悪人ではないという評価が腑に落ちる。仕事の繋がりだけではないのは察していたが、ロゼが想像している以上に二人の間には深い繋がりがありそうだ。
「お二人さん遅いで! どないしたんー!?」
レネが痺れを切らして大声で呼び掛けてくる。
「可愛気があるでしょう」
「ふふ、そうですね」
油断はできないが、もしかしたらそこまで警戒をする必要はないのかもしれない――ふとした瞬間にそう思えてしまうのは、レネの術中にはまっているのだろうか?
ブランカに続いてレネの元へ向かおうとして足を止めた。
頭の中で言葉を繰り返す。
同世代。三十代。
レネ・フィルギヤ。
あるいは、レナーテ・フィルギヤ。
「ロゼ様もぼっーっとしとらんで、行くでー!」
「は、はいっ!」
レネの催促に慌てて駆け出す。
違和感を覚えなかったのでこれまで深く考えていなかったが、レネの振る舞いは外見に相応しいものであるが、やはり実年齢に対しては若過ぎる振る舞いのように思えた。
*
「それでマーテル派はどうやった? まぁ帰り着いた時の顔色を見て大体の察しはついとるけど」
ロゼはレネに並んで大通りを歩きながら、マーテルの里であったことをかいつまんで説明する。
話を聞いている内に、レネの表情はどんどん険しくなっていった。
「その司祭、えらい奥歯に物が挟まったような言い方をするね。聞く限り腹芸をできひんわけやないやろ? まるで誰かに脅されとるみたいやな」
「……脅されている」
「もっと言うたら監視されとるゆうことや」
「気付かれないように何かを伝えようとしていたということですか」
「可能性の話やで」
アヴァド司祭は何を伝えたかったのか。
囚われた冒険者の居場所を暗に示したり、マーテル派の決定した実質的な死刑は覆られないことを教えてくれた。
「交渉の余地がないのに話を引き伸ばしたんは、何か目的があった筈や。実は囚えた冒険者を救ってほしいと考えとるかもしれへんよ?」
「――ッ!!!!」
レネの冗談めかした一言は、ロゼを驚愕に打ち震えさせた。
城塞都市クレイルとマーテル派は対立関係にある。それが大前提であり、アヴァドの振る舞いを推理する上での出発点だった。
「前提そのものが間違いだったとしたら? もしそうであれば……」
「恐い顔してぶつぶつ呟いとるけど、どうしたん?」
「レネさん、ブランカさん、今すぐに救出作戦を立てましょう!」
「いきなりやね!?」
これまでに積み上げてきた考察が土台から崩れ去ると視界が一気に開けた。
マーテルの里を出る直前に話した見張りとの会話で覚えた違和感も合わせると、この状況を作り上げた黒幕の姿が浮かび上がってくる。
「おおっ、何か気付いたみたいやね」
「アヴァド司祭の真意がお分かりに?」
喜色を浮かべる二人に迫られて、ロゼは自信を失ってしまう。
「あ、いえ……私の思い込みかもしれませんので……」
「この状況の突破口と成り得るのであれば、どんな小さな情報でも構いません。ロゼ様のお気付きになったことをお聞かせください」
「……レネさんが言ったとおりです。マーテル派の総意ではありませんが、少なくともアヴァド司祭は『燈火』の冒険者を救い出してほしいと考えているのではないでしょうか」
「ブランカちゃん、そこんとこどうなん? 黒狼族は昔馴染みやろ」
「種族間の交流が断たれてからどれだけの時が経ったとお思いですか」
「直接言葉を交わした印象としては?」
「信仰に殉じる者……本物の聖職者でしょうね」
「筋金入りのマーテル派とは恐れ入った。ウチが苦手な種類の御仁やね。自分っちゅうもんを持っとると求めるもんは分かりやすいけど、用意するのが難しいものばかりや」
ブランカのアヴァド司祭に対する人物評はロゼも概ね同意だった。
レネが言うように交渉相手と考えれば難敵だが、今回の問題については信仰心を打ち崩す必要はない。
ロゼの閃きが正しいのであれば、アヴァド司祭は味方だ。
交渉の場ですべての手札を曝け出した瞬間、アヴァドはロゼに対する態度を軟化させた。あの時は憐れみと慈悲の心で接しているのだと思っていたが、もしもアヴァドがロゼを味方だと判断したのがあの瞬間だったとしたら?
冒険者の背後にもっと大きな力が動いている――単純に王国の権力を示唆する言葉だと思っていたが、今となってはその言葉に含まれる意味も変わってくる。
恐らくアヴァド司祭は裏側の一端に気付いている。誰を味方にして良いのか分からない状況で抗っていたのだ。
「アヴァド司祭は冒険者に残された時間は限られていると口にしていました。居場所と時間制限、マーテル派の立ち位置――さりげなく表面上の会話に忍ばせて情報を伝えてくれました。私達の立場がどのようなものなのか探るのを同時並行に行っていた……だから結論が決まっていた筈の交渉が長引いたのではないでしょうか」
レネが目を細める。
「推測ばかりみたいやけど、賭けるには値する可能性かな」
「いずれにしろ動くには作戦が必要になります。相手の陣地に正面突破は無謀ですからね」
レネとブランカは乗り気だった。
ロゼもまた自分の考えを言葉にしている内に自信が持てるようになり、今度は怯まずに二人の期待を受け止められた。
「いっそ冒険者を巻き込むのはどうやろ?」
「ですが、冒険者ギルドは政治に不介入では」
「言い訳次第やね」
レネはにやりと笑い、ブランカは苦笑を浮かべた。
「クレイルの正規兵や常駐している冒険者はマーテル派に顔を覚えられている可能性が高いので、できれば新顔に頼みたいところですね。皮肉な状況ですが、【流星魔法】のお陰で街は賑わっています」
「実はウチが目を付けてた冒険者がこの都市にやって来たばかりなんや。腕も口も信用できる貴重な人材やで」
「レネ嬢の推薦となると高く付きそうですね」
「残念やけど完全無所属のソロ冒険者や」
ブランカが目を丸くした。
「珍しいですね。貴女が口説き落とせなかったのですか」
「金儲けも名誉も興味ない頑固ちゃんだったんよ」
「ほう、それは信用できそうです」
「せやろ? ウチの専属にできたらなー……ほんまに何が好きなんやろ、アンちゃん」
話をしていると内側の城門まで辿り着いていた。
「……お二人が何も言わないので心配はないと思うのですが、こんな街中で裏の事情を話しても大丈夫なのでしょうか」
「ブランカちゃんもウチのところも抜かりないで。聞き耳立てる奴が出てくるならむしろ大歓迎や。分かりやすくてありがたいぐらいやで」
都市内であれば防諜の備えがあるので、喧騒に紛れて歩きながら話すのが一番安全ということらしい。
言われてみれば王城の政争では密会の場を用意するよりも、表と裏の場を一致させて怪しまれないように振る舞う貴族が多かった。こっそりと会うなんてことは地位を持つ人間には不可能で、密談の内容はいつか絶対に漏れる。
「余所者に対する備えなので、身内に入り込まれていれば手遅れですがね」
肩を竦めるブランカに、レネが急に吹き出した。
「レネ嬢、どこに笑いどころがあったのかな」
「ちゃうで、思い出し笑いやで! 余所者というか新顔の冒険者に面白いのがおってな、長身で全身甲冑を纏っとるのに魔導書を抱えとったんや。せやけど腰に剣も下げてて、パーティでどんな役割なんやろか」
「あべこべですね」
冒険者に詳しくないロゼでも違和感を覚える装備の組み合わせだ。
「擦れ違った時にその冒険者から面白いことを言われたよ」
「その方は何を仰ったんですか?」
「ウチに死相が見えたらしいで」
「面白いこと……?」
「ははっ、ウチは大爆笑やった」
「笑い事ではないですよね!?」
戸惑うロゼの肩をブランカの手が叩いた。
振り返れば無言で首を横に振られる。
少しだけ理解できたかに思えたが、レネあるいはレナーテの謎は深まるばかりだった。
マーテルの里へ交渉に赴いたロゼとブランカの率いる一行は城塞都市に帰還を果たした。
交渉は望んだ形にはならなかったが、大人数で未開拓地域に足を踏み入れて全員無事に戻れたのは喜ばしい結果だった。
「寄り道をしたとはいえ、遅くなってしまいましたね」
「王女――いえ、ロゼ様の手を煩わせてしまい申し訳ございません」
ロゼは頭を下げるブランカと護衛達に慌てて首と手を振った。
「誰にでも得意不得意はありますから!」
帰り道の道中で、一行は王立研究所の調査員であるアルフレッドとリーサから頼まれていた植物の採取を行った。
大規模な魔法が発動された時、魔法的な影響を動植物の変化から読み取れる場合がある。未だに謎の多い【流星魔法】の真実に迫るため、魔素の変化に敏感な植物を調べることになったのだ。
リーサの用意した植物図鑑は、精巧な植物画と生息地の詳細が記載されていたので素人だけの一行でも問題なく目的の植物を見付け出せた。
問題が起きたのは採取の段階だった。
都市長も含めて武人気質の獣人達の手は植物相手には無骨に過ぎた。根や葉を傷付けずに採取できるようになるまで時間が掛かった。ただ彼らも繊細な武術を身に付けた一流の戦士であるため、慣れてしまえばそこからは早かった。
慣れるまで王女任せになったことを臣下の立場から悔いているようだったが、ロゼにとっては珍しく役立てる機会だったので内心では喜んでいた。
「森の中に長く居たせいか、街の中がとても賑やかに感じられますね」
重く分厚い門が開かれていき、城壁に押し込められていた喧騒が溢れ出す。
ロゼは改めて文明の中に生きる自分を意識した。
自然と調和を志すマーテル派にとっては、目の前に広がる光景こそが王国と相容れない象徴なのかもしれない。
「ロゼ様、ブランカちゃん、おかえりなさい」
北門の内側で待っていたレネが、にっこりと笑顔で出迎えてくれた。
都市長を気安く呼んでも門番や護衛達に咎める様子はない。ブランカ自身が許しているのは知っていたが、レネの存在はクレイルでは受け入れられている――より正確に言えば諦められているようだった。
狼耳がぴくぴくと震える年配の門番に、ロゼはレネに代わって頭を下げておいた。
「ほうほう、これだけあれば十分やな」
レネは馬車の荷台に積まれた植物に目を通すと満足そうに頷いた。
傍に控えていたフィルギヤ商会の職員はレネの指示を受けて、植物を丁重に運び出していく。すぐにアルフレッドとリーサの元へ届けるようだ。
「それが目的で門の前までいらっしゃっていたのですね。レネさんが、レナーテさんでもあるというのを実感できました」
商売人として利益重視を掲げていても、魔法研究所の室長を自ら務めるぐらいなので、フィルギヤ副代表は魔法研究自体が好きなのだろう。
「レナーテの研究成果を共有されるのはいつも楽しみにしてるで。せやけど、つれない言い方やなー。ウチはロゼ様とブランカちゃんに少しでも早く会いたかっただけなんやで」
「にやにや笑って言われても説得力はありませんよ。植物よりも優先したいものがあるからこの場に残っているのですよね」
レネはきょとんとしたが、すぐに声を上げて笑い出した。
「ロゼ様はほんまいけずやわ」
「例えばマーテルの森で手に入れた情報を逸早く聞きたかったというのは、どうでしょうか?」
「ふふっ……くふぅっ、んもう、そんなに笑わせんといて!」
少しずつだけどレネ(レナーテ)との接し方が分かってきた気がする。
回りくどい言い方でも直截的な言い方でも構わないが、本音を伝えた方が良さそうだ。それに少しでも無能ではないことを証明し続けなければ、あっという間に興味を失われてしまうような気がした。
「はぁぁ、どんどんウチ好みになって、困ってまう」
「必死ですので」
レネの笑顔がすっと消え失せた。
「せやね、おだてたぐらいで勘違いされたらほんまに困ってまうわ」
間近で見詰められて、ロゼの背筋が凍りつく。
フィルギヤ商会の目的は未だに掴めていないので、やはり彼女の前では一切の油断をできない。協力者ではあっても無条件の仲間ではないのだ。
「レネ嬢」
「……過保護やねー」
ブランカの鋭い声に、レネは見慣れた人好きのする笑顔を形作った。
「こないなところで立ち止まっとったら邪魔になるし、歩きながら話そか」
返事を待たずに歩き出すレネに、ブランカが盛大な溜息をついた。
「長い付き合いのブランカさんも振り回されるのには慣れませんか」
「身勝手な振る舞いには慣れていますよ。ただ悪気もなくやってしまうことに呆れています」
「……わがままとは違うのでしょうか」
「ええ、計算でやっています」
「恐ろしい方ですね」
「充分にお気を付けください。レネ嬢は悪人ではありませんが、底無しの人でなしです」
「もっと酷いような……」
「ロゼ様の言うとおり長い付き合いですから」
ブランカの苦笑には、レネに対する親しみを感じ取れた。
辺境伯の爵位をブランカが継いだのは五年ほど前だ。成人――王国では15歳を迎えた者――となり、為政者としての実績を積む期間を考えれば若くても三十代にはなっている。若々しい外見のレネも話を聞く限りでは30歳を過ぎているので、二人は恐らく同世代だ。
執務室に入って来た時のレネの振る舞いや、これまでのやり取りを思い出すと、ブランカのレネに対する悪人ではないという評価が腑に落ちる。仕事の繋がりだけではないのは察していたが、ロゼが想像している以上に二人の間には深い繋がりがありそうだ。
「お二人さん遅いで! どないしたんー!?」
レネが痺れを切らして大声で呼び掛けてくる。
「可愛気があるでしょう」
「ふふ、そうですね」
油断はできないが、もしかしたらそこまで警戒をする必要はないのかもしれない――ふとした瞬間にそう思えてしまうのは、レネの術中にはまっているのだろうか?
ブランカに続いてレネの元へ向かおうとして足を止めた。
頭の中で言葉を繰り返す。
同世代。三十代。
レネ・フィルギヤ。
あるいは、レナーテ・フィルギヤ。
「ロゼ様もぼっーっとしとらんで、行くでー!」
「は、はいっ!」
レネの催促に慌てて駆け出す。
違和感を覚えなかったのでこれまで深く考えていなかったが、レネの振る舞いは外見に相応しいものであるが、やはり実年齢に対しては若過ぎる振る舞いのように思えた。
*
「それでマーテル派はどうやった? まぁ帰り着いた時の顔色を見て大体の察しはついとるけど」
ロゼはレネに並んで大通りを歩きながら、マーテルの里であったことをかいつまんで説明する。
話を聞いている内に、レネの表情はどんどん険しくなっていった。
「その司祭、えらい奥歯に物が挟まったような言い方をするね。聞く限り腹芸をできひんわけやないやろ? まるで誰かに脅されとるみたいやな」
「……脅されている」
「もっと言うたら監視されとるゆうことや」
「気付かれないように何かを伝えようとしていたということですか」
「可能性の話やで」
アヴァド司祭は何を伝えたかったのか。
囚われた冒険者の居場所を暗に示したり、マーテル派の決定した実質的な死刑は覆られないことを教えてくれた。
「交渉の余地がないのに話を引き伸ばしたんは、何か目的があった筈や。実は囚えた冒険者を救ってほしいと考えとるかもしれへんよ?」
「――ッ!!!!」
レネの冗談めかした一言は、ロゼを驚愕に打ち震えさせた。
城塞都市クレイルとマーテル派は対立関係にある。それが大前提であり、アヴァドの振る舞いを推理する上での出発点だった。
「前提そのものが間違いだったとしたら? もしそうであれば……」
「恐い顔してぶつぶつ呟いとるけど、どうしたん?」
「レネさん、ブランカさん、今すぐに救出作戦を立てましょう!」
「いきなりやね!?」
これまでに積み上げてきた考察が土台から崩れ去ると視界が一気に開けた。
マーテルの里を出る直前に話した見張りとの会話で覚えた違和感も合わせると、この状況を作り上げた黒幕の姿が浮かび上がってくる。
「おおっ、何か気付いたみたいやね」
「アヴァド司祭の真意がお分かりに?」
喜色を浮かべる二人に迫られて、ロゼは自信を失ってしまう。
「あ、いえ……私の思い込みかもしれませんので……」
「この状況の突破口と成り得るのであれば、どんな小さな情報でも構いません。ロゼ様のお気付きになったことをお聞かせください」
「……レネさんが言ったとおりです。マーテル派の総意ではありませんが、少なくともアヴァド司祭は『燈火』の冒険者を救い出してほしいと考えているのではないでしょうか」
「ブランカちゃん、そこんとこどうなん? 黒狼族は昔馴染みやろ」
「種族間の交流が断たれてからどれだけの時が経ったとお思いですか」
「直接言葉を交わした印象としては?」
「信仰に殉じる者……本物の聖職者でしょうね」
「筋金入りのマーテル派とは恐れ入った。ウチが苦手な種類の御仁やね。自分っちゅうもんを持っとると求めるもんは分かりやすいけど、用意するのが難しいものばかりや」
ブランカのアヴァド司祭に対する人物評はロゼも概ね同意だった。
レネが言うように交渉相手と考えれば難敵だが、今回の問題については信仰心を打ち崩す必要はない。
ロゼの閃きが正しいのであれば、アヴァド司祭は味方だ。
交渉の場ですべての手札を曝け出した瞬間、アヴァドはロゼに対する態度を軟化させた。あの時は憐れみと慈悲の心で接しているのだと思っていたが、もしもアヴァドがロゼを味方だと判断したのがあの瞬間だったとしたら?
冒険者の背後にもっと大きな力が動いている――単純に王国の権力を示唆する言葉だと思っていたが、今となってはその言葉に含まれる意味も変わってくる。
恐らくアヴァド司祭は裏側の一端に気付いている。誰を味方にして良いのか分からない状況で抗っていたのだ。
「アヴァド司祭は冒険者に残された時間は限られていると口にしていました。居場所と時間制限、マーテル派の立ち位置――さりげなく表面上の会話に忍ばせて情報を伝えてくれました。私達の立場がどのようなものなのか探るのを同時並行に行っていた……だから結論が決まっていた筈の交渉が長引いたのではないでしょうか」
レネが目を細める。
「推測ばかりみたいやけど、賭けるには値する可能性かな」
「いずれにしろ動くには作戦が必要になります。相手の陣地に正面突破は無謀ですからね」
レネとブランカは乗り気だった。
ロゼもまた自分の考えを言葉にしている内に自信が持てるようになり、今度は怯まずに二人の期待を受け止められた。
「いっそ冒険者を巻き込むのはどうやろ?」
「ですが、冒険者ギルドは政治に不介入では」
「言い訳次第やね」
レネはにやりと笑い、ブランカは苦笑を浮かべた。
「クレイルの正規兵や常駐している冒険者はマーテル派に顔を覚えられている可能性が高いので、できれば新顔に頼みたいところですね。皮肉な状況ですが、【流星魔法】のお陰で街は賑わっています」
「実はウチが目を付けてた冒険者がこの都市にやって来たばかりなんや。腕も口も信用できる貴重な人材やで」
「レネ嬢の推薦となると高く付きそうですね」
「残念やけど完全無所属のソロ冒険者や」
ブランカが目を丸くした。
「珍しいですね。貴女が口説き落とせなかったのですか」
「金儲けも名誉も興味ない頑固ちゃんだったんよ」
「ほう、それは信用できそうです」
「せやろ? ウチの専属にできたらなー……ほんまに何が好きなんやろ、アンちゃん」
話をしていると内側の城門まで辿り着いていた。
「……お二人が何も言わないので心配はないと思うのですが、こんな街中で裏の事情を話しても大丈夫なのでしょうか」
「ブランカちゃんもウチのところも抜かりないで。聞き耳立てる奴が出てくるならむしろ大歓迎や。分かりやすくてありがたいぐらいやで」
都市内であれば防諜の備えがあるので、喧騒に紛れて歩きながら話すのが一番安全ということらしい。
言われてみれば王城の政争では密会の場を用意するよりも、表と裏の場を一致させて怪しまれないように振る舞う貴族が多かった。こっそりと会うなんてことは地位を持つ人間には不可能で、密談の内容はいつか絶対に漏れる。
「余所者に対する備えなので、身内に入り込まれていれば手遅れですがね」
肩を竦めるブランカに、レネが急に吹き出した。
「レネ嬢、どこに笑いどころがあったのかな」
「ちゃうで、思い出し笑いやで! 余所者というか新顔の冒険者に面白いのがおってな、長身で全身甲冑を纏っとるのに魔導書を抱えとったんや。せやけど腰に剣も下げてて、パーティでどんな役割なんやろか」
「あべこべですね」
冒険者に詳しくないロゼでも違和感を覚える装備の組み合わせだ。
「擦れ違った時にその冒険者から面白いことを言われたよ」
「その方は何を仰ったんですか?」
「ウチに死相が見えたらしいで」
「面白いこと……?」
「ははっ、ウチは大爆笑やった」
「笑い事ではないですよね!?」
戸惑うロゼの肩をブランカの手が叩いた。
振り返れば無言で首を横に振られる。
少しだけ理解できたかに思えたが、レネあるいはレナーテの謎は深まるばかりだった。
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特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
最強執事の恩返し~大魔王を倒して100年ぶりに戻ってきたら世話になっていた侯爵家が没落していました。恩返しのため復興させます~
榊与一
ファンタジー
異世界転生した日本人、大和猛(やまとたける)。
彼は異世界エデンで、コーガス侯爵家によって拾われタケル・コーガスとして育てられる。
それまでの孤独な人生で何も持つ事の出来なかった彼にとって、コーガス家は生まれて初めて手に入れた家であり家族だった。
その家を守るために転生時のチート能力で魔王を退け。
そしてその裏にいる大魔王を倒すため、タケルは魔界に乗り込んだ。
――それから100年。
遂にタケルは大魔王を討伐する事に成功する。
そして彼はエデンへと帰還した。
「さあ、帰ろう」
だが余りに時間が立ちすぎていた為に、タケルの事を覚えている者はいない。
それでも彼は満足していた。
何故なら、コーガス家を守れたからだ。
そう思っていたのだが……
「コーガス家が没落!?そんな馬鹿な!?」
これは世界を救った勇者が、かつて自分を拾い温かく育ててくれた没落した侯爵家をチートな能力で再興させる物語である。
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