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第二章:城塞都市クレイル

生還者(4)

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 貴重な情報源の存在に喜ぶロゼだったが、ブランカは吉報を知らせるには眉を寄せて厳しい表情を崩さなかった。

「生存は確認できているのですよね」
「ええ、間違いなく生存はしております。ただ問題はどこに居るのかということです」

 ブランカは執務机の鍵付きの引き出しから丸まった羊皮紙を取り出した。
 机の上に広げられた羊皮紙にブランカが魔力を込めた手の平をかざすと、城塞都市クレイル周辺の地図が浮かび上がった。

 軍略の知恵を持つ者が目を通せば、クレイルの守りが薄いポイントなど多くの情報を読み取れてしまう。都市帳の部屋で厳重に保管されているのが頷ける代物だった。
 ブランカはクレイルの北側に広がる森の中に認識票を置いた。

「この周辺は『マーテルの森』と呼ばれております」
「マーテル……聞き覚えがあります。確かセフィロト教の一派でしたね」
「流石は王女殿下、よくご存知ですね」

 セフィロト教はルベリスタ王国では最も信者が多い宗教であり、主流派の理念を一言で説明すれば「文明と自然の共存」である。
 文明の発展による環境破壊を厭い。
 贅沢を禁じて清貧を尊ぶ。
 より安全でより多くの者が幸福に生きられるもっと素晴らしい世界を形作ることを目指す考えであり、行き過ぎた開拓や危険な魔法を戒める役割を担っている。

「しかし、マーテル派は主流派から別れた原理主義であり、文明の発展そのものを否定して、昔ながらの生活様式で自然の中で生きることを信条としています」
「つまりこの森は彼らの住む土地なのですね」
「もっと言えば聖地と呼んで良いかもしれません」

 ロゼは森に置かれた認識票に目を見開いた。

「まさか囚われているのですか」
「ご推察の通りです。彼らは冒険者が古き聖地を穢した罪で捕らえたと伝えてきました。その証拠としてこの認識票を渡してきたのです」
「聖地を穢す……それは事実ですか?」

 ロゼの問い掛けにブランカは肩を竦めた。

「そもそもどこからどこまでが聖地なのかも分からないのです。ただ彼らの信仰は本物なのでくだらない嘘を吐くとも思えません」
「……解放の条件として何を求めているのでしょうか」
「我々が頭を悩ませているのは、まさにその条件です。彼らは捕らえた二人の冒険者が【流星魔法】とは無関係であることを証明しろと言っています。彼らもまた【流星魔法】によって疑心暗鬼になってしまい、王国の仕業ではないのかと疑ってきているのです」
「まさか捕らえた冒険者が王国の差し金で【流星魔法】を行ったのだとでも言うのですか」
「そのまさかです」

 ロゼは天を仰いだ。
 まだ正体に辿り着いていない現状では、やったやってないの水掛け論にしかならない。

「どうしてそこまで拗れるようなことに……」

 ブランカは苦笑を浮かべた。

「ヴェストファーレン伯爵家の伝説はもちろんご存知ですね」
「王国史の教師から学んだ知識しかありませんが」
「十分です。かつて北方を支配した亜人種の小国……とまで立派なものではありませんが、幾つかの集落が寄り集まって暮らしていた彼らは、伯爵の長きに渡る交渉によって王国へと忠誠を誓いました。その後、生まれたのが我がヴェストファーレン辺境伯ですが、王国に忠誠を誓わず最後まで反対した者達は森へと移り住んだのです」
「それが今のマーテル派なのですね」
「彼らは王国の在り方、文明の発展を嫌い、かつての暮らしを維持することを選びました。決してそれ自体は悪ではありませんが、結果的に分断が生まれ、今日まで続く根深い対立構造を生み出してしまいました」

 ロゼは紅茶を口に運んで心を落ち着ける。

「情報を整理すると、マーテル派の人々は王国に送り込んだ冒険者が【流星魔法】を使って聖地を荒らした……と思い込んでいる。ただ彼らも流石に【流星魔法】が単純な魔法ではないと気付いているので、捕らえた冒険者と無関係であると証明できれば大人しく解放すると」
「ええ、解明すべき問題の情報を手にしているかもしれない者を解放するためには、その問題を解決しなくてはならないという、なんとも苦しい状況です」

 重苦しい沈黙が執務室に広がる。
 その中で、ロゼの背後に控えていたリーサが口を開いた。

「こちらに赴く前にフィルギヤ室長はマルクト丘陵の冒険者が調査に出ていたと仰っておりましたね」

 ロゼはふと認識票の本来の役割を思い出した。

「辺境伯、この認識票の持ち主は?」
「冒険者ギルドに確認済みです。少々お待ちください」

 ブランカは積み上げられた紙の山から、冒険者ギルドの公式文書であることを示すサインが記された書類を取り出した。

「冒険者名はライ。所属パーティは『燈火』と書かれています」
「やはり『燈火』の方でしたか」
「王都では有名なパーティなのですか?」
「……有名かどうかまでは分かりませんが、個人的に知り合う切っ掛けがあったのでパーティ名を覚えていたのです」
「なるほど、王室と繋がりを持つとなると優秀なパーティなのですね。役職は魔術師とあるので、話を聞くことができれば貴重な情報源になるかもしれません」
「捕らえたのは二人の冒険者という話でしたね。もう一名はどなたか分かりますか?」

 ブランカは首を横に振った。

「残念ながら、手渡された認識票はこの一つだけです。ただ男女と言っていたのでもう一名は女性の筈です」
「……もしかするともっと厄介なことに成りかねませんね」
「どういうことですか?」
「『燈火』には四人パーティで、女性はニ名です。その内の一人はセフィロト教会から聖女認定を受けたフリーダさんなのです。実情としては元聖女と言うべきかもしれませんが……聖女認定は簡単に取り消せるものではありませんから」
「それは厄介事ですね。マーテル派が主流派の聖女だと知ればただでは済まないかもしれません」

 時間は思ったよりも限られているかもしれない。
 ロゼは【流星魔法】の及ぼす影響を未だに軽視していたことを後悔する。

「辺境伯、マーテル派との交渉は予定されていますか」
「明日の昼間に森へと直接赴いて……まさかっ!?」

 ブランカが机に身を乗り出して顔を寄せてきた。

「王女殿下、自ら交渉の場に立たれるおつもりですか」
「端くれとはいえ王室に名を連ねる者、交渉材料としては非常に強い手札に成り得ます」
「お待ちください。彼らは理性的ではありますが、今は非常に気が立っている状態です。どんな暴挙をしでかすか予想できません」

 反対する気持ちはよく理解できた。
 しかし、あの夜にロゼが見出した王国の希望は未だに心の中に宿っている。その正体を掴むまでは決して足を止めるつもりはなかった。

「もしも【流星魔法】の使い手が、この都市とマーテル派の対立を煽っていたとしたらどうしますか。今こそが仕組まれた状況であれば、尚更に時間を無駄にできません」

 誰が敵で、何が希望で、どうすればいいのかまるで分からない。
 しかし目的だけは明確だった。
 ただ心が指し示すままに【流星魔法】の正体を突き止めるのだ。
 ロゼは立ち上がり、なけなしの威厳を振り撒いた。

「ロザリンド・エル・ルベリスタが命じます。忠誠を示しなさい、ブランカ・ヴェストファーレン辺境伯」

 ブランカは呆然と目を見開いた。
 ロゼは目を背けそうになるのを堪えて力強く見詰め続けた。
 ブランカの右目から涙がはらりと落ちた。執務机を回り込んで来るとすぐ目の前で跪いた。

「我ら白狼族の牙が万難を排してロザリンド王女殿下の道を切り開きましょう」
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