佐藤くんは覗きたい

喜多朱里

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トイレを覗きたい(前編)

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 五感は道具によって拡張できる。
 そんな当たり前の事実を見落としていたことに天文部は気付かせてくれた。
 覗きスポットを探し求めて校内を歩き回っていた時、部室棟の廊下で望遠鏡を持ち運ぶ部員と擦れ違ったのだ。

 僕はそこで双眼鏡を使うアイディアを思い付いた。
 深淵の宇宙に輝く星々を仰ぎ見るように、スカートの闇へと隠れた色取り取りのパンツを覗き見るように――どちらもロマンを追い求めた青春は同じような結論に至るということだろう。天文部に言えば殴られると思うけど。
 何はともあれ、これまで覗く時は近くに隠れることに囚われていたが、双眼鏡を手にしたことで潜伏先の自由度と有効距離が大きく向上した。

 教室棟三階の非常階段で双眼鏡を覗き込む。
 昼休みの学校は賑やかだ。人の行き来が多い。それでも寒くなってきた今の時期ともなれば、外気に晒される非常階段には誰も寄り付かない。

「こう見ると、やっぱりうちの学校って古臭いよな」

 創立百年を超える古い学校なので、バリアフリーなど現代的な配慮に欠けた作りになっている。
 ここで僕が伝えたいのは真面目な抗議ではなくて覗き視点の話だ。
 現代の建築物は建築基準法施行令によって、古民家で見られる急勾配は作られなくなった。寧ろほとんどの建築業者が法律よりも厳しい制限を設けて安全性に配慮した建築を行っている。
 さて、我が校も何度か改築はされているとはいえ、ベースになった校舎は長い歴史を持つ。伝統は覗きに対して脇が甘い。最初に見付けた教室棟二階の覗きスポットは最たる例だろう。

「あれはうちのクラスの女子連中か」

 体育館の裏手に向かって歩いていく数人の集まりを見付けた。
 その内の一人――遠藤さんは、明るく長い茶髪をツインテールにしているのですぐに特定できた。
 校舎探索で何度か通ったことはあるが、体育館の裏手は狭い通路があるだけで特に何もない。女子で集まって内緒話をするにしても辺鄙な場所を選んだものだ。

 少し待っていると遠藤さん達が戻ってきた。
 どこか楽しげというか、お互いに顔を見合わせて意味深に笑い合っている。

「行ってみるか」

 遠藤さん達が立ち去ったのを確認してから、同じ道を通って体育館の裏手に回った。やはり体育館の出入り口があるだけだ。

「抜けてきちゃったな」

 隠されたものがあるのか注意深く観察しながら進んだが、特に何も見付からないまま体育館の脇道を抜けて、特別棟の隅にある用務員室の前まで辿り着いてしまった。
 用務員室の前には幾つもゴミ袋が積まれていた。中身はほとんど落ち葉や枯れ枝で、後で用務員がまとめて処分するのだろう。

「これって有村さんの体操着入れじゃないか?」

 ゴミ山に見覚えのある巾着袋を埋もれていた。
 体操着を取り出して洗濯ネームを確認すると、油性ペンで『有村』と書かれていた。

「やっぱりそうだ。まさか遠藤さん達が?」

 有村さんと遠藤さんは教室で仲良さそうに話しているのをよく目にする。他の女子も有村さんと仲が悪い様子はなかったと思う。そもそもクラス内で表立って有村さんと対立する人は居ない。
 表側を通れば誰かに見られる恐れがあるので、わざわざ体育館の裏手を回ったのだろう。
 このまま教室に持ち帰ったら目立ち過ぎる。女子のどろどろとした争いに巻き込まれたくはないので、後でこっそり有村さんのロッカーに戻すことにしよう。

「それにしても女子って怖いな」


    *


 五時間目の家庭科は移動教室になっていた。
 教室から全員居なくなったのを見計らって、有村さんの体操着をロッカーに入れておく
 六時間目前の休み時間、着替え終えて体育館に向かう生徒達の中で体操着が見付からず困っている有村さんを、遠藤さん達が遠巻きに嘲笑っていた。

「どうしたの?」
「佐藤くん……!?」

 僕から話し掛けるのが珍しいからか、有村さんは目を丸くした。

「体操着が見当たらなくて。本当は昼休みの内に制服の中に着ておこうと思ってたんだけど」
「ロッカーは?」
「確認したけど見当たらなくて」
「もしかしたら見落としたのかも」
「そうかなぁ……うん、もう一回見てみるね!」

 有村さんは信じて無さそうだったが、折角もらった助言を無視できずロッカーを開きに行った

「あっ……あったーっ!!」

 満面の笑みを浮かべた有村さんが振り返り、僕に向かって体操着が入った巾着袋を掲げてみせた。

「早く着替えないと授業に遅れるよ」
「わわっ、時間がない! ありがとうね、佐藤くん!」

 着替えのために教室を出ていく有村さん。
 遠藤さんはすっかり呆気に取られていた。

 ジャージに着替えながら、横目に観察していると遠藤さん達が仲間内で睨み合っていた。裏切り者探しでもしているのかもしれない。
 教室を出る時にすぐ近くを通り過ぎると、彼女達は顔を青くして震えていた。自分たちの犯行が誰かに見られたかもしれない可能性に気付いたのだろう。

「流石に緊張した」

 体育館に向かう前にトイレへと立ち寄って、洗面台で頭から水を浴びる。
 誰も僕が取り返したとは思ってないだろう。本当はもっと目立たないタイミングで有村さんには気付いてもらう予定だったのだが、困っている姿を勝ち誇った様子で見ていた遠藤さん達に我慢ならなかった。

「ふぅぅ……よし、行くか」

 頭を冷やしたら少しは落ち着いた。
 トイレから出ようとして、女子トイレ側から水が流れる音が聞いて立ち止まる。

「ここのトイレを使う奴が他にも居るとは」

 僕が居るのは特別棟三階だ。渡り廊下は二階同士を繋げているので、他の校舎から三階に行くにはわざわざ階段を上がる必要がある。トイレのためだけにここまで来る人は珍しい。三階は空き教室ばかりでいつも人気のない場所だ。
 女子トイレから足音が聞こえてくる。
 僕は男子トイレに引き返して身を隠すと廊下をこっそりと覗き見た。

(……有村さん、だと)

 ジャージに着替えた有村さんが、小走りで通り過ぎていった。
 着替えのためにやってきて、ついでにトイレも済ませたようだ。アイドルはトイレに行かないとは言うけれど、クラスのアイドルはどうやらトイレに行くらしい。

 ――不意に覗き思考が新たな扉を開いた。

 下着を見た。着替えを見た。裸を見た。独りでしているのを見た。
 もはやそれ以上はないのではないかと思い悩んでいたが、答えはこんなにも近くに隠されていた。

 まさしく天啓にうたれた。
 トイレこそが約束の地だった。

 我が校にウォシュレットなんてない。もちろん音消し機能なんてある筈もない。
 みんな自分の排泄音が聞かれたくなくて、人の居ない場所、時間を狙ってトイレに行っている。
 男子がそうするのだ、女子なら尚更ではないだろうか。

(ここのトイレなら覗けるかもしれない……!)

 僕は念入りに耳を澄ませて、誰も女子トイレには残っていないことを確認した。
 今の内に覗ける方法がないか調査してみよう。
 六時間目の体育をサボるのが決まった瞬間だった。
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