31 / 46
第四話 天泣
1
しおりを挟む
清倉の大地に流れる川。その奥には、紅葉する山々。そして、雲のない空から降る雨。虫取り網を持った男の子に、虫かごを持った男の子と手をつなぐ女の子。三人の子どもたちが、はしゃぎながら帰宅する光景。
届いたばかりのシンプルな額にその切り絵をおさめたら、ほっと息が出た。清倉に引っ越してきてから製作に取り掛かり、構図にずっと悩んでいた作品だ。やはり、子どもたちを三人にしてよかった。このバランスが永遠に続けばいいと思える。
作品を持ってアトリエを出ると、車椅子に乗るしぐれが、棚にある封筒を取ろうと手を伸ばしていた。注文が入った作品の梱包をお願いしていたのだが、作業台に置いていた封筒が足りなくなっていたようだ。
声をかけようとした未央は、足の先に力が入っているみたいにわずかに腰をあげるしぐれに気づいて、まばたきをした。
「しぐれちゃん?」
手の届いた封筒をつかんで、棚から下ろすしぐれに、ようやく声をかける。
「あっ、未央さん。封筒がなくなっちゃってたので、補充しておきますねー」
「ありがとう。それより、いま、立ち上がれそうじゃなかった?」
「そうなんですよー。最近、足の感覚があるっていうか、なんか、立てるような感じがするんですよね。実際はまだまだなんですけど」
照れ笑いするしぐれは、未央の手もとに視線を移し、車椅子を漕いでやってくる。
「新作できたんですね! 見てもいいですかー?」
「ええ、どうぞ」
カウンターの上に乗せると、しぐれは興味津々にのぞき込む。
「これ、清倉ですか? 展望台の近くで、こういう景色が見えますよね」
「ポストカードは作ってきたけど、額装した作品で、清倉とわかるデザインにしたのは初めてかも」
「ですよね。珍しいですね、清倉の風景なんて」
初めて清倉に来たときの風景を残しておきたいと、引っ越してすぐにデザインしたものだ。なかなか形にならなくて、完成するのに時間がかかってしまった。
「ちょっと気持ちが落ち着いたからかな」
文彦の話を朝晴に聞いてもらった日から、今ならできるという自信があった。
婚約者を疑い、醜く汚れてしまった心がたまらなく嫌だった。いつか、純粋な心を取り戻して、優しい気持ちで文彦を弔いたかった。作品が完成できたのは、ようやく、そのときが来たからだと感じている。
「何かあったんですか?」
下から顔をのぞき込んでくるしぐれの目には、どういうわけか、ますます好奇心が浮かんでいる。
「何かって?」
「お兄ちゃんと、付き合ってます?」
「えっ!」
「よくデートしてるんですよねー?」
「デートじゃなくて、時々、食事してるだけですよ」
「ふたりでですよね? いきなり、夜ご飯いらないって言われるから、隙間時間にデートしてるんだろうなぁって思ってました。お兄ちゃんは絶対、デートのつもりですよ」
どうやら、夕食の準備に迷惑かけてしまっているらしい。
「ほんとうにデートじゃなくて、お付き合いしてるとかでもないんですよ」
「お兄ちゃんのこと、好きじゃないんですか?」
「えっと……」
遠慮なく聞かれると困ってしまう。
「お兄ちゃんは好きだと思うなぁ。最近なんか、雰囲気が変わったから、てっきり付き合い出したんだって思ってました」
「雰囲気が?」
そうだろうか。全然気づかなかったけれど、毎日一緒に暮らす妹の目には違う朝晴が映ってるのだろうか。
「そうですよ。だから、ちょっと心配」
「心配って、何かあるの?」
「やけに、自信に満ちあふれてる感じなんですよね。東京でイベントコーディネーターやってたときはかなり敏腕で、女の人にもモテモテだったみたい。それで、調子に乗ってるっていうか、そのころよりは全然ですけど、そういう余裕ぶった雰囲気、今は出してますねー」
やれやれと、あきれるようにしぐれは言う。
朝晴も、東京にいたころはおしゃれをして、高級なレストランでデートを重ねていたのだろう。仕事帰りに商店街の小さな喫茶店で、素朴な味のするオムライスやハンバーグを食べ、たった数十分過ごすだけのデート……と言っていいのかはわからないが、それとは違う。未央はそんな、彼と過ごすわずかな時間に心地よさを感じていたが、付き合っているという自覚はなかった。
「そんな男ですけど、いいですか?」
「いいかって言われても……」
期待を込めた目でじっと見つめられると、ますます戸惑ってしまって目をそらしたとき、切り雨の入り口に人影が見えて、未央はほっと息をつくと、引き戸に駆け寄った。
届いたばかりのシンプルな額にその切り絵をおさめたら、ほっと息が出た。清倉に引っ越してきてから製作に取り掛かり、構図にずっと悩んでいた作品だ。やはり、子どもたちを三人にしてよかった。このバランスが永遠に続けばいいと思える。
作品を持ってアトリエを出ると、車椅子に乗るしぐれが、棚にある封筒を取ろうと手を伸ばしていた。注文が入った作品の梱包をお願いしていたのだが、作業台に置いていた封筒が足りなくなっていたようだ。
声をかけようとした未央は、足の先に力が入っているみたいにわずかに腰をあげるしぐれに気づいて、まばたきをした。
「しぐれちゃん?」
手の届いた封筒をつかんで、棚から下ろすしぐれに、ようやく声をかける。
「あっ、未央さん。封筒がなくなっちゃってたので、補充しておきますねー」
「ありがとう。それより、いま、立ち上がれそうじゃなかった?」
「そうなんですよー。最近、足の感覚があるっていうか、なんか、立てるような感じがするんですよね。実際はまだまだなんですけど」
照れ笑いするしぐれは、未央の手もとに視線を移し、車椅子を漕いでやってくる。
「新作できたんですね! 見てもいいですかー?」
「ええ、どうぞ」
カウンターの上に乗せると、しぐれは興味津々にのぞき込む。
「これ、清倉ですか? 展望台の近くで、こういう景色が見えますよね」
「ポストカードは作ってきたけど、額装した作品で、清倉とわかるデザインにしたのは初めてかも」
「ですよね。珍しいですね、清倉の風景なんて」
初めて清倉に来たときの風景を残しておきたいと、引っ越してすぐにデザインしたものだ。なかなか形にならなくて、完成するのに時間がかかってしまった。
「ちょっと気持ちが落ち着いたからかな」
文彦の話を朝晴に聞いてもらった日から、今ならできるという自信があった。
婚約者を疑い、醜く汚れてしまった心がたまらなく嫌だった。いつか、純粋な心を取り戻して、優しい気持ちで文彦を弔いたかった。作品が完成できたのは、ようやく、そのときが来たからだと感じている。
「何かあったんですか?」
下から顔をのぞき込んでくるしぐれの目には、どういうわけか、ますます好奇心が浮かんでいる。
「何かって?」
「お兄ちゃんと、付き合ってます?」
「えっ!」
「よくデートしてるんですよねー?」
「デートじゃなくて、時々、食事してるだけですよ」
「ふたりでですよね? いきなり、夜ご飯いらないって言われるから、隙間時間にデートしてるんだろうなぁって思ってました。お兄ちゃんは絶対、デートのつもりですよ」
どうやら、夕食の準備に迷惑かけてしまっているらしい。
「ほんとうにデートじゃなくて、お付き合いしてるとかでもないんですよ」
「お兄ちゃんのこと、好きじゃないんですか?」
「えっと……」
遠慮なく聞かれると困ってしまう。
「お兄ちゃんは好きだと思うなぁ。最近なんか、雰囲気が変わったから、てっきり付き合い出したんだって思ってました」
「雰囲気が?」
そうだろうか。全然気づかなかったけれど、毎日一緒に暮らす妹の目には違う朝晴が映ってるのだろうか。
「そうですよ。だから、ちょっと心配」
「心配って、何かあるの?」
「やけに、自信に満ちあふれてる感じなんですよね。東京でイベントコーディネーターやってたときはかなり敏腕で、女の人にもモテモテだったみたい。それで、調子に乗ってるっていうか、そのころよりは全然ですけど、そういう余裕ぶった雰囲気、今は出してますねー」
やれやれと、あきれるようにしぐれは言う。
朝晴も、東京にいたころはおしゃれをして、高級なレストランでデートを重ねていたのだろう。仕事帰りに商店街の小さな喫茶店で、素朴な味のするオムライスやハンバーグを食べ、たった数十分過ごすだけのデート……と言っていいのかはわからないが、それとは違う。未央はそんな、彼と過ごすわずかな時間に心地よさを感じていたが、付き合っているという自覚はなかった。
「そんな男ですけど、いいですか?」
「いいかって言われても……」
期待を込めた目でじっと見つめられると、ますます戸惑ってしまって目をそらしたとき、切り雨の入り口に人影が見えて、未央はほっと息をつくと、引き戸に駆け寄った。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛
らがまふぃん
恋愛
こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。
*らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。
古屋さんバイト辞めるって
四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。
読んでくださりありがとうございました。
「古屋さんバイト辞めるって」
おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。
学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。
バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……
こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか?
表紙の画像はフリー素材サイトの
https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる