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風光る
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少し緊張しながらゼミ室の扉を開く。
ゼミに参加するのは今日で二回目。参加してみて気づいたが、ゼミの受講生は四年生がほとんどで、二、三年生で参加しているのは私を含めて三人ほどだ。
上級生に囲まれることに慣れてない上、扉を開けた時に集まる視線にも慣れない。
そっと扉を開け終えて、小さく安堵の息を吐く。
まだ一人しか来ていない。
一番後ろの席にひっそりと座る青年は、確か四年生で、吹雪さんと言っただろうか。十数人ほどいるゼミの学生を全て覚えたわけではないが、彼のことは珍しい苗字だから覚えていた。
それに、わからないことがあれば彼に聞こうかなと思えるほど、親しみやすそうな静かな雰囲気が彼にはある。
そうは言っても親しげに話しかける勇気はなく、私も吹雪さんから少し離れた一番後ろの席に腰を下ろした。
筆箱を鞄から取り出す音がやけに室内に響く。息詰まるような静けさの中、吹雪さんをちらりと見る。
彼は少しうつむき加減にジッと机を見つめていた。身じろぎもしない。
何か考え事でもしてるのだろうか。張り詰めた横顔をしている。
そう思った時、吹雪さんの視線が動き、私にまっすぐ向けられる。
どきりとした。物は言わないが、強い意志のようなものを感じる。彼は私に何か問おうとしている。
「こ、こんにちは」
たまらずこちらから挨拶した。戸惑いながらぺこりと頭をさげると空気が和らぎ、吹雪さんの表情から固さが消える。
「こんにちは。……暁月日菜詩さん、だったよね?」
「あ、はい。吹雪さん……ですよね」
そう言うと、吹雪さんの顔に笑みが浮かぶ。優しそうな人だ。
「もう覚えてくれたんだ。氷澤先生が真面目な子だって言ってたけど、ゼミを受講するなんて偉いね」
思ったより気さくに話しかけてくれる。私も少し緊張がほぐれていくのを感じながら返事する。
「偉いの、かな。本当のこと言うと、氷澤先生に誘われたからっていうのもあって」
「へえ、そうだったんだ。珍しいなって思ってたけど、そういうことなんだ」
「珍しい、ですか?」
「暁月さんって社会福祉学部だよね? ゼミの受講生はみんな経済学部だからさ。何か理由があって来てるのかな、なんてちょっと思ってたんだ」
どうやら経済学部の学生以外の生徒が氷澤先生のゼミを受講するのは珍しいようだ。
「あ、……父が氷澤先生の昔からの知人で。その縁でこの大学を選んだのもあるんですけど、ゼミを受けようと思ったのは先生の考えを学びたいって思ったからで」
「別に変な意味で言ったわけじゃないよ。氷澤先生は暁月さんを特別扱いしてるわけでもないしね。でも親御さんが知り合いなんだ」
「父は仕事の関係で先生にお世話になったことがあるんです」
吹雪さんに話す必要のないことだとも思ったけど、氷澤先生との関係は内緒にしなきゃいけないようなものでもないし、誤解のないように誠実に返事する。
「お父さんの仕事って?」
吹雪さんは興味津々というわけでもなく尋ねてくる。それがまた私に話しやすくさせているようだ。
「義肢装具士なんです」
「義肢装具士。そうなんだ……」
「ずっと父の背中を見て育ったので、私も卒業したら福祉関係の仕事がしたいって思ってて。だから氷澤先生にゼミを勧められた時は迷うことなくて」
「だからなの?」
「だから?」
穏やかだった吹雪さんの顔色が曇り出す。言いにくいことを言おうとしている。そんな気がする。
「あした……」
「え?」
「いや、明日嘉と仲良くしてるの君ぐらいだから。明日嘉が気を許すなんて、何かあるんだろうって思ってたから」
「あの……明日嘉って?」
眉をひそめると、吹雪さんは心底不思議そうにする。
「知らない? あれ、おかしいな。毎日図書館で明日嘉と一緒にいる女の子って、暁月さんじゃなかった?」
「あしたくんのことですか?」
図書館で私と一緒にいるのは彼でしかないから尋ねると、吹雪さんはやっぱりそうだ、というようにうなずいた。
「私、あしたくんと仲良くしてるとかなくて。彼のこと何も知らないです。あしたくんとしか……」
「なんだ、そうだったんだ。俺の早とちりだったね、ごめん。でもさ、もしまた明日嘉に会うことがあれば言ってくれないかな。また氷澤先生のゼミ、一緒に受けようって」
「あしたくん、このゼミを受講してたんですか?」
そう尋ねた時、ゼミ室の扉の向こうがざわついた。
吹雪さんは無言でうなずいた後、そのまま前を向く。微動だにしないその姿勢に声をかけることは出来なくて、私も同じように前を向いた。
その頃にはゼミ室の扉が開き、多くの学生がわいわい楽しい話をしながら入室してきていた。
少し緊張しながらゼミ室の扉を開く。
ゼミに参加するのは今日で二回目。参加してみて気づいたが、ゼミの受講生は四年生がほとんどで、二、三年生で参加しているのは私を含めて三人ほどだ。
上級生に囲まれることに慣れてない上、扉を開けた時に集まる視線にも慣れない。
そっと扉を開け終えて、小さく安堵の息を吐く。
まだ一人しか来ていない。
一番後ろの席にひっそりと座る青年は、確か四年生で、吹雪さんと言っただろうか。十数人ほどいるゼミの学生を全て覚えたわけではないが、彼のことは珍しい苗字だから覚えていた。
それに、わからないことがあれば彼に聞こうかなと思えるほど、親しみやすそうな静かな雰囲気が彼にはある。
そうは言っても親しげに話しかける勇気はなく、私も吹雪さんから少し離れた一番後ろの席に腰を下ろした。
筆箱を鞄から取り出す音がやけに室内に響く。息詰まるような静けさの中、吹雪さんをちらりと見る。
彼は少しうつむき加減にジッと机を見つめていた。身じろぎもしない。
何か考え事でもしてるのだろうか。張り詰めた横顔をしている。
そう思った時、吹雪さんの視線が動き、私にまっすぐ向けられる。
どきりとした。物は言わないが、強い意志のようなものを感じる。彼は私に何か問おうとしている。
「こ、こんにちは」
たまらずこちらから挨拶した。戸惑いながらぺこりと頭をさげると空気が和らぎ、吹雪さんの表情から固さが消える。
「こんにちは。……暁月日菜詩さん、だったよね?」
「あ、はい。吹雪さん……ですよね」
そう言うと、吹雪さんの顔に笑みが浮かぶ。優しそうな人だ。
「もう覚えてくれたんだ。氷澤先生が真面目な子だって言ってたけど、ゼミを受講するなんて偉いね」
思ったより気さくに話しかけてくれる。私も少し緊張がほぐれていくのを感じながら返事する。
「偉いの、かな。本当のこと言うと、氷澤先生に誘われたからっていうのもあって」
「へえ、そうだったんだ。珍しいなって思ってたけど、そういうことなんだ」
「珍しい、ですか?」
「暁月さんって社会福祉学部だよね? ゼミの受講生はみんな経済学部だからさ。何か理由があって来てるのかな、なんてちょっと思ってたんだ」
どうやら経済学部の学生以外の生徒が氷澤先生のゼミを受講するのは珍しいようだ。
「あ、……父が氷澤先生の昔からの知人で。その縁でこの大学を選んだのもあるんですけど、ゼミを受けようと思ったのは先生の考えを学びたいって思ったからで」
「別に変な意味で言ったわけじゃないよ。氷澤先生は暁月さんを特別扱いしてるわけでもないしね。でも親御さんが知り合いなんだ」
「父は仕事の関係で先生にお世話になったことがあるんです」
吹雪さんに話す必要のないことだとも思ったけど、氷澤先生との関係は内緒にしなきゃいけないようなものでもないし、誤解のないように誠実に返事する。
「お父さんの仕事って?」
吹雪さんは興味津々というわけでもなく尋ねてくる。それがまた私に話しやすくさせているようだ。
「義肢装具士なんです」
「義肢装具士。そうなんだ……」
「ずっと父の背中を見て育ったので、私も卒業したら福祉関係の仕事がしたいって思ってて。だから氷澤先生にゼミを勧められた時は迷うことなくて」
「だからなの?」
「だから?」
穏やかだった吹雪さんの顔色が曇り出す。言いにくいことを言おうとしている。そんな気がする。
「あした……」
「え?」
「いや、明日嘉と仲良くしてるの君ぐらいだから。明日嘉が気を許すなんて、何かあるんだろうって思ってたから」
「あの……明日嘉って?」
眉をひそめると、吹雪さんは心底不思議そうにする。
「知らない? あれ、おかしいな。毎日図書館で明日嘉と一緒にいる女の子って、暁月さんじゃなかった?」
「あしたくんのことですか?」
図書館で私と一緒にいるのは彼でしかないから尋ねると、吹雪さんはやっぱりそうだ、というようにうなずいた。
「私、あしたくんと仲良くしてるとかなくて。彼のこと何も知らないです。あしたくんとしか……」
「なんだ、そうだったんだ。俺の早とちりだったね、ごめん。でもさ、もしまた明日嘉に会うことがあれば言ってくれないかな。また氷澤先生のゼミ、一緒に受けようって」
「あしたくん、このゼミを受講してたんですか?」
そう尋ねた時、ゼミ室の扉の向こうがざわついた。
吹雪さんは無言でうなずいた後、そのまま前を向く。微動だにしないその姿勢に声をかけることは出来なくて、私も同じように前を向いた。
その頃にはゼミ室の扉が開き、多くの学生がわいわい楽しい話をしながら入室してきていた。
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