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風光る
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「上はあんまり本置いてないね。多目的室がたくさんある感じ」
図書館の二階を満喫してきた麻那香は、戻ってくるなり、そう私に報告した。
その頃には〝あしたくん〟の姿はなく、止まっていた時が動き始めたように、私の周囲に雑多な音が流れ出す。現実に引き戻された。そんな感じだ。
「一階は見てみた?」
麻那香はまだ興味深々の様子で周囲を眺める。
「二階もそうだったけど、内装は普通の図書館とあんまり変わらない感じだね」
「だよね。麻那香、もう行こうよ」
「うーん、でもせっかくだから、ぐるっと見てくるね。日菜詩は? ……行かないか」
麻那香はちょっと笑う。なんでもみんなと一緒じゃなきゃいけないって考えをあまり好まない彼女は、無理には誘ってこない。
ただそれでも私が何も行動を起こさない時は、時に強引になったりもする。そういうさじ加減が私に合っているかもしれないなんて思う。
麻那香は「ちょっとだけ」と言って、奥の方へ向かう。
あしたくんに会うかもしれない。麻那香の好きなタイプはよく知らないけど、彼を見たらきっと印象には残るだろう。
友達の好きな人を好きになる、というのは苦手だ。出来ることならあしたくんに会わないといい、なんて気をもむうちに、思ったより早く麻那香は戻ってきた。
「やっぱり一階も普通だね」
「満足した?」
「当分いいかも。じゃあ行こっか」
私の心配は杞憂で、麻那香は図書館に未練のない様子で歩き出す。
外へ出ると先ほどより若干日差しが強くなっている。日傘を広げる私に、麻那香は言う。
「今年は焼けるかも」
「どうして?」
麻那香の肌は陶器のようにきめ細やかで白い。私も日焼けには気をつけている方だけど、生まれ持ったものの違いに敵うことはないし、ただただ羨ましい。
「ほら、少し前にサークルに勧誘されたでしょ?」
「えっと、テニスサークルだっけ?」
「そうそう。入ろうかと思ってるの」
「入るって……。見学でもしたの?」
サークルに入る話なんて全然知らなかった。驚く私に麻那香は「つい、この間ね」と、見学してきたことを明かす。
「四年のね、雨風先輩がすごく素敵な人で、テニスより先輩に興味が湧いたの」
「麻那香らしいっていうか。でもそんな風に決めて大丈夫?」
「大丈夫だって、評判はいいサークルだから。だから、日菜詩も一緒に入らない?」
「え、私?」
「日菜詩、友達作るのあんまり積極的にしないでしょ? きっと楽しいよ」
「あ、でも私、氷澤先生のゼミに参加することになったから。サークル活動してる時間はないかも」
今度は私が告白する番だ。麻那香は寝耳に水とばかりに目を見開く。
「氷澤准教授? 経済学部の?」
「うん、そう」
「私たちの社会福祉学部とは関係ないじゃない?」
「関係ないこともないよ。氷澤先生のまちづくり論に興味があるの。高齢者や障害者、子供達の暮らしやすい街づくりを学べたらって思って」
麻那香は呆れと感心をない交ぜにした表情でしばらく私を眺めていたが、程なくして理解を示すようにうなずいた。
「そっかぁ、日菜詩らしいね。大学生になったらいろんな人と友達になって、いっぱい遊んで、たくさん楽しいことが出来たらなぁって思ってた私とは大違い。日菜詩はいろいろ考えてるから偉いね」
「偉いとか……そうじゃなくて。私はそういう環境の中にいつもいるから、当たり前に考えて、きっと当たり前にそういう世界で就職するだろうから、特別なことじゃないの。ちゃんと私も麻那香みたいに遊びたいなって思ってるよ」
「ほんとう? じゃあ、テニスサークルも一度見においでよ。毎回参加じゃなくても大丈夫だし。また気が向いたら私に言って」
「うん、そうする。ありがとう、麻那香」
麻那香は私の生きる世界を広げてくれる。
初めて麻那香に出会ったのは大学の入学式の時で、ひときわ華やかに輝いていたのを覚えている。とても綺麗で、明るくて、情熱的な彼女は私にないものを持っていて、惹かれずにはいられなかった。
だから彼女と同じ学部で、彼女から声をかけてもらった時は嬉しかった。あの日から、私は麻那香の生きる世界の住人の一人になったのだ。
人はそうやって生きる世界を広げていく。そして誰かを支え、誰かに支えられながら生きていく。
私は自分の世界に誰かを招き入れることが出来なくて、いつも待ってばかりだ。あしたくんに会いたくて毎日のように裏庭へ行っていたのも、ちっとも行動的ではなくて。消極的だからこそそんなことしかできなくて。結局声をかけてきたのは、あしたくんからだった。
だけど、あしたくんは私を彼の世界には入れてくれなくて、だったら私の世界を覗いてもらう努力を私はしなくてはいけないのかもしれない。
麻那香の凜とした背中を見ていたら、ふとそんな思いにかられた。
「あっ、そうだ、日菜詩。帰りにショッピング行かない? 日菜詩、クローバーが好きでしょ? 可愛いショップ見つけたから」
麻那香は振り返り、可愛らしい笑顔を見せる。
「うん、行く」
断る理由なんてなくて、私はすぐに頷いた。
「上はあんまり本置いてないね。多目的室がたくさんある感じ」
図書館の二階を満喫してきた麻那香は、戻ってくるなり、そう私に報告した。
その頃には〝あしたくん〟の姿はなく、止まっていた時が動き始めたように、私の周囲に雑多な音が流れ出す。現実に引き戻された。そんな感じだ。
「一階は見てみた?」
麻那香はまだ興味深々の様子で周囲を眺める。
「二階もそうだったけど、内装は普通の図書館とあんまり変わらない感じだね」
「だよね。麻那香、もう行こうよ」
「うーん、でもせっかくだから、ぐるっと見てくるね。日菜詩は? ……行かないか」
麻那香はちょっと笑う。なんでもみんなと一緒じゃなきゃいけないって考えをあまり好まない彼女は、無理には誘ってこない。
ただそれでも私が何も行動を起こさない時は、時に強引になったりもする。そういうさじ加減が私に合っているかもしれないなんて思う。
麻那香は「ちょっとだけ」と言って、奥の方へ向かう。
あしたくんに会うかもしれない。麻那香の好きなタイプはよく知らないけど、彼を見たらきっと印象には残るだろう。
友達の好きな人を好きになる、というのは苦手だ。出来ることならあしたくんに会わないといい、なんて気をもむうちに、思ったより早く麻那香は戻ってきた。
「やっぱり一階も普通だね」
「満足した?」
「当分いいかも。じゃあ行こっか」
私の心配は杞憂で、麻那香は図書館に未練のない様子で歩き出す。
外へ出ると先ほどより若干日差しが強くなっている。日傘を広げる私に、麻那香は言う。
「今年は焼けるかも」
「どうして?」
麻那香の肌は陶器のようにきめ細やかで白い。私も日焼けには気をつけている方だけど、生まれ持ったものの違いに敵うことはないし、ただただ羨ましい。
「ほら、少し前にサークルに勧誘されたでしょ?」
「えっと、テニスサークルだっけ?」
「そうそう。入ろうかと思ってるの」
「入るって……。見学でもしたの?」
サークルに入る話なんて全然知らなかった。驚く私に麻那香は「つい、この間ね」と、見学してきたことを明かす。
「四年のね、雨風先輩がすごく素敵な人で、テニスより先輩に興味が湧いたの」
「麻那香らしいっていうか。でもそんな風に決めて大丈夫?」
「大丈夫だって、評判はいいサークルだから。だから、日菜詩も一緒に入らない?」
「え、私?」
「日菜詩、友達作るのあんまり積極的にしないでしょ? きっと楽しいよ」
「あ、でも私、氷澤先生のゼミに参加することになったから。サークル活動してる時間はないかも」
今度は私が告白する番だ。麻那香は寝耳に水とばかりに目を見開く。
「氷澤准教授? 経済学部の?」
「うん、そう」
「私たちの社会福祉学部とは関係ないじゃない?」
「関係ないこともないよ。氷澤先生のまちづくり論に興味があるの。高齢者や障害者、子供達の暮らしやすい街づくりを学べたらって思って」
麻那香は呆れと感心をない交ぜにした表情でしばらく私を眺めていたが、程なくして理解を示すようにうなずいた。
「そっかぁ、日菜詩らしいね。大学生になったらいろんな人と友達になって、いっぱい遊んで、たくさん楽しいことが出来たらなぁって思ってた私とは大違い。日菜詩はいろいろ考えてるから偉いね」
「偉いとか……そうじゃなくて。私はそういう環境の中にいつもいるから、当たり前に考えて、きっと当たり前にそういう世界で就職するだろうから、特別なことじゃないの。ちゃんと私も麻那香みたいに遊びたいなって思ってるよ」
「ほんとう? じゃあ、テニスサークルも一度見においでよ。毎回参加じゃなくても大丈夫だし。また気が向いたら私に言って」
「うん、そうする。ありがとう、麻那香」
麻那香は私の生きる世界を広げてくれる。
初めて麻那香に出会ったのは大学の入学式の時で、ひときわ華やかに輝いていたのを覚えている。とても綺麗で、明るくて、情熱的な彼女は私にないものを持っていて、惹かれずにはいられなかった。
だから彼女と同じ学部で、彼女から声をかけてもらった時は嬉しかった。あの日から、私は麻那香の生きる世界の住人の一人になったのだ。
人はそうやって生きる世界を広げていく。そして誰かを支え、誰かに支えられながら生きていく。
私は自分の世界に誰かを招き入れることが出来なくて、いつも待ってばかりだ。あしたくんに会いたくて毎日のように裏庭へ行っていたのも、ちっとも行動的ではなくて。消極的だからこそそんなことしかできなくて。結局声をかけてきたのは、あしたくんからだった。
だけど、あしたくんは私を彼の世界には入れてくれなくて、だったら私の世界を覗いてもらう努力を私はしなくてはいけないのかもしれない。
麻那香の凜とした背中を見ていたら、ふとそんな思いにかられた。
「あっ、そうだ、日菜詩。帰りにショッピング行かない? 日菜詩、クローバーが好きでしょ? 可愛いショップ見つけたから」
麻那香は振り返り、可愛らしい笑顔を見せる。
「うん、行く」
断る理由なんてなくて、私はすぐに頷いた。
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