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第二話 御影家には秘密がありました

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 意識ははっきりしている。それでも身体が動かない。指を意識的に動かそうとするが、指先に尖がった石が触れる感触がわずかにするのみで、手を握ることもできない。

「御影さん、大丈夫ですかっ? あ、あー、困ったな。どうしたら……、ん? 家に連れていけって?」

 あわてふためく彰人さんのひとりごとが、次第にミカンとの会話になるのがわかる。

「すみません、御影さん。ちょっと失礼しますね」

 うなずくこともできない私の顔をのぞき込む彰人さんは、ひどく申し訳なさそうな顔をしている。
 すると、背中とひざの下に腕が差し込まれて、ふわっと身体が持ち上がる。

 彰人さんに抱き上げられている、と気づいたときには風を切り、坂をぐんぐん降りていくのがわかった。

「良かったっ、御影さんだ」

 息を弾ませる彰人さんの口元に笑みが浮かぶ。

「御影さんっ、すみません。奥さまが急に倒れられてっ」

 どうすることもできずにグレイの空と彰人さんの顔を下から見上げる私の耳に、私を落ち着かせる声が聞こえる。

「千鶴さん……」

 すぐに駆けてくる下駄の音がする。

「お願いします、御影さん。どうされたのか、全然わからなくて」

 困惑する彰人さんの腕から別の腕へと私の身体は移動する。とてつもない安堵が全身を包む。
 私はこの腕が好きだ。誠さんに触れられているときが、唯一安らげる。

「わぁ、千鶴ちゃん、大丈夫かよ」

 誠さんの背後から春樹さんの声が飛んでくる。
 春樹さんも一緒にいたようだ。もう大丈夫。そう思った途端に、意識がわずかに遠のいた。



 すぐに意識は戻ってきたようだった。まぶたをあげると、見慣れた居間で横になっていた。目の前には、心配そうに私の顔をのぞき込む誠さんと春樹さんがいる。

「千鶴さん、動けますか?」

 誠さんに促されて、指を動かしてみる。驚くほどにすんなりと動く。たたみに手をついて上体を起こすと、身体からブランケットが落ちる。

「あー、良かった、千鶴ちゃんっ」

 苦しげだった表情に安堵を浮かべる誠さんを押しのけて、春樹さんが私に抱きついてこようとする。
 あっ、と思ったときには誠さんの腕が私を包み込み、彼はちょっとだけ不服そうに春樹さんをにらみつけていた。

「わ、その顔っ!」

 口に手をあてて、春樹さんはぷっと吹き出す。

「嫉妬深いよなー、兄貴は。重たい。重たいぜぇ、その愛情。さっきだって、男に抱かれてる千鶴ちゃんを見たときの兄貴の顔っていったらなかったぜ」
「静かにしないか、春樹」

 ぴしゃりと誠さんは叱りつけて、ふんっと口をつぐむ春樹さんの見守る中、優しく話しかけてくれる。

「どうしてあの青年と一緒だったのか、話してくれますね? 千鶴さん」

 何をどう説明したらいいのかわからなくて黙り込む。沈黙してしまう私を頼りなげに見つめる誠さんに罪悪感を覚えてしまう。

「千鶴ちゃんだって隠したいことの一つや二つあるよなぁ」

 春樹さんがにやにやしながら横やりを入れる。

「隠したいわけではなくて……、何から話したらいいのか」

 そう答えると、誠さんは質問を変える。

「あの青年は誰です?」
「やっぱり誠さんもご存知なかったんですね。あの方は藤沢さんです。藤沢彰人さん。私たちのことは、その、それなりに有名なようで、藤沢さんはご存知のようでした」
「ああ、彼が」

 先日話題になった彰人さんのことはすぐに思い出したのだろう。誠さんはうなずく。

「夏乃さんのことを知るためには藤沢さんの協力も必要です。いずれ会わなければならないとは思っていましたが、早計でしたね」
「いえ、私は夏乃さんのことで藤沢さんに会っていたわけではないんです」
「というと?」

 また私は口をつぐんでしまう。
 池上こと、という人物を探していると言えば、誠さんは進んで協力してくれるだろう。
 だけどそのためには七二郎さんの話をしなければいけない。それは到底理解してもらえない話のような気がした。

「話せないことは無理には聞きませんが、藤沢彰人さんは少なくとも夏乃さんの死の理由を知っている方です。危ない目に合ってはいけませんから、不用意に会ってはいけませんよ」
「秋帆さんが言ってたこと、気にされてるんですか? 藤沢さんが夏乃さんを殺したって」
「調査中です」

 私のことは知りたがるのに、誠さんは何も教えてくれる気はないよう。

「藤沢さんはとても良い方のように見えました」

 反発するようなことを言ってしまったかもしれない。誠さんの片方の眉がぴくりとあがる。

「見た目で判断できる問題ではありませんよ」
「それだけじゃないです。初めて会うというのにとても親切で、ミカンも藤沢さんを警戒しませんでした」
「それだけのことのように聞こえます」

 涼やかに私を見つめる誠さんの視線にどきりとする。怒っている。私の軽率な言動が彼には理解できないのだろう。
 思い返せば、私は誠さんに従うばかりで、自分の意見を話したことはあまりない。
 誠さんがいなければ生きられない私に、いったいどれほどの自由が与えられているのだろうと、ぽっかりと胸に穴が空いたような気持ちになる。

「藤沢さんは信じられると思っています」
「初対面の男を簡単に信じるなどと言ってはいけません」

 池上ことのことを知るためには彰人さんを頼るしかないと、今はすがるものがない。
 池上秋帆は快活な女性だった。もしかしたら来客かもしれない私に見向きもしなかった。それに彰人さんに対する態度。それを知らないから、誠さんはそんな風に彰人さんを悪く言うのだと思った。

「とにかく私は夏乃さんのことを調べているわけではありません。これからも藤沢さんには会います。誠さんには迷惑かけませんから」

 私の手を握る誠さんの手を突き放した。
 冷ややかに私を見つめる誠さんと目を合わせたら、背中にひやりとするものが走る。

「迷惑はかかっています。それは誰よりも千鶴さんご自身がわかっているでしょう」
「……」

 じわりと目に涙が浮かぶ。次第ににじむ誠さんの表情が悲しげで、私はいつも彼の重荷になっているとまざまざと思い知らされる。

「私だって好きで迷惑かけてるわけじゃありません」

 ぎゅっとブランケットを握りしめる。

 私が気を失い、寒くないようにと彼が用意してくれたブランケットにどれほどの愛情が込められているのか。
 夫婦になってしまうと特別な愛情があたりまえの愛情になってしまう。あたりまえと思ってはいけないのに。そんなことにも私は気づけていなかった。

「私はこんな体質です。わかっていて結婚したのは誠さんです。お嫌なら今すぐ追い出してください」

 正座して、誠さんの前でこうべを垂れた。ぽたぽたと落ちる涙がブランケットに染み込んでいく。

 こんな話をしたいわけではなかった。
 誠さんに迷惑かけたくなくて。自分の言動には責任をもてる女性になりたくて。誠さんの名に恥じない立派な妻になりたかった。

「お互い、頭を冷やしましょう」

 スッと誠さんが立ち上がる。そのまま足袋を履いた足が居間を立ち去る。

「あ、おいっ、兄貴」

 顔を上げると、春樹さんと目が合った。
 金髪をくしゃくしゃっとかき混ぜて、私に何か言いかけた春樹さんは、結局何も言わずに誠さんを追いかけていった。
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