上 下
38 / 52
第二話 早坂さん、縁を楽しむ。

17

しおりを挟む
『本日、休業』

 と、戸口の横に立てかけられた看板を見ていると、内側からゆっくりと扉が開く。

 薄手のジャケットを羽織った秋也が鍵を片手に出てくる。すぐにこちらに気づいた彼だが、何も言わずに背を向けてくる。そうして、扉に鍵をかけながら、ハッと振り返り、ほうけたような顔をする。

「こんばんは。……おかしいですよね」

 少し気まずく思いながら言うと、秋也はすぐに駆け寄ってきて、こちらをじっくりと眺めてくる。

「おかしくないよ。ごめん。ちょっとびっくりした。そのワンピース、この間買ったやつだよね?」
「覚えてくれてたんですね」

 ブラウンのロングワンピースは、この日のためにと、秋也とのデートで購入したものだ。

「もちろん。よく似合うよ」
「ワンピースに合うようにって、髪もメイクも温美さんがやってくれたんです。それに、ネイルも」

 そっと指を伸ばしてみせると、秋也が手のひらに触れてくる。

「きれいだよ」

 どきりとするぐらい、艶のある声音でそう言われて、奈江の胸は跳ね上がる。

 やっぱり、なんだか恥ずかしい。心配ばかりかける早坂奈江ではなく、ひとりの女性として見られたような気がしてしまう。ちょっとおしゃれしたぐらいで勘違いしてしまって、余計に恥ずかしい。

「こういうの……慣れなくて。明日からまた、いつものメイクに戻します」
「じゃあ、今日は特別なんだ? それはそれで、特別感があっていいね」

 秋也は楽しそうだ。本当に、あきれるぐらいなんでも楽しむ人だ。

「猪川さんは、どっちの私が……いいですか?」

 聞く気もなかったのに、どういうわけか、尋ねていた。

「俺? 俺はどっちもいいと思うよ。早坂さんがいいと思う方がいい」

 そうか。そんなふうに言ってくれるのか。でも、そうやって言ってくれる人だっていうのは知っていた。

「私は、いつもの私が好きなんです」
「そう」
「周りがどう思うかじゃなくて、自分がどう思うかが大事だと思ってて……」

 いつもひと目を気にしてばかりいるのに、何を言ってるんだって笑われてしまうかもしれない。そう思いながら彼を見上げると、優しい目で見守ってくれている。

「大切なことだよね」
「でも……、今日の私も嫌いじゃないって思ってるんです」

 うつむこうとすると、秋也が下からのぞき込んでくる。

「わかるよ。すごくきれいだから」

 ささやくように言うから、ますますどきりとする。ほおが熱くなって、手を添えると、秋也が目を細める。

「早坂さんは? 前の俺と今の俺、どっちが好み?」
「髪を染める前と今?」
「早坂さんはちゃらちゃらした男が苦手かなって思ってさ。俺、茶髪にすると、やんちゃそうに見えるらしいからさ」
「髪の色とか、関係ないです」

 そう言いつつ、罪悪感はある。第一印象はあまり良くなかった気がする。どちらかというと、苦手なタイプに見えていた。

「じゃあ、また染めるかな」
「どんな色にしても、猪川さんの優しさは変わらないですから」
「早坂さんもずっときれいだよ。飾らないのに、こんなにきれいな人がいるんだって、初めて見たときに思ったよ。早坂さんの持つ透明感は、何をしても消えないね」

 隙のないメイクをした奈江を見て、それを今日、確信したとばかりに秋也は言う。

 何度もきれいだなんて言ってくれるから返事に困っていると、彼が一歩足を踏み出す。

「そろそろ行こうか、早坂さん。今夜は日曜日でたくさん人が来てるから、迷子にならないように俺の腕、つかんでていいよ」

 迷子にならないように、という言葉に奈江はホッとする。手をつなぎたいと言われたら、妙な勘違いをしてしまって、拒んだだろう。

 歩き出す秋也をつかまえるように袖をつかむ。手をつなぐより平気だろうと思っていたのに恥ずかしくて、つい、腕を伸ばして歩くと、彼がおかしそうに振り返る。

「そんなに離れてたら意味ないよ」

 そう言って、彼は奈江の手首を優しく引く。激しく波打つ心音が聞こえてしまうんじゃないかと心配になるけれど、遠くから聞こえてくる祭りばやしの音がかき消してくれるだろうと信じながら、奈江は秋也の腕にそっと寄り添う。

 肌寒い夜のはずなのに、彼のぬくもりで寒さを忘れる。彼から離れたくない、今夜ぐらいは素直になりたいと思ったのは、すでに宮原の神様がくださる縁に絡めとられていたのかもしれない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

22の愉快なリーディング

園村マリノ
ライト文芸
 タロットカードの大アルカナ22枚を元にした短編集です。基本的には一話一話独立しており、繋がりはありません。 ※他サイトでも公開しております。  また、矛盾点や誤字脱字、その他変更すべきだと判断した部分は、気付き次第予告・報告なく修正しますのでご了承ください。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 参考文献(敬称略) レイチェル・ポラック著 鏡リュウジ監訳 現代タロット研究会訳 『タロットバイブル 78枚の真の意味』(朝日新聞出版)

暗い話にはしたくない

岡智 みみか
ライト文芸
ねぇ、この世界がいま、少しずつ小さくなってるって、知ってる? 変わりゆく世界の中で、それでもあなたと居たいと思う。

おれと丁さんとトコヨ荘の貧乏飯

はりせんぼん
ライト文芸
世に貧乏人がいる限り 貧乏人がいる世がある限り どんな時代のどんな世界にも存在するボロ下宿 それがここ、【トコヨ荘】 三畳一間の貧乏下宿。 煤けた木造三階建て。便所食堂共用。風呂は無し。 フスマに鍵無し。プライベートなんて高尚なものも、もちろん無し。 棲んでいるのは、奇人変人狂人魔人魔法使いに魔王に忍者にドラゴンに そんなトコヨ荘の住人達と 古株でまとめ役で面倒くさい性格の丁さんと ただの無職のよっぱらいの”おれ”の 日常と貧乏飯とスケールの小さいアレコレの小話です。 一時完結とさせていただきます ご愛顧ありがとうございました 次作 「199X年・異世界は暴食の支配する無法の大地と化した!」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/965509411/421233364 もよろしくおねがいします

世界で一番ママが好き! パパは二番目!

京衛武百十
ライト文芸
ママは、私が小学校に上がる前に亡くなった。ガンだった。 当時の私はまだそれがよく分かってなかったと思う。ひどく泣いたり寂しがった覚えはない。 だけど、それ以降、治らないものがある。 一つはおねしょ。 もう一つは、夜、一人でいられないこと。お風呂も一人で入れない。 でも、今はおおむね幸せかな。 だって、お父さんがいてくれるから!。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~

菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。 だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。 車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。 あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

仮初家族

ゴールデンフィッシュメダル
ライト文芸
エリカは高校2年生。 親が失踪してからなんとか一人で踏ん張って生きている。 当たり前を当たり前に与えられなかった少女がそれでも頑張ってなんとか光を見つけるまでの物語。

処理中です...