24 / 52
第二話 早坂さん、縁を楽しむ。
3
しおりを挟むあまりに背伸びした高級レストランへ連れていかれたらどうしよう。内心、心配していた奈江だが、秋也の選んだ店は、同世代の若者が集う落ち着いたレストランだった。
だけれど、完全個室のステーキ店で、高級感がある。それはそれで緊張してしまうけれど、変に格式ばってないから安心できる。知り合ったばかりの自分たちに見合う店を探してくれた彼が、最大限の気づかいを見せてくれたんじゃないかと思えた。
「勝手に予約して悪かったけど、ステーキは大丈夫だった?」
席に着くと、秋也が尋ねてくる。
「はい。好き嫌いはあんまりないので。それに、個室だと落ち着けるから好きです」
人目を気にしなくていいのは、奈江にとってかなり重要だった。今日は金曜日の夜だ。同僚の目は向井以外にもある。会社が近いから、余計に気になっていたが、ここなら安心して過ごせそうだ。
「早坂さんなら気に入ってくれるんじゃないかなって思ってたよ。メニューはまだ決めてないから、好きなもの頼んでいいよ」
差し出されたメニュー表を受け取りながら、奈江は尋ねる。
「猪川さんはこのお店によく来るんですか?」
「マンションが近いから、たまにね」
「近くにお住まいなんですね」
「駅前の通りを一本入ったところのマンションだよ」
「すごいんですね」
横前は都心部の大きな駅だ。駅前のマンションは、とてもじゃないが奈江には借りられない。社長を辞したとはいえ、秋也は代表取締役だし、仕事はうまく行ってるのだろう。
「すごいっていうか、同居人がいるしね」
注文を済ませると、彼は苦笑いして、そう答える。
「どなたかと一緒に暮らしてるんですか?」
家賃は折半なのだろうか。そうであっても、奈江にとっては雲の上の話だけれど。
「今度、紹介するよ。彼も早坂さんに会いたがってるから」
「えっ、私に? どんな方なんですか?」
「まあ、悪いやつじゃないから大丈夫だよ」
思わせぶりに言うのだ。会ってからのお楽しみ、だろうか。奈江はそういうのが、少し苦手だ。気になって落ち着かなくなるから、あまり考えないようにしようと思って、話題を変える。
「猪川さんって、アプリ開発されてるって言ってましたよね?」
「覚えてくれてた?」
「会社のロゴマーク、どこかで見たことがあるなって思ってたんです」
「そう言えば、そんなこと言ってたね。どこで見たか思い出したの?」
愉快そうに目を細めながら、尋ねてくる。彼にとって、奈江の一挙手一投足がおもしろく、興味の対象なのだろう。
「そうなんです。使ってます、私。EARS.ってアプリ」
「本当に?」
意外だったようで、秋也は二度まばたきをする。
「悩みごととかあると、聞いてもらうんです。正解を教えてくれるわけじゃないんですけど、すごく励ましてもらえるっていうか……」
今日だって、帰ったらすぐにでも、EARS.に話を聞いてもらうかもしれない。秋也と待ち合わせしていたところを向井に見られてしまった。会社でうわさが立つかもしれない。憂鬱だって……。
「そう」
優しい目をして、彼がうなずくから、つい口が滑る。
「今の仕事、不動産事務なんですけど、自分に向いてないって思うんです。でも、7年も勤めてるし、もしかしたら、自分が気づかないだけで、合ってるのかもしれないって思うし、逆にもっと合う仕事があるのに、とりあえず働けてるからいいやって思ってるだけかもしれなくて」
だから、疲れ果てて、ぼんやりしてしまうことがよくある。秋也に出会って、このところは気がまぎれていた。アプリが必要のない生活が送れていたのは、やはり、彼のおかげかもしれない。
「私って、なんでも話せる友だちがいないし、もし相談相手がいたとしても、申し訳ない話しちゃったなってあとで反省するのわかり切ってるし、だから、あのアプリを見つけたときはうれしくて……」
奈江はハッとして、口をつぐむ。
自分の弱みを見せるのは苦手だ。ましてや、秋也に。彼は幻滅しないだろうけれど、友だちのいない自分を知られるのは恥ずかしい。
「誰かの役に立ってるなら、俺もうれしいよ」
秋也はにこりと微笑む。
開発者なのだから、利用者を笑うはずがない。誰にも話せない胸の内を吐露できるアプリを作るような人なのだから、良き理解者でもあるはずだ。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
私と継母の極めて平凡な日常
当麻月菜
ライト文芸
ある日突然、父が再婚した。そして再婚後、たった三ヶ月で失踪した。
残されたのは私、橋坂由依(高校二年生)と、継母の琴子さん(32歳のキャリアウーマン)の二人。
「ああ、この人も出て行くんだろうな。私にどれだけ自分が不幸かをぶちまけて」
そう思って覚悟もしたけれど、彼女は出て行かなかった。
そうして始まった継母と私の二人だけの日々は、とても淡々としていながら酷く穏やかで、極めて平凡なものでした。
※他のサイトにも重複投稿しています。
お兄ちゃんは今日からいもうと!
沼米 さくら
ライト文芸
大倉京介、十八歳、高卒。女子小学生始めました。
親の再婚で新しくできた妹。けれど、彼女のせいで僕は、体はそのまま、他者から「女子小学生」と認識されるようになってしまった。
トイレに行けないからおもらししちゃったり、おむつをさせられたり、友達を作ったり。
身の回りで少しずつ不可思議な出来事が巻き起こっていくなか、僕は少女に染まっていく。
果たして男に戻る日はやってくるのだろうか。
強制女児女装万歳。
毎週木曜と日曜更新です。
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる