太陽と傀儡のマドンナ

水城ひさぎ

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那波の生まれた場所

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***


「うわぁ、それ、お母さん見たら心配するよー、お兄ちゃん」
「え……、あ、わっ! なんだよ、美都夜! 勝手に部屋に入ってくるなっていつも言ってるだろっ!」

 慌てて勉強机に伏せる俺の腕の中には、スマホがある。
 那波と並んで映した写真を美都夜に見られたようだ。焦りながら画面を消したがもう遅い。

 俺の後ろに立つ美都夜はにやにやしながらも、すぐに部屋の外へと目を向ける。

「だって伯母さんがお兄ちゃんに会いたいって言ってるから呼んできてってお母さんが」
「伯母さん、もう来てる? 具合良くなったって?」

 伯母は、父の二歳年上の姉だ。
 先日体調を崩して母が見舞いに行った。そのお礼を兼ねて久しぶりに俺たちに会いに来るとは聞いていたが、いつの間にか来ていたようだ。

「もうすっかり良くなったみたい。美味しそうなケーキ持ってきてくれたんだよ! 近くのお店のなんだって。伯母さんってこの辺のことに詳しいから、いろんなお店紹介してもらわなきゃ!」
「あ、そうか。伯母さん、この辺のことに詳しいんだ」
「そうだよ。だって生まれも育ちもここだもんね。それよりさ、さっきの写真、何? とうとう付き合うことになったの?」

 美都夜は俺の手の中のスマホを横目で見る。

「まさか」
「だよねー。お兄ちゃんがあんな美女と付き合えるわけないもん。隠し撮りしてないだけマシだねー」
「ちょっとそれは考えたんだけどさ、やっぱり良くないかなって思ってさ」
「マジ? やめてよねー。気持ち悪いって嫌われるよー」
「だよな……。でもさ、飛流さんの写真なんて借りれるもんでもないからさ」
「借りる? 何かに使うの?」

 美都夜は鋭いところがある。茶化す目をしていたのに、急に真顔になる。

「ああ、ちょっと知りたいことがあって」
「また変なことに首突っ込もうとしてるの?」
「知ったからってどうなるもんでもないだろうし、俺が何か出来ることもないだろうけどさ、やっぱり一緒に悩んだりは出来るだろ?」
「まあ……、なんていうのか、お兄ちゃんってお人好しだね。で、何を知りたいの? 私も協力するよ」

 そういう美都夜もお人好しだ。

「前から考えてたことがあってさ」

 俺なりに那波の苦しみを理解したくて考えていたことがある。

 本来なら美都夜を巻き込むことでもないが、こんなことを相談できるのは生憎妹だけだ。
 美都夜は反対するかもしれないが、話してもかまわない気がした。

「この間、嘉木野さんちの工房の前を通ってみたんだ。今は嘉木野記念館になってた。中には入ってないけど、受付に人はいたから、あの人形のこと知ってる人に会わせてもらえないかと思ったんだ」
「嘉木野さん? まだあの人に似た人形のこと調べてたの?」
「自分でもどうしたらいいかわからないんだ。ただ取っ掛かりが欲しくてさ。飛流さんが何か秘密を抱えてて、苦しんでるのはわかるのに肝心なことは話してくれないから、どうにかしたいって思ってるだけで」
「話したくないから話さないんでしょ? それを無理やり掘り返すのってどうかと思うし、そもそも嘉木野記念館の人に何をどうやって聞くつもり? 飛流那波の写真見せて、あの人形との関係教えてくださいなんて言って、お兄ちゃんみたいな得体の知れない人に簡単に話してくれると思う?」

 美都夜の言うことはいちいちもっともだ。

「でも何かしたいんだ。時間がないから……」
「時間?」
「飛流さん、高校卒業したらもう誰とも会わないらしい。そんな人生、彼女に送らせたくないんだ」
「誰とも会わないって……、つまんない人生だね。つまんないどころじゃないか。異様だよね」
「そんな人生、人生じゃないよな。芽依に許されてることが、飛流さんはダメだなんておかしいよ」
「……お兄ちゃんの気持ちはわからなくないけど、嘉木野さんちを突然訪ねるのはどうかと思うよ。あ、前に写真集貸してくれた友達のお母さんにお願いしたら、嘉木野記念館に一緒に行ってもらえるかも。それぐらいなら私でも頼めるよ」

 美都夜はそう提案するが、いまいち気は進まない。

「迷惑になるよ。どうして俺がそんなことするのか説明するのもあんまり……」
「まあ、だよね。身の丈に合わない恋してます、なんて言えないよねー?」
「なっ……、そ、そういうことじゃないだろっ」

 かあっと赤くなって声を荒げる俺に、美都夜は冷ややかだ。我が妹ながら、老生していると思う。

「じゃあやめれば? 大金持ちの、人に知られたくない秘密を暴いて何になるの? 飛流家の人が納得してるならいいじゃん。お兄ちゃんは高校卒業したら飛流那波に会えなくなるだけ。今お兄ちゃんの身に起きてることは、昔変わった美女が高校にいたなーって、おじさんになった時に思い出す程度のことでしょ?」
「……そんな、身もふたもないこと言うなよ」
「お兄ちゃんには荷が重い相手なんじゃない?」
「でもさ、やっぱりなんていうか……」

 往生際の悪い俺に、美都夜は言う。

「お兄ちゃんも、飛流芽依の方を好きになったら良かったね。そうだったら高校卒業しても会えるんでしょ? 普通に失恋して終わっていく恋になったのにね。なんで飛流那波なの?」
「なんでって……」
「どう見ても、飛流芽依の方がお兄ちゃん好みって感じしたけどな」
「美都夜は小さい頃の写真でしか芽依の顔見たことないだろ?……飛流さんだって美人だし、っていうか顔じゃないし……。だいたいなんでこんなこと美都夜に話さなきゃいけないんだよ」
「お兄ちゃんが言い出したんでしょ。あ、伯母さん待たせすぎー! はやく行こっ」

 美都夜はすっかり伯母のことを忘れていたようだ。

 急に思い出して慌てて飛び出していく落ち着きのない妹にあきれながら、俺もスマホをポケットに入れて部屋を出た。

 リビングでは、母と伯母がすっかり意気投合した様子で談笑していた。

 伯母は結婚してすぐに夫を亡くし、以来再婚もせず、子供もいない。だからか、俺たち兄妹のことを昔から我が子のように可愛がってくれていて、いつも気にかけてくれている気さくな人だ。

「ありがとう、美都夜ちゃん。凪くんもせっかくの休日なのにごめんねぇ。良かったらケーキ食べて」

 俺を呼びに来た美都夜に礼を言った伯母は、ホールのチーズケーキを取り分けた皿を俺の前に差し出した。

 最近よくチーズケーキを目にする。
 すぐにチーズケーキが好きな那波を連想したりして、俺の頭の中は彼女一色だなと心の中で苦笑しつつ、椅子に腰かけた。

「伯母さん、元気そうだね。腰だっけ?」

 伯母は腰に手を当てて、「そうなの」とさする。

「ぎっくり腰よ。もう動けなくて、紀子のりこさんが来てくれて本当に助かったわ。みんなには心配かけたわね」

 伯母は母に礼を言い、隣で早速美味しそうにチーズケーキを食べる美都夜を微笑ましそうに見つめた。

「美都夜ちゃんはもう学校に慣れた?」
「私はね、大丈夫。結構県外から来てる人もいるし、中学校から仲良しの人の方が少ない学校だから、すぐに馴染めたよ」
「あらそう、良かったわね。美都夜ちゃんは明るいからすぐにお友達も出来そうね」
「うん、今度新しく出来た友達とショッピング行くの。このチーズケーキもすっごく美味しいし、伯母さん、近くでおすすめのレストランとか教えて」
「近くでショッピングなら駅の南がおすすめよ。風情のあるお店から、美都夜ちゃんぐらいの年頃の子が好きそうな雑貨店とか古着屋さんがたくさんあるわよ。ちょっとした観光地になってるのよ」
「駅の南はまだ行ったことないなー。なんだか楽しそう」

 田舎町だから、逆に遊びに行くならそこしかないんじゃないかと思ったりもしたが、そんなことは口に出せなくて、俺は黙って話を聞いた。

「このチーズケーキもそこで買ってきたのよ。この辺でチーズケーキと言ったらここね。おばさんが子供の頃からある喫茶店で売ってるのよ。今は息子さんに代が変わってるけど、素朴な味は昔から変わらないわ」
「へえー、有名なチーズケーキなんだー」
「そうそう、ずいぶんと前に雑誌に載ってちょっとした騒ぎになったことがあるらしいわ。あれから取材は受けるのやめたって店長さんが言ってたから、今は知る人ぞ知る名店ね」
「ちょっとした騒ぎ?」

 美都夜は噂好きだ。心を揺さぶる言葉を聞き逃したりはしなかった。

「ほら、凪くんは知ってるでしょ? 飛流さんちのお子さんのこと」
「え?」

 急に伯母に話をふられて戸惑う。まさか今、飛流の名を聞くとは思っていなかったのだ。

「英美学園に通ってるって紀子さんから聞いたけど、違ったかしら?」
「ええ、凪は英美学園よ。ちょっと個性的な学校みたいだけど、なんとか楽しくやってるみたいよ。ね、凪?」

 母が助け舟を出す。

「あ、ああ、そうなんだ、伯母さん。飛流さんとは違うクラスなんだけど、知ってるよ」
「すごく綺麗な子でしょう?」
「え、まあ、モデルみたいな感じかな」
「今でもモデルみたいに綺麗なのね。昔から可愛らしくて評判のお嬢様だったみたいよ。だからね、雑誌の取材の時に、飛流さんちのお子さんがちょうどチーズケーキを買いにご両親と喫茶店に来てたらしくて、親子三人で仲良くケーキを食べるところを急きょセッティングしたらしいのよ。その雑誌がきっかけで飛流さんちのお子さん目当てのお客さんが増えたりして、しばらくてんやわんやだったらしいわよ」
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