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悲しみのキャストドール
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「……え?」
火照る頬が急激に冷めていく。それほど那波が悲しげに言うから。
「私を抱きしめてくれたのは祖父母だけ。もう私を抱きしめてくれる人なんていない……」
那波は両手で顔を覆う。吐き出す息がさみしげで、悲しげで、俺は手を伸ばさずにはいられない。
ひんやりとする那波の手首に触れる。一瞬離してしまう。それほど冷たい。
なぜ、と考えたらいけない気がして、全てを曖昧にしたまま、悲しげに俺を見上げる彼女にもう一度触れる。
恋をするというのはこういうことだろう。那波が何者であろうと、俺は彼女の全てをいとしいと感じたいのだ。
「俺が……」
抱きしめてあげたい。
きっと何度も悲しい思いをしてきただろう彼女を、抱きしめてやりたいのだ。
「木梨くん?」
「いるよ……。飛流さんを抱きしめてくれる人はいるよ。だから、そんなに悲しい顔をする必要なんてないんだ」
「本当……?」
「でも誰だっていいわけじゃないよね……?」
抱きしめてくれるなら誰だって。そんな風に那波は思わないだろう。
祖父母に愛されて育ったからこそ、真の愛情でなければ彼女は納得しないだろう。
「飛流さんが抱きしめて欲しいって思える相手じゃなきゃ、何もしたらいけないよ」
那波から手を離す。理性が俺を押し留める。彼女に好きだと言ってもらえる日なんて来ないだろう。それでも俺は、強引に彼女を自分のものになんてする勇気はないのだ。
那波は俺の触れた手首をもう片手で包み込み、手のひらに頬をうずめてそっと息を吐き出した。
「木梨くんの手……、あったかいのね」
那波は芽依が来るまで、ぬくもりを大切に抱きしめるように手首を胸に抱き寄せていた。
彼女にはぬくもりが足りない。祖父母に大事にされた話はしても、両親との優しい記憶の話はしない。彼女に足りない愛情が何であるかを俺はうすうす気づいている。
程なくして部屋へやってきた芽依は、俺の目の前でお茶の準備をする。
愛情に溢れた家庭に育った子供のように、明るくて素直な笑顔を見せている。
美しい姉妹が偏った愛情を受けて育った理由はなんだというのだろう。
「那波はチーズケーキね。凪もかな? それともショートケーキ? あ、チョコレートケーキ?」
芽依は二つずつある三種類のケーキを俺に選ばせる。那波はチーズケーキと決まっているようだ。
「芽依は?」
「私はショートケーキ。イチゴが大好きなの」
「じゃあ、俺もチーズケーキもらっていいかな」
「凪もチーズケーキ? 那波もチーズケーキが好きなの。だからママはいつもチーズケーキ買ってくるの」
「へえ、そうなんだ。二人とも、お母さんと仲がいいんだね」
多少試す気持ちはあった。那波は誰と確執があるのか。さりげなくさぐったつもりだった。
すると、ケーキを取り分ける芽依が、紅茶を注ぐ那波に微笑みかけて言う。
「私たちがこういう風になってから、ママは優しくなったんだよね、那波」
那波は無言だが、眉をひそめる。
「私は嬉しいの。那波と一緒に学校に行けて、一緒に過ごせて。このままずっと那波と二人で生きていけたらいいって思ってる」
「だめよ、芽依。そんなこと言ったらだめ」
「どうして? 那波は私が嫌いなの?」
「そんなわけないじゃない。……やめましょう、こんな話。こんな話、二度と他人の前でしたらだめよ」
他人……。
確かに二人にとって俺は部外者だ。だが、他人と言われてしまうような関係性に、俺の胸は痛む。
「凪は他の人と違うでしょ?」
芽依は那波の言葉に納得できない様子だ。
「何が違うの?」
「那波と仲良くしてくれてる。そんな人、今までにいなかったじゃない」
「だからなんだと言うの?」
那波はそう言って、俺と目が合うとすぐに目を伏せる。
「ごめんなさい、木梨くん。違うの……。ただ、あなたには理解できないと思っただけなの。あなただけじゃないわ。誰だって理解なんてできない」
「飛流さん、気にしてないよ」
嘘だ。心はズタズタ一歩手前だ。
「人にはいろいろ事情ってあるだろうし、悩みを話せる相手を慎重に選ぶのはいいことだよ。だけどさ、俺は理解できないことも、理解したいって気持ちだけは持ってるつもりだから」
強がってみたものの、那波は不安そうだ。
それとは対称的に、芽依は笑顔を見せている。那波は深刻に考えすぎていて、芽依は楽観的すぎている。そんな印象は否めない。
「木梨くん、ケーキを食べたら、服を運んでくれるかしら? 私……、ちょっと疲れてしまって……」
急に那波は言い出すと、ケーキには手をつけずに立ち上がる。
必要最低限の家具しか置かれていない簡素な部屋は那波らしくもあるが、勝手に抱いていた女の子の部屋のイメージとは異なる。
その部屋の片隅に置かれたテーブルには、何枚かのワンピースが広げられている。
「あれ? 那波。黒のワンピースは?」
テーブルに近づく那波を追いかけて、ワンピースを眺めた芽依が尋ねる。
「あれは出せないわ」
「でもあれが一番、メイドさんらしいのに」
「ワンピースならなんでもいいって言ってたじゃない。もう着ない服ばかりだから、サイズは直してもらってもかまわないわ」
「あ、そっか。黒のワンピースはまだ着るんだね。私、あの服が好きよ。ううん、あの服を来た那波も大好き」
芽依は那波に抱きつく。
那波は困ったように眉根を寄せただけだったが、すぐにそっと芽依を離すと、無言で奥の扉の中へと入っていった。
芽依はすぐに俺のところへ戻ってくると、「ケーキ食べましょ」と笑顔を見せる。
「飛流さんは大丈夫かな?」
「那波はいつもああなの。学校に行くと疲れちゃうのかな。慣れてないみたい」
「慣れてない?」
「うん。那波ね、ずっと学校に行かせてもらえなくて。初めてなの。高校になって初めて学校に通えるようになったの。だから、たくさんのお友達と過ごすの、疲れちゃうのかな」
「え、小学校も中学校も行ってない?」
体が弱いのだろうか。確かに健康的とは言いがたいけれど。
「ずっとおじいちゃんとおばあちゃんが勉強もマナーも教えてて。だから私よりずっと那波は優秀なの」
「だから人付き合いが苦手なんだ……」
「そうなの。ありがとうね、凪。これからも那波と仲良くしてあげてね」
いつも無邪気に笑う芽依が、ふと優しい眼差しで微笑む。
ああ、芽依はやっぱり姉なのだ。再確認するような笑顔だ。芽依は妹の那波のことを誰よりも心配している。
那波の消えた奥の扉へと目を向ける。
そこは寝室だろうか。眠ってしまったかもしれない。奥の部屋からは物音一つ聞こえてこなかった。
火照る頬が急激に冷めていく。それほど那波が悲しげに言うから。
「私を抱きしめてくれたのは祖父母だけ。もう私を抱きしめてくれる人なんていない……」
那波は両手で顔を覆う。吐き出す息がさみしげで、悲しげで、俺は手を伸ばさずにはいられない。
ひんやりとする那波の手首に触れる。一瞬離してしまう。それほど冷たい。
なぜ、と考えたらいけない気がして、全てを曖昧にしたまま、悲しげに俺を見上げる彼女にもう一度触れる。
恋をするというのはこういうことだろう。那波が何者であろうと、俺は彼女の全てをいとしいと感じたいのだ。
「俺が……」
抱きしめてあげたい。
きっと何度も悲しい思いをしてきただろう彼女を、抱きしめてやりたいのだ。
「木梨くん?」
「いるよ……。飛流さんを抱きしめてくれる人はいるよ。だから、そんなに悲しい顔をする必要なんてないんだ」
「本当……?」
「でも誰だっていいわけじゃないよね……?」
抱きしめてくれるなら誰だって。そんな風に那波は思わないだろう。
祖父母に愛されて育ったからこそ、真の愛情でなければ彼女は納得しないだろう。
「飛流さんが抱きしめて欲しいって思える相手じゃなきゃ、何もしたらいけないよ」
那波から手を離す。理性が俺を押し留める。彼女に好きだと言ってもらえる日なんて来ないだろう。それでも俺は、強引に彼女を自分のものになんてする勇気はないのだ。
那波は俺の触れた手首をもう片手で包み込み、手のひらに頬をうずめてそっと息を吐き出した。
「木梨くんの手……、あったかいのね」
那波は芽依が来るまで、ぬくもりを大切に抱きしめるように手首を胸に抱き寄せていた。
彼女にはぬくもりが足りない。祖父母に大事にされた話はしても、両親との優しい記憶の話はしない。彼女に足りない愛情が何であるかを俺はうすうす気づいている。
程なくして部屋へやってきた芽依は、俺の目の前でお茶の準備をする。
愛情に溢れた家庭に育った子供のように、明るくて素直な笑顔を見せている。
美しい姉妹が偏った愛情を受けて育った理由はなんだというのだろう。
「那波はチーズケーキね。凪もかな? それともショートケーキ? あ、チョコレートケーキ?」
芽依は二つずつある三種類のケーキを俺に選ばせる。那波はチーズケーキと決まっているようだ。
「芽依は?」
「私はショートケーキ。イチゴが大好きなの」
「じゃあ、俺もチーズケーキもらっていいかな」
「凪もチーズケーキ? 那波もチーズケーキが好きなの。だからママはいつもチーズケーキ買ってくるの」
「へえ、そうなんだ。二人とも、お母さんと仲がいいんだね」
多少試す気持ちはあった。那波は誰と確執があるのか。さりげなくさぐったつもりだった。
すると、ケーキを取り分ける芽依が、紅茶を注ぐ那波に微笑みかけて言う。
「私たちがこういう風になってから、ママは優しくなったんだよね、那波」
那波は無言だが、眉をひそめる。
「私は嬉しいの。那波と一緒に学校に行けて、一緒に過ごせて。このままずっと那波と二人で生きていけたらいいって思ってる」
「だめよ、芽依。そんなこと言ったらだめ」
「どうして? 那波は私が嫌いなの?」
「そんなわけないじゃない。……やめましょう、こんな話。こんな話、二度と他人の前でしたらだめよ」
他人……。
確かに二人にとって俺は部外者だ。だが、他人と言われてしまうような関係性に、俺の胸は痛む。
「凪は他の人と違うでしょ?」
芽依は那波の言葉に納得できない様子だ。
「何が違うの?」
「那波と仲良くしてくれてる。そんな人、今までにいなかったじゃない」
「だからなんだと言うの?」
那波はそう言って、俺と目が合うとすぐに目を伏せる。
「ごめんなさい、木梨くん。違うの……。ただ、あなたには理解できないと思っただけなの。あなただけじゃないわ。誰だって理解なんてできない」
「飛流さん、気にしてないよ」
嘘だ。心はズタズタ一歩手前だ。
「人にはいろいろ事情ってあるだろうし、悩みを話せる相手を慎重に選ぶのはいいことだよ。だけどさ、俺は理解できないことも、理解したいって気持ちだけは持ってるつもりだから」
強がってみたものの、那波は不安そうだ。
それとは対称的に、芽依は笑顔を見せている。那波は深刻に考えすぎていて、芽依は楽観的すぎている。そんな印象は否めない。
「木梨くん、ケーキを食べたら、服を運んでくれるかしら? 私……、ちょっと疲れてしまって……」
急に那波は言い出すと、ケーキには手をつけずに立ち上がる。
必要最低限の家具しか置かれていない簡素な部屋は那波らしくもあるが、勝手に抱いていた女の子の部屋のイメージとは異なる。
その部屋の片隅に置かれたテーブルには、何枚かのワンピースが広げられている。
「あれ? 那波。黒のワンピースは?」
テーブルに近づく那波を追いかけて、ワンピースを眺めた芽依が尋ねる。
「あれは出せないわ」
「でもあれが一番、メイドさんらしいのに」
「ワンピースならなんでもいいって言ってたじゃない。もう着ない服ばかりだから、サイズは直してもらってもかまわないわ」
「あ、そっか。黒のワンピースはまだ着るんだね。私、あの服が好きよ。ううん、あの服を来た那波も大好き」
芽依は那波に抱きつく。
那波は困ったように眉根を寄せただけだったが、すぐにそっと芽依を離すと、無言で奥の扉の中へと入っていった。
芽依はすぐに俺のところへ戻ってくると、「ケーキ食べましょ」と笑顔を見せる。
「飛流さんは大丈夫かな?」
「那波はいつもああなの。学校に行くと疲れちゃうのかな。慣れてないみたい」
「慣れてない?」
「うん。那波ね、ずっと学校に行かせてもらえなくて。初めてなの。高校になって初めて学校に通えるようになったの。だから、たくさんのお友達と過ごすの、疲れちゃうのかな」
「え、小学校も中学校も行ってない?」
体が弱いのだろうか。確かに健康的とは言いがたいけれど。
「ずっとおじいちゃんとおばあちゃんが勉強もマナーも教えてて。だから私よりずっと那波は優秀なの」
「だから人付き合いが苦手なんだ……」
「そうなの。ありがとうね、凪。これからも那波と仲良くしてあげてね」
いつも無邪気に笑う芽依が、ふと優しい眼差しで微笑む。
ああ、芽依はやっぱり姉なのだ。再確認するような笑顔だ。芽依は妹の那波のことを誰よりも心配している。
那波の消えた奥の扉へと目を向ける。
そこは寝室だろうか。眠ってしまったかもしれない。奥の部屋からは物音一つ聞こえてこなかった。
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