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叶わないけど、幸せです!
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観光地の外れにある、冬の静寂が漂う山あいの集落。冷たい風が吹き抜けると落葉樹の葉が落ち、清らかな川は凍ることなく、穏やかに流れている。
「行きたい場所があるんだ」
貴彦さんがそう言ったのは、老舗旅館にチェックインしたあとだった。
タクシーで集落の駐車場に到着したのは、30分後。賑やかしい観光地とはまた違う、風情のある景色を眺め見ていると、貴彦さんは私の手を握ってゆるい坂道をのぼり始める。
「先に何があるの?」
「酒蔵があるんだよ。土産物屋もあるらしいから、いくつか日本酒を買って帰ろう」
「貴彦さん、そんなに日本酒がお好きだった?」
接待でお酒を飲む彼は、自宅ではほとんど飲まない。私もそうだ。酔うのが怖くて、パーティーに呼ばれれば、付き合い程度に飲むだけ。
わざわざ、旅行先の目的の一つを酒蔵にするほど好きだったとは思わなくて驚くと、彼はそっと笑む。
「美容にもいいと聞く、名酒だからね」
坂道をのぼり切ると、趣のある蔵と大きな屋敷が現れる。酒蔵と住居兼販売所だろうか、屋敷に出入りする観光客の姿がちらほらと見える。
販売所へ向かう私は、看板を見つけて足を止めた。
「貴彦さん、ここって……」
「ああ、知り合いの弁護士の義実家なんだ」
「えっ?」
「覚えてるか? 顧問弁護士になってもらうか迷ってるって話した、彼女」
安西ゆかりさんの義実家?
私はふたたび、看板を眺める。
『河山酒造』
何度見ても間違いない。そう書かれている。
「河山さんなの?」
「安西さんは今は結婚して、河山ゆかりになってる。仕事のときは旧姓を名乗ってるんだけどね」
「河山さんって……、先日、お会いした方じゃないの? 海外事業部の」
「よく覚えてるな。そう。海外事業部の河山くんと安西さんは夫婦なんだ」
どういうこと? 頭が混乱する。
「ご夫婦だから、顧問弁護士にするか迷ってるの?」
「それもある。まあ、夫婦だって知ったのは、久宝くんの調査に引っかかったからなんだけどね」
それじゃあ、迷っていたのは、河山さんとは関係ない理由もあるのだろう。やっぱり、安西さんは貴彦さんの元カノなんじゃないだろうか。そんな疑念が湧くのを感じながら、尋ねる。
「それで、今日はどうしてここへ?」
「河山くんの生い立ちについて話を詳しく聞きたくてね、ご母堂に会いに来たんだ」
「急に旅行だなんて言うから、何かと思ったら……」
名酒も旅行も口実だったとわかり、あきれてしまう。
「もちろん、話が済んだら、美奈子との旅行を楽しむつもりだ」
「ついでだからって怒ってないわ」
「ついでじゃないよ。こっちがついでなんだ」
嘘ばっかり。と、ほおをふくらませると、貴彦さんはククッと笑う。子どもみたいに怒って、って笑ってるんだろう。
「どうする? 美奈子も一緒に行くか?」
「もちろん行くわ。イチノセの一大事に関わることなのでしょう?」
「我が妻は頼もしいね」
茶化されてるんじゃないか。そんなふうに思いながらも、陽気に笑う貴彦さんとともに、酒蔵へと向かう。
「すみません。こちらに、河山寿々子さんという方はいらっしゃいますか?」
酒蔵の入り口で作業をしている若者にそう尋ねると、「おばさんなら土産物屋にいるよ」と返事が返ってくる。
「東京から来た人?」
若者は続けて話しかけてくる。
「ええ、そうですが、何か?」
「いや、何日か前にも、おばさんに会いに東京から人が来たから」
「どなたが?」
「詳しくは聞いてないけど、年配の人だったよ。弘也のことで何かあるならさ、弘也に聞いてくれるといいんだけどね」
少しばかり投げやりな態度だ。あまり歓迎されてないみたい。
「寿々子さんには少し、弘也さんの近況について伝えたいことがあるだけですので」
「用が済んだら、さっさと帰ってくれよ。おばさんさ、弘也のことになると神経質になるから」
「わかりました」
不服そうな顔をする若者から離れると、貴彦さんはそのまま土産物屋へ向かう。
「河山さんのお母さま、寿々子さんとおっしゃるの?」
「ああ。河山酒造の三女でね。どこにも嫁がずにご両親の手伝いを続けてるらしい。さっきの青年はきっと、寿々子さんの甥御さんだろう」
どこにも嫁がずって、弘也さんは寿々子さんの息子さんじゃないの?
なかなか、その疑問を口には出せず、土産物屋へ入っていく貴彦さんの後ろについていく。
店内には、ぽつりぽつりと観光客がいた。アルバイトだろうか、レジには若い女の子がいる。ほかには、品出しをする老女がひとり。
貴彦さんは老女に近づくと、丁寧に頭を下げる。
「お尋ねしたいのですが、河山寿々子さんはこちらにいらっしゃいますか? 東京から来ました、久宝貴彦と申します」
観光地の外れにある、冬の静寂が漂う山あいの集落。冷たい風が吹き抜けると落葉樹の葉が落ち、清らかな川は凍ることなく、穏やかに流れている。
「行きたい場所があるんだ」
貴彦さんがそう言ったのは、老舗旅館にチェックインしたあとだった。
タクシーで集落の駐車場に到着したのは、30分後。賑やかしい観光地とはまた違う、風情のある景色を眺め見ていると、貴彦さんは私の手を握ってゆるい坂道をのぼり始める。
「先に何があるの?」
「酒蔵があるんだよ。土産物屋もあるらしいから、いくつか日本酒を買って帰ろう」
「貴彦さん、そんなに日本酒がお好きだった?」
接待でお酒を飲む彼は、自宅ではほとんど飲まない。私もそうだ。酔うのが怖くて、パーティーに呼ばれれば、付き合い程度に飲むだけ。
わざわざ、旅行先の目的の一つを酒蔵にするほど好きだったとは思わなくて驚くと、彼はそっと笑む。
「美容にもいいと聞く、名酒だからね」
坂道をのぼり切ると、趣のある蔵と大きな屋敷が現れる。酒蔵と住居兼販売所だろうか、屋敷に出入りする観光客の姿がちらほらと見える。
販売所へ向かう私は、看板を見つけて足を止めた。
「貴彦さん、ここって……」
「ああ、知り合いの弁護士の義実家なんだ」
「えっ?」
「覚えてるか? 顧問弁護士になってもらうか迷ってるって話した、彼女」
安西ゆかりさんの義実家?
私はふたたび、看板を眺める。
『河山酒造』
何度見ても間違いない。そう書かれている。
「河山さんなの?」
「安西さんは今は結婚して、河山ゆかりになってる。仕事のときは旧姓を名乗ってるんだけどね」
「河山さんって……、先日、お会いした方じゃないの? 海外事業部の」
「よく覚えてるな。そう。海外事業部の河山くんと安西さんは夫婦なんだ」
どういうこと? 頭が混乱する。
「ご夫婦だから、顧問弁護士にするか迷ってるの?」
「それもある。まあ、夫婦だって知ったのは、久宝くんの調査に引っかかったからなんだけどね」
それじゃあ、迷っていたのは、河山さんとは関係ない理由もあるのだろう。やっぱり、安西さんは貴彦さんの元カノなんじゃないだろうか。そんな疑念が湧くのを感じながら、尋ねる。
「それで、今日はどうしてここへ?」
「河山くんの生い立ちについて話を詳しく聞きたくてね、ご母堂に会いに来たんだ」
「急に旅行だなんて言うから、何かと思ったら……」
名酒も旅行も口実だったとわかり、あきれてしまう。
「もちろん、話が済んだら、美奈子との旅行を楽しむつもりだ」
「ついでだからって怒ってないわ」
「ついでじゃないよ。こっちがついでなんだ」
嘘ばっかり。と、ほおをふくらませると、貴彦さんはククッと笑う。子どもみたいに怒って、って笑ってるんだろう。
「どうする? 美奈子も一緒に行くか?」
「もちろん行くわ。イチノセの一大事に関わることなのでしょう?」
「我が妻は頼もしいね」
茶化されてるんじゃないか。そんなふうに思いながらも、陽気に笑う貴彦さんとともに、酒蔵へと向かう。
「すみません。こちらに、河山寿々子さんという方はいらっしゃいますか?」
酒蔵の入り口で作業をしている若者にそう尋ねると、「おばさんなら土産物屋にいるよ」と返事が返ってくる。
「東京から来た人?」
若者は続けて話しかけてくる。
「ええ、そうですが、何か?」
「いや、何日か前にも、おばさんに会いに東京から人が来たから」
「どなたが?」
「詳しくは聞いてないけど、年配の人だったよ。弘也のことで何かあるならさ、弘也に聞いてくれるといいんだけどね」
少しばかり投げやりな態度だ。あまり歓迎されてないみたい。
「寿々子さんには少し、弘也さんの近況について伝えたいことがあるだけですので」
「用が済んだら、さっさと帰ってくれよ。おばさんさ、弘也のことになると神経質になるから」
「わかりました」
不服そうな顔をする若者から離れると、貴彦さんはそのまま土産物屋へ向かう。
「河山さんのお母さま、寿々子さんとおっしゃるの?」
「ああ。河山酒造の三女でね。どこにも嫁がずにご両親の手伝いを続けてるらしい。さっきの青年はきっと、寿々子さんの甥御さんだろう」
どこにも嫁がずって、弘也さんは寿々子さんの息子さんじゃないの?
なかなか、その疑問を口には出せず、土産物屋へ入っていく貴彦さんの後ろについていく。
店内には、ぽつりぽつりと観光客がいた。アルバイトだろうか、レジには若い女の子がいる。ほかには、品出しをする老女がひとり。
貴彦さんは老女に近づくと、丁寧に頭を下げる。
「お尋ねしたいのですが、河山寿々子さんはこちらにいらっしゃいますか? 東京から来ました、久宝貴彦と申します」
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