上 下
23 / 26
叶わないけど、幸せです!

2

しおりを挟む
***


 観光地の外れにある、冬の静寂が漂う山あいの集落。冷たい風が吹き抜けると落葉樹の葉が落ち、清らかな川は凍ることなく、穏やかに流れている。

「行きたい場所があるんだ」

 貴彦さんがそう言ったのは、老舗旅館にチェックインしたあとだった。

 タクシーで集落の駐車場に到着したのは、30分後。賑やかしい観光地とはまた違う、風情のある景色を眺め見ていると、貴彦さんは私の手を握ってゆるい坂道をのぼり始める。

「先に何があるの?」
「酒蔵があるんだよ。土産物屋もあるらしいから、いくつか日本酒を買って帰ろう」
「貴彦さん、そんなに日本酒がお好きだった?」

 接待でお酒を飲む彼は、自宅ではほとんど飲まない。私もそうだ。酔うのが怖くて、パーティーに呼ばれれば、付き合い程度に飲むだけ。

 わざわざ、旅行先の目的の一つを酒蔵にするほど好きだったとは思わなくて驚くと、彼はそっと笑む。

「美容にもいいと聞く、名酒だからね」

 坂道をのぼり切ると、趣のある蔵と大きな屋敷が現れる。酒蔵と住居兼販売所だろうか、屋敷に出入りする観光客の姿がちらほらと見える。

 販売所へ向かう私は、看板を見つけて足を止めた。

「貴彦さん、ここって……」
「ああ、知り合いの弁護士の義実家なんだ」
「えっ?」
「覚えてるか? 顧問弁護士になってもらうか迷ってるって話した、彼女」

 安西ゆかりさんの義実家?

 私はふたたび、看板を眺める。

『河山酒造』

 何度見ても間違いない。そう書かれている。

「河山さんなの?」
「安西さんは今は結婚して、河山ゆかりになってる。仕事のときは旧姓を名乗ってるんだけどね」
「河山さんって……、先日、お会いした方じゃないの? 海外事業部の」
「よく覚えてるな。そう。海外事業部の河山くんと安西さんは夫婦なんだ」

 どういうこと? 頭が混乱する。

「ご夫婦だから、顧問弁護士にするか迷ってるの?」
「それもある。まあ、夫婦だって知ったのは、久宝くんの調査に引っかかったからなんだけどね」

 それじゃあ、迷っていたのは、河山さんとは関係ない理由もあるのだろう。やっぱり、安西さんは貴彦さんの元カノなんじゃないだろうか。そんな疑念が湧くのを感じながら、尋ねる。

「それで、今日はどうしてここへ?」
「河山くんの生い立ちについて話を詳しく聞きたくてね、ご母堂に会いに来たんだ」
「急に旅行だなんて言うから、何かと思ったら……」

 名酒も旅行も口実だったとわかり、あきれてしまう。

「もちろん、話が済んだら、美奈子との旅行を楽しむつもりだ」
「ついでだからって怒ってないわ」
「ついでじゃないよ。こっちがついでなんだ」

 嘘ばっかり。と、ほおをふくらませると、貴彦さんはククッと笑う。子どもみたいに怒って、って笑ってるんだろう。

「どうする? 美奈子も一緒に行くか?」
「もちろん行くわ。イチノセの一大事に関わることなのでしょう?」
「我が妻は頼もしいね」

 茶化されてるんじゃないか。そんなふうに思いながらも、陽気に笑う貴彦さんとともに、酒蔵へと向かう。

「すみません。こちらに、河山寿々子すずこさんという方はいらっしゃいますか?」

 酒蔵の入り口で作業をしている若者にそう尋ねると、「おばさんなら土産物屋にいるよ」と返事が返ってくる。

「東京から来た人?」

 若者は続けて話しかけてくる。

「ええ、そうですが、何か?」
「いや、何日か前にも、おばさんに会いに東京から人が来たから」
「どなたが?」
「詳しくは聞いてないけど、年配の人だったよ。弘也のことで何かあるならさ、弘也に聞いてくれるといいんだけどね」

 少しばかり投げやりな態度だ。あまり歓迎されてないみたい。

「寿々子さんには少し、弘也さんの近況について伝えたいことがあるだけですので」
「用が済んだら、さっさと帰ってくれよ。おばさんさ、弘也のことになると神経質になるから」
「わかりました」

 不服そうな顔をする若者から離れると、貴彦さんはそのまま土産物屋へ向かう。

「河山さんのお母さま、寿々子さんとおっしゃるの?」
「ああ。河山酒造の三女でね。どこにも嫁がずにご両親の手伝いを続けてるらしい。さっきの青年はきっと、寿々子さんの甥御さんだろう」

 どこにも嫁がずって、弘也さんは寿々子さんの息子さんじゃないの?

 なかなか、その疑問を口には出せず、土産物屋へ入っていく貴彦さんの後ろについていく。

 店内には、ぽつりぽつりと観光客がいた。アルバイトだろうか、レジには若い女の子がいる。ほかには、品出しをする老女がひとり。

 貴彦さんは老女に近づくと、丁寧に頭を下げる。

「お尋ねしたいのですが、河山寿々子さんはこちらにいらっしゃいますか? 東京から来ました、久宝貴彦と申します」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

根暗令嬢の華麗なる転身

しろねこ。
恋愛
「来なきゃよかったな」 ミューズは茶会が嫌いだった。 茶会デビューを果たしたものの、人から不細工と言われたショックから笑顔になれず、しまいには根暗令嬢と陰で呼ばれるようになった。 公爵家の次女に産まれ、キレイな母と実直な父、優しい姉に囲まれ幸せに暮らしていた。 何不自由なく、暮らしていた。 家族からも愛されて育った。 それを壊したのは悪意ある言葉。 「あんな不細工な令嬢見たことない」 それなのに今回の茶会だけは断れなかった。 父から絶対に参加してほしいという言われた茶会は特別で、第一王子と第二王子が来るものだ。 婚約者選びのものとして。 国王直々の声掛けに娘思いの父も断れず… 応援して頂けると嬉しいです(*´ω`*) ハピエン大好き、完全自己満、ご都合主義の作者による作品です。 同名主人公にてアナザーワールド的に別な作品も書いています。 立場や環境が違えども、幸せになって欲しいという思いで作品を書いています。 一部リンクしてるところもあり、他作品を見て頂ければよりキャラへの理解が深まって楽しいかと思います。 描写的なものに不安があるため、お気をつけ下さい。 ゆるりとお楽しみください。 こちら小説家になろうさん、カクヨムさんにも投稿させてもらっています。

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

婚約して三日で白紙撤回されました。

Mayoi
恋愛
貴族家の子女は親が決めた相手と婚約するのが当然だった。 それが貴族社会の風習なのだから。 そして望まない婚約から三日目。 先方から婚約を白紙撤回すると連絡があったのだ。

処理中です...