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別居だけど、誘惑します!
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「俺だ。入っていいか?」
扉がノックされ、貴彦さんの声がする。
本当に来たのだ。いつもはさっさと寝てしまうのに、どういう風の吹き回しかしら。
「どうぞ」
読んでいた本を閉じて、ソファーから立ち上がると、扉が開いて彼が入ってくる。
一週間ぶりに会う貴彦さんの張りのない表情には、余裕があまりない。少し疲れているみたい。
新会社の立ち上げは大変だろう。経営陣は一掃したものの、買収前に雇用していた従業員は多く残っていると聞くし、彼は社長を引き受ける際、前職から信頼できる人物を連れてこなかった。四面楚歌とまでは言わないまでも、気苦労は想像以上にあると思う。
おかえりなさい。お疲れよね?
そう駆け寄りたい気持ちをグッとこらえる。
家に帰ってきたときぐらい、妻の私が癒してあげなきゃいけないとは思うけれど、そもそも、その癒しを求めていないのは彼の方だ。
「珍しいな、母家にいるなんて。何かあったか?」
「こっちの方が居心地がいいんです」
「そうか。ここは、美奈子の部屋?」
「ええ」
ゆっくりと貴彦さんは辺りを見回すと、ウッドチェアに座ろうとする。
「長居されるつもり?」
そう問うと、彼はわずかに眉をひそめる。
冷たくあしらわれるなんて思ってもなかったようだ。自分のしてきた非に気づいていない。だからこそ、私をぞんざいに扱ってこれたのだろう。
「何か気に触ることをしたかな?」
めげずに彼は腰をおろし、足を組む。
「自己愛の強い方は無意識に人を傷つけますよね。ですから私、決めたんです。貴彦さんが考えを改めない限り、離れには戻りません」
彼はますます眉をひそめ、テーブルに肘をつく。
「別居したいってこと?」
「そういうことです」
「理由は?」
「言いたくありません」
「それでは、俺も対処のしようがない」
お手上げだとばかりに、彼はため息をつく。
「これまで私にしてきた仕打ちになんの罪も感じてないのですよね? ご自身で気づかないうちは、言っても仕方ないと思います」
「出張が長くてすねているのかと思ったが、想像以上に機嫌が悪いね。わかった。今日のところは引こうじゃないか」
「別居を認めてくださるんですね?」
「美奈子の言う通りにしよう。それで気が済むのなら」
「私が悪いように言うんですね」
貴彦さんは私を子ども扱いしてる。だから抱く気にもなれないし、向き合う気もない。
「そのつもりはないが、今日は俺も疲れていて付き合い切れないところがある。気持ちが落ち着いたら、話し合いをしようじゃないか」
「頭を冷やせとおっしゃってるの?」
「そうだ。俺は離婚するつもりはないからね。別居で気が済むならそれでいい。戻りたくなったら、いつでも離れに戻ってきなさい」
戻る気はない。と突っぱねたくなったが、疲労を浮かばせる彼の顔を見ていると、罪悪感が生まれてくる。これでは本当に、私がわがままを言って困らせてるだけみたいだ。
「朝食の準備にはうかがいます」
渋々そう言うと、貴彦さんはパッと表情を明るくする。
「そうか。ありがとう。美奈子の作る料理はうまい。夕食は当分いらないが、朝ぐらいは一緒に過ごそう」
はやく帰宅する気はないようだが、彼なりに一緒に過ごす時間を作ってくれる気にはなったようだ。
これは、私たちが夫婦になるための一歩前進だろうか。別居を言い出して正解だったかもしれない。
貴彦さんは組んだ長い足をほどくと立ち上がり、「土産だ」と、スーツのポケットから取り出した小さな箱をテーブルに置き、部屋を出ていった。
「俺だ。入っていいか?」
扉がノックされ、貴彦さんの声がする。
本当に来たのだ。いつもはさっさと寝てしまうのに、どういう風の吹き回しかしら。
「どうぞ」
読んでいた本を閉じて、ソファーから立ち上がると、扉が開いて彼が入ってくる。
一週間ぶりに会う貴彦さんの張りのない表情には、余裕があまりない。少し疲れているみたい。
新会社の立ち上げは大変だろう。経営陣は一掃したものの、買収前に雇用していた従業員は多く残っていると聞くし、彼は社長を引き受ける際、前職から信頼できる人物を連れてこなかった。四面楚歌とまでは言わないまでも、気苦労は想像以上にあると思う。
おかえりなさい。お疲れよね?
そう駆け寄りたい気持ちをグッとこらえる。
家に帰ってきたときぐらい、妻の私が癒してあげなきゃいけないとは思うけれど、そもそも、その癒しを求めていないのは彼の方だ。
「珍しいな、母家にいるなんて。何かあったか?」
「こっちの方が居心地がいいんです」
「そうか。ここは、美奈子の部屋?」
「ええ」
ゆっくりと貴彦さんは辺りを見回すと、ウッドチェアに座ろうとする。
「長居されるつもり?」
そう問うと、彼はわずかに眉をひそめる。
冷たくあしらわれるなんて思ってもなかったようだ。自分のしてきた非に気づいていない。だからこそ、私をぞんざいに扱ってこれたのだろう。
「何か気に触ることをしたかな?」
めげずに彼は腰をおろし、足を組む。
「自己愛の強い方は無意識に人を傷つけますよね。ですから私、決めたんです。貴彦さんが考えを改めない限り、離れには戻りません」
彼はますます眉をひそめ、テーブルに肘をつく。
「別居したいってこと?」
「そういうことです」
「理由は?」
「言いたくありません」
「それでは、俺も対処のしようがない」
お手上げだとばかりに、彼はため息をつく。
「これまで私にしてきた仕打ちになんの罪も感じてないのですよね? ご自身で気づかないうちは、言っても仕方ないと思います」
「出張が長くてすねているのかと思ったが、想像以上に機嫌が悪いね。わかった。今日のところは引こうじゃないか」
「別居を認めてくださるんですね?」
「美奈子の言う通りにしよう。それで気が済むのなら」
「私が悪いように言うんですね」
貴彦さんは私を子ども扱いしてる。だから抱く気にもなれないし、向き合う気もない。
「そのつもりはないが、今日は俺も疲れていて付き合い切れないところがある。気持ちが落ち着いたら、話し合いをしようじゃないか」
「頭を冷やせとおっしゃってるの?」
「そうだ。俺は離婚するつもりはないからね。別居で気が済むならそれでいい。戻りたくなったら、いつでも離れに戻ってきなさい」
戻る気はない。と突っぱねたくなったが、疲労を浮かばせる彼の顔を見ていると、罪悪感が生まれてくる。これでは本当に、私がわがままを言って困らせてるだけみたいだ。
「朝食の準備にはうかがいます」
渋々そう言うと、貴彦さんはパッと表情を明るくする。
「そうか。ありがとう。美奈子の作る料理はうまい。夕食は当分いらないが、朝ぐらいは一緒に過ごそう」
はやく帰宅する気はないようだが、彼なりに一緒に過ごす時間を作ってくれる気にはなったようだ。
これは、私たちが夫婦になるための一歩前進だろうか。別居を言い出して正解だったかもしれない。
貴彦さんは組んだ長い足をほどくと立ち上がり、「土産だ」と、スーツのポケットから取り出した小さな箱をテーブルに置き、部屋を出ていった。
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