仮初めの甘い誘惑

水城ひさぎ

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永遠の条件

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***


「佐那子、新聞見たか?」

 夕食を終えたあと、ソファーに移動した夏凪さんは新聞を広げてそう言う。

「あ、まだ。何か載ってますか?」

 新聞を持つ夏凪さんの腕には包帯が巻かれていて、痛々しい。ずいぶん良くなったと彼は言うが、ガラスで切った腕は完全にはきれいにならないのではないかと心配だ。

「天野が彼女たちに提訴されたって記事になってる。良かったな」

 あれから、ギャラリー鈴は修理を待たずして閉店し、クロシェットもまもなく休業した。天野鈴矢の罪が明らかになり、裁かれる日も遠くないだろう。

「はい。夏凪さん、ありがとうございます」

 救急箱を持って、彼の隣へ腰かける。

「まだ痛みますか?」
「いや。ずいぶん良くなったよ」

 彼はそう言うと、包帯をスルスルとほどいていく。

 あまり私に見せたがらなかった切り傷は、ほとんどきれいになっている。

 よかったと息をつき、手のひらで腕をなでると、彼はスッと私の手を握る。

「佐那子」

 そうささやいて、顔を近づけてくるから、目を閉じて彼の唇を受け止める。

 こうして、彼とゆっくり過ごす時間は以前よりも増えた。白山和風の活動が軌道に乗ってきたからだろう。

「新作に取り掛かってるんだって?」
「信太朗くんから聞きました?」
「ああ。邪魔しちゃ悪いから、しばらくアトリエには行かないって言ってたよ」
「そう言えば、最近、信太朗くんを見てない気がします」

 そう言うと、夏凪さんはくすりと笑う。

「テーマは永遠だってな。作家にとって、永遠は永遠のテーマだな」
「そうですね。きっと完成しても、違う永遠を求めていく気がします」

 未完成の永遠も、悪くないかもしれない。完成しないことこそが、永遠の証明になるのなら。

 それとも、永遠だと信じていたものは必ず失われるのだから、永遠なんて存在しないのだと、信太朗くんの言ったそれを私は表現し続けるのだろうか。

「和風の名に恥じない画家になりますね」
「そう言えば、白山和風は母さんが名付けたんだよな?」
「ええ。白山は、白川と深山から。和風は春の風を意味してるんですよ」

 そう言うと、彼は興味を持ったように身を乗り出す。

「春?」
「はい。四季先生はお子さんが四人欲しかったそうです。冬から秋、夏……最後は春の名を持つ子が欲しかったって」
「へえ、母さんがそんな話を」
「でも、叶わなかったからって、私に春の名前をくださったんです。和風は私の子だよって、先生は言ってくれました」

 それを聞いたとき、優しい実の母と尊敬する四季先生の、ふたりの娘になったようでうれしかった。

「こんなこと言ったら、四季先生の実のお子さんたちが気を害するんじゃないかって、ずっと言わなかったんですけど」
「母さんは佐那子を気に入ってたから、娘のように思ってたんだろう。だからって別に、俺たち兄弟への愛情が減ったわけでもないしな。気にしないよ、誰も」
「白川家の娘として生まれたことは感謝してるんですけど、やっぱり画家としては四季先生を尊敬してやまないので、おこがましいですが、私も四季先生の子どもになりたいって思ったりします」

 私を春の名を持つ子として、神林家に認めてほしい。

 私は両親を亡くしたときからずっと、神林家の居候じゃなくて、家族になりたかったんだと思う。

 夏凪さんはいきなり私の両腕をつかむ。

「佐那子」
「はい?」

 なんだろう。やけに感極まった様子の彼が、目をのぞき込んでくる。

「佐那子、いいか?」
「いいって?」
「今夜は一緒に過ごしたい」
「あ……」

 唐突すぎる。ピクリと動く指を、彼は優しくなでてくる。

「佐那子が母さんの娘になりたいって願うなら、俺が叶えてやれる」
「え……?」
「結婚しよう、俺たち」

 あ、どうしよう。家族になりたいっていうのは、そういう意味ではなくて、どちらかというと、叶冬さんや秋花さん、夏凪さんの妹になりたいという意味で……。

 ああ、でも、私たちはお付き合いしてるのだから、兄妹になるっていうのはおかしな話で……。

 つまり、彼に結婚を催促したと誤解されてしまったのだろう。

「返事は今じゃなくていい。俺を知る前から結婚を決めるのは、佐那子としても不本意だろう」
「夏凪さんを知る……?」

 もうじゅうぶんなくらい、知ってる。

 正義感が強くて優しくて、誰よりも私を大切に想ってくれてる、頼りがいのある人だ。

「まあ、なんだ。満足させられないわけがないとは思ってるけどな」
「え……」
「わかってないな。そろそろ、部屋へ行くか」

 そう言われたら、みるみるとほおが熱くなるのを感じた。

「……はい」

 消え入りそうな声でうなずくと、彼は立ち上がり、私の手を引く。

 そのままリビングを出て、エントランスホールから二階につながる階段を昇っていく。

 ほんの少し彼が早足で、はやくしたいって思ってるんだと気づいたら、胸が破裂しそうだった。

 書斎の前を通り過ぎ、奥の部屋の扉を開く。その部屋は、彼の寝室だった。

 高校を卒業したあと、すぐに渡米した彼の寝室には以前、学習机とパイプベッドが置いてあったけれど、今はキングサイズのベッドが置かれている。

 今朝、ベッドメイキングしたのは私だった。真っ白なシーツに、ふかふかのクッション。夏凪さんが疲れを癒せるようにと整えたベッドが、今は全然違うものに見える。

「佐那子」

 後ろから抱きしめられて、胸の前で交差する彼の腕に手を添える。大きな彼の胸に包まれると、温かくて優しくて落ち着く。

 しばらく抱きしめてくれたあと、彼の指が胸の前のボタンをはじく。顔をあげると、目の前の姿見に映る私と目が合った。

 そして、彼と視線が交わる。肩からするりとブラウスが落ち、ブラジャーも下げられて、緊張で上下する胸があらわになっていくと、彼の視線もさがる。

「きれいだ」

 鏡の中の私へ向かって彼はささやき、大きな手のひらで胸を包み込んでくる。

「あ……っ」

 胸の先端に、彼の指先が触れる。やだ、恥ずかしい。見ていられなくて目を伏せると、ますます指の動きが激しくなる。

「だめ……」

 崩れ落ちそうになる腰に彼の腕がからみつく。そのまま腰を引かれてベッドへ倒された。

 すぐに覆い被さってくる彼が、余裕なさそうにシャツを脱ぐ。

 胸を隠すように腕を組もうとすると、両手をつかまれ、ベッドに押し付けられる。

「夏凪さん……」
「佐那子」

 顔を寄せてくる彼が、一度、二度とキスをする。柔らかくて優しいキス。甘い吐息を交わらせて、舌を絡め合う。

 唇はもう何度も重ねたけれど、こんなにも柔らかなキスは初めてだった。

 身体中に落とされていくキス。肌の上を滑る指先。すべてが初めての経験だったけれど、どこか安心してゆだねていた。

 足を押し開かれて、「あっ……」と声をあげる。私を見下ろす彼がなまめかしい目をするから、恥ずかしくてたまらない。

「真っ赤になって、かわいいな」

 耳もとでささやかれ、下腹部に彼を感じる。

「あ……」

 私を見つめながら、彼はゆっくりと中へ入ってくる。

 私の声じゃないみたいな甘い息がもれて、手のひらで目もとを覆う。しかし、すぐに引きはがされて、彼と見つめ合う。

「佐那子……」

 彼はふっと笑んで、私のほおを包み込むと、優しいキスを落としてくる。

「夏凪さ……、んっ」
「黙って」

 優しく言って、唇を食むように深く重ねてくる。

 甘い息と激しいキスが絡み合い、彼の背中に腕を回す。しっかりと抱きしめ合って、お互いを感じ合う。

「夏凪さん……」
「大丈夫だ」

 上体を起こす彼を、頼りなく見上げたのだろう。彼は優しく言うと、激しく腰を打ちつけてきた。何度も何度も、気が遠くなるような激しさで。

「あっ、夏凪さ……っ」

 彼を受け止めるのでせいいっぱいな私の足を抱え、優しく手をつないでくれる。ぎゅっと手を握り返し、彼を受け止め続ける。

 どうかなってしまいそうなぐらい激しいのに、気持ちのいい刺激が全身を駆け抜けていく。私……、初めてなのに。でも、こんなにも気持ちいいなんて。

「佐那子……っ」

 彼はさらに激しく動くと私の名を呼び、体の上へ伏せてきた。

「夏凪さん」

 ぎゅっと彼を抱きしめる。彼のすべてが体の中に流れ込んでくるみたいに温かい。

「好き……」

 うっとりとしながらささやく。彼への愛が溢れてくる。この感情を、たった二文字でしか伝えられないぐらい、余裕がない。

 そんな私の唇にそっとキスをして、「愛してるよ」と彼はささやく。

「夏凪さん……、私も」

 彼の後頭部に手を回し、唇を引き寄せる。

 永遠の愛は存在するんじゃないかと思う。そのぐらい、夏凪さんが愛おしい。

 もし、この愛を形にするのなら、結婚したいと願った彼の言葉を受け入れることが、永遠に続く愛を証明する条件かもしれないと思った。
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