72 / 75
10年後の約束
20
しおりを挟む
「どうしても、理乃さんが許せなかったんです。ベンチに座る理乃さんの後ろに近づいて、ナイフで刺しました。スマホを触っていた彼女は全然私に気づいてなかったけど、あのとき、本田さんに連絡しようとしていたんですね。助けて……なんて、私が刺す前から殺されることがわかってたみたい」
「え……」
光莉は驚く。
刺される前から、理乃は助けを求めようとしていた?
「冷静になれたのは、兄が来てからです。警察に行くって言ったけど、兄は自分のやったことにするからって。私たちはキャリーバッグに理乃さんを入れて、東京湾へと運びました。兄は私をかばっただけで、何も悪くありません」
「千華……、違う。全部、俺のせいだ。千華を追い詰めたのは、俺だよ」
千華に近づく基哉が、地面に落ちる写真を蹴った。それに気づいて、彼は写真を拾いあげる。
「どうして、これが……。カメラは処分したのに」
「拓海がパソコンに保存していました」
「光莉……、パスワードがわかったのか?」
驚く拓海に光莉はうなずく。
「あの写真には、ナイフを持つ千華さんが映ってる。あれを見た拓海は、理乃を刺したのが千華さんだって気づいたんじゃないかな。だから、基哉さんを説得しにシオンへ行ったんだと思う」
「拓海くんはカメラの中にしかデータはないって言ってたけどね。大嘘だったんだな。信じた俺もうかつだったよ」
「拓海も信じていたんだと思います。千華さんに自首をすすめてくれるって」
うなだれる基哉と、彼に寄り添う千華に、光莉は尋ねる。
「理乃は殺されなきゃいけないほど、あなたたちを苦しめましたか?」
「……理乃さんはいい人でした」
千華は消え入りそうな声でそう言う。
「いい人……?」
「はい。最初は、いい人でした。お兄さんと結婚してもかまわないと思うぐらい。でも、見てしまったんです。お兄さん以外の男の人が理乃さんのアパートに入っていくところ……」
赤村だろう。基哉と付き合い始めてからも、理乃は赤村と時折、会っていたはずだ。
「理乃さんがシオンへ来た帰り、どういうことかと問い詰めました。お兄さんを苦しめる人とは付き合ってほしくなかったんです」
「理乃はなんて?」
「あの人とはもう別れるんだって言ってました。そんなの信用できないって言ったら、言い返してきたんです。お兄さんだって浮気してるじゃないって」
千華は悔しそうにこぶしを握る。
「図星でしょ、って。私、知ってるんだからって。妹だから結婚できないのは残念ねって」
挑戦的に鼻で笑う理乃が思い浮かぶ。ちょっとしたひとことで、誰かを傷つけるのは簡単だ。理乃は一番言ってはいけないことを言ったのだ。彼女を慕っていた千華はショックを受けると同時に、憎しみを増幅させたのだろう。
「兄をそんなふうに言うなんて許せなくて、階段でもみ合ううちに私が落ちてしまったんです。突き落とされたわけじゃありません。私が勝手に足を滑らせて……」
「そうだとしても、基哉さんに相談しなかったんですか?」
相談していたら、千華は理乃を殺さずにすんだかもしれないのに。
「理乃さんに別の恋人がいるなんて、兄に知られたくなかったんです」
「千華が気に病む必要はなかったんだ。理乃が不倫してたのは知ってたし、それを承知で俺は付き合ってた。……千華をこれ以上愛したらいけない。そう思うあまり、全部わかってて付き合ってくれる理乃は救いだった。それなのに、理乃は千華を苦しめた。だから、別れたんだ。別れたんだから、千華はもう憎む必要なんてなかったんだよ」
「お兄さん……」
基哉は千華の肩を抱き、「ごめん……」とつぶやく。
ふたりは惹かれ合っていたのだ。兄妹の垣根を越えた時間がふたりの間にはあったかもしれない。しかし、ふたりが出した結論は、兄妹の関係を保つことだった。そんな複雑で繊細な気持ちを、理乃は簡単に踏みにじった。だからって、理乃が殺されて当然だとは思わない。
「拓海を助けてくれたのは、どうして?」
その優しさをほんの少しでいいから、理乃に向けてほしかった。
「兄を殺人犯にしたくなかったんです。兄を助けるためなら捕まってもかまわない。そう思ってたけど……」
「拓海が記憶を失っていたから、自首するチャンスを逃してしまったんですね」
「記憶喪失になってると知って、兄が腕時計を月島さんのバッグに入れたのは、自分に疑いの目が向くようにです。全部、私のためにしたことです。私が自首しなかったばっかりに……」
千華は両手で顔を覆う。すすり泣きが悲しく、夜の闇に響いた。
「え……」
光莉は驚く。
刺される前から、理乃は助けを求めようとしていた?
「冷静になれたのは、兄が来てからです。警察に行くって言ったけど、兄は自分のやったことにするからって。私たちはキャリーバッグに理乃さんを入れて、東京湾へと運びました。兄は私をかばっただけで、何も悪くありません」
「千華……、違う。全部、俺のせいだ。千華を追い詰めたのは、俺だよ」
千華に近づく基哉が、地面に落ちる写真を蹴った。それに気づいて、彼は写真を拾いあげる。
「どうして、これが……。カメラは処分したのに」
「拓海がパソコンに保存していました」
「光莉……、パスワードがわかったのか?」
驚く拓海に光莉はうなずく。
「あの写真には、ナイフを持つ千華さんが映ってる。あれを見た拓海は、理乃を刺したのが千華さんだって気づいたんじゃないかな。だから、基哉さんを説得しにシオンへ行ったんだと思う」
「拓海くんはカメラの中にしかデータはないって言ってたけどね。大嘘だったんだな。信じた俺もうかつだったよ」
「拓海も信じていたんだと思います。千華さんに自首をすすめてくれるって」
うなだれる基哉と、彼に寄り添う千華に、光莉は尋ねる。
「理乃は殺されなきゃいけないほど、あなたたちを苦しめましたか?」
「……理乃さんはいい人でした」
千華は消え入りそうな声でそう言う。
「いい人……?」
「はい。最初は、いい人でした。お兄さんと結婚してもかまわないと思うぐらい。でも、見てしまったんです。お兄さん以外の男の人が理乃さんのアパートに入っていくところ……」
赤村だろう。基哉と付き合い始めてからも、理乃は赤村と時折、会っていたはずだ。
「理乃さんがシオンへ来た帰り、どういうことかと問い詰めました。お兄さんを苦しめる人とは付き合ってほしくなかったんです」
「理乃はなんて?」
「あの人とはもう別れるんだって言ってました。そんなの信用できないって言ったら、言い返してきたんです。お兄さんだって浮気してるじゃないって」
千華は悔しそうにこぶしを握る。
「図星でしょ、って。私、知ってるんだからって。妹だから結婚できないのは残念ねって」
挑戦的に鼻で笑う理乃が思い浮かぶ。ちょっとしたひとことで、誰かを傷つけるのは簡単だ。理乃は一番言ってはいけないことを言ったのだ。彼女を慕っていた千華はショックを受けると同時に、憎しみを増幅させたのだろう。
「兄をそんなふうに言うなんて許せなくて、階段でもみ合ううちに私が落ちてしまったんです。突き落とされたわけじゃありません。私が勝手に足を滑らせて……」
「そうだとしても、基哉さんに相談しなかったんですか?」
相談していたら、千華は理乃を殺さずにすんだかもしれないのに。
「理乃さんに別の恋人がいるなんて、兄に知られたくなかったんです」
「千華が気に病む必要はなかったんだ。理乃が不倫してたのは知ってたし、それを承知で俺は付き合ってた。……千華をこれ以上愛したらいけない。そう思うあまり、全部わかってて付き合ってくれる理乃は救いだった。それなのに、理乃は千華を苦しめた。だから、別れたんだ。別れたんだから、千華はもう憎む必要なんてなかったんだよ」
「お兄さん……」
基哉は千華の肩を抱き、「ごめん……」とつぶやく。
ふたりは惹かれ合っていたのだ。兄妹の垣根を越えた時間がふたりの間にはあったかもしれない。しかし、ふたりが出した結論は、兄妹の関係を保つことだった。そんな複雑で繊細な気持ちを、理乃は簡単に踏みにじった。だからって、理乃が殺されて当然だとは思わない。
「拓海を助けてくれたのは、どうして?」
その優しさをほんの少しでいいから、理乃に向けてほしかった。
「兄を殺人犯にしたくなかったんです。兄を助けるためなら捕まってもかまわない。そう思ってたけど……」
「拓海が記憶を失っていたから、自首するチャンスを逃してしまったんですね」
「記憶喪失になってると知って、兄が腕時計を月島さんのバッグに入れたのは、自分に疑いの目が向くようにです。全部、私のためにしたことです。私が自首しなかったばっかりに……」
千華は両手で顔を覆う。すすり泣きが悲しく、夜の闇に響いた。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
王子妃だった記憶はもう消えました。
cyaru
恋愛
記憶を失った第二王子妃シルヴェーヌ。シルヴェーヌに寄り添う騎士クロヴィス。
元々は王太子であるセレスタンの婚約者だったにも関わらず、嫁いだのは第二王子ディオンの元だった。
実家の公爵家にも疎まれ、夫となった第二王子ディオンには愛する人がいる。
記憶が戻っても自分に居場所はあるのだろうかと悩むシルヴェーヌだった。
記憶を取り戻そうと動き始めたシルヴェーヌを支えるものと、邪魔するものが居る。
記憶が戻った時、それは、それまでの日常が崩れる時だった。
★1話目の文末に時間的流れの追記をしました(7月26日)
●ゆっくりめの更新です(ちょっと本業とダブルヘッダーなので)
●ルビ多め。鬱陶しく感じる方もいるかも知れませんがご了承ください。
敢えて常用漢字などの読み方を変えている部分もあります。
●作中の通貨単位はケラ。1ケラ=1円くらいの感じです。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界の創作話です。時代設定、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。
112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。
愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。
実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。
アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。
「私に娼館を紹介してください」
娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──
記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~
Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。
走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。
側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。
とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」
成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。
「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」
********************************************
ATTENTION
********************************************
*世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。
*いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。
*R-15は保険です。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。
運命の番?棄てたのは貴方です
ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。
番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。
※自己設定満載ですので気を付けてください。
※性描写はないですが、一線を越える個所もあります
※多少の残酷表現あります。
以上2点からセルフレイティング
旦那様、離婚してくださいませ!
ましろ
恋愛
ローズが結婚して3年目の結婚記念日、旦那様が事故に遭い5年間の記憶を失ってしまったらしい。
まぁ、大変ですわね。でも利き手が無事でよかったわ!こちらにサインを。
離婚届?なぜ?!大慌てする旦那様。
今更何をいっているのかしら。そうね、記憶がないんだったわ。
夫婦関係は冷めきっていた。3歳年上のキリアンは婚約時代から無口で冷たかったが、結婚したら変わるはずと期待した。しかし、初夜に言われたのは「お前を抱くのは無理だ」の一言。理由を聞いても黙って部屋を出ていってしまった。
それでもいつかは打ち解けられると期待し、様々な努力をし続けたがまったく実を結ばなかった。
お義母様には跡継ぎはまだか、石女かと嫌味を言われ、社交会でも旦那様に冷たくされる可哀想な妻と面白可笑しく噂され蔑まれる日々。なぜ私はこんな扱いを受けなくてはいけないの?耐えに耐えて3年。やっと白い結婚が成立して離婚できる!と喜んでいたのに……
なんでもいいから旦那様、離婚してくださいませ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる