君の世界は森で華やぐ

水城ひさぎ

文字の大きさ
上 下
7 / 32
君の世界は森で華やぐ 〜1〜

婚約者の弟と 3

しおりを挟む



 朝の目覚めは不思議とよかった。
 うまく寝つけなかったから、すんなり起きられるとは思ってなかった。
 寝つきが悪かった理由はなんとなく自覚してる。寛人さんの言葉が引っかかっていたからだ。

『頼ってもらえたらよかったのかもね』

 誰に頼ってもらえたらよかったのだろう。頼ってもらえてたら、どうよかったのだろう。
 それを言った寛人さんがやけに物憂げだったから、そんなことばかり気になった。

 布団を抜け出して、羽山さんが派手と称したワンピースに着替える。
 昨日は売店で購入したシャツとワイドパンツだった。二着の洋服を交互に着ていたら寛人さんに笑われてしまうだろう。

 いつまでも大和屋にお世話になっているわけにもいかないし、ゴールデンウィークが終わる頃には自宅へ帰らないといけないことになるかもしれない。
 どうしたらいいだろう。何からしたらいいだろう。

「服、買いに行こうかな」

 ぽつりとつぶやいたら、妙案に思えた。寛人さんを買い物に誘ってみようか。そう決めたら身体が軽くなる。

 朝食まで時間がある。部屋を抜け出した私は、ロビーの前を通って中庭へ出た。小さな和風庭園には、鯉の泳ぐ池がある。ゆったりと泳ぐ鯉をぼんやりと眺めている時間はぜいたく。
 一人で旅行するなんてこれまでなかった。こんな風に朝の短い時間を穏やかに過ごすなんてはじめてのことだった。

「まあ紺野さん、おはようございます」

 忙しそうにロビーを抜けていこうとした女将が足を止めて、私にあいさつをした。年の頃は40代だろう。桃色の着物がよく似合う、可愛らしさのある女将だ。

「おはようございます。ちょっとはやく目が覚めちゃって」
「あら」
「すごく居心地のいいお宿だから身体の調子がいいのかも」
「まあ嬉しいこと言ってくださる。そうそう紺野さん、春宮さんとお知り合いなんですってね。羽山さんが大事なお客さまだからサービスしてやってくれってわざわざここまで」

 どのお客さまにも最高のサービスしてます、と冗談まじりに追い返したのだと、おかしそうに笑う女将は羽山さんとも仲良しのよう。

「羽山さんにも寛人さんにもよくしてもらってます」
「あら、寛人くんにも?」
「はい」

 肯定すると、女将はちょっとだけ不思議そうにした。

「高校時代のお友だち?」
「あ、そういうんじゃないんですけど。知り合ったばっかりなのに親切にしてくれて」
「そうだったの。寛人くん、愛想がないでしょう? 誤解されやすいけど、本当にいい子なの」
「愛想がないって言うか、自分以外に興味ないみたいで」

 正確に言うと、『ヒト』に興味がないというべきか。

「そう? そうでもないわよ。彼女ができたときは安心したもの。別れちゃったのはすっごく残念だったわ」
「彼女、いたんですか」

 すっとんきょうな声が出た。「意外?」と女将はおかしそうに笑って、何かを懐かしむ目をする。

「あの子、どうしてるのかしら。寛人くん、きっとまだあの子のこと待ってると思うのよ。そうじゃなきゃ、こんな何にもないところに若い子が一人暮らしなんてしてないと思うのよ」
「えー……」

 全然そんな風に見えなかったから、きょとんとしてしまう。

「あら、そうでもないのかしら? 今の話、寛人くんには内緒ね。あの寛人くんが紺野さんによくしてるなんて聞いたら、もしかしたら、なんて余計なお節介。いつか忘れさせてくれるに出会うといいのにって老婆心を出したりしてね」

 何か誤解されてるみたいだ。よほど寛人さんの周りにはそれらしい女性がいないのだろう。
 彼の生活を見ていれば、まあ納得もする。

「すぐに朝食、ご用意するわね」

 女将はそう言うと、ロビーを早足で立ち去った。

『別れた彼女に頼ってもらえたら、別れなくてもよかったのかもね』

 彼の発言に隠された言葉を見つけた気がして、胸がもやもやした。
 それから私は朝食を済ませ、9時になるのを待って森の家を目指した。



 森の家に到着したとき、ちょうど寛人さんが垣根の前に停めた自転車から降りたところだった。
 前かごにはビニール袋から顔を出すフランスパンが見える。それを持ちあげたところで私に気づいた彼に声をかける。

「今日もボワのパン?」
「羽山さんに会った帰りに佳奈かなさんにもらったんだ」

 あいかわらず彼は私の知らない名前を当然のように会話に出す。

「カナさんって?」
「カフェ・ド・ボワの佳奈さん」
「若い人?」

 寛人さんの元カノだろうか、なんて勘ぐって尋ねてしまってから、元カノはもうこの町にいないんだって思い出す。

「ううん、なんでもないの」
「まだ何にも答えてないのに、おかしい人だね、紺野さんは。佳奈さんは25才だったかな。リニューアルしてから店長やってるんだ」

 ビニール袋を持って玄関へ向かう寛人さんの後ろを追いかけながら尋ねる。

「その前は誰が?」
「佳奈さんのお母さんだよ。今も一緒に働いてる」
「ふたりでやってるの?」
「前は三人だったけどね、今は二人みたいだ」

 じゃあ、今はいないもう一人が元カノ?なんて、勘ぐりが止まらない。

「大変ね」

 急に立ち止まる寛人さんの背中に鼻先がぶつかりそうになって驚いていると、振り返った彼が妙な気を回して言う。

「アルバイトは募集してないみたいだから無駄だよ」
「しばらく働くつもりはないの」
「兄さんと結婚するならそれでいいと思うよ」
「結婚の話はしないで」

 強く言ったつもりもないのに語尾がきつくなってしまってハッとする。

「ごめん……」

 別に茶化したわけじゃないんだ、と寛人さんは申し訳なさそうに頭をさげる。

「ちがう、ちがうの。明敬さんのプロポーズはたしかに断れなかったけど、私たち、まだお互いの気持ちを話し合ったことなんて一度もなくて」

 言い訳みたい。寛人さんにされて困る誤解なんてひとつもないのに。
 結婚しよう、って言われて、前向きに考えます……なんてあいまいな返事をしただけ。周りが勝手に盛り上がって、婚約者なんて肩書きがついたまま退社したけど、デートを重ねて、結婚してもいいかな?なんて気持ちになるのを明敬さんはきっと期待してた。

「兄さん、来週末には来るようなこと言ってたらしいよ。羽山さんが、紺野さんがこっちに来てるって連絡入れたらそう言ってたみたいだ」

 思ったよりはやく居場所はバレてしまった。家出なんて無駄だったみたい。

「それを聞きに羽山さんに会いに行ってたの?」
「昨日の夕方、羽山さんの奥さんが来てスズメの診察代を教えてくれたから、さっき届けてきたんだ」
「診察代を? それなら私が払うわ。いくら?」

 財布をポシェットから取り出そうとすると、彼の手が私の手首をそっとおさえた。
 ドキッとした。絵描きの繊細な指だとばかり思っていたのに、重ねてみるとやはりそれは骨張った男性のもので。彼に男を意識してしまうなんてどうかしてる。

「いいよ。スズメ、元気になったらまた来るかなぁ」
「寛人さんのところになら、来ると思う」
「俺もそんな気がする」

 苦笑しながら手を引っ込める彼のぬくもりが残る手首を、私はそっともう片方の手で覆う。
 まだ胸はドキドキしてる。久しぶりに男の人の手に触れたからちょっと動転しちゃったんだと、玄関の中へ入っていく彼を見送った。
 閉じた玄関扉はすぐに開いた。ひょこっと寛人さんが顔を出す。

「中に入る?」
「ショッピングに行こうと思って」
「そうだったんだ」

 彼の視線が私の服に止まる。ショッピングの目的はすぐにさとったみたい。

「3時にまた来る? フレンチトースト作るから」

 早速いただきもののフランスパンを下ごしらえするつもりのようだ。

「寛人さんは欲しいものないの?」
「シナモンがないかな」

 ちょっと考えて、彼はそう答える。

「じゃあ、一緒にショッピングに行かない?」
「なんだ、シナモン買ってきてくれるのかと思った。いいよ。着替えてくるよ」

 愉快そうに笑った寛人さんは誘いを快諾すると、玄関の奥へふたたび姿を消す。

 彼を待つ間、そわそわした。気分はまるでデートみたい。そうだとしたら、婚約者の弟と、なんておかしくてたまらない。ただちょっとふたりで出かけるだけなのに。

「お待たせ」
「あ……っ」
「たまにはこんな服も着るよ」

 目を丸くした私を笑う寛人さんは、普段の装いからは想像もつかないほど、おしゃれだった。
 黒のスキニーパンツに白のティーシャツ、その上にカーキのシャツを羽織るモノトーンコーデ。もともと整った顔立ちだったけれど、くたびれたシャツばかり着ていた彼が急にモデルのようになるから動揺する。

「紺野さんが笑われないようにと思って」
「笑われないわよ」
「いつもの格好じゃ、デパートにはいけないよ」
「デパートまで行くの?」

 ちょっと意外だった。勝手に人出の多い場所は苦手だと思っていた。

「せっかくだから美味しいシナモンが欲しいし」
「シナモンが主役なのね」

 あきれて言うが、彼は、美味しいフレンチトースト作るよ、と笑った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【本編完結】繚乱ロンド

由宇ノ木
ライト文芸
本編は完結。番外編を不定期で更新。番外編は時系列順ではありません。 番外編次回更新予定日 12/30 12/25 *『とわずがたり~思い出を辿れば~1 』 本編は完結。番外編を不定期で更新。 11/11~11/19 *『夫の疑問、妻の確信1~3』  10/12 *『いつもあなたの幸せを。』 9/14 *『伝統行事』 8/24 *『ひとりがたり~人生を振り返る~』 お盆期間限定番外編 8月11日~8月16日まで *『日常のひとこま』は公開終了しました。 7月31日   *『恋心』・・・本編の171、180、188話にチラッと出てきた京司朗の自室に礼夏が現れたときの話です。 6/18 *『ある時代の出来事』 -本編大まかなあらすじ- *青木みふゆは23歳。両親も妹も失ってしまったみふゆは一人暮らしで、花屋の堀内花壇の支店と本店に勤めている。花の仕事は好きで楽しいが、本店勤務時は事務を任されている二つ年上の林香苗に妬まれ嫌がらせを受けている。嫌がらせは徐々に増え、辟易しているみふゆは転職も思案中。 林香苗は堀内花壇社長の愛人でありながら、店のお得意様の、裏社会組織も持つといわれる惣領家の当主・惣領貴之がみふゆを気に入ってかわいがっているのを妬んでいるのだ。 そして、惣領貴之の懐刀とされる若頭・仙道京司朗も海外から帰国。みふゆが貴之に取り入ろうとしているのではないかと、京司朗から疑いをかけられる。 みふゆは自分の微妙な立場に悩みつつも、惣領貴之との親交を深め養女となるが、ある日予知をきっかけに高熱を出し年齢を退行させてゆくことになる。みふゆの心は子供に戻っていってしまう。 令和5年11/11更新内容(最終回) *199. (2) *200. ロンド~踊る命~ -17- (1)~(6) *エピローグ ロンド~廻る命~ 本編最終回です。200話の一部を199.(2)にしたため、199.(2)から最終話シリーズになりました。  ※この物語はフィクションです。実在する団体・企業・人物とはなんら関係ありません。架空の町が舞台です。 現在の関連作品 『邪眼の娘』更新 令和6年1/7 『月光に咲く花』(ショートショート) 以上2作品はみふゆの母親・水無瀬礼夏(青木礼夏)の物語。 『恋人はメリーさん』(主人公は京司朗の後輩・東雲結) 『繚乱ロンド』の元になった2作品 『花物語』に入っている『カサブランカ・ダディ(全五話)』『花冠はタンポポで(ショートショート)』

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

ガラスの世代

大西啓太
ライト文芸
日常生活の中で思うがままに書いた詩集。ギタリストがギターのリフやギターソロのフレーズやメロディを思いつくように。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

蛙の神様

五十鈴りく
ライト文芸
藤倉翔(かける)は高校2年生。小さな頃、自分の住む棚田村の向かいにある疋田村の女の子朱希(あき)と仲よくなる。けれど、お互いの村は村ぐるみで仲が悪く、初恋はあっさりと引き裂かれる形で終わった。その初恋を引きずったまま、翔は毎日を過ごしていたけれど……。 「蛙の足が三本ってなんだと思う?」 「三本足の蛙は神様だ」 少し不思議な雨の季節のお話。

君の未来に私はいらない

南 コウ
ライト文芸
【もう一度、あの夏をやり直せるなら、君と結ばれない未来に変えたい】 二十五歳の古谷圭一郎は、妻の日和を交通事故で亡くした。圭一郎の腕の中には、生後五か月の一人娘、朝陽が残されていた。 圭一郎は、日和が亡くなったのは自分のせいだと悔やんでいた。罪悪感を抱きつつ、生後五か月の娘との生活に限界を感じ始めた頃、神社の境内で蛍のような光に包まれて意識を失った。 目を覚ますと、セーラー服を着た十七歳の日和に見下ろされていた。その傍には見知らぬ少女が倒れている。目を覚ました少女に名前を尋ねると「古谷朝陽」と名乗った。 十七歳になった娘と共に、圭一郎は八年前にタイムリープした。 家族三人で過ごす奇跡のような夏が、いま始まる――。 ※本作はカクヨムでも投稿しています。

処理中です...