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第二話 婚約者と牛鍋丼

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「お夕食はコロッケでいいですか?」

 お気に入りのハンドバッグを片手に尋ねると、座敷で正座したまま清人さんは目を細めた。

 きっと私が作るものならなんでもいいというのだろう。はじめて手料理を振る舞うのだし、あれやこれやと考えるより、ちょっと贅沢でよく作る料理がいいだろう。

「では、お買い物に行ってきますね」
「気をつけて」

 彼の言葉に見送られて、しきよみ亭を出る。

 空がほんのりと茜色に染まっている。いつもならこのまま帰宅する時間だ。夕食をつくるなんて、軽はずみな約束をして後悔している。

 今日はもう葵さんは来ないのだし、コロッケをつくったらそそくさと帰ろう。

 大通りへとつながる道を曲がったとき、知った青年が目の前を通り過ぎていった。彼もまた、視界の片隅に映り込んだ私に気づいたのか、二歩三歩と後ろ向きに歩いて戻ってきた。

「香代、いま帰りか?」
「修太郎は仕事中?」

 同僚らしき男と一緒の修太郎に、警ら中だろうと思って話しかける。

 警官姿の修太郎にはもう見慣れた。小さなころは私の後ろにばっかりついてきたドジな幼なじみだったけど、最近は近所で評判の好青年になりつつある、と母から聞いた。

「ああ。藤城屋の前通るから、一緒に行くか?」
「ううん。今から買い物に行くの」
「買い物?」

 修太郎はふしぎそうに眉を寄せる。

「お夕食の材料買うの。暗くなっちゃうから、もう行くね」
「あ、……ああ」

 眉をひそめたままの彼に手を振って、小走りで商店街へと急いだ。

 冬に近づくこの季節は、日の傾きがはやい。八百屋さんへ行って、コロッケの材料を購入し、しきよみ亭へ戻る頃には周囲は薄暗くなっていた。

 店の前では、着物の両袖に手を入れた清人さんが立っていた。私の姿が見えるとすぐに中へ戻ってしまったが、心配してくれていたのだろう。

「すぐにつくりますね」

 座敷へ急いであがり、台所へ向かいながら振り返ると、彼は行灯あんどんの明かりを頼りに本へ目を落としていた。

 いつもそうして夜を過ごしているのだろうか。夕食はどうしてるのだろう。もしかしたら、食べてないのかもしれない。そうならば、明日もつくった方が……と考えて、首を振る。これではまるで、夫婦じゃないか。

「どうしました?」

 ずっと廊下に立っている私が気になったのか、彼がスッと目をあげる。

「な、な、なんでもないですっ」
「うろたえたりして、おかしな人ですね」
「おかしくて結構です」

 ククッと笑う彼から逃げるように、台所へと駆け込んだ。

 コロッケを初めて食べたのは、兄と一緒に父に連れられていった洋食屋でだった。今はまだじゃがいもの値段が高く、とても高級なお料理だけど、いつか旅籠屋でも手軽に出せるようになるからと、父がしっかり味を覚えておくんだよと言ったのを覚えている。

 それから時折、じゃがいもが手に入るとコロッケをつくっていた。今では洋食屋で出されているコロッケと遜色そんしょくのないものがつくれると自負している。私の得意料理のひとつなのだ。

 しきよみ亭の台所は、料理をしているのかと疑いたくなるほど、いつもきれいに片付いている。

 しかし、どんな料理をつくるときでも決して困らないほどの調理器具がきちんと用意されていた。食材さえあれば、いつでもおいしいものが作れる台所なのだと思う。

 棚から釜を取り出して、お米をとぐ。それをかまどに乗せる。

 次はじゃがいもを洗って皮をむき、いくつかに切り分け、水と一緒にお鍋に入れた。お鍋もかまどに乗せたあと、薪をくべて火をつける。

 コロッケを揚げるための油も火にかけ、調味料を用意する。バターに塩コショウ、隠し味のスパイスと、たまごだ。

 程なくして、ゆであがったじゃがいもをすりつぶし、調味料を混ぜ合わせて、俵型たわらがたに手早くまとめる。ホクホクとしたじゃがいもがとてもおいしそう。

 まとめたじゃがいもにパン粉をつけて、高温に熱せられた油へとそっと入れる。しばらくそのままにして、浮いてきたコロッケを菜箸さいばしでつかみ、やさしく上下を返す。こんがりとした揚げ色がついたところで油を切って完成。いつもよりずっと上手にできたみたい。

 簡単におみそ汁もつくり、炊き上がったお米をよそって、コロッケを小皿に乗せる。御膳に乗せて座敷へと運ぶと、清人さんは私に気づいて本を閉じた。

「ありがとうございます。良い匂いですね」
「きっとおいしいと思います」
「ええ、そうでしょうとも」

 自信満々の私をくすりと笑った彼は、早速ハンドバッグを手に取る私をふしぎそうに見上げた。

「清人さん、帰りますね。お片付け、できる分はやっておきましたので」

 ずいぶんと手前勝手てまえがってなことを言ったからか、彼は表情をくもらせる。

「一緒に食べませんか?」
「だってもう、遅くなってしまうから……」

 小さな窓へと視線を移せば、街灯の薄明かりがほのかに見えるだけ。

「ひとりで帰るのは物騒ですよ。送りましょう」

 それでは、せっかくのコロッケが冷めてしまう。

「ひとりで帰れますから。近くですし」
「ひとりでは帰せませんよ」

 そう言って清人さんが腰をあげかけたとき、戸の奥から声がする。

「清人ー!」

 私と清人さんは声の主にすぐに気づいて顔を見合わせた。

「修太郎ですね」
「こんな時間になんでしょうね」
「事件ではなさそうですよね」

 修太郎は事件がらみでしきよみ亭へやってくると、必ず清人さんを「四季さん」と呼ぶ。「清人」と呼ぶときは私用だ。

 億劫おっくうそうに彼が戸をあけると、勢いよく修太郎が中へ飛び込んでくる。そのまま座敷に両手をついて、御膳へと目を釘付けにした。

「やっぱりっ。香代、俺にもごはんあるか?」
「何よ、いきなり」

 匂いにつられてやってきたのだろうか。あきれてしまう。現金なところは小天によく似てる。かわいらしいけど、ずうずうしいところなんか、特に。

「今日は夜勤で家に帰らねぇんだよ」
「そんなの知らない。外で食べればいいじゃない」
「たのむよー。帰りは俺が送るからさ、なっ」
「そんなこと言ったってー」

 両手を合わせて拝む修太郎に困っていると、清人さんが助け舟を出そうとしたのか、口を開く。

「香代さん、修太郎くんも一緒に三人でいただきましょう。帰りは送ってもらいなさい」

 全然助け舟になってない。

「いいのかっ? やっぱりわかってるな、清人は」

 パッと表情を明るくする修太郎は、そのまま座敷を這うようにあがってくると、あぐらをかいた。食べるまでは、がんとして帰る気がないみたい。

「コロッケかぁ。香代の料理はうまいから楽しみだ」

 修太郎がのぞき込む御膳の前へ、清人さんは座り直す。

「よくいただくのですか?」
「そりゃあ、昔からの仲だからな」
「うらやましいですね」
「だろ?」

 へらへら笑う修太郎にあきれつつ、余分につくってあったコロッケを配膳する。すぐに帰ろうと思ってたのに、これでは帰れない。

 いきなりコロッケにがっつきながら、修太郎が私を指差す。

「香代も食えよ」
「申し訳ありません、清人さん。いただきます」

 ほがらかにほほえむ清人さんに頭を下げて両手を合わせる私を見て、修太郎は豪快に笑う。

 おおらかといえば聞こえはいいが、おおざっぱな性格の修太郎は、これでも士族の息子で、礼儀をわきまえた青年ではあるけれど、自由闊達でもある。

 勝手に押しかけてきて、我がもの顔で食事する修太郎が迷惑かけてると思って頭を下げたのに、全然わかってないみたい。

「なに謝ってんだよー。しかしうまいなぁ、これ。香代の料理、毎日食いてぇな」
「食べてるようなものじゃない。お昼はよくうちに来るでしょ?」
「そうじゃなくてさぁ」

 わかってねーな、とぼやきながら、コロッケにかじりつく修太郎を、穏やかに見つめる清人さんに尋ねる。

「おいしいですか?」
「ええ、もちろんですよ。香代さんの料理は優しい味がします」
「薄いですか?」
「優しいです」

 しみじみとつぶやいて、静かに食す清人さんと、ガツガツ食べる修太郎は対照的だ。

 清人さんといると穏やかな気持ちになれるし、修太郎といると元気になれる。こうして三人で食事するのも悪くないかもしれない。そう思いながら、私もおみそ汁をすすった。
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