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第一話 さくらとあんぱん

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 店内の清人さんへと視線を移す。彼はいつもと同じように正座をし、ただじっと来客を待っている。

 救える命があるかもしれない。そう思いながら、ただ漫然と待つしかない亭主の仕事には、歯がゆい思いもあるだろう。

 しかし、それもめぐり合わせ。生きるも死ぬもすべて、自然のことわりの中にある。ただたまに、神がちょっといたずらをして、その運命を変えてしまうことがある。

 しきよみ亭の亭主は、天幻の神様に会っておいきなさいと道案内するだけ。その先のことまではわからないのだろう。

 そして、私と清人さんもきっと、天幻の神様がちょっといたずらをしてめぐり合わせただけ。

「清人さんっ、伊佐太さん、お元気そうですよ。またいらしたら、私の焼いたあんぱん、食べてくれるでしょうか」

 胸高鳴るままに声をかけると、彼は少しだけこちらに顔を向けて、ふんわりと目を細めてほほえむ。

「伊佐太さんはもういらっしゃいませんよ。それが幸せなのです」
「あ……」

 やんわりと説教されたみたい。所詮しょせん、亭主と客。必要以上に親しくなってはいけないと。

 言葉を失う私の横をすり抜け、小天は座敷にちょこんと腰かける。

「清人よ。毎日毎日、あの男がチャリチャリ賽銭いれるから、小銭がたんまり溜まってきたぞ。そろそろ俺様のかばんを新しくしてくれないか」
「いけません。質素倹約は、しきよみ亭のおきてです」

 古びた皮かばんをヒラヒラさせて小天は言うが、清人さんがにべもなく断るから、小さな白狐はへそを曲げる。

「ケチだのぅ。香代よ、本当に清人と結婚するのか? やめておけとは言わぬが、苦労するぞ」
「みんな結婚結婚って、結婚しなくても私は幸せですっ」

 むくれると、清人さんがそっと笑う。

「香代さんが結婚してくださったら、俺は幸せですよ」
「なっ……」

 清人さんの幸せなんて知らない。そう思うのに、それを口にするのはためらわれた。私だって、孤独なしきよみ亭の亭主には幸せになってもらいたいって思ってる。

「と、とにかく、結婚なんてしませんから」

 コホンと咳払いしたとき、後ろからすっとんきょうな声がした。

「今の話、本当か? 香代、清人と結婚してないのか?」
「修太郎っ?」

 いつからいたのだろう。振り返るより先に、修太郎が私の前へと駆け込んでくる。

「おーおー、うるさいやつが来たわ」と、つぶやいた小天がふっと姿を消す。

 修太郎はまったく小天に気づかなかったみたい。さっきまで小天のいた座敷にどかりと座り、大きな息を吐いた。

「あー、うわさを聞いたときは信じられなかったけどよ、やっぱり結婚してなかったんだな。そりゃそうだよな、香代が結婚なんてな」
「私は結婚しないだけで、できないわけじゃないんだから」
「そういうの、言い訳っていうんだよ。いざとなったら俺がいるからな、安心しろ」

 胸をトンと叩く。修太郎は昔からドジなところがあって、心配こそすれ安心なんて全然できないのだけど。

「何を安心しろっていうのよ。それはそうと、今日は何? また事件?」

 警察の制服姿の修太郎がしきよみ亭へ来るときは、警らか事件。またあらぬ疑いが清人さんにかかってるんじゃないかと心配になる。

「あっ、それがよ、知ってるか? 若瀬屋がまた商売始めたんだよ。客の来ないしきよみ亭にいたんじゃ、知らねーんじゃないかと思って教えに来たんだよ」
「えっ? それ、本当?」

 修太郎の言う通り、しきよみ亭は外界から閉ざされてるみたいに情報が入ってこない。毎日藤城屋へは帰るけど、聞かされるのは私と清人さんのあらぬうわさばかりで、うんざりしていた。

「やっぱり知らなかったか。どうだ。今からあんぱん食いに行くか?」
「食べたいっ」

 すぐにうなずくと、修太郎は満足そうに笑う。

「だろう。香代は花より団子だからな」
「そんなことないよ。来年は、さくら見ながらあんぱん食べるの」

 伊佐太さんがうた乃さんと見たさくらを、私も見られるだろうか。どうしてか、そうしたいと思う。ふたりが感じた幸せを、共有したいと思ったのかもしれない。

「なんでさくら? まあいいか。俺が付き合ってやるよ。天幻神社のさくらはきれいだからなぁ。そこで食おう」
「えー、修太郎と?」
「俺ぐらいしか、香代と出かける男はいないよ」

 断言する修太郎の背後に視線を移す。着物の袖に両手を入れた清人さんが仁王立ちしている。

「そんなことはありませんよ、修太郎くん」
「は?」

 頭上を見上げる修太郎を見下ろす彼は、ぞうりを履いて土間へと降りてくると、私の手からほうきを取り上げた。

「香代さん、俺と若瀬屋へ行きましょう。修太郎くんは仕事中ですから」

 そう言う清人さんだって仕事中なのだけど。

「えっ、あっ、おい……」

 あわてて立ち上がる修太郎へ、清人さんは冷ややかな目を向け、ゾッとするほど美しく微笑する。

「もうすぐ仕事が入りますよ、修太郎くん。油を売ってるひまなどないですよ」
「な、なんだよ、その不吉な予言はっ」

 清人さんは不敵にうっすら笑んだまま私の手を取り、私と目が合うと、やわらかにほほえむ。

「さあ、香代さん、行きましょう。行きたいところがあれば、いつでも俺が一緒に行きますよ」





【第一話 完】
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