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どうして別れたんですか?

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 カフェの前で足を止め、ポケットから取り出したスマホで時間を確認する。14時。帰るには早いが、一人でカフェに入っても楽しくない。

 こんなときは彼女がいたらいい。
 そうは思うが、ショッピングに付き合わせるだけの彼女はあいにくいない。

 ひまつぶしのためだけに、俺の都合に合わせろなんていうのは、それこそ都合のいい話だ。その代わり、都合よく呼び出されるのも好まない。

 それは昔からそうだ。
 だから、友達以上恋人未満のような関係に甘んじている。

 お互いに会いたいときが似てる。いま同じこと考えてた、って言ってくれる。つまり、波長が合う。そんな女性に出会えないまま、この年になった。
 結婚願望はない方だが、結婚したいと思える女性に出会いたいと思うこともある。

 スマホの上に指を滑らせた。
 電話帳を開き、花野井つぐみの電話番号を眺める。
 しかし、ため息をひとつついて、スマホをポケットにしまった。

「帰るか」

 無意識につぶやいて顔を上げた俺は、一歩踏み出そうとした足をその場に戻した。

 知った顔が目の前にあった。
 カフェの入り口に立つ彼女もまた、同じように足を止めた。

 花野井つぐみだった。
 彼女は男と一緒にいたが、驚きで目を見開いたまま、ずっと俺を見ていた。

 俺はつぐみと一緒にいる男に見覚えがあった。むしろ、忘れることのない男だ。

 最初に動いたのは、その男だった。
 落ち着き払った男は、俺を見ながら、

「知り合い?」

 と、つぐみに尋ねた。

「あ、うん。お兄ちゃんも知ってる、高輪さん」

 つぐみは俺の存在を隠そうともしなかった。それだけ、兄との間には信頼関係があるのだろう。

「ああ、彼が」

 つぐみの兄は、にこやかに目尻を下げると、俺の方へやってきた。

「はじめまして」

 そう声をかけてくるから、無言で頭を下げた。俺が一方的に彼を知ってただけだと再認識した。

「つぐみの兄の花野井恭市きょういちです。高輪さんには一度お会いしたいと思ってたんですよ」

 意外なことを言ってくるから、戸惑いつつも、彼と同様に、にこやかな笑みを浮かべた。

「高輪瑛士と言います。お兄さんのことは、花野井さんから少しうかがってます」
「そうですか。つぐみはなかなか俺の話を外でしないようだから、よほど信頼してるんでしょう」

 恭市はうれしそうにそう言って、カフェの中を指差す。

「お茶でもどうです?」
「あ、いや……」
「時間ないですか?」

 どちらかといえば、時間は腐るほどある。

「お兄ちゃん、迷惑だよ。お義姉ねえさんだってすぐ来るし」
「すぐは来ないさ。高輪さんに会えるなんて、そうそうないだろ?」

 つぐみは同意を求められても、うなずかない。それはそうだろう。俺の顔など見たくもないかもしれないのだ。

「ちょっと話せません? 高輪さんとゆっくりお話したいと思ってたんですよ」

 そう言われたら、俺も興味が湧いた。血のつながらないつぐみの兄が、元カレである俺にどんな話があるというのか。

 高校時代の話はもう時効だ。いまさら、妹をなぜふったんだとけんか腰になられることもないだろう。

「では、少しだけなら」
「高輪さん、お兄ちゃんに合わせなくてもいいのに」

 眉をひそめたまま、つぐみはそう言ったが、それ以上強く拒絶することはなかった。




 円形のテーブルで、三角形を描くように俺たちは席に着いた。

「日曜日はお休みですか?」

 三人分の飲み物を注文した後、恭市はそう俺に尋ねてきた。つぐみの同業他社に勤務しているということは知らないようだ。

「ええ。基本的には休みです」
「うちもそうなんです。今日はたまたま妻もつぐみも休みで、みんなで出かけようって話になりましてね」
「奥さまは?」
「子どもと一緒に博物館へ行かせました。というのは口実で、ちょうど明日、妻の誕生日なもので、つぐみとプレゼントを選んでたんです」
「仲がいいんですね」

 そう言うと、恭市は目を細めて笑んだだけだった。
 奥さまとつぐみ、どちらと仲がいいのか、俺が勘ぐったと感じたのかもしれない。

「よく子どもたち含めて、出かけるんですよ。妻もつぐみを可愛がってくれますから」
「そうですか」
「噂をすれば、妻からメールです」

 失礼、と言って、恭市はスマホを操作する。

 何度かメールのやりとりをしたのだろう。コーヒーが運ばれてきた頃に、ようやくスマホをポケットにしまった。

「つぐみ、コーヒー飲んでからで大丈夫だから、博物館の近くの公園まで行ってくれないか?」
千花ちかさん、何かあったの?」

 つぐみが心配そうにそう尋ねる。
 恭市の妻は、千花という名のようだ。

「いや。公園でちょっとした催し物をやってるから来てほしいらしい」
「じゃあ、すぐに行くね。子どもたち、一人で見るの大変だよね」
「悪いね」

 つぐみは「ううん」と首をふって、コーヒーには口をつけずに立ち上がった。まるで、はやくこの場を離れたいみたいだ。

「高輪さん、ご無理いってすみません」
「いや、いいよ」
「じゃあ、失礼します」

 じゃあまた、とは言わないんだ。と、ぼんやり考えながら、立ち去るつぐみの背中を見送った。

 すぐに視線を恭市に戻す。彼は俺にコーヒーを飲むよう促して、言う。

「ありがたいことに、妻の千花は、本当につぐみのことをよく考えてくれてます」
「特別だからですか?」
「ええ、そうですね。俺たちが血のつながらない兄妹だからこそ、兄妹としての交流を絶やさないようにしてくれているんです」
「素敵な方に出会えましたね」

 ええ、と恭市は優しく微笑んだ後、俺の目をまっすぐ見つめてくる。

「つぐみと付き合ってたんですよね?」

 俺はちょっと笑ってしまった。
 それを聞きたかったのだろうと、容易に気づいてしまった。千花さんとメールのやりとりをしたのは、つぐみに席を外させたかったのだろう。

「高校時代の話です」
「もう、10年近く経つんですね。そう思えないぐらい、鮮明に覚えてます」
「何をですか?」
「彼氏ができたんだって、俺に告白してくれたつぐみをです」

 恭市はコーヒーカップに口をつける。俺はなんと答えるべきか悩み、そのまま沈黙を保った。

「終わった話を蒸し返して申し訳ないとは思います」
「いえ」
「ただどうしても、高輪さんにお礼を言いたかったんです」

 お礼?と、俺は眉をあげる。
 つぐみをふったのは、俺なのに。

「つぐみは今でもですが、昔から好きな男の子がいるとか、そういうことに無縁な感じの子でしたから」
「お兄さんのことが大好きだったんでしょう」
「つぐみがそう言いましたか?」
「いいえ。そう見えました」
「そうでしたか」

 恭市は少し考え込むそぶりを見せて、ふたたび尋ねてくる。

「どうして別れたんですか? ぶしつけな質問して、すみません」
「つぐみさんに問題があったわけじゃないですよ」
「別にそういったことを責めてるわけじゃありません。つぐみに問題がないと思ってるわけでも」
「学生時代の話ですから」

 簡単に付き合ったり別れたりする年頃の話だ。
 そう、暗に伝えると、恭市は小さな息をつく。

「こんなことを言うと、つぐみに叱られるかもしれないが、もしかしたらつぐみはまだ、高輪さんを忘れられないんじゃないかと思ってまして」
「そんなことはないと思いますが」
「思い過ごしかな、俺の。でももしつぐみが、高輪さんのことがあって、新しい恋をしないなら、つぐみに別れを切り出した理由を知りたいと思ったんです」

 別れが納得いかないから、10年も彼氏を作らないでいる、というのは考えにくい。
 それは薄々、恭市も感じているのだろうが、どこかすっきりしないところもあるのだろう。

「つぐみさんと別れたのは、意外性がなかったからですよ」
「意外性?」

 少々驚く恭市に向かって、俺はうなずく。

「彼女、素朴でしょう」
「つまり、つまらない女でしたか?」

 恭市は、それなら納得いく、というような、諦めに似た表情をする。

「それがつぐみさんの魅力でもあります。彼女は自己主張が強くないですし、自分より他人のことを優先して、それが当たり前だと思ってる。それは怖いです。少なくとも、俺は怖かった」
「高輪さんのために、つぐみは自分を犠牲にすると思われた?」
「まあ、簡単にいうと」
「つぐみは高輪さんを好きすぎたんですね」
「それはわかりません」

 正直な思いを口にした。
 本当にわからない。
 つぐみがどうしたかったのか。俺がどうしたかったのかさえも。
 ただこのまま一緒にいても仕方ないと思った。つぐみの彼氏でいていい男は俺じゃない。その確信だけはあった。

「付き合ってたら、つぐみさんをダメにすると思ったんです」
「具体的にどんなことがあるのかと聞いても……」

 そう言いかけてやめて、恭市は首を横に振った。

「わからないですよね。それは、取るに足らない、ちょっとしたことの積み重ねだったのかもしれないですね。そうやってみんな出会ったり別れたりするんでしょうね」

 俺はゆっくりと頭を下げた。

「つぐみさんには申し訳なかったと思っています」
「いや、謝らないでください。言いましたでしょう。俺は高輪さんにお礼が言いたかったと」

 下げた頭を戻すと、恭市は俺から目をそらす。そして、その横顔から、何かを懐かしむ様子が見て取れる。

「俺の父親が再婚したのは、つぐみが2歳のとき、俺が10歳のときでした」

 昔話なんて、すみません。
 と、彼は頭を下げた。

「親父はどちらかというとお調子者で、すぐにつぐみの父として馴染みました。もちろん、俺にはわからない葛藤はあったでしょうけど」
「お父さんは明るい方なんですか」

 思わず口に出してしまうと、恭市は笑う。

「意外でしょう? 俺とつぐみはどこか似てるけど、父も母も明るくて気さくなんです」
「ご兄弟はほかに?」
「いません。親父は欲しかったみたいですが、できなかったようで。そのかわりといっていいのか、親父はつぐみを可愛がってますよ」
「お兄さんもでしょう」

 つぐみは愛情を受けて育った。だからあんなにもまっすぐで、清廉だ。

「俺はそうでもないんですよ。いきなり血のつながらない妹ができたんです。多感な時期でもありました。つぐみを初めて抱っこしたときは変な気持ちになりましたよ」
「変って」

 ちょっと笑ってしまうが、恭市は至極真面目な表情をしている。彼にとって、突然現れた妹の存在は大きなことだっただろう。

「つぐみは誰にでもなつく子じゃなかったですから、俺に対しても最初は警戒心むき出しで」
「小さな頃から性格は変わってませんね」
「そうなんです。だから、好きになったらとことんなつくところも変わってません」

 ふと、恭市と目が合ったが、すぐにそらされた。

「つぐみは保育園にあがった頃から、お兄ちゃんお兄ちゃんと俺を追いかけてくるようになりました。それは中学になるまで変わりませんでした。正直、心配になったぐらいです」

 兄である恭市は、血のつながらない兄妹であることを、つぐみ以上に意識していたのだろうと思った。

「それがある日、つぐみが変わったんです」
「変わった? 中学生の時ですか?」
「ええ。忘れもしません。高校の体験入学のあった日でした」

 穏やかな目をして、彼は俺を見る。

「当時はわからなかったけど、あなただったんですね」
「俺?」
「はい。高輪さんに体験入学で会ったんでしょう。あの日からつぐみは人一倍勉強を頑張るようになって、見事志望校に合格しました」
「俺が関係してるかどうかは……」

 首をひねる。
 つぐみから、それらしい話を聞いたことは一度もない。

「わかるんですよ、つぐみのことは。ずっと見てきたので」

 切ない目をするから、あぁとため息が出た。

「……好きでしたか?」

 尋ねるべきことではなかった。だけど、彼がその言葉を俺に求めてる気がした。

「それはわからないんです。妹として好きだったのか、一人の女性として好きだったのか。でも高輪さんのおかげで、俺たちにはいい距離感が生まれました。ですから、感謝しています」
「俺は何も」

 むしろ、つぐみを傷つけた。それだけだったのに。

「高輪さんがどう思おうと、俺は救われました。あなたと付き合うことになったつぐみは日に日に変わりましたよ。日曜日には、ちょっとずつおしゃれをして出かけていくんです。そんなつぐみを見てるのは微笑ましかった」
「あの頃の俺は気づけてたかな」

 つぐみのちょっとした変化に、俺はどれほど……。

「つぐみは文字通り、青春を謳歌してましたよ。俺もつぐみのことで戸惑うことはなくなった。今の妻にも出会え、妻はつぐみを大切にしてくれてる。すべては、高輪さんのおかげなんです」
「過剰な評価ですよ」

 困り顔で笑ってみるが、恭市は深く頭を下げ、なかなか面をあげようとしなかった。
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