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柳川・立花山編
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高橋様は移動がてら、なぜ封印が解けたのかを説明してくれた。
「先日我が家臣の寺に顔を出したのだが、その時に彼が楓殿を忘れていることに気づいたのだ」
「あの方……! あの方はご無事でしたか」
「問題ない。ただすっぽりと楓殿のことを忘れていただけだった。そして懐かしい雌狐の匂いが香ったからピンときた。楓殿の記憶が消されているのだとな」
それから高橋様は羽犬塚さんの力を借りて、私が接したあやかしさん皆に会ったらしい。そして皆、記憶を消されていた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「何。好きでやっているのさ。消された記憶を戻すことは私には叶わぬが。……ああそうだ」
思い出した、という風に、高橋様は整った双眸を軽く見開く。
「あの猫又は覚えていたぞ、楓殿のことを」
「夜さん、覚えていてくれたんですか!?」
「猫又と主従契約を結んでいるのだろう? しからば、記憶を消せば猫又の命に関わると踏んだのだろうな」
「旬ちゃん……」
とても冷たい目をして私を見つめた、旬ちゃんの姿を思い出す。旬ちゃんは本当はやっぱり、優しいんじゃないのか。
「夜さんは元気でしたか? 人間の姿で全裸でそのへん歩いてませんでしたか?」
「全裸だったが猫だったぞ」
「よかった」
博多駅の改札に着くと高橋様はナチュラルにICカードをタッチして自動改札を抜け、階段を降りて地下鉄のホームへと立つ。ずいぶん世間慣れしたお武家様だ。
「そもそも私が楓殿と面識があるのは、両狐にとって予定外のイレギュラーだ。紫野にも内緒で、こっそり臣下の手続きに同行しただけ」
「そういえばそうでしたね」
「私が行くと伝えれば紫野に逃げられると思ったからな」
まあ、会えなんだが。と言いながら高橋様は肩をすくめる。
「ともあれ御社の記録には私と楓殿の面識について、何も残っていなかった」
「だから、高橋様の記憶は消されなかったのですね」
「ああ。そして私と話すことで楓殿の霊力が内側から弾け、尽紫の封印を破ったのだ…」
「高橋様。本当にありがとうございます」
ホームで深々と頭を下げる私に、高橋様は笑う。
「大したことはしておらぬよ。頭をあげなさい」
「でもどうして、こんなに私に力をお貸しくださるんですか?」
「単純な話さ」
高橋様はふっと、ホームで賑やかに電車を待つ親子連れへと目を向けた。遊びに行った帰りなのだろう、若いパパが熟睡する息子を抱っこしている。高橋様は懐かしむような、愛おしむような眼差しでその様子を眺めている。
「紫野も尽紫も、楓殿の前世ーー桜も、私の大切な身内のようなものだった」
「身内、ですか」
「うむ。三人が支えていた家に私の息子が婿入りしていたのでね」
「えっと……立花家、でしたっけ」
先日旬ちゃんに連れて行ってもらった柳川の記憶が役立つ。確か立花山城のお姫様に高橋さんの息子さんがお婿入りして城を継いで、その後立花さんになった息子さんが柳川の城に暮らしたのだ。
「私は霊狐の使役はせなんだが、立花とは共に戦に出ることも多かった。霊狐は戦場で斥候や間諜として働いていたから、何かと顔を合わせることが多かったよ」
「そう、だったのですね……そんなご関係が」
「そんなご関係だったのだよ」
少し戯けて微笑む高橋様。
恥ずかしながら全く歴史に疎いので、そういう関係を知らなかった。説明されても、あまりぴんと来ていない私が申し訳ない。
「気分を害されていたら申し訳ありません。私が不勉強なせいで」
「そんなことはないよ。知らない方がいいこともあるだろう」
「知らない方がいいこと、でしょうか?」
「少なくとも私は楓殿と話しやすいよ。ただの一人のおじさんとして、こうして話してくれるからな」
「お、おじさんと言うにはお若いじゃないですか……」
「ははは。……しかし、こうしていると」
言いながら不意に、高橋様は目を細めて私を見つめた。
「楓殿は桜によく似ている」
「そうなんですね……」
「顔がと言うより、言葉にし難い雰囲気がどことなく、な。……ああ、電車が来たぞ」
電車に乗り込みながら、彼は私に片目を閉じて見せた。
「義理は通さねば、落ち着かぬ。楓殿に手を貸すのは、半分は私自身の納得のためだ、気にするな」
「は、はい」
ウインクが似合うお武家さんって何者だろうか。
その格好良さにぼーっとしてしまい、うっかり電車に乗りそびれる所だった。
「先日我が家臣の寺に顔を出したのだが、その時に彼が楓殿を忘れていることに気づいたのだ」
「あの方……! あの方はご無事でしたか」
「問題ない。ただすっぽりと楓殿のことを忘れていただけだった。そして懐かしい雌狐の匂いが香ったからピンときた。楓殿の記憶が消されているのだとな」
それから高橋様は羽犬塚さんの力を借りて、私が接したあやかしさん皆に会ったらしい。そして皆、記憶を消されていた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「何。好きでやっているのさ。消された記憶を戻すことは私には叶わぬが。……ああそうだ」
思い出した、という風に、高橋様は整った双眸を軽く見開く。
「あの猫又は覚えていたぞ、楓殿のことを」
「夜さん、覚えていてくれたんですか!?」
「猫又と主従契約を結んでいるのだろう? しからば、記憶を消せば猫又の命に関わると踏んだのだろうな」
「旬ちゃん……」
とても冷たい目をして私を見つめた、旬ちゃんの姿を思い出す。旬ちゃんは本当はやっぱり、優しいんじゃないのか。
「夜さんは元気でしたか? 人間の姿で全裸でそのへん歩いてませんでしたか?」
「全裸だったが猫だったぞ」
「よかった」
博多駅の改札に着くと高橋様はナチュラルにICカードをタッチして自動改札を抜け、階段を降りて地下鉄のホームへと立つ。ずいぶん世間慣れしたお武家様だ。
「そもそも私が楓殿と面識があるのは、両狐にとって予定外のイレギュラーだ。紫野にも内緒で、こっそり臣下の手続きに同行しただけ」
「そういえばそうでしたね」
「私が行くと伝えれば紫野に逃げられると思ったからな」
まあ、会えなんだが。と言いながら高橋様は肩をすくめる。
「ともあれ御社の記録には私と楓殿の面識について、何も残っていなかった」
「だから、高橋様の記憶は消されなかったのですね」
「ああ。そして私と話すことで楓殿の霊力が内側から弾け、尽紫の封印を破ったのだ…」
「高橋様。本当にありがとうございます」
ホームで深々と頭を下げる私に、高橋様は笑う。
「大したことはしておらぬよ。頭をあげなさい」
「でもどうして、こんなに私に力をお貸しくださるんですか?」
「単純な話さ」
高橋様はふっと、ホームで賑やかに電車を待つ親子連れへと目を向けた。遊びに行った帰りなのだろう、若いパパが熟睡する息子を抱っこしている。高橋様は懐かしむような、愛おしむような眼差しでその様子を眺めている。
「紫野も尽紫も、楓殿の前世ーー桜も、私の大切な身内のようなものだった」
「身内、ですか」
「うむ。三人が支えていた家に私の息子が婿入りしていたのでね」
「えっと……立花家、でしたっけ」
先日旬ちゃんに連れて行ってもらった柳川の記憶が役立つ。確か立花山城のお姫様に高橋さんの息子さんがお婿入りして城を継いで、その後立花さんになった息子さんが柳川の城に暮らしたのだ。
「私は霊狐の使役はせなんだが、立花とは共に戦に出ることも多かった。霊狐は戦場で斥候や間諜として働いていたから、何かと顔を合わせることが多かったよ」
「そう、だったのですね……そんなご関係が」
「そんなご関係だったのだよ」
少し戯けて微笑む高橋様。
恥ずかしながら全く歴史に疎いので、そういう関係を知らなかった。説明されても、あまりぴんと来ていない私が申し訳ない。
「気分を害されていたら申し訳ありません。私が不勉強なせいで」
「そんなことはないよ。知らない方がいいこともあるだろう」
「知らない方がいいこと、でしょうか?」
「少なくとも私は楓殿と話しやすいよ。ただの一人のおじさんとして、こうして話してくれるからな」
「お、おじさんと言うにはお若いじゃないですか……」
「ははは。……しかし、こうしていると」
言いながら不意に、高橋様は目を細めて私を見つめた。
「楓殿は桜によく似ている」
「そうなんですね……」
「顔がと言うより、言葉にし難い雰囲気がどことなく、な。……ああ、電車が来たぞ」
電車に乗り込みながら、彼は私に片目を閉じて見せた。
「義理は通さねば、落ち着かぬ。楓殿に手を貸すのは、半分は私自身の納得のためだ、気にするな」
「は、はい」
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