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太宰府・二日市編
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ーーその後数年に渡り、紫野は呪いを放つ悪狐として暴れ回る事となった。
柳川で別れて以降、紫野はずっとずっと、桜のことを待ち侘び続けた。
愛する巫女と再会して、夫婦になれるものだと思っていた。
しかし巫女は姫城督の頃から敬愛する誾千代姫を庇って殉死し、その魂を輪廻の輪に投げた。
狐は荒れた。
荒れに荒れ、終いには姉狐により徹底的に打ちのめされ、積み重ねた600年の功徳を失った、一本尾の妖狐と成り果ててしまった。
「紫野ちゃん。私はあなたを殺せない。無理矢理『彼方』に連れて行くこともできない」
霊力をあげて尾を増やした姉狐は、悲しげな顔をして踏みつけにした弟を見下ろした。
「私は、やる事があるから暫く『此方』に居るわ。落ち着いた時に、一緒に『彼方』に行きましょう」
「……ッ」
人の姿も保てなくなった紫野は、踏みつけられ霊力で封印され、とある森の一角に置き去りにされた。
己の名も、苦しみの根源も見失うほどに荒れ狂った傷ついた雄狐。
それから数十年経過したある日、雄狐は気まぐれな霊犬に話しかけられた。
「おや、お前はまだ生きていたのか。根性だけは見上げたものよ」
花魁のように着飾った美貌の霊犬は、黒柴犬の霊犬だった。
細い頸から下をしどけなく開いた襟からは、大きな白鳥のごとき翼を広げている。
ーー羽犬姫。
筑前より南方、筑後に古くより住まうあやかしの姫は、ボロきれになった雄狐に息を吹きかける。
ぱきりと結界が音を立てて壊れ、雄の霊狐は人の姿を取り戻した。
「色男が勿体無いの、船小屋の霊泉にでも浸かって早く綺麗になされよ」
「……何故助けた」
翼を持つ雌の霊犬は、赤い唇でにっこり笑う。
「気分さ」
「気分……だと?」
「そう、気分。人間に恋して壊れた雄狐って、ちょっとした御伽噺のようで愛いではないか」
ほほほ、と赤い唇で笑う。
羽犬姫は酔狂なあやかしとして名が知れていた。かの豊臣秀吉が九州平定で進軍した折、珍しいものと極上の女を好む彼に気に入られ、こっそりと彼の九州屋敷の側室として寵愛されたという。
子供に恵まれない豊臣秀吉の側室に、古来のあやかしの秘術を吹き込んだのも彼女という噂さえある。
事実、秀吉が肥前に名護屋城を築き都より側室たちを連れて初めて、唯一の子供豊臣秀頼は誕生した。
そんな酔狂な女に、紫野は酔狂で助けられたというわけだ。
「雄狐よ。此方に生きるのが嫌ならとっとと『彼方』に行けば良いではないか。姉君もお前と共に行きたがっているのだろう?」
「……俺は……」
「拗ねた子供みたいな顔をしてどうする。そりゃあ尻尾も一本に戻ってしまうわけだ」
霊犬はあきれた様子を見せながらも、目元に慈愛をにじませ、紫野をを優しく、そして厳しく諭した。
「『此方』にしがみつきたいのなら、順応せよ。人間の世界に慣れよ。これからどんどん世は変わっていく。此方で思い人ともう一度会いたいのなら。待ちたいのなら」
「……待つ、だと? あいつはもう!」
「ほほ、愚かな狐よ。考えもせず、此方にしがみついておったのか」
羽犬姫は優しく微笑んだ。
「人間は生まれ変わる。それを待てるのは、妾たちあやかしの喜びではなくて?」
霊犬はこの土地が筑紫の名を受ける前より存在する、旧い旧い土地神であった。
彼女は時代の流れに呑まれて消えることを良しとせず、太閤秀吉に寵愛を受け今も『此方』に生きていた。
その言葉は、霊狐にとってとても重みがあるものだった。
「ああ、それとも……姿形が変わって仕舞えば、お前にとって恋はもう終いか。全く白状よの、雄という奴は」
「そんなこと! 俺はどんな姿だろうと、桜を」
弾かれるように反論した紫野に、羽犬姫は優しく微笑んだ。ぱたぱたと愛らしい巻き尻尾を揺らす。
「それでこそ御伽噺として上等さね、愛らしく愚かな雄狐よ。覚悟があるのなら、妾が少々、手を貸してやろう」
柳川で別れて以降、紫野はずっとずっと、桜のことを待ち侘び続けた。
愛する巫女と再会して、夫婦になれるものだと思っていた。
しかし巫女は姫城督の頃から敬愛する誾千代姫を庇って殉死し、その魂を輪廻の輪に投げた。
狐は荒れた。
荒れに荒れ、終いには姉狐により徹底的に打ちのめされ、積み重ねた600年の功徳を失った、一本尾の妖狐と成り果ててしまった。
「紫野ちゃん。私はあなたを殺せない。無理矢理『彼方』に連れて行くこともできない」
霊力をあげて尾を増やした姉狐は、悲しげな顔をして踏みつけにした弟を見下ろした。
「私は、やる事があるから暫く『此方』に居るわ。落ち着いた時に、一緒に『彼方』に行きましょう」
「……ッ」
人の姿も保てなくなった紫野は、踏みつけられ霊力で封印され、とある森の一角に置き去りにされた。
己の名も、苦しみの根源も見失うほどに荒れ狂った傷ついた雄狐。
それから数十年経過したある日、雄狐は気まぐれな霊犬に話しかけられた。
「おや、お前はまだ生きていたのか。根性だけは見上げたものよ」
花魁のように着飾った美貌の霊犬は、黒柴犬の霊犬だった。
細い頸から下をしどけなく開いた襟からは、大きな白鳥のごとき翼を広げている。
ーー羽犬姫。
筑前より南方、筑後に古くより住まうあやかしの姫は、ボロきれになった雄狐に息を吹きかける。
ぱきりと結界が音を立てて壊れ、雄の霊狐は人の姿を取り戻した。
「色男が勿体無いの、船小屋の霊泉にでも浸かって早く綺麗になされよ」
「……何故助けた」
翼を持つ雌の霊犬は、赤い唇でにっこり笑う。
「気分さ」
「気分……だと?」
「そう、気分。人間に恋して壊れた雄狐って、ちょっとした御伽噺のようで愛いではないか」
ほほほ、と赤い唇で笑う。
羽犬姫は酔狂なあやかしとして名が知れていた。かの豊臣秀吉が九州平定で進軍した折、珍しいものと極上の女を好む彼に気に入られ、こっそりと彼の九州屋敷の側室として寵愛されたという。
子供に恵まれない豊臣秀吉の側室に、古来のあやかしの秘術を吹き込んだのも彼女という噂さえある。
事実、秀吉が肥前に名護屋城を築き都より側室たちを連れて初めて、唯一の子供豊臣秀頼は誕生した。
そんな酔狂な女に、紫野は酔狂で助けられたというわけだ。
「雄狐よ。此方に生きるのが嫌ならとっとと『彼方』に行けば良いではないか。姉君もお前と共に行きたがっているのだろう?」
「……俺は……」
「拗ねた子供みたいな顔をしてどうする。そりゃあ尻尾も一本に戻ってしまうわけだ」
霊犬はあきれた様子を見せながらも、目元に慈愛をにじませ、紫野をを優しく、そして厳しく諭した。
「『此方』にしがみつきたいのなら、順応せよ。人間の世界に慣れよ。これからどんどん世は変わっていく。此方で思い人ともう一度会いたいのなら。待ちたいのなら」
「……待つ、だと? あいつはもう!」
「ほほ、愚かな狐よ。考えもせず、此方にしがみついておったのか」
羽犬姫は優しく微笑んだ。
「人間は生まれ変わる。それを待てるのは、妾たちあやかしの喜びではなくて?」
霊犬はこの土地が筑紫の名を受ける前より存在する、旧い旧い土地神であった。
彼女は時代の流れに呑まれて消えることを良しとせず、太閤秀吉に寵愛を受け今も『此方』に生きていた。
その言葉は、霊狐にとってとても重みがあるものだった。
「ああ、それとも……姿形が変わって仕舞えば、お前にとって恋はもう終いか。全く白状よの、雄という奴は」
「そんなこと! 俺はどんな姿だろうと、桜を」
弾かれるように反論した紫野に、羽犬姫は優しく微笑んだ。ぱたぱたと愛らしい巻き尻尾を揺らす。
「それでこそ御伽噺として上等さね、愛らしく愚かな雄狐よ。覚悟があるのなら、妾が少々、手を貸してやろう」
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