74 / 145
中洲編
3
しおりを挟む
「霊狐殿。霊狐殿」
「ん……?」
祠にて微睡んでいた紫野が目を覚ませば、祠の前に屋敷の侍がいた。
幸せな夢が遮られ、顔を顰めながら祠から姿を顕現した紫野に、彼は来客が来た事を告げる。
「霊狐殿の姉上と仰せの、随分と若い女ですが……」
「ああ、それは姉だ。今行く」
紫野は装いを整え、秋風が吹き込む廊下を足早に歩き、姉が待たされた部屋へと向かう。紫野の今の住まいは『福岡城』の城下、黒田家家臣の邸宅に祀られた小さな祠だった。
話は天正十五年(1586年)ーー16年前に遡る。
太閤秀吉による九州平定の後、博多の街は大規模な復興事業が執り行われた。
何度も灰燼に帰した博多の街。
しかし瓦礫を混ぜて再構築した博多塀のように、商人たちは何度でもしぶとく強かに街を再建し続けた。
商人たちが奮闘する傍らで、博多を守護する武家社会は大きな変遷を遂げていた。
立花家が筑後柳川に転封されたのち、筑前立花山城は廃城となり、筑前名島城に入った小早川家が筑前守護の大名となった。
しかし関ヶ原の戦いを経て再び大名は入れ替わり、小早川に変わって外様大名・黒田家が筑前を治めることになった。
黒田家は名島城を廃し、博多の西・警固村福崎に新たな城、福岡城を築城した。
商人の博多と、武家の福岡。
二つの面を持つ土地で、紫野は筑前ーー筑紫野に住まう六〇〇年の霊狐として、そして武家に使役され戦も知る雄の霊狐として、とある黒田家家臣の屋敷で祀られるようになっていた。
土地勘のない黒田武士を助け、寄る方のないあやかし達の世話をしながら過ごす日々は、桜のいない空虚な日々を埋めるには充分だったがーー
「嫌な予感しかしねえな」
広い屋敷の中を歩きながら、紫野は一人呟く。
かつての主君・立花家は、関ヶ原の戦いで西軍に与し、今は改易処分となっていた。誾千代姫は肥後腹赤で少数の侍女や母と共に、ひっそりと暮らしているらしい。
それ以上の情報を紫野は知らない。
もちろん、紫野は誾千代姫と桜のことが気にかかっていたが、紫野が彼女の元に向かう訳にはいかなかった。
秀吉はあやかしを嫌い、そして必要以上に旧いあやかしを使役する大名を嫌った。
立花家に仕える霊狐は稲荷神の神使として転身し、紫野とは格の異なる存在へと変わっていた。よって、ただの霊狐である紫野が迂闊に誾千代姫の元に行けば、以前以上に角がたつ。
彼女を慕って仕送りをしていた柳川の農民が磔刑に処されたとも聞く程だ。
客間には懐かしい姿が、以前と変わりない姿で佇んでいた。
瀟洒な小袖を纏った肩の薄い女。紫野と同じ狐色の長い髪に大きな耳、5本の尻尾を持つ姉。
旅装束を纏っていない様子から、どこかで一旦着替えてきたのだと察せられた。
「尽紫」
紫野の言葉に姉ーー尽紫は少し疲れた笑顔で笑う。
「元気そうね、紫野ちゃん」
「ああ。尽紫はどうだ?」
「だいじょーぶ。人間と違って、狐だから特に変わりなんてないわ。紫野ちゃんと離れて、たかが十年ちょっとだもの」
尽紫は肩をすくめて首を振ると、前に座した紫野へと向き直る。
「紫野ちゃん。殿が今、京で再士官の嘆願をしているのは知っているわよね?」
「ああ」
紫野は頷く。
誾千代姫の婿ーー立花宗茂は家臣たちと共に上京し、新たに職を得るために徳川家に嘆願をし続けている。
「もしかして殿の再士官が決まったのか?!」
「まさか。それはむしろ、ほぼ絶望的よ。あらかたの家臣も肥後の加藤家に引き取ってもらったし」
「そうか……んじゃあ、なんでこんなとこまで来たんだよ」
「これから私は殿に誾千代様についてお伝えするために、京に行くの。その道すがら、ようやく紫野ちゃんに会うことができた」
「誾千代様に、ついて?」
紫野を真正面から見据え、尽紫はじっと口を結ぶ。
「尽紫……? まさか、」
「ん……?」
祠にて微睡んでいた紫野が目を覚ませば、祠の前に屋敷の侍がいた。
幸せな夢が遮られ、顔を顰めながら祠から姿を顕現した紫野に、彼は来客が来た事を告げる。
「霊狐殿の姉上と仰せの、随分と若い女ですが……」
「ああ、それは姉だ。今行く」
紫野は装いを整え、秋風が吹き込む廊下を足早に歩き、姉が待たされた部屋へと向かう。紫野の今の住まいは『福岡城』の城下、黒田家家臣の邸宅に祀られた小さな祠だった。
話は天正十五年(1586年)ーー16年前に遡る。
太閤秀吉による九州平定の後、博多の街は大規模な復興事業が執り行われた。
何度も灰燼に帰した博多の街。
しかし瓦礫を混ぜて再構築した博多塀のように、商人たちは何度でもしぶとく強かに街を再建し続けた。
商人たちが奮闘する傍らで、博多を守護する武家社会は大きな変遷を遂げていた。
立花家が筑後柳川に転封されたのち、筑前立花山城は廃城となり、筑前名島城に入った小早川家が筑前守護の大名となった。
しかし関ヶ原の戦いを経て再び大名は入れ替わり、小早川に変わって外様大名・黒田家が筑前を治めることになった。
黒田家は名島城を廃し、博多の西・警固村福崎に新たな城、福岡城を築城した。
商人の博多と、武家の福岡。
二つの面を持つ土地で、紫野は筑前ーー筑紫野に住まう六〇〇年の霊狐として、そして武家に使役され戦も知る雄の霊狐として、とある黒田家家臣の屋敷で祀られるようになっていた。
土地勘のない黒田武士を助け、寄る方のないあやかし達の世話をしながら過ごす日々は、桜のいない空虚な日々を埋めるには充分だったがーー
「嫌な予感しかしねえな」
広い屋敷の中を歩きながら、紫野は一人呟く。
かつての主君・立花家は、関ヶ原の戦いで西軍に与し、今は改易処分となっていた。誾千代姫は肥後腹赤で少数の侍女や母と共に、ひっそりと暮らしているらしい。
それ以上の情報を紫野は知らない。
もちろん、紫野は誾千代姫と桜のことが気にかかっていたが、紫野が彼女の元に向かう訳にはいかなかった。
秀吉はあやかしを嫌い、そして必要以上に旧いあやかしを使役する大名を嫌った。
立花家に仕える霊狐は稲荷神の神使として転身し、紫野とは格の異なる存在へと変わっていた。よって、ただの霊狐である紫野が迂闊に誾千代姫の元に行けば、以前以上に角がたつ。
彼女を慕って仕送りをしていた柳川の農民が磔刑に処されたとも聞く程だ。
客間には懐かしい姿が、以前と変わりない姿で佇んでいた。
瀟洒な小袖を纏った肩の薄い女。紫野と同じ狐色の長い髪に大きな耳、5本の尻尾を持つ姉。
旅装束を纏っていない様子から、どこかで一旦着替えてきたのだと察せられた。
「尽紫」
紫野の言葉に姉ーー尽紫は少し疲れた笑顔で笑う。
「元気そうね、紫野ちゃん」
「ああ。尽紫はどうだ?」
「だいじょーぶ。人間と違って、狐だから特に変わりなんてないわ。紫野ちゃんと離れて、たかが十年ちょっとだもの」
尽紫は肩をすくめて首を振ると、前に座した紫野へと向き直る。
「紫野ちゃん。殿が今、京で再士官の嘆願をしているのは知っているわよね?」
「ああ」
紫野は頷く。
誾千代姫の婿ーー立花宗茂は家臣たちと共に上京し、新たに職を得るために徳川家に嘆願をし続けている。
「もしかして殿の再士官が決まったのか?!」
「まさか。それはむしろ、ほぼ絶望的よ。あらかたの家臣も肥後の加藤家に引き取ってもらったし」
「そうか……んじゃあ、なんでこんなとこまで来たんだよ」
「これから私は殿に誾千代様についてお伝えするために、京に行くの。その道すがら、ようやく紫野ちゃんに会うことができた」
「誾千代様に、ついて?」
紫野を真正面から見据え、尽紫はじっと口を結ぶ。
「尽紫……? まさか、」
0
お気に入りに追加
134
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
真夜中の仕出し屋さん~料理上手な狛犬様と暮らすことになりました~
椿蛍
キャラ文芸
「結婚するか、化け物屋敷を管理するか」
仕事を辞めた私に、父は二つの選択肢を迫った。
料亭『吉浪』に働いて六年。
挫折し、料理を作れなくなってしまった――
結婚を断り、私が選んだのは、化け物屋敷と父が呼ぶ、亡くなった祖父の家へ行くことだった。
祖父が亡くなって、店は閉まっているはずだったけれど、なぜか店は開いていて――
初出:2024.5.10~
※他サイト様に投稿したものを大幅改稿しております。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
我が家の家庭内順位は姫、犬、おっさんの順の様だがおかしい俺は家主だぞそんなの絶対に認めないからそんな目で俺を見るな
ミドリ
キャラ文芸
【奨励賞受賞作品です】
少し昔の下北沢を舞台に繰り広げられるおっさんが妖の闘争に巻き込まれる現代ファンタジー。
次々と増える居候におっさんの財布はいつまで耐えられるのか。
姫様に喋る犬、白蛇にイケメンまで来てしまって部屋はもうぎゅうぎゅう。
笑いあり涙ありのほのぼの時折ドキドキ溺愛ストーリー。ただのおっさん、三種の神器を手にバトルだって体に鞭打って頑張ります。
なろう・ノベプラ・カクヨムにて掲載中
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる