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中洲編

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「随分と手慣れた働きぶりね。飲食店は慣れてるの?」
「いえ、実はバイトでも飲食店で働いたことはなくて。黒服の方に教えてもらった通りやってます」
「あら」彼女は目を軽く瞠る。「目が色んなところに行き届いているから、ベテランかと思っていたわ」
「恐れ入ります」

 本物の中洲のママに褒められると照れてしまう。
 音琴ねことさんは私に微笑むと、篠崎さんへと目を向けた。

「しのさん、いい男よね」
「はい。とても頼りになる上司です」
「女性としてはどうなの? あなた、凄くしのさんのこと見てるじゃない」
「あ、えっと……」

 いい匂いがする。
 思った瞬間、私は壁際に追い詰められていた。トン、と音琴ねことさんが壁に手を添える。いわゆる壁ドンだ。

「あ、ああああの、音琴ねことさん?」
「貴女、しのさんに齧られた匂いがするわね。凄く美味しそうな霊力だけど、福岡のあやかしなら、紫乃さんのお手つきには手を出せない。……大事にされてるのね?」
「い、いち社員として、とても良くしていただいています……」
「ただの、いち社員? 本当に?」

 妖艶な眼差しに見つめられ、顎を撫でられ、背筋に汗がダラダラと溢れる。

「もしかして、貴女はしのさんが待っていた、」

 その時。

「あんま揶揄からかわないでやってくださいよ」

 篠崎さんが呆れた声を出してこちらにやってきた。
 音琴ねことさんは一転ころりと笑顔になり、私から離れて肩をすくめる。

「やぁだ。冗談よ。可愛いからちょっとね。貴方が従業員を雇うなんて珍しいし。しかも人間の女の子」
「治安維持の一つですよ。こんなのがそのへんうろついてたら、『天神さまのお膝元』がどうなるか」
「ふふ。それは言えてるわ。この歳までよく生きてたわね、佐賀牛の焼き肉ぶら下げてうろついてるくらい美味しそうなのに」
「佐賀牛!?」
「あら、博多和牛がいいかしら?」

 音琴ねことさんはそのまま、私から離れてホールへと戻っていく。
 私はぐったり疲れた気分になり、肩で溜息をついた。

「ありがとうございます、篠崎さん~。私、食われちゃうかと思いまし、」

 篠崎さんにお礼を言おうとして彼を見上げて、私は言葉を失う。
 彼は表情を無くしてじっと、私を金の双眸で見下ろしていた。狐耳と尻尾が、少し毛が立っている気がする。
 怒っている、の?

「あ、篠崎さん」

 篠崎さんは無言で私を壁に追い詰め、そして無断で第一ボタンに指をかける。襟を開き、私の首にかぷり、と噛み付いた。

「っ……」
「霊力がもう溢れ出してたな。危ないところだった」
「篠崎、さん……」
「俺がうっかりしていた。……今日は印付マーキングしとくから、なんとか乗り切ってくれ」

 篠崎さんの掠れた声が、耳元で囁く。ぞくぞくして言葉を失った私の襟を再び閉じると、彼は唇を拭った。
 ゆら、と揺れる尻尾がほのかに輝いている気がする。

「……悪いな、上手く守れてなくて」

 篠崎さんはくしゃりと私の髪をなで、再びホールへと戻っていく。
 私はヘナヘナと腰が砕けて、しばらく立ち上がれなくなっていた。
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