上 下
42 / 145
糸島編

2

しおりを挟む
「菊井はただの社員です」
「そうなのですか?」
「ええ」

 俺は目を細めて笑顔で受け流す。

「私と主従を結んでいるわけでも、なんでもありません」
「……そうですか。あなたが、そう仰るのならば」

 彼女は呟き、肩の力を抜いてソファーに腰をおろす。
 同時に広がっていた髪も足元も人間らしい姿に戻り、瞳も黒目がちな憂いを帯びた双眸になる。本性をまろび出してしまった恥じらいのようなものを目元に浮かべ、彼女は髪をいじりながら、ぽつりと呟く。

「私、昔、噂に聞いたことがあるんです。『天神のはぐれ霊狐』ーー篠崎さんが、稲荷神の神使にも昇格できるほどの霊力を持ちながら、ずっと天神にいらっしゃる理由は、」

 その時。

「うわー!!!!!! 寝てしまったーーーー!!!!!!!」

 全身の緊張がヘナヘナと抜けていくような叫び声が、奥のソファーから響く。
 振り返れば寝汗まみれの菊井楓が青ざめた顔で辺りをキョロキョロ見回していた。

「うわっ、私っ、天神で霊力吸って、その、あれからどうなッ……ええ、夕方? ここどこ? え、」
「落ち着け」

 俺は用意しておいた水のペットボトルの蓋を緩め、菊井楓によこし、顎で飲み干すように示す。

「ここは会社。仕事に関しては引き継いで終わらせた」
「あっ……も、申し訳ありません……。ご迷惑おかけいたしました」

 彼女はハッとして口を拭うと立ち上がり、雫紅しずくに深々と頭を下げる。雫紅は立ち上がると楓に近づき、目の前で深々と頭を下げた。

「ご迷惑をおかけしたのは私の方です。私が興奮して失敗してしまい、申し訳ありませんでした。楓さんが霊力を吸って下さって、そして篠崎さんが後始末をしてくださったお陰です」
「よくあることですよ。気にしないでください」

 俺はいつもの調子で微笑んで返す。これ以上、先程の話は続けないという意思を込めて。
 雫紅も理解したのだろう。楓に向き直って彼女の汗ばんだ額をハンカチで拭ってやっている。

「ご体調はいかがですか?」
「私は大丈夫です! なんだかスッキリしてます!」
「そりゃあ3時間も昼寝すりゃあな」
「昼寝って……えっあっ本当だ!! もうこんな時間!!!」

 雫紅は俺を振り返った。

「大丈夫そうですね、菊井さん」
「ええ。こういう奴ですよ」

 俺は肩をすくめた。

「菊井さん。私はそろそろ帰りますので、来週の面談よろしくお願いします」
「あ、せめて私がお見送りします!」
「待て。その前に涎の痕を拭け」
「ぎゃっ」

 慌てて手鏡を見て口元を拭う楓を見て、雫紅は微笑ましげに目を細めている。

「申し訳ありません、落ち着きのない社員で」
「そんな……私は楽しいです。今後も菊井さんがご担当なら、安心してお仕事ができます」

 彼女はふっと表情を変え、俺にしか聞こえない囁き声で、ひっそりとつぶやく。

「魂は生まれ変われば別人となります。あやかしと違って、魂の脆い人間ひとは心を引き継げない」

 窓辺から差し込む夕暮れの日差しが、磯女のつるりとしたかんばせ顔を照らした。

「ご存知でしょうけど。……どうか、苦しまないでくださいね」
「お心遣いありがとうございます」

 俺は笑顔で彼女に返す。
 ーーそんなこと、400年ずっと自分に言い聞かせてきた事だ。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

下宿屋 東風荘 6

浅井 ことは
キャラ文芸
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*°☆.。.:*・°☆*:.. 楽しい旅行のあと、陰陽師を名乗る男から奇襲を受けた下宿屋 東風荘。 それぞれの社のお狐達が守ってくれる中、幼馴染航平もお狐様の養子となり、新たに新学期を迎えるが______ 雪翔に平穏な日々はいつ訪れるのか…… ☆.。.:*°☆.。.:*°☆.。.:*°☆.。.:*☆.。.:*゚☆ 表紙の無断使用は固くお断りさせて頂いております。

大正ロマン恋物語 ~将校様とサトリな私のお試し婚~

菱沼あゆ
キャラ文芸
華族の三条家の跡取り息子、三条行正と見合い結婚することになった咲子。 だが、軍人の行正は、整いすぎた美形な上に、あまりしゃべらない。 蝋人形みたいだ……と見合いの席で怯える咲子だったが。 実は、咲子には、人の心を読めるチカラがあって――。

久遠の呪祓師―― 怪異探偵犬神零の大正帝都アヤカシ奇譚

山岸マロニィ
キャラ文芸
  ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼       第伍話 連載中    【持病悪化のため休載】   ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼ モダンガールを目指して上京した椎葉桜子が勤めだした仕事先は、奇妙な探偵社。 浮世離れした美貌の探偵・犬神零と、式神を使う生意気な居候・ハルアキと共に、不可解な事件の解決に奔走する。 ◤ 大正 × 妖 × ミステリー ◢ 大正ロマン溢れる帝都・東京の裏通りを舞台に、冒険活劇が幕を開ける! 【シリーズ詳細】 第壱話――扉(書籍・レンタルに収録) 第弐話――鴉揚羽(書籍・レンタルに収録) 第参話――九十九ノ段(完結・公開中) 第肆話――壺(完結・公開中) 第伍話――箪笥(連載準備中) 番外編・百合御殿ノ三姉妹(完結・別ページにて公開中) ※各話とも、単独でお楽しみ頂ける内容となっております。 【第4回 キャラ文芸大賞】 旧タイトル『犬神心霊探偵社 第壱話【扉】』が、奨励賞に選ばれました。 【備考(第壱話――扉)】 初稿  2010年 ブログ及びHPにて別名義で掲載 改稿① 2015年 小説家になろうにて別名義で掲載 改稿② 2020年 ノベルデイズ、ノベルアップ+にて掲載  ※以上、現在は公開しておりません。 改稿③ 2021年 第4回 キャラ文芸大賞 奨励賞に選出 改稿④ 2021年 改稿⑤ 2022年 書籍化

母が田舎の実家に戻りますので、私もついて行くことになりました―鎮魂歌(レクイエム)は誰の為に―

吉野屋
キャラ文芸
 14歳の夏休みに、母が父と別れて田舎の実家に帰ると言ったのでついて帰った。見えなくてもいいものが見える主人公、麻美が体験する様々なお話。    完結しました。長い間読んで頂き、ありがとうございます。

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

片翅の火蝶 ▽半端者と蔑まれていた蝶が、蝋燭頭の旦那様に溺愛されるようです▽

偽月
キャラ文芸
  「――きっと、姉様の代わりにお役目を果たします」  大火々本帝国《だいかがほんていこく》。通称、火ノ本。  八千年の歴史を誇る、この国では火山を神として崇め、火を祀っている。国に伝わる火の神の伝承では、神の怒り……噴火を鎮めるため一人の女が火口に身を投じたと言う。  人々は蝶の痣を背負った一族の女を【火蝶《かちょう》】と呼び、火の神の巫女になった女の功績を讃え、祀る事にした。再び火山が噴火する日に備えて。  火縄八重《ひなわ やえ》は片翅分の痣しか持たない半端者。日々、お蚕様の世話に心血を注ぎ、絹糸を紡いできた十八歳の生娘。全ては自身に向けられる差別的な視線に耐える為に。  八重は火蝶の本家である火焚家の長男・火焚太蝋《ほたき たろう》に嫁ぐ日を迎えた。  火蝶の巫女となった姉・千重の代わりに。  蝶の翅の痣を背負う女と蝋燭頭の軍人が織りなす大正ロマンスファンタジー。

処理中です...