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五十五話 九死に一生

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 なんで、どうして。そんな言葉ばかり頭に浮かぶ。
 私の生き死にがどうしてルーファス陛下に関係あるのか。どうして私が生きるのがルーファス陛下のためになるのかわからない。

「なんで、ですか。私が死のうと生きようと、ルーファス陛下には関係ないじゃないですか」

 だから思ったままを口にすると、ルーファス陛下は目を細め、射抜くような眼差しを私に向けた。

「自らの妃を死に追いやりたい王がどこにいる」
「私の父親である王様とかですかね」

 一応、お母さまは私を産んだので王様の妃の一人という立場にあった。
 王様の関心は王妃様にしか向いていなかったし、小屋に追いやられていたけど。

「あんなものと俺を一緒にするな」
「どこにいると聞かれたから答えただけです。……そもそも、私を妃として認めていなかったのはルーファス陛下じゃないですか」
「……それについては、申し訳ないことをしたと思っている。だからこそ、お前の許しが得られるのなら――」
「いえ、許すも許さないも、私は気にしていません。言いたいのは、今さら妃とか、妻とか……夫婦として扱わなくてもいいってことです」
「正式に書類を交わしているのなら、夫婦以外の何物でもないだろう」
「所詮、書類上のことですし」
「式も挙げ、婚姻の誓いも果たしたと言っていたではないか」
「花嫁と花婿、双方が揃っていない式なんて式じゃありませんし、婚姻の誓いも……ルーファス陛下はしていないんじゃないですか?」

 妃として迎えるつもりがなく、式も行っていなかったのなら、婚姻の誓いも果たしていないだろう。だから、ルーファス陛下にとっての私は――

「一方的に婚姻し押しかけただけなので、私はルーファス陛下の妻かもしれませんが、ルーファス陛下は私の夫ではないと思うんです」
「……ならば、国に戻り次第誓おう」
「そういうことを言っているんじゃないです。ルーファス陛下には、私を妻として扱う義理は何もないってことですよ。変に気を遣っていただかなくても大丈夫です」

 話をしているうちに少しずつ冷静さを取り戻す。
 なんで、と疑問ばかり湧いていたが、考えてみれば単純な話だ。ルーファス陛下は暴君と呼ばれているが、あまり暴君らしくない。根はいい人なのだろう。
 だから、彼が態度を変えた理由は一つしかない。

「アドフィル帝国で毒を盛られたことなら私は気にしていないので、ルーファス陛下が気に病まれる必要はありません」

 ルーファス陛下の態度がころっと変わったのは、毒を盛られた日からだ。私を妃として扱うとはっきり言っていたので間違いない。
 他国から来た姫が毒を盛られたのだから、責任を感じるのもしかたないと思う。だけど私は死んでいないし、なんなら喜んでいた。
 だから確信をもってはっきりと言ったのに、何故かルーファス陛下は脱力したような顔になった。

「違う、その程度――ではないが、それだけで意思を覆したわけではない」

 なら他に何があるだろう。
 あの日毒を盛られたこと以外に変わったことがあるとすれば、罪人と告白したことぐらい。

「罪人を妃として迎える願望をお持ちとは……ずいぶんと変わった趣味で」
「違う、そうじゃない。俺は、お前と会ったことがあると、言っただろう」
「ああ、その節は……見苦しいものをお見せしました」

 痺れから解放された少年――若かりし日のルーファス陛下を小屋に案内した時、彼は信じられないとばかりに目を見張っていた。
 ベッドには人の形をしていないものがいたのだから、その反応も当然だろう。だけどその時の私はそんな当然に気づかないで、笑いながら話していた。

『お前、何を言っているんだ』

 戸惑いを隠せない赤色の瞳に、蒼白な顔。

『母親に笑ってほしいから、だと?』

 見開かれた目は、生前の面影すらなくなっているものに向けられていた。

『ありえない。あれはどう見ても――』

 死体だと、唇が動く。彼はちゃんと現実を見えていたから、眠っているお母さまではなく、そこにあるべきものを見ていた。
 だけどその時の私はわかっていなかったから、彼を追い出した。見苦しいにもほどがある。

「違う。いや、そこでも会っていたのだから間違いではないが……お前に、エイシュケルを案内されたと言ったのは覚えているか?」
「覚えていますけど……エイシュケルをだなんて大げさですね。私が案内したのは小屋までの道でしたのに」
「それよりも前に、俺はお前と会っている。エイシュケルの王都で会い、案内されたことがあるんだ」

 ルーファス陛下の言葉に、ぱちくりと瞬きを繰り返す。
 王都のどこに何があるのかすら私は知らないのに、案内できるはずがない。

「人違いじゃないですか?」
「その目を間違えるものか」
「同じ目をした人がもう一人――」
「寒気がするようなことを言うな。……あれは間違いなく、お前だった。城壁の穴をくぐって出入りするような王族がお前以外にいてたまるか」

 記憶をさらってみるが、思い出せない。
 しっかりと記憶が根付いているのは、お母さまが毒を飲んでから。その前はぼんやりとしているし、覚えていないところも多い。
 もしかしたらその中に、ルーファス陛下の言う思い出があるのかもしれない。だけど思い出せないので、私にとってはないも同然だ。

「たとえお前が忘れていようと、俺は覚えている。お前と王都を回った時間は楽しかった。……あの頃の俺は、楽しむような余裕はなかったはずなのに、その時だけは時間を忘れた。その相手が自ら死んだら、俺がどういう気持ちになるかわかるか?」
「惜しい人をなくした、でしょうか」

 真剣に答えると、全力で呆れた顔をされた。

「いやだって、大昔に、たった一回――いや、ハスの草で倒れていた時を合わせると二回ですけど、それぐらいしか会っていない相手、ですよね? あ、もしかして今の関係も含めてのお話でしたか? それでしたら、うるさいのがいなくなって静かになった、とかですかね。当たりですか?」
「外れだ。……俺にとって、お前と出会った思い出はかけがえのないものだ。たとえ二度会っただけで、こうして再度まみえることがなかったとしても、お前が死んだと聞けば喪失感を覚えただろう」

 私との――しかも私が覚えていないような昔の思い出がかけがえのないものだなんて、ルーファス陛下の幼少期が偲ばれる。

「そして三度、お前と会った。一度目は王都での案内役、二度目は暗殺対象、三度目は妻として。出会うたび、お前は俺に衝撃を与えていく」
「え、ちょっと待ってください。なんですかその暗殺対象って、初耳ですよ」
「言うまでもなかったらな。毒を作っている者を殺せと命じられたが、相手がお前だったからやめただけの話だ」

 思わぬ事実に愕然となる。ハス草で痺れていた少年が暗殺者だなんて、誰が思うだろう。
 普通に案内していたのに、若かりし頃のルーファス陛下は殺す素振りすら見せていなかった。

「俺の手でお前を殺せるものか。……他の誰だろうと、たとえお前自身が相手でも、お前を殺させてやるものか」

 こちらを真っ直ぐに見下ろす赤い瞳の中に固い意思を感じて、目を合わせていられなくなる。
 私の命なんだから私の好きにさせてください。そういう言葉は浮かぶのに、口が開かない。
 だってルーファス陛下の言葉は、まるで、まるで――

「私のことが大切なんですか?」
「最初からそう言っているつもりなんだがな」

 呆れたような柔らかな笑みに、胸が苦しくなる。
 だって、そんなのありえない。頭がおかしいと思われるならまだしも、大切に思えるようなことをした覚えはない。
 私の栽培したハス草で痺れさせ、アドフィル帝国では一方的に妻だ妃だと言い続け、木から落ちただけだ。ろくなことをしていない。

「正気ですか?」
「さてな。何しろ俺は狂人とまで謳われた男の息子だ。とうに狂っているのかもしれん。だが俺の気がどうであれ、お前を大切だと思う気持ちに変わりはない」

 言い切られ、どんな言葉を返せばいいのかわからなくなる。
 初めて大切だと言われて喜んでいる自分は彼の言葉を受け入れていて、お母さまを殺したのにと自責の念に駆られている自分は彼の言葉を受け入れられない。
 相反する二つの感情がぶつかり合い、真剣な顔でこちらを見つめるルーファス陛下の顔を見つめ返すことしかできない。

「俺は、お前を――」

 もう何も聞きたくないと耳を塞ごうにも片手はルーファス陛下に封じられている。
 懇願でも祈りでもなく策略だったか、と現実逃避した自分が言う。
 私を大切に思ってくれている人がいた、と喜んでいる自分が言う。
 お母さまを殺しておいて、と自責の念に駆られている自分が言う。
 愛されたい認められたい褒められたい、と子供の頃の自分が言う。
 しねばよろこんでくれるっていってた、とちっちゃい自分が言う。
 だから私は死なないといけないのに、と死にたがりの自分が言う。
 ぐるぐるぐると混ざり合い、ぐちゃぐちゃのごちゃごちゃになった私は必死に言葉を選ぼうと――何を言えばいいのかわからないまま――口を開いて。

「おっと、お邪魔でしたか」

 結局何も言わないまま、戻ってきたヴィルヘルムさんに視線を移した。
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