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四十九話 天使2

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 石でできた階段を上る音だけが響く。乱暴なその音色は、ルーファスの内にある焦燥を表している。
 この塔にたいした意味はない。高貴な血筋の者を幽閉するために、はるか昔に建てられたものではあるが、天使の血をひく者の前には紙くずでしかなく、天使の血をひく者以外に高貴な者はいない。
 その当時、誰を幽閉するために作られたのかはわからない。文献が何一つとして残されていないからだ。

 だが恐らくは、その人物は自ら出ることを放棄したのだろう。かつてのヴィルヘルムのように、そして今、この塔にいるもののように。

「――っ」

 階段を踏み鳴らしたのと同じように、乱暴な音を立てて扉が開かれる。
 その瞬間、眩い光が目の前を照らした。元々この部屋はかなり明かるく作られている。天井にぶらさがるいくつものランタンが、隙間なく部屋中を照らしている。
 だがこの光は、ランタンによるものではない。ぎゅっと眉根に力をこめ、目をこらす。そして、眩い光の中に、灰色を見た。

「貴様……!」

 光が消え、ランタンの灯りだけが部屋を照らす。その中に、変わらぬ笑みを浮かべるものがいた。
 この部屋の主であり、幽閉されている罪人。それに向け、ルーファスが怒声を浴びせる。

「何をした!」
「お久しぶりね。かわいそうな王子様。久しぶりだというのに挨拶もないなんて残念だわ。でもしかたないわね。かわいそうなかわいそうな王子様。私とあなたは挨拶を交わすような間柄ではなかったもの」
「質問に答えろ!」

 笑い、煙に巻くように話すそれに、ルーファスが切りかからん勢いで怒鳴りつける。だが顔色を変えることなく、それはころころと笑った。

「何をと聞かれても、困るわ。私がするのは望みを叶えることだけ。ここに妖精さんの望むものはないから、送り返したのよ。願いを叶えるための場所を間違えているのなら、叶えられる場所に返すのが彼女のためでしょう」

 ギリ、とルーファスが歯を噛みしめる音が聞こえた。
 彼女――ライラの望みは母親のために死ぬこと。国に送り返すことを考えていたルーファスだが、決して彼女の死を望んでいたわけではない。
 死がそこにあるのなら、ルーファスは帰そうとは考えなかっただろう。

 まいったな、とヴィルヘルムは胸中で呟く。
 その情報は彼女を送り返す前に知りたかった、と。

「陛下、今は一刻も早く、ライラ様を取り戻す算段をつけたほうがよろしいかと」

 これと話していても、時間の無駄にしかならない。ルーファスの問いに対する答えはすでに得た。この後何を話そうと、煙に巻くようなことばかり口にするだろう。
 ならば、変に惑わされるよりも早くこの部屋を出て、ライラをエイシュケルから連れてくる方法を模索するべきだ。

 ヴィルヘルムの提案にルーファスは顔をしかめながらも頷いた。

「この、悪魔が」

 だがどうしても、何か言わずにはいられなかったのだろう。怨嗟のこもった声に、それは小さく笑みを作った。

「私をそう呼んだのは私ではないわ。私の名前はそれではないのよ」

 強く閉められた扉の向こうで、あれは変わらぬ笑みを浮かべ続けているのだろう。
 
 あれは人ではない。人の形をした別の何か。はるか昔、地上を闊歩していた者たちと同じ、人に非ざる力を持ったもの。
 唯一、血を薄めることなく生き続けたもの。

 地に住まう者たちそそのかし、天に挑ませた。神の裁きから逃れ、生き続け、いつからか悪魔と呼ばれるようになったもの。

 あれが実際になんなのかは、ヴィルヘルムにもわからない。だからこそ、話すだけ時間の無駄であり、考えるだけの時間の無駄だと思っている。
 得体の知れないもので時間を潰すには、人の生は短い。

「エイシュケルに使者を送りましょうか。そちらに迷いこんだ妃を返すように……どうやって迷いこんだかは、後で考えましょう」

 苛々とした様子のルーファスの意識を悪魔から逸らすため、この後の動きについて提案する。
 ルーファスは悪魔にそそのかされ、父親を討った。その選択に後悔はないだろう。彼が討たなければ、悲劇はどこまでも広がっていただろうから。
 だが父親をそそのかしたのも同じものだった。そうとわかった時、彼は何を思っただろうか。

 絶望か、後悔か、苛立ちか。ヴィルヘルムにはわからないが、少なくとも好感情を抱いていないことは確かだ。
 
「ああ、そうだな。……場合によっては、同盟の条件を緩和することも視野に入れろ」

 理由もなく土地を返還できないと言い張ってライラを迎えたヴィルヘルムだったが、このルーファスの命令に否と唱えることはしなかった。
 自ら妃を迎える覚悟をしたのだから、反発する必要はない。後はつつがなくライラが戻ってくるといいのだが、どうも嫌な予感がする。
 ヴィルヘルムは毛が逆立つような感覚を抱きながらも、使者を送った。

 その返答は、思いのほか早くきた。使者を送って五日しか経っていないというのに、エイシュケルの使者が訪れた。
 灰色の髪と共に。

「つきましては、アルテシラ様のご帰還を――」

 エイシュケルの使者がそれ以上を発することはできなかった。頭が胴と別たれて言葉を発せる者など、今の世ではいない。
 ごろりと転がった首と、どうと倒れる体。ヴィルヘルムは血だまりの中から使者が読み上げていた紙を拾い、小さくため息をついた。

「さすがにこれでは読めませんね」

 赤く染まった紙を血だまりに落とし、抜き放ったばかりの剣を鞘に納めている自らの主をうかがい見る。
 血塗られた王。そう呼ばれる彼は、服が汚れることもいとわず血だまりの中に足を踏み入れた。
 暴君。そう呼ばれる彼は、失われたばかりの命を顧みることもなく、ヴィルヘルムを一瞥する。
 そして首切り王と呼ばれる彼は、たった一言。短い命を下した。
 

「エイシュケルの姫を拘束しろ」
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