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三十四話 皇帝5

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 それからについては、ルーファスにとっては苦い思い出だ。
 噎せ返るような匂いの中、どうして毒を作るのか聞いた彼に、彼女は「死ぬため」だと朗らかに笑い、帰り着いた国では母が吊るされ、玉座を血に染めた。

 そして血の滴る剣を片手にルーファスはヴィルヘルムが幽閉されている塔を訪れ、彼を解放した。玉座を彼に渡すために。

「僕が玉座に? いやだよ」

 暇つぶしにと与えられた本を読んでいたヴィルヘルムは、考えることすらもなく答えた。

「どうせ僕が王になっても、天使の血は僕の代で根絶するだろうし、家臣にせっつかれるのも面倒だ」
「なら、国は……帝国はどうなる。王がいなければ瓦解する」
「君が皇帝になればいいだろ。王を弑逆した者が皇帝になり、皇帝を弑逆した者が皇帝になる。何もおかしなことはないと思うけど」

 ヴィルヘルムが幽閉されてから、すでに十数年もの時が流れている。幽閉して間もなくであれば、彼もしかたないと腰を上げたかもしれない。
 だが国と民と殺された王――彼の父のために、自分の信条を曲げて玉座に座るには、あまりにも時が経ちすぎていた。

「僕の唯一の友、ルーファス。友として、そしてこの国の民として、最後の天使の血をひく者の願いを聞き入れてくれるかい?」

 本を閉じ、ヴィルヘルムは瞬く瞳をルーファスに向けた。

「天使の血をひく者は腕力に優れていることは、何度も言ったよね」

 天使の血は人ならざる腕力をその者に与える。それは、幼い子供――それこそ赤子であろうと変わらない。
 ほんの少しの遊びのつもりでも、ほんの少し駄々をこねただけでも、相手の肉を抉り、骨を砕く。

 しかも子供のうちは力加減もうまくできず、ヴィルヘルムは幽閉されるまで、自分の手によって傷つく乳母や母を見続けてきた。

「僕はどうしても、唯人との間に子供を作りたくないんだ」

 その主張は、ルーファスがヴィルヘルムの話し相手となってから何度も聞いたものだ。
 相手も承知のうえで、なんの感情も抱いていないのなら、気にならないかもしれない。だがもしも相手のことを愛してしまったら、愛する人が傷つくのを見続けなければいけない。
 しかも、愛する人との間にできた子供によって、愛の結晶ともいえるものによって傷つくのを。

「だからルーファス、君が皇帝になってくれ。僕は君の補佐を務めることにするよ」

 真剣な面もちで言うヴィルヘルムに、ルーファスは否とは答えられなかった。
 だが頷くこともできない彼に、ヴィルヘルムが悪戯めいた笑みを浮かべる。

「それに、宰相の子が王に、王の子が宰相になるなんて皮肉が効いてて、面白いと思わないかい?」
「……どこがだ」

 は、と乾いた笑いを漏らしながら表情を歪め、結局ルーファスは彼の願いに応じた。
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