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三十二話 誰にも死んでほしくない

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 床に這いつくばる年若の侍女。その横ではヴィルヘルムさんが涼しい顔で立っている。

「どうしてこんなことをしたのか、とは聞かん」

 そしてルーファス陛下が冷たい声を年若の侍女に向ける。その手には、いつも傍らに置いていた剣。
 初めて、剣が鞘から解き放たれているのを見た。室内を照らす灯りを反射する銀色に、目が眩みそうになる。

「自らの命で贖う覚悟があってのものだろう。その覚悟に俺も応えてやる」

 剣が振り上げられる。狙うのは、年若の侍女の首。

「ちょ、ちょっと待ったー!」

 振り下ろされる直前、割って入る私。重力に従うように動いていた剣が、私の額すれすれで止まる。

「この人にもきっと何か事情があったと思うんです! たかが舌が痺れる程度の毒で殺したら駄目だと思います!」

 私は毒を盛られても喜んでいたし、むしろ弱すぎる毒に残念な気分になっていた。
 誰も実害を受けていないのに殺すのは、やりすぎだと思う。
 ルーファス陛下は年若の侍女の前に立つ私に剣を引き、ため息をひとつ落とした。そしてちらりとヴィルヘルムさんを見る。

「……ライラ様。誰もがあなた様のように強靭な肉体を持っているわけではありません。人は、毒を盛られたら死ぬのですよ」
「それは、そうかもしれませんが、でも私は無事ですし……こう、恩情? をかけてあげてもいいんじゃないかなって、思うんです」

 毒で死ぬことはある。そんなのはわかっている。でなければ、私は私を殺せる毒を作ろうとは思っていない。
 それに私をアドフィル帝国まで連れてきた騎士さんそのいちも、毒の怖さを語っていた。

 血を流し、苦しみもだえる敵兵の姿をありありと話してくれた。

 だから、毒が危ないことは知っている。だけど私は無事だし、舌が痺れるだけで終わっている。

「お前は自らを妃だと名乗っていただろう。妃に毒を盛った者を処罰するなと、そう言う気か」
「どうしてこんな時だけ妃扱いをするんですか。妃だとあなたは認めていなかったでしょう。なんかいる居候の一人が毒を盛られたからって、気にしなくてもいいんじゃないですか。それに、私の身の安全は保証しないと約束したじゃないですか」
「だが毒を使われたという事実が露見すれば話は別だ。俺の城で勝手な真似をした不届き者を生かしておくわけにはいかない」
「それは、そうかも、しれませんけど……」

 完全に分が悪い。ここは彼の国で、彼の城だから当然だ。
 だけど、誰かが――私のせいで死ぬのはいやだ。

「なら、じゃあ、私も、私も殺してください! 彼女が許されないのなら、私だって許されないでしょう!」

 非にならないようなことをしでかして殺される。それはお姫様がこちらに嫁ぐために必要なことだ。
 だけどそれ以上に、大切なことがある。

「私が、私の作った毒が、この国の民を兵を殺しました」

 騎士さんそのいちは戦争の有様を克明に語ってくれた。
 もがき苦しむ敵兵に、ただ剣を突き立てて命を奪うだけの戦場。
 水に流し込まれた毒は兵だけでなくその地に住む者までも脅かした。

 あんなものは戦争ではないと――人のやることではないと、彼は語った。
 その毒を作った私に。

「私は妻である前に、妃である前に、罪人です」

 私は生まれながらに罪があり、生きている間にも罪を犯し続けた。

「私に毒を盛っただけの彼女が罰せられるのなら、私も罰せられるべきです」

 だからどうか殺してほしいと、首を垂れる。剣で首を切り落としやすいように。

「どうして……どうしてお前はいまだに死にたがる」

 だけど降ってきたのは剣ではなく、どこか苦しそうな低い声だった。

「……お前の毒が使われていたことは、知っている。だがそれは戦場での出来事。互いに殺し、殺される環境で起きたことだ。お前を罰するのならば、戦争に参加した者すべて罰することになる」
「なら、侍女さんは――」
「ここは戦場ではない。和平の証として送られてきた姫君に毒を盛ったのだから、罰せられるのは当然だろう」

 きっぱりと言い切られ、ぐうの音も出ない。
 どうすれば年若の侍女の命を繋ぐことができるのは必死に考える私の後ろで、彼女が小さな声で「ライラ様」と呟いた。

「私のために心を砕いてくださるなんて、お優しいライラ様。ならどうして、毒など作られたんですか。それがなければ私の婚約者は――」

 言い切る前に彼女の体が床に沈む。
 切り殺されたわけではない。ヴィルヘルムさんの手により、昏倒した。

「……彼女の処遇に関しては検討しよう」

 ぎょっとしている私に、ルーファス陛下が言う。悩むような口振りに視線を戻すと、彼はいつものように赤い瞳を私に向けていた。

「だからもう二度と、殺せなどと口にするな」
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