19 / 62
十八話 皇帝2
しおりを挟む
もしもあの誘いに応じていなければ、色々なことが違っていただろう。だがルーファスは悪魔の囁きに乗り、玉座を血で染めた。
王になろうなどと考えていたわけではない。
ただ母を殺した皇帝を殺し、母の死に関与した者も殺し、刃を向けてきた兄弟を殺し――気づけばルーファスは、自分に何がなせるのかわからないまま玉座に座っていた。
ルーファスの父である先代皇帝は攻め入ることには熱心だったが、その管理に興味はなかったようで、すべて人任せにしていた。
結果、それぞれの国で方針が異なり、管理された者の中には甘い汁を吸おうと勝手な動きをしている者までいる始末だった。
余計なものを処分し、恐れる者は城を去り――それぞれの国に課す法の整備など、さまざまな利権に関する書類がルーファスのもとに届けられた。
「陛下、吉報です。妃が決まりました」
玉座についてからというもの、日々書類に追われるようになったルーファスに、ふと思い出したかのようにヴィルヘルムが言った。
「お前のか?」
「ご冗談を。陛下のですよ」
ルーファスが顔を上げると、まるで世間話の一環であるかのような、何食わぬ顔がそこにあった。
眼鏡の奥で瞬く瞳は、天使の血をひいている証だ。
「……どういうことだ」
「陛下はすでに二十。そろそろ妃を持ち、子をなす努力をするべき年齢です。我々基準でいえば遅いぐらいですが……」
「俺は妃を持つ気はない」
ルーファスは王になりたいなどと思ったことはない。だから当然、妃を得たいと思ったこともない。
「それは難しいかと。現在、こちらに嫁ぐために移動している最中でしょうから」
「…………どこから持ってきた」
よぎるのは、噎せ返るような匂いとその中で笑っていた少女の姿。
嫌な予感に、自然とペンを持っていた手に力がこもった。
「エイシュケル王国から。領土を返還するように言われましたが、こちらもただで返すわけにはいきませんので」
「勝手なことをするな!」
ペンが折れるが、ヴィルヘルムの顔色は変わらない。
彼からしてみれば、それが最良の選択だったのだろう。ルーファスにとっては最悪だが。
「陛下が気にかけていた女人ですから、きっと気に入りますよ。それに妖精の血をひく姫君を迎えることができれば民も納得するでしょうし、得しかありません」
「ならばいっそ、お前が娶ればいいだろう」
ヴィルヘルムは玉座の正当な後継者だ。
天使を血を根絶やしにするのは気が引けたのか、民からの反発を恐れてかはわからないが、殺されることなく幽閉されていた。
帝国を継ぐ権利を持っているにも関わらず、皇帝などという面倒な職に就きたくないからと、ルーファスの補佐を務めている。
「お前が皇帝になると宣言すれば民も納得する。その上で、エイシュケルの姫君を娶ればいいだろう」
「それができないことは、陛下もご存じでしょう。我々異種族の血をひく者は、唯人との間でしか子をなせないのですから」
かつてこの地にいた様々な種族は同種、あるいは異種族との間に子をなして力を蓄え、神の座を目指したという逸話が残されている。
そしてそれゆえに神の怒りを買い、力のない唯人との間でしか子をなせなくなったとも言われている。
それがどこまで事実であるかはわからないが、特別な血を持つ者は、唯人との間でしか子を作れないのは確かだった。
天使や妖精の血は着実に薄まり、今ではただ体が頑丈だとか、腕力に優れているだとか、そういった特色しか残されていない。
「それに妖精の血をひく者は丈夫ですからね。並大抵のことではお亡くなりにならないでしょうし、陛下の希望にも沿ったよい人選だと我ながら自負しております」
「人選という意味でなら最悪だ。……まあいい、すぐに帰せば問題ない」
「それはできません。陛下と姫君の婚姻はすでに成立しておりますので」
さらりと告げられた事実に、ルーファスは頭が痛くなるのを感じた。
「俺は承諾した覚えはない」
「王族の婚姻は本人の同意がなくても成立します。僭越ながら、補佐である私が署名させていただきました」
ずきずきと痛むこめかみを押さえて、悪びれなく言うヴィルヘルムをルーファスは睨みつける。
「そんなものは無効だ」
「正式に受理されたものを無効にするのは難しいかと」
「どうして受理されているんだ! 俺は同意していないぞ!」
目を通してすらいない書類など、破り捨ててもいいくらいだ。
そもそも、本人の同意なく結婚できることが間違っている。
抱いた苛立ちを表すかのようにルーファスは唸るように言う。
「いつか絶対に、その悪法を正してやる」
「まずは配下にある国の整備からとなりますので、諦めてエイシュケル王国から来られる姫君を迎え入れてください」
書類は受理され、ヴィルヘルムに引く気はない。だが、だからといってルーファスが素直に受け入れるかというと話は別だ。
彼は妃を迎えるつもりはない。ましてやそれが、エイシュケル王国の姫君であれば、なおさら迎えたくはなかった。
「それにエイシュケル王国の姫君は薬姫と呼ばれているそうですから、帝国の助けとなるでしょう」
「薬……?」
毒の間違いではないのか、と思いはしたが口にすることはなかった。
毒も薬も表裏一体。薬姫と呼ばれていても、おかしくはないと思ってしまったからだ。
王になろうなどと考えていたわけではない。
ただ母を殺した皇帝を殺し、母の死に関与した者も殺し、刃を向けてきた兄弟を殺し――気づけばルーファスは、自分に何がなせるのかわからないまま玉座に座っていた。
ルーファスの父である先代皇帝は攻め入ることには熱心だったが、その管理に興味はなかったようで、すべて人任せにしていた。
結果、それぞれの国で方針が異なり、管理された者の中には甘い汁を吸おうと勝手な動きをしている者までいる始末だった。
余計なものを処分し、恐れる者は城を去り――それぞれの国に課す法の整備など、さまざまな利権に関する書類がルーファスのもとに届けられた。
「陛下、吉報です。妃が決まりました」
玉座についてからというもの、日々書類に追われるようになったルーファスに、ふと思い出したかのようにヴィルヘルムが言った。
「お前のか?」
「ご冗談を。陛下のですよ」
ルーファスが顔を上げると、まるで世間話の一環であるかのような、何食わぬ顔がそこにあった。
眼鏡の奥で瞬く瞳は、天使の血をひいている証だ。
「……どういうことだ」
「陛下はすでに二十。そろそろ妃を持ち、子をなす努力をするべき年齢です。我々基準でいえば遅いぐらいですが……」
「俺は妃を持つ気はない」
ルーファスは王になりたいなどと思ったことはない。だから当然、妃を得たいと思ったこともない。
「それは難しいかと。現在、こちらに嫁ぐために移動している最中でしょうから」
「…………どこから持ってきた」
よぎるのは、噎せ返るような匂いとその中で笑っていた少女の姿。
嫌な予感に、自然とペンを持っていた手に力がこもった。
「エイシュケル王国から。領土を返還するように言われましたが、こちらもただで返すわけにはいきませんので」
「勝手なことをするな!」
ペンが折れるが、ヴィルヘルムの顔色は変わらない。
彼からしてみれば、それが最良の選択だったのだろう。ルーファスにとっては最悪だが。
「陛下が気にかけていた女人ですから、きっと気に入りますよ。それに妖精の血をひく姫君を迎えることができれば民も納得するでしょうし、得しかありません」
「ならばいっそ、お前が娶ればいいだろう」
ヴィルヘルムは玉座の正当な後継者だ。
天使を血を根絶やしにするのは気が引けたのか、民からの反発を恐れてかはわからないが、殺されることなく幽閉されていた。
帝国を継ぐ権利を持っているにも関わらず、皇帝などという面倒な職に就きたくないからと、ルーファスの補佐を務めている。
「お前が皇帝になると宣言すれば民も納得する。その上で、エイシュケルの姫君を娶ればいいだろう」
「それができないことは、陛下もご存じでしょう。我々異種族の血をひく者は、唯人との間でしか子をなせないのですから」
かつてこの地にいた様々な種族は同種、あるいは異種族との間に子をなして力を蓄え、神の座を目指したという逸話が残されている。
そしてそれゆえに神の怒りを買い、力のない唯人との間でしか子をなせなくなったとも言われている。
それがどこまで事実であるかはわからないが、特別な血を持つ者は、唯人との間でしか子を作れないのは確かだった。
天使や妖精の血は着実に薄まり、今ではただ体が頑丈だとか、腕力に優れているだとか、そういった特色しか残されていない。
「それに妖精の血をひく者は丈夫ですからね。並大抵のことではお亡くなりにならないでしょうし、陛下の希望にも沿ったよい人選だと我ながら自負しております」
「人選という意味でなら最悪だ。……まあいい、すぐに帰せば問題ない」
「それはできません。陛下と姫君の婚姻はすでに成立しておりますので」
さらりと告げられた事実に、ルーファスは頭が痛くなるのを感じた。
「俺は承諾した覚えはない」
「王族の婚姻は本人の同意がなくても成立します。僭越ながら、補佐である私が署名させていただきました」
ずきずきと痛むこめかみを押さえて、悪びれなく言うヴィルヘルムをルーファスは睨みつける。
「そんなものは無効だ」
「正式に受理されたものを無効にするのは難しいかと」
「どうして受理されているんだ! 俺は同意していないぞ!」
目を通してすらいない書類など、破り捨ててもいいくらいだ。
そもそも、本人の同意なく結婚できることが間違っている。
抱いた苛立ちを表すかのようにルーファスは唸るように言う。
「いつか絶対に、その悪法を正してやる」
「まずは配下にある国の整備からとなりますので、諦めてエイシュケル王国から来られる姫君を迎え入れてください」
書類は受理され、ヴィルヘルムに引く気はない。だが、だからといってルーファスが素直に受け入れるかというと話は別だ。
彼は妃を迎えるつもりはない。ましてやそれが、エイシュケル王国の姫君であれば、なおさら迎えたくはなかった。
「それにエイシュケル王国の姫君は薬姫と呼ばれているそうですから、帝国の助けとなるでしょう」
「薬……?」
毒の間違いではないのか、と思いはしたが口にすることはなかった。
毒も薬も表裏一体。薬姫と呼ばれていても、おかしくはないと思ってしまったからだ。
10
お気に入りに追加
332
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢は救国したいだけなのに、いつの間にか攻略対象と皇帝に溺愛されてました
みゅー
恋愛
それは舞踏会の最中の出来事。アルメリアは婚約者であるムスカリ王太子殿下に突然婚約破棄を言い渡される。
やはりこうなってしまった、そう思いながらアルメリアはムスカリを見つめた。
時を遡り、アルメリアが六つの頃の話。
避暑先の近所で遊んでいる孤児たちと友達になったアルメリアは、彼らが人身売買に巻き込まれていることを知り一念発起する。
そして自分があまりにも無知だったと気づき、まずは手始めに国のことを勉強した。その中で前世の記憶を取り戻し、乙女ゲームの世界に転生していて自分が断罪される悪役令嬢だと気づく。
断罪を避けるために前世での知識を生かし自身の領地を整備し事業を起こしていく中で、アルメリアは国の中枢へ関わって行くことになる。そうして気がつけば巨大な陰謀へ巻き込まれていくのだった。
そんなアルメリアをゲーム内の攻略対象者は溺愛し、更には隣国の皇帝に出会うこととなり……
行方不明になった友人を探し、自身の断罪を避けるため転生悪役令嬢は教会の腐敗を正して行く。そんな悪役令嬢の転生・恋愛物語。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。
前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。
恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。
だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。
そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。
「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」
レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。
実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。
女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。
過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。
二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。
二度目の召喚なんて、聞いてません!
みん
恋愛
私─神咲志乃は4年前の夏、たまたま学校の図書室に居た3人と共に異世界へと召喚されてしまった。
その異世界で淡い恋をした。それでも、志乃は義務を果たすと居残ると言う他の3人とは別れ、1人日本へと還った。
それから4年が経ったある日。何故かまた、異世界へと召喚されてしまう。「何で!?」
❋相変わらずのゆるふわ設定と、メンタルは豆腐並みなので、軽い気持ちで読んでいただけると助かります。
❋気を付けてはいますが、誤字が多いかもしれません。
❋他視点の話があります。
ある王国の王室の物語
朝山みどり
恋愛
平和が続くある王国の一室で婚約者破棄を宣言された少女がいた。カップを持ったまま下を向いて無言の彼女を国王夫妻、侯爵夫妻、王太子、異母妹がじっと見つめた。
顔をあげた彼女はカップを皿に置くと、レモンパイに手を伸ばすと皿に取った。
それから
「承知しました」とだけ言った。
ゆっくりレモンパイを食べるとお茶のおかわりを注ぐように侍女に合図をした。
それからバウンドケーキに手を伸ばした。
カクヨムで公開したものに手を入れたものです。
果たされなかった約束
家紋武範
恋愛
子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。
しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。
このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。
怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。
※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。
三度目の嘘つき
豆狸
恋愛
「……本当に良かったのかい、エカテリナ。こんな嘘をついて……」
「……いいのよ。私に新しい相手が出来れば、周囲も殿下と男爵令嬢の仲を認めずにはいられなくなるわ」
なろう様でも公開中ですが、少し構成が違います。内容は同じです。
断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる
葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。
アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。
アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。
市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる