上 下
20 / 47

20.我が師1

しおりを挟む
 気が遠くなる、というのはこういうことを言うのだろうか。
 ジルの娯楽室で、机に肘をつきながら顔を手で覆う。脳裏に浮かぶのは、昨夜見た光景。

 馬車に乗って塔に向かっていると、家を見た。確かに、一昨日までは何もなかった場所に家があった。
 塔から徒歩五分としない距離に。

「おや、私の可愛い弟子はどうしたのかな?」

 なんであんなところに、と遠のきかけていた意識が戻る。ジルののんびりした声に、覆っていた顔をそちらに向け、金色の瞳と視線がかち合う。
 面白がっているのが一瞬でわかった。何しろ、顔がにやにやと歪んでいる。

「わかって言ってますよね」
「さあ、どうかな。だって私は可愛い弟子から何も言われていないからね。ああ、悲しいな。私には何も言ってくれないなんて」

 悲劇を演じる役者のように、床に膝をつき目尻に指を這わせるジル。
 この人がわかっていないはずがない。ジルはほとんどの時間を塔で過ごしている。必要ないからと家を持たないぐらい、ここに入り浸っている。
 そんな人が、徒歩五分の距離に家が建って気づいていないはずがない。なんなら、手を貸したまである。

「我が師ジル。このたび、魔術師フロランの弟子である魔術師ノエルと結婚を前提としたお付き合いをはじめることになりました」
「それはとてもおめでたい話だね。結婚祝いは何がいいかな。ああそうだ、君たちの子供のために家を増やしておこうか」
「部屋を増やすノリで家を増やさないでください。……そしてやはり、ジルも力を貸したんですね」

 家は一日で建たない。そんな無理を通せるのは、魔術師しかいない。
 だけど魔術師一人が家を建てられるほど、家というものは容易くない。土地の購入に材料の調達、そして設計と組み立て。
 大雑把に見てもこれだけの工程が必要になる。細分化すればさらに多岐に渡るこれらを一人で成し遂げられるほど、魔術師は器用ではない。まず、土地の購入の段階でつまずく人が多い。

「私が? いやまさか。彼の名誉のために言うと、彼はある程度まで自らの手で進めていたよ。何しろ記念すべき新居なのだからね。満足のいく出来を目指すためには、余計な横槍はないほうがいい。だから私はちょっとばかし手を貸しただけだよ」
「貸しているじゃないですか」
「このあたりの土地はさほど高くないと話しただけさ。塔の周囲は何が起きるかわからないからね。ほら、ひと月前にも爆発が起きたばかりだろう? まあ起こしたのは私だけど。そういうことがよくあるから、このあたりの土地を持っている人は何かを建てるわけにもいかないし、売りたくてしかたないと思っている。そう話したのと、あとは魔力を少し貸しただけさ」
「貸しているじゃないですか」

 煙に巻くように長々と喋っているが、最終的に貸した話になっているので意味がない。
 隠す気がまったくないのか、隠し事が下手なだけなのかわからない師匠をじっとりと見つめる。

「おや、そんな熱い視線を向けられると照れてしまうね。私の可愛い弟子は今日も私に夢中なようで、君の恋人に申し訳なくなるよ」
「ええ、そうですね。私は今日も師匠に夢中ですよ。どうしたらフロラン様のところに行ってくれるのか、考え続けているぐらいには」

 結局、ジルは昨日もフロランの研究室に行かなかった。縄で縛ってでも連れて行けばよかったのかもしれないが、私は私で夜会に向けた準備があったので塔に出勤せず、お目付け役がアンリ殿下しかいなかったジルは当然のごとく自由に過ごしていたらしい。

「……そういえば、アンリ殿下は今日はいないんですか?」
「ああ、彼ならちょっとした後始末、と言うべきかな。確認してもらった目撃情報の話、覚えているかい? 討伐に赴いた兵が少しヘマをしてしまったようでね。一匹取り逃した魔物の追跡に出向いたよ」
「そうなんですね。そうすると……今日は私一人ですか」
「おや、そんなに眉間に皺を作ったら可愛い顔が台無しだよ」
「誰のせいですか」
「君の恋人かな? 家が気に食わなかったのだろう?」

 机に手を置き、ジルが覗き込むように私を見る。濃紺の髪が触れるほど近く、金色の瞳には私しか映っていない。
 真意を探るような眼差しに、私は深いため息を返した。

「ノエルのせいではありませんよ。間違いなく。家が気に食わない理由があるとすれば、近くだからとところ構わず呼び出しそうな師匠がいるからです」
「新婚夫婦の邪魔をするほど私は野暮ではないよ」
「新婚じゃなくなったらするんですね」
「倦怠期には刺激も必要だろう?」

 新婚じゃなくなったら即倦怠期とは、ジルの結婚観はどうなっているんだ。
 ジルは今のところ独身で、恋人もいない。彼の恋人になる人は大変そうだ。

「……別に、家が不満というわけではありません。彼が消費しただけの魔力や時間に見合うだけのお返しができていないのが、不満なんです」

 ノエルは私のためにあれこれと考えて、祝うための魔術だけでなく家まで用意した。
 だけどそれに対して、私は何も返していない。アニエスとのことも含めて、申し訳なくなてしかたない。

「おや、私にそんなことを言うなんて……可愛い弟子はずいぶんとまいっているようだね。私が百戦錬磨の手練れに見えるかい?」
「見えません」
「そうだね、可愛い弟子の相談とならば乗るしかないね。百戦錬磨の手練れかもしれない私から君に、リボンをプレゼントしよう」

 すい、とどこからともなくピンク色のリボンが現れる。ジルの頭の天辺から床まである、とても長いリボンが。

「ほら、これを巻いて恋人のもとに行くといい。それだけで彼は満足すると思うよ」
「冗談に付き合えるほどの余裕が今はないので、他の方にお願いします」

 くるくると私の周りを泳ぐリボンを払うと、ジルが自らの顎に指を添えた。
 珍しく何かを考えているような素振りを見せるジルに、背筋が冷たくなる。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

ヒロインに悪役令嬢呼ばわりされた聖女は、婚約破棄を喜ぶ ~婚約破棄後の人生、貴方に出会えて幸せです!~

飛鳥井 真理
恋愛
それは、第一王子ロバートとの正式な婚約式の前夜に行われた舞踏会でのこと。公爵令嬢アンドレアは、その華やかな祝いの場で王子から一方的に婚約を解消すると告げられてしまう……。しかし婚約破棄後の彼女には、思っても見なかった幸運が次々と訪れることになるのだった……。 『婚約破棄後の人生……貴方に出会て幸せです!』  ※溺愛要素は後半の、第62話目辺りからになります。 ※ストックが無くなりましたので、不定期更新になります。 ※連載中も随時、加筆・修正をしていきます。よろしくお願い致します。 ※ 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。

牢で死ぬはずだった公爵令嬢

鈴元 香奈
恋愛
婚約していた王子に裏切られ無実の罪で牢に入れられてしまった公爵令嬢リーゼは、牢番に助け出されて見知らぬ男に託された。 表紙女性イラストはしろ様(SKIMA)、背景はくらうど職人様(イラストAC)、馬上の人物はシルエットACさんよりお借りしています。 小説家になろうさんにも投稿しています。

【完結】前世を思い出したら価値観も運命も変わりました

暁山 からす
恋愛
完結しました。 読んでいただいてありがとうございました。 ーーーーーーーーーーーー 公爵令嬢のマリッサにはピートという婚約者がいた。 マリッサは自身の容姿に自信がなくて、美男子であるピートに引目を感じてピートの言うことはなんでも受け入れてきた。 そして学園卒業間近になったある日、マリッサの親友の男爵令嬢アンナがピートの子供を宿したのでマリッサと結婚後にアンナを第二夫人に迎えるように言ってきて‥‥。   今までのマリッサならば、そんな馬鹿げた話も受け入れただろうけど、前世を思したマリッサは‥‥?   ーーーーーーーーーーーー 設定はゆるいです ヨーロッパ風ファンタジーぽい世界 完結まで毎日更新 全13話  

どうして私が我慢しなきゃいけないの?!~悪役令嬢のとりまきの母でした~

涼暮 月
恋愛
目を覚ますと別人になっていたわたし。なんだか冴えない異国の女の子ね。あれ、これってもしかして異世界転生?と思ったら、乙女ゲームの悪役令嬢のとりまきのうちの一人の母…かもしれないです。とりあえず婚約者が最悪なので、婚約回避のために頑張ります!

婚約破棄でみんな幸せ!~嫌われ令嬢の円満婚約解消術~

春野こもも
恋愛
わたくしの名前はエルザ=フォーゲル、16才でございます。 6才の時に初めて顔をあわせた婚約者のレオンハルト殿下に「こんな醜女と結婚するなんて嫌だ! 僕は大きくなったら好きな人と結婚したい!」と言われてしまいました。そんな殿下に憤慨する家族と使用人。 14歳の春、学園に転入してきた男爵令嬢と2人で、人目もはばからず仲良く歩くレオンハルト殿下。再び憤慨するわたくしの愛する家族や使用人の心の安寧のために、エルザは円満な婚約解消を目指します。そのために作成したのは「婚約破棄承諾書」。殿下と男爵令嬢、お二人に愛を育んでいただくためにも、後はレオンハルト殿下の署名さえいただければみんな幸せ婚約破棄が成立します! 前編・後編の全2話です。残酷描写は保険です。 【小説家になろうデイリーランキング1位いただきました――2019/6/17】

好きな人と友人が付き合い始め、しかも嫌われたのですが

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
ナターシャは以前から恋の相談をしていた友人が、自分の想い人ディーンと秘かに付き合うようになっていてショックを受ける。しかし諦めて二人の恋を応援しようと決める。だがディーンから「二度と僕達に話しかけないでくれ」とまで言われ、嫌われていたことにまたまたショック。どうしてこんなに嫌われてしまったのか?卒業パーティーのパートナーも決まっていないし、どうしたらいいの?

お飾り王妃の受難〜陛下からの溺愛?!ちょっと意味がわからないのですが〜

湊未来
恋愛
 王に見捨てられた王妃。それが、貴族社会の認識だった。  二脚並べられた玉座に座る王と王妃は、微笑み合う事も、会話を交わす事もなければ、目を合わす事すらしない。そんな二人の様子に王妃ティアナは、いつしか『お飾り王妃』と呼ばれるようになっていた。  そんな中、暗躍する貴族達。彼らの行動は徐々にエスカレートして行き、王妃が参加する夜会であろうとお構いなしに娘を王に、けしかける。  王の周りに沢山の美しい蝶が群がる様子を見つめ、ティアナは考えていた。 『よっしゃ‼︎ お飾り王妃なら、何したって良いわよね。だって、私の存在は空気みたいなものだから………』  1年後……  王宮で働く侍女達の間で囁かれるある噂。 『王妃の間には恋のキューピッドがいる』  王妃付き侍女の間に届けられる大量の手紙を前に侍女頭は頭を抱えていた。 「ティアナ様!この手紙の山どうするんですか⁈ 流石に、さばききれませんよ‼︎」 「まぁまぁ。そんなに怒らないの。皆様、色々とお悩みがあるようだし、昔も今も恋愛事は有益な情報を得る糧よ。あと、ここでは王妃ティアナではなく新人侍女ティナでしょ」 ……あら?   この筆跡、陛下のものではなくって?  まさかね……  一通の手紙から始まる恋物語。いや、違う……  お飾り王妃による無自覚プチざまぁが始まる。  愛しい王妃を前にすると無口になってしまう王と、お飾り王妃と勘違いしたティアナのすれ違いラブコメディ&ミステリー

処理中です...