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26話

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 ふにゃりと柔らかなものが手の甲にあたる。とっさの防御反応で手を割り込ませて、一拍置いてから、自分が何をされそうになったのか理解して、どっと血の気が引いた。

「コンラッド様! ひどいです! 私というものがありながら!」

 そんな悲鳴すら、遠く聞こえてくる。
 今、手を入れなければ間違いなくコンラッドの唇は私に触れていた。ぞわっと背筋を駆け上がる嫌悪感に体が震える。
 これまで一度だって、コンラッドとそういう空気になったことはない。手を繋いだことがあるぐらいだ。それなのにこんな、痴話げんかの最中に唇を奪おうとしてくるなんて。
 いや、痴話げんかの最中だとか、そういうのは問題ではない。私の了承もなしにということが問題であって。

「どうしてお前に遠慮する必要がある! アンジェラ、今度こそ俺を受け入れてほしい」

 私の口元を覆っている手に、コンラッドが触れる。邪魔なそれを取り除こうと。

「ふ、ふざけないで!」

 冷静に事態を整理しようと努めていた頭が、沸騰したように熱くなる。
 もうだめだ、冷静になんてなれない。私の怒鳴り声は手で覆われ、くぐもり、そこまで大きな声にはならなかった。だけどそれでも、コンラッドをひるませるにはじゅうぶんだったようだ。
 どん、と体を押しのけて、コンラッドから距離を取る。

「今さら愛してるとか言われて、それで喜ぶとか思ってるの!? しかも無理やりとか、ふざけないでよ! 私はもう、あなたの婚約者でもなければ友達でもない! ましてやお守役でもないんだから、もう放っておいて!」
「ア、アンジェラ……?」
「あなたとキスするぐらいなら、サイラス様とするわよ! 私の婚約者は彼なんだから!」

 私の剣幕にコンラッドが困惑したように瞳を揺らしている。だけどそんな彼の様子に構っている余裕は、私にはない。

「それにモニカさんもモニカさんよ! 身分を偽るのは些末な問題じゃないわ! 貴族の結婚のほとんどが政略なのは身分が大切だからよ! それをただ黙っていただけだからで許されるわけないでしょう! ちゃんとしっかり愛されたいなら、最初から包み隠さず話しなさい!」

 そこまで怒鳴ってようやく、少しだけ頭が冷えた。
 だからといって怒りが冷めたわけではなく、おろおろとうろたえているふたりを睨みつける。

「私はあなたたちの友達でもなんでもありません。モニカさんがどういう人かなんて知りませんし、興味もありません。いいですか、よーく頭に刻んでくださいね。コンラッドが真実の愛がどうのと言ったあの日に、私たちの縁は切れたんです。あれでおしまいです。だからこれからは、私の目の届かないどこか遠くで勝手にやっててください。幸せになるのも不幸になるのも、どうぞご自由に」
「ひ、ひどいです、そんなことをおっしゃるなんて」
「泣きたければ勝手に泣いてください。泣いているあなたをかわいそうに思う情すら、私にはありません」

 はらはらと涙をこぼすモニカさんに冷たく言い放つ。
 この人たちにはしっかりはっきり、優しさなんて見せずに言い切らないと伝わないということがよくわかった。少しでも甘さを見せれば付け上がり、私の唇を奪おうとするんだから、優しくするだけ損だ。

「ア、ンジェラ。俺は違うよな。だって、俺とは長い付き合いだろう? 一緒に笑い合った日々を忘れたわけじゃないだろう? 一緒に頑張ろうって、侯爵家にふさわしいようにって」
「それを反故にしたのはあなたでしょう。あなたの頭にはおがくずでも詰まってるんですか」

 これだけ言ってるんだから理解しろ、と言外に潜ませた完全な暴言を吐き捨てると、コンラッドの顔が一瞬で青ざめた。

「違う、俺は、だって、俺が誰を愛そうと、俺は君とよい友達でいたいと」
「あなたの都合なんて知りませんよ。どうぞそこらの虫とでも友情を誓い合ってください。あなたが虫に友情を求めようと愛を求めようと、私には関係ないので。ああ、もちろんそこのモニカさん相手でも構いませんよ」
「こ、これからは態度を改めるから……だから、そんなこと……お、俺を見捨てるなんて……」
「私を先に捨てたのはあなたです!」

 コンラッドの態度に、思わずまた怒鳴ってしまう。これならまだルーファウス殿下のほうがマシだ。彼はサイラス様が大好きなだけで、一応常識は持っていた。

「俺は、君を捨ててなんていない。君が困っていることがあればいつだって手を差し伸べるつもりで……!」
「なら今まさに、困ってますよ!」
「じゃ、じゃあ! モニカをどこかにやるから! 学園を追い出せば、許してくれるか!?」
「そんなことは言ってないでしょうに! ――というか、どさくさに紛れて触らないでください!」

 縋りつくように私の腕を掴むコンラッドを蹴飛ばして――

「見苦しい」

 コンラッドが尻もちをついた音とともに、冷え冷えとした声が届く。
 苛立ちを隠さないその声に、もしや私のことかとあげていた足を慌てて下ろす。人を足蹴にするなんて淑女にあるまじき行為だったと反省し、声の主をちらりとうかがい見る。

 だから彼の目は私ではなく、地面に座り込んでいるコンラッドに向けられていた。
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