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番外編

前日談 とある王太子の話3

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 代り映えのしない日々を過ごしていたある日、俺はセシリア嬢に庭園に連れ出された。そしてそこで、社交界に流れている俺とセシリア嬢が必要以上に親しいという噂を耳にした。
 当の本人であるセシリア嬢にまで届いたのなら、当然クラリスの耳にもその噂は入っているだろう。
 思い出すのは、いつものようにセシリア嬢にどう世話を焼いたか話した俺に、微笑んで立派だと言うクラリスの姿。

 嫉妬させたくてセシリア嬢とのことを話していたわけではない。ただ、優しい人だと思っていたほしかっただけだ。
 だが結局俺は、笑わせることも怒らせることも――彼女の心に揺さぶり一つかけることのできない存在なのだと思い知らされた。

「いっそのこと、俺とお前が親しいという噂を本当にしてみるか」

 一瞬で、どうでもよくなった。
 その程度の存在にすぎない俺が何をしようと――ついてきてほしいと頼んでも、王太子の座にしがみついて彼女の笑顔を見たいと思っていても、意味がない。
 むしろ、俺との婚約がなくなったほうが彼女にとっては喜ばしいに違いない。
 リンデルフィル公はクレイグの祖父と交流がある。そちらの縁で推せば、クラリスは今のまま、クレイグの――優秀な王太子の婚約者になり、王太子妃になれる。

 だから俺はセシリア嬢と協力関係を結んだ。
 なにしろセシリア嬢は子爵家の庶子だ。まともに教育すらされていない彼女を王太子妃にと俺が言い出せば、反対する者も出てくる。
 それを口実に家臣に降ると言えば、そこまで不自然ではない。

 多少無理を通す必要はあるが、それで誰もが望む形に収まるのならするだけの価値はある。


 それから俺はクラリスとの交流を減らし、代わりにセシリア嬢との交流を増やしていった。

「ハロルド様! 今日も会えて嬉しいです」

 社交の場で顔を合わせるたび、セシリア嬢はにこやかな笑顔で俺を迎えた。
 親しさを演出するために、これまで教えた貴族らしい振る舞いを忘れろと言ったのが功を成したのだろう。
 それにセシリア嬢は母親のもとに戻りたいと思っている。もうすぐ戻れるのだという喜びが、彼女の笑顔には溢れていた。

「……協力する報酬に何か欲しいものはあるか?」

 そう訊ねてしまったのは、セシリア嬢の笑顔に罪悪感を抱いたからだ。
 彼女を親元に戻すのには時間がかかる。クラリスとの婚約を一方的に破棄し、悪評を広め、家臣に降ってからとなるとすぐに帰すわけにはいかない。
 明確な期限をわざと設けなかったことに対する罪悪感と、セシリア嬢の心の安らぎになるものがあればと思っての提案に、セシリア嬢は薔薇のブローチを望んだ。

 自ら装飾品を与える相手がクラリスではない別の女性になるとは、昔は思いもしていなかった。
 リンデルフィル家は財政状況があまりよくない。さすがに王太子から贈られたものに手をつけたりはしないだろう。だが、もしも贈ったものが売り払われて、それを俺が見つけてしまったら――拭えない考えに、どうしてもクラリスに装飾品を贈ることができなかった。
 結婚したら、名実共にリンデルフィル家から離れたら、その時にたくさん贈ればいい。ずっと、そう考えていた。

「何か一つくらい贈ってやればよかったか」

 これからは彼女に何も贈れなくなる。心に残った未練が口を突いて出て――首を横に振る。

 いや、何も贈らなくて正解だった。
 元王太子で、しかも婚約を破棄した相手から贈られたものなど手元にあってもどうしようもない。彼女は優しいから、気軽に処分することもできないだろう。

 だからこれでよかったのだと自分に言い聞かせて――俺が十七歳になったことを祝う宴の日を迎えた。

 俺が成人すればクラリスと式を挙げる予定になっている。だからここが最初で最後の機会だ。
 セシリア嬢と親しいという噂は十分に流れている。
 後は、熱に浮かされた馬鹿な男を演じればいいだけだ。


「クラリス、お前との婚約を破棄する!」

 唐突な俺の宣言に、周囲がざわめく。俺と対峙しているクラリスは呆けたように目を丸くして、何度か瞬きを繰り返した。

「え、婚約を……? 何かの、間違いよね?」

 いつものような慎ましい笑みではない。微笑もうとして引きつった笑みに、胸の奥がざわついた。
 だが隣に立つセシリア嬢と、会場の隅に見つけたクレイグの姿に息を吸う。

「間違いではない。俺はお前との婚約を破棄し、代わりに彼女――セシリア・ウォーレンとの婚約を望む」

 目立つように、誰も聞き逃さないように声を張り上げた。
 クラリスからの瞳から零れる大粒の涙は、俺との婚約がなくなったこを悲しんでか、あるいは王太子妃になれないことを危ぶんでか――考えるまでもない。

「俺の婚約者だったことを誇りに生きるんだな」

 クラリスが頑張ってきたことは無駄にはならない。王太子妃として、これからも生きていける。
 だができれば王太子だった俺のことを――ここまでしてようやく揺さぶることのできたちっぽけな存在を、心のどこか片隅でもいいから覚えていてほしい。





 ただ、それだけだった。
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