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決戦

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 それから初戦応募までの時間は十六年生きてきた深雪の人生の中でもっとも濃密なものだった。可能な限りすべての時間を三人一緒に過ごした。授業で別々の教室にいてさえ、すぐ隣にいるような感覚だった。カメラは本当にいつも傍らにあった。休み時間の教室でシャッターを切ったりもした。五月の大型連休も写真に明け暮れているうちに過ぎた。深雪にとって何か一つのことにこんなにも没頭するということ自体が初めての経験だった。

 最終的に応募する八枚はプリントで選ぶことにした。プリントするときに余白をどこに配置するか、という表現については、小松沢のアドバイスもあってやらないことにした。応募規定にサイズに関する指示があり、それ以外のサイズは認めないと書かれている。用紙の中央に最大サイズで印刷しないと規定に外れていると評価されるかもしれないというのがその理由だった。

 パソコン上での絞り込みを勝ち抜き、チーム内の最終選考、つまりプリントされる候補作に残ったものはぜんぶで三十三枚あった。その三十三枚をプリントして八枚を選び出す。テーマは“みち”。その選考会は写真同好会のイベントとして部室で行われた。小松沢が部費から飲み物とお菓子を買ってきたりして、朝妻も参加して五人で作品の選定をした。

 テーマに沿っているか、写真として力があるか、撮影者の想いはこもっているか、見る人に伝わるものがあるか。特にそれまでの撮影や選考に一切関わっていない朝妻の感想はとても貴重だった。ちゃんと写真をわかっている朝妻に意図が伝わらないものは選考から外すことにした。

 何を伝えたいのかわからない、きれいだけどきれいなだけだよね、画角が中途半端、ごちゃごちゃしすぎ、フレーミング甘いね、意図が感じられない、作為的すぎる、眠い。容赦のない評価が下されていく。一巡で八枚まで絞れなければ次はさらに厳しくもう一巡する。そうやって三回にわたって篩にかけ、八枚が選び出された。

 離れたり寄り添ったりするシュプールとその先端で向き合うカップル(撮影者:風音)

 阿吽の狛犬(撮影者:実咲)

 長い直線道路を捉えたハッセルのファインダー(撮影者:風音)

 太陽に向かって手を伸ばす風音(撮影者:実咲)

 制服のバスケ部員が放つスリーポイントシュート(撮影者:深雪)

 宙を舞うモンスタートラックのラジコンにレンズを向けている深雪(撮影者:風音)

 雪の上に足跡を残しながら歩く風音の背(撮影者:深雪)

 風音の幻像工房で笑い合う三人(撮影者:深雪)

 撮影者のことは伏せた状態で五人がかりで選んだのに、結果は見事にバランスよく三人の作品が抽出された。実咲によるものが二枚、風音と深雪が三枚ずつで合計八枚。応募する作品が出揃った。

「これがわたしたちのみち」深雪は確かめるように声に出した。

 三人でそれぞれの写真の裏に作品票を貼り、応募票を記入する。監督に小松沢こまつざわ ひとし、生徒は椋沢むくざわ 深雪みゆき氷月ひづき 風音かざね戸倉崎とくらさき 実咲みさき。応募票にフルネームで並んだのを見ると、深雪は改めてこのチームで写真甲子園に挑むのだという実感がわいた。

 写真甲子園の初戦応募は二月の下旬から始まり、締め切りは五月の中旬。一年生を内包する北町高校のチームはおそらく珍しい部類だろう。もちろん部員が不足しているという大きな理由はあったものの、実咲の力は上級生に引けを取らない。

 応募作品のデータを書き込んだディスクを用意し、応募するものがすべて揃った。やれることはすべてやった。深雪は初めて味わう満ち足りた達成感を噛みしめた。

 
 応募作品を出してしまうと、意外にも結果が気になって毎日そわそわするというようなことにはならず、落ち着いた日常が戻ってきた。実咲は応募書類を出した翌日から疲れが急に出たと言って二日ほど学校を休んだけれど、その後はちゃんと登校して部室にも来ていた。深雪たちは日々テーマを掲げては校内や近隣へ撮影に出て、戻ってきて品評会をする。品評会には朝妻も誘って意見をもらう。そんな日々を送っていた。

 いつものように四人が部室に集まり、いつも通りの朝妻をよそに三人が今日のテーマについて議論しているところへ小松沢がやって来た。

「お、順調にやってるね。どうだ、調子は」小松沢はいつものように調子を尋ねながら入ってきた。「おまえたちは拍子抜けするほど平常運転だな」

「はい、椋沢、常に異常なしです」深雪は敬礼のポーズをとっておどけた。

 小松沢は呆れた様子で深雪たち三人をゆっくりと見回す。

「もしかしておまえたち忘れてないか?」

「へ? 何をですか?」

「結果だ、結果。初戦の審査の結果。気にならないのか?」

 あ、という深雪の反応は声にならなかった。初戦応募で何もかもやりきった感覚が強すぎてすっかり忘れていた。

「今日、通知が届いた」小松沢はそれだけ言ってまたゆっくりと三人を見回した。朝妻もこちらを向いた。深雪は風音と実咲の様子を窺いたかったけれど小松沢の顔から目が離せなかった。

「ブロック別審査会出場だ」

 クイズ番組のようにたっぷりともったいぶってから小松沢が言った。その言葉は深雪の中を風みたいに吹き抜けていった。深雪は通り過ぎた風の匂いを探してからやっと耳にした言葉を受け取った。

「おめでとう」沈黙を破って背中の後ろから声が届く。真っ先に声を出したのは朝妻だった。

「ありがとうございます」朝妻の方を振り返った風音が大きめの声で言った。実咲は涙ぐんでいた。

 深雪には周りで起きていることがスローモーションのように見えた。一つ一つの瞬間がそれぞれ写真のように入ってくる。それを並べていって少しずつシーンが見えてくる感覚だった。

「あ、ありがとうございます」深雪はひときわ大きな声で言った。「やったあ」そう言って文字通り跳び上がった。

 着地した深雪が周りを見回すとそこにいる全員が笑っていた。

「深雪反応おそ」と風音が笑う。

「いや、なんかさ、何を言われたのか理解するのに時間かかった」深雪も笑った。

 三人は互いに肩をたたきあって喜びを噛みしめた。深雪は自分がこの結果を予想していたのかどうか思い出せなかった。遠くの夢だったものが一歩近づいたことで急に具体性を帯び、じわりじわりと緊張が近づいてくるのを感じた。

「まずは第一歩、第一歩だぞ。大きな一歩だがまだ一歩だ」小松沢はいつもの顔に戻ってそう言った。

 その通りだ。写真甲子園の初戦は最初の審査で大幅に絞られる。ここを通過できないチームが最も多い。それをクリアしたのは大変なことだ。でも、それでもまだ初戦を通過したことにはならない。この後ブロック別公開審査会というプレゼン大会が行われる。北海道ブロックからは、今年は二校が本戦に進出できる。たった二校に絞られることになるのだ。

「ブロック別審査は六月にある。札幌まで遠征することになる。それまでほとんど時間がないから急いでプレゼンの対策を考える必要があるぞ」

 小松沢は浮かれすぎて本当に浮かび上がりそうになっている深雪をつなぎとめるかのように言った。公開審査は審査員の前で行うプレゼンだ。深雪は本戦の公開審査会に何度も足を運んでいるからその雰囲気はなんとなく知っていた。

「プレゼンはわたしがやる感じでいい?」深雪は風音と実咲を見比べながら聞いた。

「もちろん」と実咲が間髪入れずに言い、風音も「むしろ深雪以外ありえないでしょ」と答えた。

 深雪は小松沢を見上げた。

「椋沢はそういうの得意なのか?」と小松沢が聞く。

「得意って言えるような経験はありません。でもずっと憧れていました。やりたい気持ちだけはあります」

 深雪はそう答えながら自分の気持ちを確認した。

「やりたいっていう気持ちこそ才能だ」と言って小松沢は三人の顔を見回す。「どうやら誰も異論はないようだな。よし。プレゼンターは椋沢でいこう」

 ブロック別審査まではあまり日がなく、部活は毎日プレゼンの対策になった。応募した八枚を改めて印刷し、それを並べてプランを考える。それぞれの撮影者が作品に込めた想いを話し、深雪が自分の言葉にまとめる。朝妻にも感想をもらい、小松沢にもアドバイスをもらった。もっと他にも、ということで風音のお父さんにも見てもらうことにした。風音のお父さんは写真とは少し畑が違うとはいえ視覚芸術方面の人で、仕事柄学生の作品集ポートフォリオにアドバイスをしたりすることも多いので新鮮な意見がもらえた。

 なぜこの八枚が組写真なのか、なぜこの順番に並んでいるのか、なぜこのテーマに対してこの写真なのか。見る人はきっとそういうことを考える。そこに見る側の自由を残しておかないと作品はつまらないものになってしまう。アートの見方には正しいも間違いもない。観客はそこから何を感じてもいいし、どのように解釈してもいい。作り手は作品でそれを問うのであって、そこに模範解答まで提供してはいけない。

 アートとは問題提起だ。

 深雪たちは風音のお父さんからもっとも根源的なことを教わった気がした。深雪はこのプレゼンを、自分たちの解釈へ導くのではなく、なにかを考えるきっかけになるようなものにしようと思った。

 
 ブロック別公開審査会は札幌にある北海道新聞の会議室で行われる。本戦大会が行われる町に住んでいる深雪たちにとって、このブロック別審査会だけが唯一の遠征と言えた。同じ道内とはいえ、東川から札幌までは三時間以上かかる。深雪たち三人にとって写真同好会として初めての遠征となった。

 
 札幌の町では人や車の多さに圧倒された。深雪たちだけが時間から取り残されているような、長時間露光の中に立ち止まっているような感覚だった。目、耳、鼻。感覚器官から入ってくる情報が多すぎてどんな情報が入ってきているのかよくわからない。目に入ってくる文字は意味をなさず、耳に入ってくる音はどこから来ているのかもわからない。雑味の多い匂いはたぶん町の匂いだろう。三人は誰からともなく肩を寄せてくっついた。そうしていないと町の情報に飲み込まれて体がばらばらになってしまいそうだった。

 深雪は空を見上げる。ビルが空を支えている、という澤木の言葉がよみがえる。でも札幌のビルは東京のものほど高くはない。ときどきものすごく高いマンションのようなものが立っているけれど、空はそこで支えられているのではなく、もっと上に広がっていた。まだ落ちてはこない。

 一行は札幌駅から会場まで、人波に流されるようにして歩いた。深雪はなんとなく会場をホールのようなところとして想像していたけれど、そこはオフィスビルの中の会議室といった趣の場所だった。観客をもてなすために用意された空間ではなく、実務をこなすためのそぎ落とされた景観。緊張感と渡り合えるだけの高揚感が生まれない。

 深雪は無言で会場を見つめたまま風音と実咲の手を握った。握り返してくる力を両手に受け取る。同じ道を進んでいる二人がこの両手の先にいる。深雪はゆっくりと目を閉じた。大丈夫。一人じゃない。

 深雪たちの出番は後ろの方だった。自分たちの出番の前に本戦の常連校もあった。どのチームの作品も、発表も、素晴らしいものに見える。自信だけはなくすまい、と思いながら他校の発表に見入る。

「ね、写甲ってすごいんだね。わたしぜんぜんわかってなかったよ」

 風音が深雪の頬におでこを寄せて小声で言う。風音は楽しそうに目を輝かせていた。「わたしたちみたいに全力で写真に没頭してる同世代の人がさ、こんなにいるんだね。みんなうまいし、ここに来られてよかったね」

 深雪は自分の中で固くなり始めていたものがすっと溶けていくのを感じた。とたんにステージで発表しているライバルの姿が全く違って見えるようになった。きっとそれぞれの道で笑ったり泣いたりしながら作品を撮ってきた人たち。彼らから学べることはとても多いはずだ。深雪はそのことを忘れかけていた。反対側に座っている実咲を見ると実咲は目を潤ませてステージに見入っていた。二人とも勝ち負けではなくライバルの作品を楽しんでいた。

 いよいよ深雪たちの順番が回ってきた。深雪は深く深呼吸をし、二人の手を取る。風音が実咲の手を取り、三人は三角形になった。

「できることはぜんぶやった。わたしたちのぜんぶをぶつけよう」

 深雪が声をかけると二人が微笑む。

「今まで発表したチームもぜんぶ素晴らしかった。だけどうちだってまったく負けてない。おまえたちはどこにも引けを取らない最高のチームだ」

 小松沢が三人の輪を包むように言う。三人は小松沢を見上げて頷いた。

「椋沢、いつものおまえで行け。おまえの溢れるパワーで会場中の人を巻き込んでやれ」

「はい」

 深雪は大きな力に支えられているのを感じた。大丈夫。一人じゃない。一人じゃないんだ。

 ステージに上がり、集まった人たちの方を向く。居並ぶ審査員たちは皆怖い顔をしている。小松沢と同じだ。怒っているわけじゃない。みんなこれから始まる深雪のプレゼンを全力で受け止めようとしているから怖い顔をしているんだ。それが深雪にはよくわかった。ゆっくりと息を吐き、顔を上げる。

「北海道北町高等学校写真同好会から来ました。二年生の椋沢深雪、氷月風音、一年生の戸倉崎実咲の三名です」

 深雪はゆっくりと会場を見回し、隣に並んでいる二人の顔も見る。

「わたしたちは今回、みちというテーマで作品を撮りました」

 自分の放った言葉が部屋のすみずみへ染みわたっていくのを見届ける。

「みちは、道と後ろを上げるイントネーションにすれば道路などの道になり、未知と後ろを下げればまだわからないという意味の未知になります」

 深雪はなるべく全体に目を配るように意識した。しっかりと休符を置くように言葉を区切る。

「わたしたちが生まれ、育った町には三つの道がありません。国道、鉄道、上水道の三つです。そんな道なき町で暮らすわたしたち。そんなわたしたちのみちを三人で一生懸命考えてこの組写真を作りました」

 三つの道がない、その欠落を町民は誇りにしていた。何かがないということがマイナスではなく誇りになる町。

「わたしたちのみちとは何か。それを考えることは思ったよりもはるかにたくさんの発見をわたしたちにもたらしました」

 そう、単なる駄洒落のような感覚で見つけたテーマ。そのテーマを追ってみて初めてわかることがたくさんあった。深雪はその一つ一つを思い出しながら大切に言葉をつなぐ。

「生きるということはそれ自体が道を歩くことのようでもあります。わたしたち三人が一つのチームとしてこの大会に応募するまでにもいろいろなことがありました」

 本当にいろいろなことが。

「もともとまったく違った三人の道が、近づいたり離れたりしながら次第に絡み始めました」

 名前しか知らなかった人がかけがえのない友達になる。大切に思うがゆえに苦しくなる。

「この大会に応募することになって、三人は同じ道を歩き始めました。三人の道が一本に合流したのです」

 大きな苦しみを抱えている仲間もいる。自分にできることなど何もないかもしれない。それでもそばにいることの意味。逃げない、投げない、諦めない。

「きっとそれほど遠くない未来に、わたしたちの道はまた分岐してそれぞれの道になるでしょう。今この時はもう戻っては来ません。シャッターを切ることはその今を閉じ込めることのようだと感じました」

 今この瞬間も、二度と戻ってこない大切な瞬間を積み重ねて生きている。

「わたしたちはそれぞれが自分の道を歩いています。でもその道は用意されているものではありません。未知なんです。わたしたち自身が路であり、未知でもあります。わたしたちはこの作品の撮影を通じてそれに気づきました」

 ゆっくりと言葉を置き、深雪は会場を見回した。

「今この時を大切にして未知の上に路を作り、わたしたちは明日を目指します。この組写真にはそんなわたしたちの、今のぜんぶを詰めました」

 深雪はゆっくりと目を閉じた。深雪の中に浮かんだそれぞれの場面が静かに降りてあるべきところに収まっていく。すっと目を開く。

「最後まで聞いていただき、ありがとうございました」

 深雪が頭を下げ、二人がそれに続く。

 三人が顔を上げると拍手が起こった。その音に包まれて三人の顔は自然にほころんだ。
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