夏の青さに

詩葉

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第5話 再会

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 思わず振り向いてしまった渉は、今の自分の表情がどんな風になっているか察して、咄嗟に顔を隠す。
 しかしその一瞬、垣間見えた表情を声の主は見逃さなかった。
「なに泣いてたの?」
「……泣いてなんかない」
「泣いてるじゃん」
「泣いてないって」
 泣いてないと言いつつも顔をあげようとしない渉に、黒髪の女の子は呆れた顔でため息を吐いた。
「お前、なんでこんな所にいるんだよ瀬奈」
「あんたこそ同窓会には来なかったくせに、のこのこ帰ってきたの?」
 毎回タイミングの悪い出会い方で、お互いに最悪な印象しか抱いていない二人の間にぎこちない雰囲気が流れた。
「それに私がここにいるのは不自然じゃないわ」
 瀬奈は渉から返事をする気がない気配を感じると話し始めた。
「私、同窓会の幹事だから明日小あすしょうに用があったの」
 瀬奈は先日行われた明日賀屋小学校同窓会にて、幹事を務めており準備や運営などの仕事をこなしていたらしかった。今日は、その後の仕事で小学校まで立ち寄ったらしい。
「……同窓会は終わったんだろ? やる事なんかあるのか?」
 やっと涙が収まってきた渉は袖で目元を拭うと顔を上げた。
 まだ目が充血していて、泣いていないと言う彼の意見はもうこれで通じなくなったが瀬奈はそれには言及せず答える。
「終わった後も忙しいのよ。久しぶりに会った友達から校舎の撮影してきて欲しいとか頼まれたりするしね」
「それって雑用……」
「他にも色々あるの! 言えないだけで!」
 そう言うと頬を膨らませて瀬奈は怒ったような顔を見せた。
 案外、子供のような反応に渉は素直に驚いた。普段の様子からは全く想像出来ない姿で、別人と言われても納得してしまうくらいだったからだ。
「そっか、色々大変なんだな……お疲れ様です」
 あまりの忙しさに性格まで変わってしまったのかと思い、労いの言葉をかける渉に、瀬奈は先程の表情から一転変わって真顔になった。
「なんかあんたに言われるとキモイ」
「はぁ!? 労ってやってるのになんだそれ!?」
「別に頼んでないけど!? 意味わかんない死ね」
 唐突な暴言にショックを通り越して怒りで頭に血が登った渉はすぐさま反論しようとした。
「ナチュラル暴言やめろよな!? お前だって――」
「お前たち学校前で何やってんだ!?」
 瀬奈に何かを言う前に、その言葉は校門から出てきた教職員と思われる中年男性に遮られる。
 彼は黒縁の丸いメガネをくいっと上げながら渉達に近付いてきた。
「あ、あ……えっと、怪しいもんでは……」
「馬鹿! そう言ったら余計怪しまれるでしょう!? えっと、私ここの卒業生でして……」
 瀬奈は慌てて何とか説明しようとする。しかし、瀬奈が言葉を紡ぐ前に男性は何かを納得したような顔をした。
「――ああ! 宮野ビルディング株式会社のお嬢さんか!」
 そう言いながらぽんと手を叩く男性。
「(通報沙汰とかにならなくて良かったぁ……)」
 渉は安心したようにほっと息を吐くと、瀬奈の方を見た。
「良かったよ、お前が有名人で――」
「…………」
 渉は素直に瀬奈にお礼を言おうとしたが、その時の瀬奈の表情は今までで見たことないくらい悲しそうなもので、思わず言葉が途切れてしまう。
「今日はどういったご要件でいらっしゃったのですか?」
 ニコニコと先程とは打って変わった態度で、そう訊ねる男性に瀬奈は要件を伝えた。
 校舎内の写真を撮らせて欲しいという願いは、あっさりと聞き入れられて、流れで同行出来ることになった渉は、先程の表情について聞こうか聞かまいか思案する。
 夏休みに入ったことで生徒は一人もいなく閑静な学校内には渉たちの靴音だけが響いていた。
 想像よりも低く感じる天井、やけに短く感じる廊下、思い出の中で美化されていた教室。ただそれらを見る度に、思い出してくるのはやはり昔の記憶だ。
「――なぁ瀬奈」
「なに?」
 六年生の教室内を自前の一眼レフで撮影する瀬奈に、渉は開け放した窓から顔を出して遠くで鳴いている蝉の声を聴きながら彼女の名前を呼んだ。
「確かお前んとこの会社ってすっげぇ大きいんだよな」
 パシャリ。カメラのシャッター音が響いて、沈黙が出来る。
「……それがどうしたの?」
 その声はとても低くて、冷たくて、思わず渉は振り返った。触れてはいけないものに触れてしまった気がして、渉の首筋に冷や汗が流れる。
「い、いや……何となくさ。親が社長とかって凄い自慢出来るじゃん?」
 早口でそう話す渉は、自分が何を言ってるのか自分で分からなくなっていた。
 言った後で、瀬奈なら「何言ってんの?」と馬鹿にしてきそうな気がして、言わなきゃ良かったと後悔する。
 しかし、彼女の反応は予想とはだいぶ違うものだった。
 瀬奈は若干、顔を伏せて押し黙った。
 表情は先程、校門で見せたものと同じ悲しげなものだ。
「……せ、瀬奈……?」
 戸惑った渉は思わず声をかけて、それによる反応を伺った。
「…………」
 しかしそれでも瀬奈は同じ表情のまま、黙りこくっている。
「…………」
 必然的に渉も無言になってしまい、静かな教室内には何とも言えない雰囲気が場を制した。
「……わよ」
「え?」
 唐突に口を開いた瀬奈の言葉がよく聞き取れず、聞き返す渉に、瀬奈は顔を上げて鋭く言い放った。
「凄いと思ったことなんか一度もないわよ。むしろ大っ嫌い」
 彼女のその言葉は、先程見せた表情や反応よりも渉にとって予想外なものだった。
 渉の記憶の中にある瀬奈は、自身が恵まれた環境を理解していて、それを話題出すことに抵抗がないくらいの女の子だ。
 子供の頃はよく家族の話をしていたし、特段、親に対する悪口を言っていた印象もない。
 だから、渉は素直に疑問を口にした。
「お前がそんなこと言うなんて、何かあったのか……?」
 ただその疑問は瀬奈にとっては起爆寸前の爆弾を投げ渡された時のように、非道で衝撃的なものだったらしい。
「昔っから言ってたじゃない……」
 そうボソリと呟いて。
「あんたには分からないでしょうね!」
 怒鳴るようにそう言い放った。
 当然、急に怒り出した彼女に対して渉は顔をしかめる。何か言い返そうとした瞬間、渉は瀬奈の姿に目を奪われて言葉を失った。
「……あんたには……分からないわよ」
 ぽつぽつと瀬奈の白く透き通った頬の上を通って、透明色の雫がこぼれ落ちていく。
 それが泣いているという事だと理解するのに数秒かかった程、彼女のそんな顔は珍しかった。
「……な、な、なんで泣いて……」
「泣いてなんかないわ!」
 情けなく慌てふためく渉に、なおも瀬奈は強い口調で返した。
「いや、泣いてるじゃん……」
「泣いてないって! しつこい!」
 今度は立場が逆になって、何処かデジャブのあるやり取りが行われる。お互い、それに気づかずに言い合いを続け、最終的に既視感を感じて二人とも黙った。
「……はぁ、だっさ」
 あの時の渉のように未だ充血している目を隠そうとせず瀬奈は面を上げてため息を吐いた。
「……それは俺に対して?」
 恐る恐る忍び寄るが如く慎重に聞いた渉を一瞥して、瀬奈は「どっちも」とだけ答えた。
 先程から随分長いこと鳴いていた蝉の声が一瞬、止まって瀬奈は口を開いた。
「私さ、あんたに正直、もう一生会いたくなかった」
 開け放した窓から夏風が舞い込んできて、瀬奈の長い髪は風に揺れる。
「でも、やめた。まだ言い足りないこと沢山あるしね」
「それ、言うだけ言って縁切られるパターン……」
 窓の外、校庭に生えた木々から聞こえる蝉の声が遠く遠くなっていく。
「あんた、私の事なんだと思ってるのよ」
「高飛車で自分勝手ですぐキレる怖い奴」
「はぁ!? あんただって自分勝手で、逃げてばっかりで、最低な奴じゃん!」
 反撃でまぁまぁの正論をぶつける瀬奈に、否定したくても出来ない渉は口をつぐんで俯いた。
 先日の件について反省しているような様子を見せた渉に、瀬奈は少しだけ柔らかい口調で言葉を付け足した。
「……まぁ、あんたのした事は許せないし、のこのこ謝りもせずに帰ってきたのはムカつくけど……」
「…………」
「私は、夢を持ってキラキラしていて、うざいくらい希望を語ってるあんたの事、嫌いじゃなかったよ」
 気づけば周りの音が聞こえなくなっているほど、瀬奈から言われたその言葉に意識を奪われていた渉は、口を半分開けて目を何回も瞬く。
「何その反応……今は好きじゃないって遠回しに言ってるんですけど?」
「いやでも、だって、昔も今もいつでも、そんなこと言わなかったじゃん」
 渉にそんな返しをされると思っていなかったのか瀬奈は一瞬驚き、口を開けて何か言いたそうに呻いている。
「……そうだっけ?」
「そうだよ!?」
 いつの間にか取り戻した夏のざわめきに包まれながら、静かな教室内で二人は久しぶりにあの頃のようなやり取りをした。
 校庭の真上の空は、今朝と変わらず雲一つない晴天で気温はどんどん上がっていく。差し込む太陽の光ですら、ずっと当たっていたら熱中症になってしまいそうなくらい暑かった。
 時折吹く風は涼しくとはならないけれど、夏の匂いが沢山して、この季節にしか味わえない素敵な気分になれる。
 ミンミン、ジワジワ、そんな蝉の声が学校の何処へ行っても聞こえるくらいには、忙しなくその声を必死に上げて鳴いていた。
 渉たちは、目的だった瀬奈の写真撮影を済まして、男性の教職員に挨拶をした後、学校を出ることにした。
「親御さんに宜しく頼みますねぇ」
 そんな言葉を投げかけられた瀬奈の表情は、教室で見せた時のような悲しいものでは一切なく、どこから見ても純粋な笑顔だった。
 ただそれを渉だけは知っていた。その笑顔が全ての涙の裏返しであることを。
 一年生から六年生までの下駄箱が壮観に並ぶ昇降口で、丁寧に並べたシューズを手に取りスリッパから履き替える渉。
 彼はふと、さっきまで隣にいた彼女の気配がないことに気づいて後ろを向いた。
「何してんだよ?」
 そこにはやはり、スマホを凝視して立ち止まっている瀬奈がいて、渉の声がまるで聞こえていない様子だ。
 何事かと手に持ったシューズを再度、玄関に置いて瀬奈の元へ向かうと、彼女はようやく画面から顔を離して、渉を見上げた。
「何かあったのか?」
「ちょっと日向から連絡が来て」
 日向、その名前を言われた瞬間、渉はもう一度あの時の事を正確に思い出して、まるで追体験したように感じた。泣いている日向の表情が何度も何度も繰り返されて、最後に残る瀬奈の「最低」の一言。
 少しは緩和されたと思っていた認識が、恐怖としてまた襲ってくる感覚を拭えずに渉はその場で固まった。
「? 誰? 青って……」
 しかし直後、瀬奈の口から出たその名前は、渉を過去の記憶のループから解放するには十分なものだった。
「青!?」
 明らかな反応を示す渉に、瀬奈はスマホの画面と渉の顔を見合わせて首を傾げる。
「いや誰? 青って……?」
「え? 覚えてないのか……?」
 かく言う渉も最近、思い出したのだが瀬奈は全く誰か分からないという感じで、ひたすら怪訝そうな顔を浮かべるばかりだ。
「覚えていない……っていうか、そもそも知り合ったことないと思うけど」
「いやでも、お前、小学校の時――」
 そう言いかけて渉は、何故自分と日向だけが、青のことを覚えている又は思い出しているのか疑問に思った。
「……いやでも、そんな……」
 ブツブツと何かを唱えて考え出した渉に、自分だけ取り残された気がしたのか、瀬奈は日向とのトーク履歴が映っている画面を渉に見せて。
「説明して!」
 と怒ったように言った。
 相も変わらず第三者に誰かとのトーク履歴を見せることに躊躇いが無い瀬奈に、渉は後ずさりかけた。前の一件で見た衝撃的な内容がフラッシュバックして、見ることを迷いかけたけども、日向から送られてきた新着のメッセージに書いてあったことは、それよりも衝撃的なものだった。
『瀬奈ちゃん、青くんって覚えてるかな? なんか夢を見たんだけど、私、それまであの子のこと忘れてて……』
『凄い心に引っかかる感じがするの。私だけ忘れてたのかな?』
 そんな内容のメッセージを二件送り、日向からの連絡は終わった。
 しかし、それは難問を解いた時のように満足と納得のいくようなもので、渉にとっては、青という少年が幻ではないと決定付けるのに十分なものであった。
「俺と同じだ……」
「は? 何が? ってか本当に誰?」
 訳が分からなすぎて今にでも殴りかかってきそうなぐらい、目の前の渉を睨みつけている瀬奈。
 渉は間違ってでもそんな痛い思いをしないように、以前見た夢の話、青という少年のことについて話した。
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